千伐の竜騎士

「よう小僧っ子」  ラザハンの街角で声をかけられた。  響きのいい低い声の主は赤毛のエレゼンで、驚いたことに、エレゼンとしても長身だと感じていたエスティニアンよりまだ背が高かった。  コトコの第一印象は、まるでルガディンみたい、だ。見た目は長い手足に細身のエレゼンなのだが、何故か受ける印象が重く厚い。整った顔は笑っていても、思わず一歩下がるような圧があった。 「あんた……まだこの国にいたのか」  返事をしたのはエスティニアンで、二人は知り合いのようだった。 「まーな。俺のダチの親戚ってのが、この国にいるもんでよ。特に俺に行きてー場所があるわけでなし、付き合ってのんびりしてるさ」  赤毛のエレゼンはざっくばらんな口調でそう言った。だが奇妙にも目は笑っておらず、その理由はすぐに分かった。 「小僧っ子」  エスティニアンをそう呼んで彼は言う。 「久しぶりに、手合わせしよーぜ」  と。


 約束の日時は明日の昼。  あの男と会ってからずっとエスティニアンは険しい顔で、アルフィノも声をかけかねている。 「ねえねえ。あの人、なんなの?」  こういうときには、無神経を武器にした自分だと思う。言えないことなら言えないと言ってくれればいいのだ。そして教えてもいいことなら教えてほしい。  エスティニアンを「小僧っ子」と呼ぶが、どう見ても彼は30代の前半くらいに見えた。それは「ヒューラン族なら」なので、実年齢はもう少し上だろう。だとしても、エスティニアンと10歳違うようにも見えない。それに、エスティニアンは蒼の竜騎士としてイシュガルド中に知られた存在で、年上だろうが年下だろうが、それなりの敬意を払われる立場だ。ニーズヘッグに乗っ取られたという経緯から、警戒したり危険視したりする者はいるそうだが、だとしてもぞんざいな扱いをされるとは思えない。  コトコの問いに、エスティニアンはまず名前を答えた。 「リュシアン・レコルス」  そして付け加える。 「イシュガルドで、おそらく最強の竜騎士だ」

 思わず目を見はったのはコトコだけではない。アルフィノの目はまんまるだし、アリゼーも絶句している。ものなれたサンクレッドも例外ではない。もしここにヤ・シュトラたちがいても、同じような反応をしただろう。 「俺を”最強”だと思ったか?」  苦い自嘲を漂わせて、エスティニアンが笑う。 「言っておくが、俺より強い奴はいる。竜の目の力を取り込んでいなければ勝てない相手が、十人やそこらはな。だがその誰に対しても俺は、たとえ目の力がなかったとしても、それなりに戦い抜く自信はある。たとえ負けるとしても、いい勝負くらいはできるって自信がな。だがあいつだけは……」  ごくりと、コトコは唾を飲んだ。 「では、彼もなにか、竜の力を?」  アルフィノが尋ねると、エスティニアンは首を横に振りかけ、しかし思い直したように止めた。 「……俺の鎧」  そして唐突につぶやいた言葉がそれだ。 「鎧? 鎧が、なによ?」  アリゼーが首を傾げる。 「俺の鎧は、あいつらから譲られたものだ。ラタトスクの加護があるとか言ってな。だとしたら、なんらかのつながりは、あったのかもしれん。だが、―――まあ、気になるなら見に来い。俺が無様に”転がされる”ところでもな」  その言葉に一行は、ますます目を丸くして顔を見合わせた。


 翌正午。  約束した丘へ向かうエスティニアンは、いつもの青黒い鎧を身に着けていた。珍しく兜まで小脇にして、背には魔槍ニーズヘッグ。  コトコは未だ信じられない気持ちでその丈高い背を見守る。  エスティニアンは強い。これまで見てきた中で誰よりも強いと言っていい。もちろんサンクレッドやウリエンジェたちも強いが、彼等の強さには戦術や戦略といったものも含まれている。だがエスティニアンはそれに、武の強さだけで並んでいると言っていい。  そのエスティニアンが、まるで勝てると思っていないとは、どんな相手なのか。  負けに行くつもり、としか言えないエスティニアンにあれこれ聞けるほどの厚かましさまでは持ち合わせがなく、コトコもアリゼーも黙ってついて行く。負けるところが見たいわけではなく、信じがたいからだ。そしてアルフィノは、ヒーラーが必要になるかもしれないと言って同行していた。

 アリゼーは”大口”じゃないかと疑っているようだ。いや、この場合”小口”か。エスティニアンがそこまで自分を小さく評価しなければならない相手が、信じられないのだろう。  アルフィノは生真面目に心配している。エスティニアンに限ってそんなことは、と思う一方で、彼我の戦力差を冷静に見極められないようなエスティニアンではない。だとすれば事実である、あるいはだったことには違いない。大きな怪我をしなければいいがと、心配で仕方ないようだ。  コトコは、その2つを足して割ったような気持ちだった。

 約束した丘に着くと、そこにはもうあの赤毛の男がいた。  だがその装いは旅装と言ってもいいような軽装で、戦う用意らしいものは槍が一本。手近な岩に腰掛けていたのが、こちらに気付くとにっと笑った。 「なんだよ、ギャラリーつきか。それとも加勢か?」 「戦うのは俺だけだ」 「そっか。だったら、とばっちりが行かねーよーにしてやらねーとな。おら、ギャラリーはちょいと離れてな。そうだな。あそこの岩くらいまでだ」  指さされて振り返ったところに、少し目立つ尖った岩があった。 「エスティニアン」 「大丈夫だ。手合わせ、だからな。殺しあいじゃない」  心配そうなアルフィノに頷いて見せ、エスティニアンは兜をかぶった。

 コトコ、アルフィノ、アリゼーの三人は、示された岩の傍まで下がった。  途端、男は軽く槍を旋回させ、その石突きを勢いよく地面に突き立てる。同時に、金色に輝く光のドームが彼等を包み、コトコたちと分断した。 「エスティニアン!!」  ついアルフィノが駆け寄ろうとするが、金色の光は物理的な障壁となって行手を阻んでいた。 「心配すんなって。閉じ込めたわけじゃねーよ。とばっちり防止って言ったろ? なに、殺ししゃしねー。……と言っても、こいつがボンクラすぎると、うっかりってことも、ないとは言えねーけどな。なあ、小僧っ子。久しぶりに”転がして”やるよ。それとも、ちったぁまともに戦えるようになったか?」  思わずアリゼーがカッとなって一歩踏み出したのも、やはり金色の壁に阻まれた。

 槍を手に、二人が向かい合う。距離はかなりあるが、竜騎士の脚力にとっては一歩にも等しいような間合いだ。兜の面当てを下げ、エスティニアンが構える。赤毛の男は、肩に槍を担いだ格好で立ったまま、「来い」と言うように上に向けた手のひらでエスティニアンを招いた。  瞬間、エスティニアンの姿が赤い残像となって消える。あっと思ったときにはその姿は上空にあった。  スターダイバー。流星のごとく天から地へと槍を穿つ、エスティニアンの繰り出す技の中でも最大級の威力のものだ。彼はこれで、大型の魔物や時に魔導アーマーを、一撃のもとに撃破している。人を相手に繰り出すには威力過剰でしかない。  が、尾を引いて加速し落下する人槍一体の紅光は、巨大な鉄扉でも倒れたのかと思うほど大きく耳障りな金属音とともに、コトコたちの目の前、光の壁に叩きつけられた。そこでまた鎧が潰れるようなすさまじい音がし、エスティニアンの苦悶の声が迸った。

 コトコは息もできなかった。  アルフィノやアリゼーも同じだ。彼等はまだ10代、コトコも20代の前半だが、それでもこれまで、命のかかった戦いに向き合ってきた。その経験のおかげで、見ることができた。  まさに落ちる星片のような一撃を、赤毛の男はまるで無造作に、槍の一振りだけで弾き飛ばしたのだ。だがそれは、巨体のヴリトラが本気で激怒して尾でも振り回せばあるいはこうかという、凄まじい力だった。 「エス……っ!!」  アルフィノが膝をつき、壁にすがる。その視界の端に、足先が見えた。  それが踏み降ろされ、すんでのところで横に転げて逃げたエスティニアンのいた場所を潰す。ただ踏みつけるだけのことだったが、その凶暴さは、巨竜の足と変わらないように見えた。

 そこから先、アルフィノは「もうやめてくれ」という言葉を必死に飲み込んでいた。  アリゼーは一度それを言葉にしたが、「黙ってろ、お嬢ちゃん」と言われ、言葉も息も止められたように喘いでそれきりだ。放たれた一言はその後に「さもないとおまえを殺す」とでも続きかねない何かがあったのだ。  コトコは冷たくなった手で杖を握り、必要になったときいつでも飛び出せるようにと自分を鼓舞し叱咤し、竦みそうな足でどうにか体を支えている。 (なんなの、これ……)  今感じているものを言葉にしようと、必死に探した。  強い敵とは何度か戦った。罪喰いもそうだったし、人間であればランジート将軍も人かと疑いたくなるほど強かった。ゼノスもそうだ。絶大な力を持つ妖異や魔物もいた。だがあれは、そのどれとも違う。  あれは―――途轍もなく凄まじい、純然たる戦意、だ。  国のためや世界のためという信念ではない。己の欲望のためでもない。愛する人のためという想いでもないし、楽しんでいるわけでもない。  ただただ戦意、あるいは殺意。それだけが、人の形をしながら、天竜ほどの強大さで猛威を振るう。 「どうした、小僧っ子。大して強くなってねーんじゃねーのか?」  時折そうやって口をきくのでなかったら、人の形だけした殺意の塊だと、思っただろう。


 エスティニアンの槍は一度かすることもなく、彼自身はこれまでに見たこともないほどぼろぼろだった。  だがそれでも、槍を支えに立ってまだ戦うことは諦めていない。  それは不思議なことに、この手合わせの途中からだった。一方的すぎてまるで歯が立たず、無理だと諦めようとしていたと、コトコには見えた。だがあの赤毛の男が、手足で這って荒い息をするエスティニアンの顎を持って無理やり立たせ、なにか言った。それを境にエスティニアンは、再び戦う気力を取り戻した。  そしてそれから何度も何度も、向かっていくたびに我が身を壁や地面に叩きつけられるだけだとしても、立ち上がることを諦めなかった。  影の位置が僅かに変わる、少なくとも20分はたっただろうか。そこで立とうとしたエスティニアンは、そのままずるずると、槍を伝うように崩れ落ち、動かなくなった。  終了、だった。

 光の壁が消えるなり、三人は転ぶほど前のめりに駆け出す。ヒーラーとして腕を磨いてきたアルフィノとコトコはもちろん、アリゼーも一斉に回復魔法を唱える。  それを見下ろす男は、大きく息を一つついただけで、呼吸はまるで荒れてもいなかった。  エスティニアンの傷がいくらか塞がると、 「ここまでやる必要あったの!?」  アリゼーが食ってかかった。 「こんなっ、ぼろぼろでっ、もしかしたらっ、打ちどころ一つ悪かったらっっ!!」  涙目の、怒りに満ちた抗議を、コトコがちらりと横目に見上げると男は、平然と見下ろしていた。 「この程度で死ぬなら、こっから先どっかで死ぬんじゃねーの? なにせおまえらの相手は、世界の終わりとやらだろ?」  無感動にさえ見える目にアリゼーは唇を噛み締め、もういいと言わんばかりに回復に戻った。

 三人がかりで懸命にエーテルを注ぎ、代謝を促進させ、活力を呼び戻す。エスティニアンの息は落ち着いて目立つ傷は塞がったが、割れた兜から覗くまだ顔色は青白い。命に関わることはないとしても、魔法で補助しても回復には数日かかりそうだし、それがなければ一週間は動けないような怪我と、なにより消耗だ。 (……うん。怪我は、そんなに酷くない)  何度も繰り返し弾き飛ばされ投げ落とされ叩きつけられて、打撲していないところがないような有り様だし、何ヶ所か骨にヒビくらいは入っているだろうが、一ヶ月も二ヶ月も安静にしていなければならないような怪我は、一つもない。ただ、死力を振り絞って戦い続けた、体力の消耗と疲労が激しい。  あれだけの戦いで深刻な怪我がないのは、エスティニアンがかろうじて受け身だけはとっていたからだろう。そう。彼ほどの猛者でなければ、最初に叩きつけられただけで絶命していかねない。  確かにまるで勝ち目のない戦いが続いたが、この人と戦い続けられるというだけでも―――手加減されているとしても、だ―――エスティニアンはやはり、並外れて強いのだと思う。  だとすれば、それを「小僧っ子」と呼ぶとおりに”転がし”まくった、彼はいったい何者なのだろうか。  「イシュガルド最強の竜騎士」。そんな言葉だけでは、全然表されていない気がした。


 間もなく意識を取り戻したエスティニアンは、まず真っ先に大きな溜め息をつき、舌打ちをした。 「くそっ」  と吐き捨てた声もする。  それにからからと笑い声が降った。 「まー今回もよく転がったな」  そして、少し前までとは打って変わった、元の……元よりも気安い調子でエスティニアンを引き起こした。そのまま肩を貸し、 「歩けねーなら、姫だっこしてやんぞ、小僧っ子」 「歩く。……肩だけ貸してくれ」 「こいつらじゃ丈が足りねーもんなぁ」  少なくとも、あれだけ叩きのめされてエスティニアンは、遺恨も怒りも覚えている様子はなかった。落胆はしているとしてもだ。  だったら、当事者でない自分が、この謎の男について腹を立てたり警戒したりするのは違うとコトコは思う。  ただ、「この人いったいなんなんだろう」という思いは、その分強くなった。

 そんなコトコを、赤毛の男の緑色の目が、ずいぶん高いところから見下ろした。  じっと見て、にっと笑う。  そのとき気が付いた。彼の目は明るく鮮やかなグリーンだが、右は森の色、左は草の色で、僅かに色味が違う。綺麗で、優しく見えた。  脅威だけを見せつけられた相手に、微笑まれただけで何故そんなことを思うのか。隣にはぷりぷりしているアリゼーと、そんなふうに失礼にはなれない分、エスティニアンのことだけ気にかけて相手のことは気にしないようにしているアルフィノがいる。この二人はきっと、この謎の男のことをいい人だとか優しそうだとは、微塵にも思わないだろう。  何故自分がそんなふうに感じたのは、コトコ自身にも分からなかった。

 ラザハンの街に戻ると、その入口で「じゃあな」と去っていった男と別れ、三人で受け取ってエスティニアンを宿へと運ぶ。途中で、気にして待っていたサンクレッドと会えたのは幸いだ。彼はミッドランダーだがさすがに成人男性で、コトコたちよりは腕力も体力もある。 「酷い有り様だな」 「ああ。……クソ。もう少し、食らいつけるかと思ったが」  サンクレッドは現場にいなかった。だからこそなのか、それとも彼の経験や背景のためなのか、コトコたちのように動揺はせず、「ただのなかなか酷い怪我」としてだけ扱う。それが気楽なのか、エスティニアンの口元にも笑みが戻った。  そして、悶々とした様子の双子に向かい、 「今日はもう寝る。聞きたいことがあるなら、明日話してやる」  そう言って追い払い、サンクレッドに担がれて部屋へと入っていった。


「俺たちが、死に物狂いで戦った竜詩戦争……。だが、実際に戦っていたのは、何ヶ月、いや、何日だ?」  翌日の昼をだいぶ回った頃、示し合わせて部屋を訪れた三人と、そして話を聞きに来たサンクレッドに向かって、エスティニアンはそう切り出した。  そのときまだコトコは”英雄”とされることもなく、ただ、その戦争に久しぶりに傭兵として参加した父親の帰りを、心配しながら待っているだけだった。アルフィノたちと知り合ったのはもっと後のことだ。  だとしても、振り返って考えればコトコが関わってからの”戦い”も、文字通りに戦闘していた時間だけを数えれば、そう長くはない。  アルフィノも、自分が竜詩戦争に関わった期間を半年くらいだと思い返した後、 「移動中に小型の魔物や獣に襲われたことも除けば、20日、いや、もっと少ないだろうか」  と言った。エスティニアンは頷き、 「その中で、敵と命がけで戦い、ましてやニーズヘッグのような大物と戦っていた時間は、たぶん数日ってところだ。ほとんどの時間は、成り行きを見ていたり、移動していたり、情報を待っていたり、戦ってはいなかった。だがあいつは30年―――30年間、戦ってきた」

 3日に一度は竜の群れと戦い、半年に一度や二度は、一匹で街一つ全滅させるような相手と、戦い続けてきた。俺たちが竜詩戦争で過ごした半年を、その中でも特にヒリつく戦い前後のときを、生きるか死ぬかの数日を、あの男は30年繰り返して戦ってきた。エスティニアンは、そう言った。  コトコは自分の経験に置き換えて想像する。ティターニアやハデス、そして思いがけず目の前に現れたゾディアーク。一歩間違えば死ぬかもしれないという戦いは、何度かあった。それは実際に戦っていた時間として計測すればほんの数十分のことで、戦いへと向かう間を含めても数日のことだ。そのたびに怖くて、不安で、重くて、つらくて、胃が潰れそうで、逃げ出したいけど逃げるわけにいかなず、必死に踏みとどまり食いしばった。そして、無我夢中に、痛みにも気付かないほど必死に戦った。終わったときには、自分が生きているのかそれとももう死んでいるのか分からないほどに必至だった。  そんな経験を、 (30年、ずっと……?) 「そうか。北稜ドラヴァニアだな」  サンクレッドが言い、エスティニアンが頷いた。 「ほくりょう、ドラヴァニア?」 「イシュガルドの北の端、竜の領域との境界の一つだ」  すぐ下に、南稜ドラヴァニアという地域を持つ北稜ドラヴァニアは、小さな土地だ。だが昔からここは、常に竜の恐怖に晒され続けていた。それは南稜が、寒冷なイシュガルドにあって温暖な、豊かな穀倉地帯だったからだ。

 ”イシュガルドの穀物庫”と呼ばれる南稜は、かの国の穀物自給のほとんどを支えている。敵からすれば、ここさえ滅ぼせば国は衰退するという急所中の急所になる。だから、大規模な侵攻があれば必ず、南稜ドラヴァニアは攻められた。そしてそれを食い止めていたのが、 「北稜守護隊だ」  ニーズヘッグは人間を一思いに滅ぼすことではなく、長年に渡って苦しめることを選んだ。そのため百年単位でなんの争いもないこともあるが、ひとたび侵攻が始まれば、北稜ドラヴァニアは断続的な攻撃に遭う。皇都を落としてしまえば終わる戦争だからこそ、その代わりに選ばれた生け贄の地だった。そこで必死に戦い殺されていく人間を、ニーズヘッグは観覧していたのだ。  直近では、40年ほど前から竜が動き出していた。それが皇都近辺に及んだのはそこから20年ほどもしてからだが、北稜ドラヴァニアはそれより先んじて侵略を受け、以来、ずっと戦地になっていた。  彼は、リュシアン・レコルスという男は、その北稜で30年、戦ってきたのだ。

「竜の時間感覚は、人とは違う。少し待つのが10年で、一眠りが100年ってのもザラだ。それでも北稜は、半年平和だったこともない」  それは皇都にいても、軍務に携わっている者ならば誰でも知っていた。途切れない戦死者名簿としてだ。  リュシアン・レコルスは若い頃からそこを志願して赴任し、長じては指揮官になった。どころか彼は、誰も所有したがらない南稜最北端の地を自らの領地として足場を築き、都に帰ることすらほとんどなく戦い続けた。 「国と民を守るのが貴族の役目。守るからこそ貴族が偉いなら、偉い奴ほど前線にいるべきだ、なんて理屈でな」 「……え? キゾ、ク?」 「ん? ああそうか。レコルスなんて言ったって、イシュガルド人以外には分からんか。あいつはデュランデル家の人間だ。本当なら当主になるはずが、弟にそれを譲って自分は最前線。南稜の最北端、レコルス地方を領地に持ったから、リュシアン・デュランデル・ド・レコルス伯爵ってのが本名になる」  三秒くらいの間があって、アリゼーとコトコの「えーっ!?」が重なった。

「なんにせよ、それじゃあ強いのも道理か。普通の人間の10倍、20倍、ともすると100倍も戦ってるんだ。俺やおまえと比べても経験値が圧倒的に違う」 「俺は昔から、一度も勝てた……いや、穂先一つ、かすらせたこともない」  30年、ほとんど毎日のような戦いの中に生き続けた人間。それはもうコトコの想像できる範疇を越えていた。分かるのは、途方もないほど強いということだ。力だけでなく、精神も。 「エスティニアンのお師匠さん、ってわけじゃないんだよね?」 「違う。言っただろう。あいつはほとんど皇都に戻ってこない。たまに報告だのなんだので戻ることがあるだけだ」 「で、そういうときに何度か会ったってことか」 「……まあ、そんなところだ」  エスティニアンの様子からすると、突っかかったか、それとも何かして目をつけられたか。それでさんざん”転がされ”たのだろう。「小僧っ子」と言われながら。

「それにしても、なんだってそんな奴が突然、おまえと手合わせなんて言ってきたんだ」  サンクレッドの疑問に、エスティニアンはまた一つ溜め息をついた。 「力試し、だな」 「力試しでここまでボコボコにする?」 「世界を救う。それが今、俺たちの向かう道だ。その中で俺が戦い抜けるかどうか、それを確かめに来たってところだ」 「なんで。余計なお世話じゃない」  アリゼーは余程あの男のことが気に入らないらしい。  エスティニアンは苦笑し、そしてちらりとコトコと、そして双子を見た。 「ほぇ?」

 少し疲れたと言って、エスティニアンは話をそこで終わりにした。  カッカするアリゼーに付き合うのも、未だに心配顔のアルフィノを宥めるのも、面倒に違いない。  ぞろぞろと四人、エスティニアンの借りている部屋を出る。 「そう心配するな。あれで巧みに急所は外れてる。あいつなら、もう一日寝れば回復するだろ」  そう言うサンクレッドに、アリゼーが頬を膨らませ気味に食って掛かる。 「そういうことじゃないの。なによ突然来て、偉そうに。力試しとか、そんなの別にしなくたって!」 「でも、実際にエスティニアンは彼にまったく歯が立たなかった。あれがもし本物の敵だったら」  言ってアルフィノは口を噤む。もし彼が本物の敵でそこにいる者たちを殺そうとしていたとしたら、今頃誰もここにいないかもしれないのだ。あれは手合わせだったが、エスティニアンがああして立ちはだかり戦ってくれることで自分たちが守られることが、この先ないとは言えない。そして、あれほどに強い敵がこの先に、いないとは限らないのだ。 (……でもほんと、なんで手合わせなんて。エスティニアンのことが心配だったのかな)  だから、彼がこの後を戦い抜けるかどうか、確かめに来たのだろうか。コトコはそう考えたが、どうもしっくり来なかった。だとしたら、あんなふうに一方的に叩きのめすのではなく、修行をつけてやるのではないだろうか? そう思えるからだった。

 そんなことが気になったのと、やはりヒーラーとして心配になったのもあって、コトコは月が登りきる少し前、エスティニアンの部屋を訪れた。  ノックには沈黙が返ったが、 「まだ起きてる? 夜食持って来たんだけど」  と声をかけると、 「ああ、おまえか。入れ」  と返事が来た。たぶん、アルフィノであれば寝たふりをしたのではないだろうか。  付き合いが短い分、コトコはエスティニアンに対してアルフィノのような思い入れがない。だからこそサンクレッドたちと同じように、付き合いやすい距離だと思ってもらえるのだろう。  コトコは訪問の口実であり、まんざら嘘でもないスープ皿を手に、鮮やかな赤紫をしたドアを開けた。

 枕元の明かりで見ても、エスティニアンの顔色はもうだいぶいい。顎のあたりに痣は残っているものの、その程度はよくあることだ。 「はー。それにしてもすごいよね、あの人。強いのもだけど、30年もずーっと戦い続けるなんて、あたしは絶対できないよ」  スープを渡し、コトコは思いつくままに口にする。エスティニアンは小さく笑い、 「あれは別格だ」  と軽やかに答えてくれた。もったいぶった重い話は面倒でも、他愛のない話題としてなら彼について話すのは嫌でないらしい。  なんとなく思ったとおりで、コトコは安心する。一方的に叩きのめされるような相手でも、嫌いではないのだ。  むしろ、好きなのだろうと思う。苦手かもしれないし悔しくも当然あるとしても、嫌いな相手にならエスティニアンはもっと冷淡になる。それが、気圧されながらも話に乗ったということは、関わることが嫌ではないということだ。  そしてコトコは単純で、 「それにすっごい背高いよね。エスティニアンより大きなエレゼンって、初めて見たかも」 「そんなことはないだろう」  他愛もない言葉が、のんびりと夜の部屋に零れる。追加の回復魔法の必要もなさそうで、コトコはエスティニアンと少し、あの赤毛のエレゼンについて話していくことにした。

 初めて会ったのは、故郷の村を滅ぼされ、荒むだけ荒んでいた16くらいの頃だったそうだ。復讐のためひたすら力を求め、強さを求め、それ以外の何一つ目に入らなかった。  訓練所でも厄介者扱いだった。練習相手を過剰に打ちのめすし、負けが明らかでもしつこく食い下がって、嫌になった相手が油断するとそこで反撃し、怪我をさせる。そしてそれらすべてを、弱いから悪い、と足蹴にしていた。  エスティニアンより強い大人はいくらでもいたが、勝つまで向かってくる面倒な小僧の相手をするのは皆嫌がった。終わりだと言って背中を向けた相手に打ちかかるものだから、徹底して痛めつけて動けなくさせる必要さえあった。  そして、そのうち死ぬぞと言われ窘められても、エスティニアンはやめなかった。 「ともすると俺は、死にたかったんだろうな」  死んでもいい。目の前の、なんてこともない人間にすら勝てないなら、生きていても無駄だ。そんな思いがあったのかもしれないと、今のエスティニアンは穏やかな声で、スープ皿で手を暖めながら語る。  そして、そんなエスティニアンの前に現れたのが、あのリュシアン・レコルスだった。

 今からだと15年ほども前の話だが、それでもその時点で彼は既に、10年以上を死地とも言える北稜ドラヴァニアで過ごしている。力の差は圧倒的というより絶望的で、何千回向かっていっても敵わない、絶対に勝てないと、どんなに認めたくなくても否応なく突き付けられた。  そして、北稜に連れて行かれた。 「えっ」 「地獄だった。虚しいほど呆気なく人が死ぬ。死んでいくのは騎士や兵士だが、それでもあの日村で起こったようなことが毎日みたいに起こる。その中で戦って生き延びて敵を倒すのに、自分勝手の入る余地は微塵もなかった」  たった1ヶ月。しかもエスティニアンはその間、リュシアンの傍にいて何度も彼に、そして他の大人たちに守られた。そして骨身に沁みるほど思い知った。  遮二無二槍を振り回すだけの暴力など、地獄の戦場ではなんの役にも立たない。訓練所の誰に勝てたところでなんの意味もない。怒りや悲しみを紛らわすためわめいているも同然の自分は、この戦場では足手まといの小僧でしかないと。  そして、たかが人間、どれほど強かろうと一人では戦えないのだ。自分を片手間に"転がし"尽くした男は、戦場では戦神の化身かと思うほど更に強かったが、それでも間一髪で仲間に助けられることもあったし、竜の群勢を相手に撤退の号令を出して必死に逃げるしかないこともあったのだ。

 戦地から戻されたエスティニアンは、愛想を振りまくようなことはなかったが、もう指導官や仲間に楯突いたり、噛みつくようなことはなかった。  強くなるには学べるすべてを学ばなければならなかった。強者からだけでなく、自分より弱い相手だろうと、何か一つでも優れたところがあるなら、それを自分のものにしようとした。  そしてリュシアン・レコルスは皇都に戻ってくると訓練所を覗き、 「よう小僧っ子」  と言っては、 「また俺に転がされるか?」  と相手をしていった。今度こそはせめて一本、と思っても叶ったことはなく、どうせ無理だと投げやりになろうものなら、かえって容赦なく打ち据えられた。

「師匠っていうのとは違うけど、なんていうか、目標……でもないか。なんか、なんかだったんだね」 「ハハ。ああ。”なんか”だった」  しかしかそこまで話してエスティニアンは、突然マガオでコトコを見た。 「ほっ? え? なに?」 「いや。あいつが言ってた。”ダチに頼まれた”ってな。だから俺がおまえたちの槍として戦い抜けるのか、確かめに来たと」 「ほう?」  だから、なんなのだろうか。コトコにはよく分からない。エスティニアンは少し考え、 「俺にもよくは分からん。だが、その”ダチ”ってのは、アルフィノたちのじゃなく、おまえのって気がしたんだが」

「えー。ないよ、それ。だって、”ダチに頼まれて”って、あたしの友達の、友達があの人ってことでしょ? ないない。いくらマタトモでも、あんなすごい人いたら絶対知ってるよ」 「そうじゃない。そうだな……。おまえの親父さんはどうだ。おまえの親父さんの友達なら、あるんじゃないか? 親父さんは傭兵だったよな。イシュガルドにも行ったって言ってただろう」 「それは……。うん。お父さん、そうだね。昔の友達がイシュガルドにいるから、手助けの一つくらいしに行くって。でもお父さん、あんなに強かったりしないよ? そりゃ弱くはないけど、ずっと傭兵やってたわけじゃないし。だからエスティニアンとかサンクレッドとかに比べてもけっこう弱いと思うし」 「同じ場所で戦わなくてもいい。違う場所で、たとえ支援だろうと、いればそれが助けになる」 「うーん……でもあの人、貴族、なんだよね? そう言われてみると、オラオラって感じだけどなーんかこう……汚い感じはない、っていうか?」  ざっくばらんで気さく。雑な言動だったが、チンピラのようではまったくなかった。 「お父さんド庶民だよ? そんな人と知り合うことなんてないない」 「そうか。だとしたら、誰の”ダチ”だ……?」  エスティニアンはそれが気になっているらしく、考えこんだ。

 会話が途切れたそれを潮に、コトコは引き上げることにした。  困難な戦いの中だからこそ体調管理は大事だし、エスティニアンには尚更しっかりと休んでもらわなければならない。  空になったスープ皿を受け取り、おやすみの挨拶をして廊下に出る。部屋の中よりはほんのり涼しいのは、窓から風が通るからだろう。  皿を厨房に返そうと思ったが、さすがに遅い時間になったせいでもう誰もいなかった。うっかり落ちないよう、見つけやすいようにと場所を探し、カウンターの隅に皿を置く。適当に返しておいてくれればいい、と言っていたから、これでいいだろう。

 そしてその夜コトコは夢を見た。  とても高い高い位置にある、森色と草色の夢だ。  赤い髪。白い歯が目立つのは、肌が少し浅黒いからだろう。首が痛くなるほど上を向かないと、笑う顔が見えない。けれど見上げて笑いかけると、笑い返してくれる。  気持ちがとてもあたたかい。  あたたかで、楽しくて、安心していて、わくわくする。  いつの間にかコトコは小さな子供になっていて、うんと見上げた笑顔に呼びかける。 『……ちゃん!』  短い腕をいっぱいに伸ばすと、父親の腕よりはずっと細いけれど、その分長くて、しかし同じくらいにがっしりとした腕が降りてきて、抱え上げてくれた。  間近に、色味の違う明るく優しい緑の目。 『……ちゃん』 『ンだよ、ちーこ』  大好き。そういう代わりに精一杯手を伸ばしてしがみつくと、ふんわりといい香りがした。

 赤毛、碧眼の男の正体をコトコが知るのは―――思い出すのは、もう少し、先のことである。