不伐の竜騎士
突然窓からやってきた来訪者は、まあまあと言いながら持参の酒をテーブルに置き、とっとと椅子に座ると図々しく杯を要求した。 あいにく部屋には備え付けのキャビネットがあり、瀟洒なガラス細工越しに銀製の酒杯が見えてしまっている。エスティニアンは仕方なく杯を出し、向かい側に座った。 来訪者はリュシアン・レコルス。一週間ほど前にエスティニアンを叩きのめした相手である。 他愛もないラザハンの噂話をするリュシアンに、 「用は。ないなら、これだけ飲んでとっとと帰ってくれ」 すげなく言うと、 「やーだね」 子どものように応じられ、頭痛を覚える。見た目もそうだがこの態度。20歳以上も年上だとは到底思えない。 だが用件は、まともにあったようだ。 「なんだっけか。世界に終焉をもたらす者、だっけ?」 リュシアンに言われ、エスティニアンは頷いた。
どこで耳にしたのかは知らないが、彼を相手に隠す理由もない。敵の話だ。 過去世界を旅してきたコトコによると、エメトセルクたちの時代に生まれた絶望の化身だという。滅びゆく、あるいは滅び去った数多の星々からそれを受け取り、染められてしまった可哀想な青い鳥。生きる理由を問いかけて、ただの一度として良い答えを得られなかった"彼女"は、いずれ滅びる世界ならば存在する意義などないと結論付けた。そして故郷の星を滅ぼしてあげようと決めたのだ。 エスティニアンは自分が理解できた範囲で、コトコから聞いた話を伝える。 黙って聞き終えたリュシアンが、大袈裟に溜め息をついた。 「なんっつー底運だよ。てか行く星 行く星、全部もう終末ですって、ありえなくねーか? そりゃいつかは絶望と滅亡に辿り着くとしても、その途中で人生謳歌してますーって星の1つや2つ、ふつーあるだろ。ここみたいによ」 「それは……」 「まー案外、あと10個ほど探せばラッキーハッピーな当たりに出くわしたのかもしんねーけどな。いくつ巡ったか知らねーが、心折れちまったってことか」
「いや」 そんなふうに簡単に"弱い"と言えるものではないと、エスティニアンは思う。 「そのメーティオンには、相手の気持ちを感じる力があったらしい」 こことは違う星へ行けば、言葉は通じない。そもそも言語でコミュニケーションを取るとは限らない。だからその能力は必要だった。そしてコトコは言っていた。 『それって、絶望した誰かに会うたびに、あの子も一緒に絶望しちゃったってことだよね。それでもそのたびに、次こそはきっとって、がんばったんだよね。もう嫌だって思うまで、何度も何度も』 「……ミドガルズオルムは、子供を孵せる星を探して長い旅をした。当然、滅びた星だって見ただろう。だが少なくとも奴は、そこで見た連中と同じ絶望を味わったわけじゃない」 かの竜の強さも並外れたものだとしても、もしメーティオンと同じように、出会った星ごとに嘆きや悲しみ、苦しみ、絶望を味わっていたとしたら、果たしてこの星まで辿り着けただろうか。
「なるほどな。絶望した誰かに出くわすたびに、一緒に絶望、か。そりゃしんでーわ」 腕を組み頷くリュシアンに、エスティニアンは (相変わらずだな、この人は) つい緩みそうになった口の端を隠すため、甘い酒の入った杯を傾けた。 大概の貴族は、平民ごときに否定されることを嫌う。「いや、そうじゃないと思う」などと言おうものなら、侮辱されたと怒り、攻撃に転じてくる。だがリュシアンは相手が平民だろうと年下だろうと、たとえ幼い子供だろうと気にしない。“貴族のプライド"などというものがないーーーというより、プライドの在り処、持ち方が違うのだ。 国と民を守ること。それこそが彼のプライド、貴族としての誇りだ。だからこそ、北稜軍の司令官になってさえ槍を手に最前線にいた。彼にとっては名もなき末端の兵士すら自分が守るべき命だった。だから彼等より安全な場所にいることなど、貴族の誇りにかけて決してしなかった。 だから戦い続けた。どこよりも苛酷な戦場で。 (……しかも、平然とだ。どうかしてる) 内心は別だとしても、少なくともリュシアン=レコルスが悲壮感や諦め、絶望や倦怠を見せたことは、一度もない。
「あんたは」 だから聞きたくなった。 「絶望したことはないのか」 と。 「んあ?」 「あんたがいた北稜もこの世の地獄だ」 行った者の半数は帰らず、帰ってきた者も過半は不具。歴戦と呼ばれる騎兵や傭兵も、運が悪ければ戦いに出たその日に死ぬ。竜が半分でも本気になればその日のうちに攻め落とされかねないと、竜の軍勢と対峙した者であれば肌感覚で知っていた。 苛酷な北稜に行きたい者などいないし、身内や大切な部下を送りたいわけもない。にもかかわらず北稜軍がある程度の人員を保っていたのは、そこが体のいい処刑場だったからだ。たとえば、貴族に対して不敬な振る舞いをした罪で"奉仕"を命じられる。その行き先は北稜だ。事実上の死刑だった。 腕に覚えのある者が報奨を望んで自ら出向くこともあったが、半数近くはそういったいわば流刑民である。一ヶ月ばかり形だけの訓練をして送られる兵など、戦力にならないどころか足手まといでしかない。 そして死んでいく。戦える者も、戦えない者も。無惨な死と横柄な悪意にまみれた、まさに地獄だ。 「そんな場所で勝ち目のない戦いを続けて、嫌にならなかったのか」
らしくなく生真面目な問いかけをし、返ってきた沈黙を持て余す。別に答えなくてもいいと言いかけたが、視線だけ逸らして口を閉じた。花のものらしい甘い香りを乗せ、吹き込む夜風が頬を撫でる。この先の戦いで死ぬことがあれば、リュシアンと話すのはこれが最後になるかもしれないと、エスティニアンはふと思った。 (らしくないな。本当に) だがだからこそ、茶化されるまではじっと待つことにした。 やがて、 「絶望ねぇ」 すみやかな断言はなく、考え途中のように語尾が上がる。ちらと横目に見ると、リュシアンは窓から遠くの山影を見てなにかを考えているようだった。答える気があるのなら、沈黙がどれほど長くなったとしても、そして思ったような答えが聞けないとしても、待つことにした。 1分、2分、それとももう少し経ったか。 「俺に言わせりゃ、ただの甘えだよな」 思ったより手厳しい言葉が返ってきて、エスティニアンは驚いた。
苦しみや悲しみ、痛み、不安、恐怖。そういったものに襲われて怯え、傷つき、心折れる。それを「甘え」と切り捨てられては立場がない。少なくともリュシアンはそういう圧とは無縁だと思っていた。 「まーまー、話はもうちょい先まで聞け」 意外な答えに驚くと同時につい拒絶を示したエスティニアンに向けて、リュシアンは軽く杯を上げる。 「そもそもな、甘えていーんだよ。がんばってがんばって心折れたら、もう嫌だーもうダメだーって、言えばいーわけ。甘えや絶望ってのは"権利"だ。言い方は悪ィが、弱い奴、守られてる側が持つ特権なんだ。けど俺は違う。戦うか死ぬか、二つに一つ。だいたい小僧っ子。言ったろーが。『やる気がねーなら代わりにあいつら叩きのめす』。それでおまえ、どうしたよ?」 それはあの昼の、手合わせのとき聞かされた言葉だった。
何度向かっていっても簡単に、無造作に、呆気なく跳ね除けられた。 竜詩戦争の本格化前、最後に手合わせをしてからの時間で、自分なりに死線をくぐり激闘を経、そしてニーズヘッグとの因縁にもケリをつけて、心身ともに強く、より確かになった。アルフィノたちには「無様に転がされる」と言ったが、それでも昔よりはもう少しくらい、なにかできるはずだと思っていた。 だが結果は、かつてと少しも変わらなかった。本気にさせることすらできなかったのだ。 やっぱり無理だ、もう駄目だと思ったとき、顎を掴んで無理やり立たされた。そして言われた。やる気がないならアルフィノたちを叩きのめす。それでもおまえは這いつくばってる気か、と。 冗談や脅しには聞こえなかった。彼がそんなことをするわけがないと分かっていてさえ、ぞっとした。そして否応なく理解させられた勝てるかどうかなど関係ない。戦い続けるのだ。そうすればその間だけは、あいつらを守ることができるーーー。
(ああ……そうか……) 勝ち目などなくても戦い続けるのだ。一分でも一秒でも長く。もう嫌だとかもう無理だとか、言う余地はない。戦え。命がある限り。この足で立てる限り。この腕が槍を掴んでいる限り。いや。たとえ立つことができず槍を握ることもできなくなったとしても、だったら無様にしがみついてでも噛みついてでも、一分、一秒でも長く立ち向かえ。そうすれば、その間だけは、皆 無事なのだ。 結局最後には気絶した。だがその寸前にさえ思うことはなかった。もういいだろう、などとは。
背後に庇った者たちを守るために戦う者にも、リュシアンの言う"甘え絶望する権利"はある。 だがそれを己に許すかどうかは己次第だ。 リュシアンは決して許さなかった。守る側であり続けた。己が膝をつき諦めたら、そのせいで守れない誰かが生まれる。 そしてエスティニアンも、彼がアルフィノたちに手を出すことなどないとしても、自分の庇う背後へは、決して彼を進ませたくなかったのだ。
「まーあれだ。たまたまじゃーあるが、そういうこった。相手が絶望の化身だってんなら、いざってときにゃ思い出せ。諦め悪くニーさん恨み続けた執念深さと、引導渡してやった覚悟。それから、ぶっ倒れるまであいつら守ろうとした自分をよ」 立ち上がりテーブルの上へと少し身を乗り出して、ぽんと肩を叩かれた。 気のせいかそれは、いつもの馴れ馴れしさとは違い、頭でも撫でられたような心地だった。 初めて認められたようにも思った。武力ではまだ遠く及ばなくても、一人の騎士、戦う者として、心の在り方は彼に近づいたのだと。
と、気恥ずかしいような誇らしいような思いは、しかし束の間だった。 「やー、それにしてもおまえがなー。あの坊っちゃん嬢ちゃん守るのに、ああも素直に必死になるとはなー」 ぽん ぽん ぽん。 心に沁みたものを台無しにする勢いで軽々しく肩を叩かれる。 「い……っ、あっ、いやっ、そっ、それは……っ!!」 ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん。 「~~~~ッ!!!!」 我慢できず手を叩き払う。と、代わりにけたけたと笑われた。 ついテーブルサイドに立てかけた槍に手が伸びる。が、そのときにはリュシアンは大きく飛び下がり、窓枠の上に乗っていた。 「じゃーな、小僧っ子。お仕事がんばって、元気に帰って来いよ」 頭の高さに上げた右手を軽く払うのを挨拶にして、姿が消える。駆け寄って見下ろしても見上げても、見回してももう何処にも影は見えなかった。