呉服屋物語 一

     【西の海から】

 大店と言われる呉服屋に生まれて、けれど、着飾って座っているのが苦手だった。  客寄せの招き猫のように、「琴ちゃんはそこで座ってらっしゃい」と言われ、ただにこにこ笑っているだけ。たとえそれが「招き猫」でなく「看板娘」と呼ばれるもので、「トクサ屋さんのお嬢さんは小町だね」なんて言われたとしても、少しも嬉しいとは思わなかった。可愛いと言われることが嬉しくないわけではないけれど、外見なんてたまたまのものだ。たまたま授かっただけなのだから、たまたま授からないことだってあっただろう。もし授かっていなかったら? 誰も褒めてはくれないのだ。  そんな、たまたま持って生まれたものなんかより、自分ががんばってできるようになったことを褒めてもらいたかった。  だからお琴も踊りも習字も算学も一所懸命にがんばった。がんばってもせいぜいで真ん中より少し上くらいの成績ではあったけれど、がんばらなかったらもっとできなかったのだから、がんばった成果はあった。昨日まではできなかった振りが、今日はすっとできたこと。どうしても間隔がまばらになってしまう文字が、たまたまでも均等に書けるようになってきたこと。一番には程遠くても、自分なりに精一杯がんばってできるようになった、そういうのを褒めてもらうほうが、可愛いと言われるより何倍も嬉しいのだ。  けれど―――「琴ちゃん、よくがんばったわね」と言われるときにはどうしても、下から何番目という結果でも、大してがんばらなくても同じように言われるのだろうなという、なんとない物足りなさがいつもつきまとっていた。

 けれどそれがとんでもなく贅沢な悩みであることも、分かっていた。クガネでも有数の、百二十年も前から代々続く老舗の呉服屋。そこの一人娘としてなに不自由のない暮らしをしているのだ。   手をあかぎれだらけにして炊事をしたこともないし、朝から晩まで重い荷を担いだこともない。帳付が合わなくて番頭に叱られたこともないし、お客様を怒らせて怒鳴られたこともない。  人から聞く、あるいはこの目で見るそんな苦労に、琴子は一切無縁だった。  しかも二親とも、琴子には砂糖の蜂蜜漬け黄粉まぶし餡子乗せ綿飴包みくらいに甘かった。気になるお芝居があれば行っておいでとお小遣いをくれたし、ハリマ屋で新作のお菓子が作られたとなれば丁稚をやって並ばせ買ってくる。軽い咳でもすれば布団から一歩も出なくていいように扱われる。  二人の兄も大差ない。上の佐太郎兄は口やかましくこうるさく頑固で厳しいが、とどのつまりそれも「琴子がどこへ出ても恥ずかしくない娘になるように」ということで、昔琴子が熱を出して寝込んだときには、自分も一睡もできずにいたとかいう。それくらいならば、普段からほのかに甘い下の篤司兄のほうがまともだろう。  そんな身分で、いったいこれ以上、どんな我が儘が言えるだろうか。 「琴ちゃん、今週末イシヅ屋さんに行きますよ」  と言われたときも、ただ 「はい」  と言うしかなかったし、母親が部屋を出て行った後、溜め息をついた自覚もないほどだった。

 イシヅ屋は、琴子の生家であるトクサ屋と並んで古い紺屋の老舗だ。呉服屋と紺屋、切っても切れない縁で、先祖代々の付き合いがある。琴子は生まれて十日目くらいには、そこの嫡男と結婚することが決まっていた。許嫁、というやつだ。  相手のソウヤとかいう人には、ほんの子供の頃に一度か二度会ったことがあるようだが、琴子の記憶にはない。それも無理のない話で、ソウヤは十五くらいまではクガネにいたが、そこからは豪商の跡取りとしての修行だかなんだかで、ずっと都へ行っていたという。  それが先月、修行を終えて帰ってきた。琴子ももう二十歳。早い者なら十六で嫁ぐのだから、嫁に行くには頃合いだと、話はさくさく進んでいた。  気が進まないとか、顔も覚えていないのにとか、漠然と感じてはいても言えなかった。「そもそもそういうものだ」というひんがしの、古い家の常識もあった。祖母も母もそうして嫁ぎ、子を産み、育てて来たのだ。それが良家の子女の辿る当たり前の人生だった。

 それは、そんなある日のことだった。

 店に一人の異国人が訪れた。  父親と佐太郎は、はずせない大きな用事で朝から出掛けていた。応対に出た手代は、迂闊にはできない客だと察すると、留守居をしていた篤司を呼んだ。 「外国からのお客様で、ずいぶん高価な布(きれ)をお求めになられていますので」  客の相手は、本来 手代や番頭に任せておけばいいことだ。だが中には店主、あるいはその代理人が出たほうがいいと思える相手もいる。佐太郎はそのあたりの判断についてかなりやかましいが、篤司は 「それなら私がお相手しよう」  気軽に腰を上げ、そして、話し相手をしていた琴子を振り返った。 「琴子も来るかい?」  もちろん琴子は頷いた。

 厨で茶菓を用意させ、盆に乗せる。琴子がそれを店表に持っていくと、そこにいたのは灰色の肌に灰色の髪のルガディン族の男性だった。  いつもならばお茶を出し、挨拶一つしたら下がらなければならないのだが、今日は篤司が誘ってくれた。 「いらっしゃいませ。トクサ屋の娘、琴子でございます」  と共用語で挨拶し手をつく。 「あらまあ! 綺麗なお嬢様ですこと!」  そして琴子は面食らった。  東国の言葉と共用語は、大きく違う部分もあるがよく似たところもある。男言葉と女言葉があるのがそれだ。今聞いたのは間違いなく女言葉だと思うのだが、そこにいる人の体は琴子や篤司の倍、三倍はありそうな大きなもので、つまり、ルガディン族だろうと女性であればこれほどのの幅や厚みはないはずで……。  ぱちくりしていると、篤司にそっと膝を小突かれた。慌てて琴子は顔を伏せる。しかし、誤魔化すには遅すぎる上に、いかにも慌てたようなその素振りは、かえって琴子の驚きを如実に表してしまっていた。  しかし彼(?)は、 「驚くのが当たり前ですわね。どうぞお気遣いなく」  野太い声でころころ笑って、琴子の運んできた湯呑みを手にとった。  だがたしかに、その仕草には琴子にもそうそう真似のできない洗練された品、たおやかさがある。逞しい、豪快、さもなければのっそりした印象ばかり強い、琴子の知るルガディン男性とは大違いだ。  それに、なんて素敵なお洋服だろうと、琴子は目を奪われた。

 クガネは海に面した港町、東洋の玄関口であるため、異国の客は珍しくない。だが今まで、エオルゼアからの客は滅多にもいなかった。近年のドマ大乱で渡ってきた者たちはいたが、そのほとんどは戦うことを生業にしたあらくれで、身につけていたのは身を守るための防具や、簡素な日常着、運動着である。  だが今目の前にいる灰色のルガディンがまとっているのは、洒落た濃灰色のスーツだった。なにがどうとは分からないが、ただ珍しいのでも目新しいのでもない。とにかく素敵だった。特に襟元の刺繍だ。白金色の糸で縫い付けられた派手なツル草模様なのに、全体の中では控えめに、けれど全体を引き締めているような印象がある。しかもその意匠といったら、呉服屋の娘として二十年生きてきても、今まで見たことがないほど繊細で華麗なものだった。

「琴子。これ。お客様をそんなに見つめては、失礼だよ」  篤司に叱られて我に返る。自分のあまりの不躾さに気がついて、琴子は顔を赤くした。 「申し訳ございません。とてもお素敵なお洋服でしたので……。どうかお許しくださいませ」 「そんな! 謝らなくって結構ですのよ。むしろ、言葉で褒めていただく何倍も嬉しいご様子でしたわ。なにせこのスーツ、初めての東国訪問ですもの、こちらのキモノのデザインを取り込んで作ってみましたの。褒めてもらえて光栄ですわ」  そう言うと灰色のルガディンは、いかつい顔に本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。  「作った」と言ったように、彼はエオルゼア、ウルダハという国の裁縫師組合に所属し、しかも長を務めていた。このスーツ一式は彼が手ずからデザインし型紙を起こして作った訪問着だという。  それを聞いて篤司も驚いた。呉服屋だけに、衣類の仕立ての良し悪しは一目で分かるよう日頃から訓練されている。レドレント・ローズというその客の身に着けているスーツは、一分の隙もないような完璧な縫製で仕上げられていた。いったいどんな仕立屋なのだろう、なんとも見事なものだと感心していたのが、まさか目の前にいる当人の手によるものとは思わなかった。それに、言われてみればたしかに、まるで見知らぬ西洋のスーツなのに、どことなく目に馴染むような、不思議な安心感がある。  訪れた異国人が、ただ高級な反物を求めてきた金持ちでなく、どうやら超がつくほど一流の仕立て人でもあるとなると、篤司も琴子も緊張せざるをえなかった。  だがローズは、そんな若い二人に対してまったく気さくに、朗らかに、東国訪問の理由や、求めている布地について語ってくれた。

 オサード小大陸を支配していた暴力が追い払われ、近海に平穏が戻ったことで、今後はエオルゼアと東国との取引も増える。だがローズは一刻も早く東洋の服飾、布、糸に触れたくて仕方なかった。  待っていればいずれ輸入されようし、価格も下がるのだろうが、一昔ほど前に見て触れた本場のキモノを思い出すと、いても立ってもいられなくなったのだという。  誰よりも先んじて東国の要素を取り入れた衣服を作れば、それは間違いなく話題になろうし高額で売れもするだろう。しかし、彼がはるばるクガネまでやってきたのは、 「まあまあまあ! これも素敵ねぇ。なんてしっとりした手触りかしら!」  きらきら星が飛んで見えるほど純粋に、未知の素材に触れたい、東洋の服飾をじかに見たい、そしてそれを用いて素敵な服を作りたいという、芸術家の情熱がゆえだった。

 次から次から布地を出させては吟味する客は、正直なところ手間であるし面倒である。相手にしていれば時間もかかるから、「早いところ切り上げてくれないものか」と思うことも、ないとは言わない。  だがローズが語る西洋の服飾事情は面白く興味深く、投げかけてくる反物への質問は鋭いことこのうえなかった。  接客というよりも、夢中で歓談しているうちに、どんどん時間はすぎてしまった。 「あらやだ、すっかり長居しちゃったわ」  そう言われて琴子は我に返り、軒先にほんのりと、茜の光がさしていることに気付いた。  それは篤司も同じだったようで、話し込んでしまったことを謝るローズに、こちらこそついついお話をせがんでしまって申し訳ないと丁寧に頭を下げる。琴子も兄に倣って慌てて手をついた。  それでもさすがは篤司で、琴子が山程の新情報や興奮にくらくらぽっぽしているだけなのとは違い、ローズの眼鏡にかなった商品を手早く揃えると、どれを購入するか選びやすいように広げた。  クガネの物持ちでも、娘の晴れ着、あるいは主の登城用にと選ぶような至極高級なものばかりだ。だが驚いたことに、 「この濃藍の紬と……」  ぽんぽんと四本、選び出した。父と佐太郎が帰ってきたら、どんな客が来たのかと仰天するに違いない。  それは彼にとってもかなりの散財ではあるようなのだが、 「ああ……どうしようかしら……。キモノにチャレンジしてみたい気もするけど……」  と夢見るような眼差しで、この布から作る衣服を思い描いて、全身からワクワクが滲み出し、溢れているようだった。

 大金をおいて行ってくれる客だから、というだけでもなく、篤司自身がローズを店先まで送って出ることにした。もちろん琴子もそれについていく。  長時間腰掛けていた後だというのに、ローズのスーツに不格好な皺はなく、どれほど計算されて作り上げられているのか、目を瞠るばかりだ。  そうしてすっかり西に日の傾いた表に出ると、途端に脇から、 「やっと終わったか」  と響きのいい低音の声が飛んできた。 「あらやだ! どうして待ってるのよ! 先に帰っててって言ったじゃない!」  半オクターブは甲高い声でローズがそう言う相手は、店の前に用意されている床几に腰掛けていた。それがぬっと立ち上がると、今の今までローズというルガディン族を目の前にしていてもなお、圧倒されるような巨漢だった。  背丈だけでも、ローズより頭半分は高い。軒庇に頭が届きそうで、ルガディン族の男性としても間違いなく大柄だ。しかも、彼等種族ならではの脂肪の層に、筋肉の影が刻まれるほど鍛えられた体をしている。半袖のシャツからつきだした腕は、鋼を束ねた丸太のようだった。  だが、 「どうせ高い買い物したんだろう。そのへんで聞いた話だが、最近キリトリゴウトウとやらが出るっていうしな。あんただけで帰らせると、なにがあるか分かったもんじゃない。それに、暇つぶしは用意したさ」  軽く胸の前に掲げて見せた本の向こうで肩を竦め苦笑すると、目じりに皺が寄ったにも関わらず、どこかガキ大将みたいに見えた。

「重くはなさそうだが、持ってやるよ」  手代が胸の前に両手で抱えていた桐箱を、軽々と片手ですくいとる。 「ああんもう、フィルちゃんってやっぱり男前っ。レディの扱いを心得てるんだから」 「レディかどうかはさておき、仕事ついでだ。荷物持ちくらいしてやるさ」  顔には赤い隈取がある。そういったものは通常、なんらかの理由で見る人を脅すためのもののはずが、彼のそれは不思議と怖くなかった。  琴子が見上げているのに気付くと、 「この店のお嬢さんか。レット……ローズに面食らったんでなきゃいいが」  そう言って、面白そうににっと笑った―――。