呉服屋物語 裏
【クガネの町に潜む闇】
時はそんな事件より二日遡る。 ローズがトクサ屋を訪れたその三日後、観劇に招待された翌日である。 日中のウィンドウショッピング(への付き合い)から帰ってきたフィルが、抱えていた荷物を部屋の隅に下ろすと、ごろりとタタミの上、部屋の真ん中に転がった。 「あ”~……気持ちい”ー……」 「ちょっと。ごろごろするなら隅でやってって言ってるでしょ」 ど真ん中で寝そべられていては邪魔で仕方ない。ローズが言うと、フィルはそのままごろごろと二回転がって壁際に移動した。そこでいかにも心地よさそうに、ひんやりしたタタミに頬をつけて目を閉じる。 「ほんっとにもう……」 いい年して子供みたいなことするんだから、と思うが、これは今までに何度言ったか分からないことなのでもはや言うのも億劫、溜め息に変換しておく。
ローズは、西洋人である自分たちのために用意された段通とその上のテーブルセットに近づくと、懐から紙束を取り出した。アイディアが出るたびに、なにか思いつくごとに、覚えておきたいことを書き留めているメモだ。 この国に住んでいる者にとっては見慣れた日常だろうが、ローズにとってはなにもかもが新鮮だ。空気、光、色彩、そして衣類、人々、すべてが感性を刺激した。 一昨夜、芸姑を招くからと言われ花街での宴席に出たのも、色気に興味があったわけでは微塵もない。一流になると、歌や舞に秀でているだけでなく高い教養を持つという、並ならぬホステスたる彼女たち独自の着こなしや、アート(芸)を見たかったからである。 昨日の芝居もエオルゼアのものとはかなり違っていて興味深かった。実際に身に付けるには不向きなところまで誇張された絢爛豪華な着物はローズの琴線を激しくかき鳴らしたし、可愛らしくも儚いと分かっている恋心にはキュンキュンした。
しかし今はまだ、絶対にこれを創りたい! というような猛烈な創作意欲はない。 見たことのない景色、味わったことのない食べ物、素晴らしい布地に魅力的な人々。綺羅星のようなそれらに囲まれていればひょっとすると、くらいに思っていたが、そううまくは弾けなかった。 だが、今ここで見て聞いて味わって触れて感じたすべてのものは、いつか起爆したときに、車輪をなめらかに回すためのレールになり、潤滑油になる。無駄なことなど一つもなく、だから、慌てることも焦ることもない。 なにより、すべてを無理やり仕事につなげてしまっては勿体無い。目の前にあるものを無心に堪能することも大切だ。 今は、出先で書いてきたスケッチに水彩で少し色をつけ、それにメモよりはもう少し体裁の整った感想を書き足して、簡単な絵日記にしておくことを楽しんでいた。
つい夢中になって三枚ほど書いたところで、いい加減明かりをつけなきゃと思った。手元がもうだいぶ暗くなっている。 ショウジの色は夕刻の光を浴びて白から淡い黄色に変わり、格子の影が斜めに長くタタミの上へ落ちている。 フィルはその影に敷かれて、窓のすぐ下で眠り込んでいる。 ローズはほっと小さな息をつき、しみじみ感謝せずにいられない。たしかに東国の港町は新鮮で素敵だが、それを心置きなく楽しめるのはこの男が一緒に来てくれたからだ。 一人で来たとしても、せっかく来たのだからとあちこち出掛けて人とも話して、できるだけ多くのことを体験し楽しもうとはしただろう。最初に提案された案内人に同行を頼めば、なにせ現地人である。なにもかもよく知っているから、隠れた名所やもっと詳しい情報も知れただろう。だがそのときには間違いなく、もっと疲れてしまったに違いない。 “心置きなく"がなかったと思うのだ。せっかく来たのだから体験しなければ、仕事に役立つことを吸収しなければと自分を鼓舞し、義務感めいたもので叱咤しないと、ここは食堂なのかと迷うところや、入りづらい小さな店には飛び込めない。自分を人見知りだとは思わないが、馴染みのない他人を一切気遣わず振る舞えるほど天真爛漫でも傍若無人でもない。 だがフィルであればどんな男か知っている。なにが嫌いでなにを気にしないか、20年近く付き合っているのだから肝心なところくらいは知っている。相手にも自分に対する知識と諦めがあるわけで、あれこれと神経を使わなくて良かった。それに、 「ここってお店さんなの? それとも民家かしら」 とローズが躊躇うときに、 「聞いてみりゃいいだろ」 そう言って軒をくぐるような闊達さがある。一緒にいてくれるとローズはのびのびと、安心して心置きなく観光も、勉強もできるのだ。 もちろん万一のときにはたのもしい護衛でもあるのだから、感謝しかない。
もういい時間だし、おなかもすいてきた。 「フィルちゃん、お夕飯どうしましょ」 声をかけると、フィルは寝ていなかったようにぱっと目を開いた。 「飯? なにが食いたい」 「お蕎麦は食べたし、お寿司も食べたでしょ。すき焼きも食べたし……。ねえ、ここで出してもらえるお料理って、なにがあるのかしら」 「今から頼むなら、手の込んだものはたぶん無理だぞ。メニュー持ってきてもらうついでに、聞いてみるか」 そうして結局、海鮮丼になった。 寿司と似てはいるが、いろんな刺し身の盛り合わせられた丼は、重なりあう味がまた面白い。細く糸のように切られた玉子焼の繊細な食感と甘さも格別で、かけまわした出汁が塩気の中にもほのかに甘く僅かに酸っぱく、それが染みたお米も美味だった。 「あ~、美味しっ。お魚を生で食べるなんてって思ったけど、お寿司といい、こんなに美味しいもの知らなかったなんて、なんて勿体ないことしてたのかしら。それにこのピクルス……オツケモノ? 不思議な味わいだわ。癖になっちゃいそう。昼に食べた黄色いのも美味しかったけど、この淡いピンク色のもほんのり甘くっていいわぁ。ねえフィルちゃん。これ、お土産にできるかしら?」 ギルドマスターとして滅多にウルダハを離れられず、忙しくない日のほうがないローズにとっては、滅多にない命の洗濯である。
美味な料理に舌鼓を打ち、開放的な温泉で体を温め(ついでにイロイロ鑑賞し)、そして昼間に買ってきた布地をあれこれ取り出して広げ眺めれば、ローズはすっかり夢心地だ。布の手触りから連想した花の絵をさらりと書きつけたり、ふとよぎったシルエット、はっきりとした形にならないなにかを書き留めたりと、またメモが増えていく。 そんなローズにわざわざ付き合おうとはせず、フィルはショウジを開けた窓辺に寄って、窓枠に頬杖をつき外を眺めている。 人の好みはそれぞれだろうが、ローズにとっては絵になる男だった。 普段であれば、うっとり眺めていて気付かれ睨まれる、くらいの流れなのだが、今日はその横顔の険しさが気になった。 「フィルちゃん、なに見てるの?」 膝に載せていた布地をそっと下ろし、傍に寄る。 夜のクガネは、暖色系の明かりが様々に散って重なって、一面が穏やかな花火のように美しい。 だがフィルの目が向いているのは明かりの乏しい一画で、 「切取強盗が出るって話がな」 そう言うとじっと、暗い場所を見据えた。
「この間も言ってたわね。その、キリトリ……キリドリゴウトウっていうのはなぁに? 強盗なのは分かるけど」 「言葉どおりだ。相手を切りつけて強盗する、相当荒っぽい奴みたいだな」 「え……。ちょっと、つまり問答無用?」 「もともとは”切取”と、”強盗”と別々の言葉らしいが、切って取る、強引に盗むで、どっちにしたって暴力沙汰の強奪だ。ひんがしで”切取強盗”って一言で言う場合には、脅すもなにもなく、すれ違いざまや出会い頭にいきなり切りつけてくる奴を言うんだと」 「うっそ。やだ、なにそれ」 ローズのイメージする強盗は、民家や商店に入るものだ。気付かれないように忍びこむのではなく、見つかったら見つかったで構わないと、刃物などを持って荒っぽく侵入する。人がいると分かっているところへ複数人で押し入って、やはり暴力をちらつかせ脅すこともある。 相手が抵抗するなら暴力を頼りに奪っていく。それが強盗だが、そんな彼等でも、ローズが知るかぎりまずは脅すくらいのことはする。一つには、相手を死傷させればその分罪が重くなるのだからできるだけ避けたい、脅すだけでほしいものを奪えればそれに越したことはないというのがあるだろうし、ともすると、悪人の中にも善良な心がゼロではなくて、僅かながらに「できれば傷つけたくない」という思いも、あるのかもしれない。 だが切取強盗はまるで違う。前置きもなにもなしに、いきなり切りつけてくるというのだ。ごちゃごちゃ話したりすることもないから顔や声、特徴を覚えられることもなく、一思いに殺めてしまえば反撃されることも通報されることもない。合理的なのかもしれないが―――ローズはぞっとして太い首を縮めた。
フィルも最初は、袂(袋状なのでポケット代わりになるし、高価な振り袖の袂であれば小物用の生地として売れるとか。なるほどである)なり財布の紐なりを切って取っていくからキリトリ強盗なのだと思っていた。だが町の人たちに話を聞くと、そんな生易しい相手ではなかった。 「だったら、人通りのある場所以外、夜は外出禁止にしちゃえばいいんじゃないの?」 「自粛令は出てる。だが相手が一人で、得物……武器が刀じゃなく匕首、ナイフだってのがあってな」 そのためか今のところ、怪我人はいても死人はおらず、重傷者もいなかった。 更に言えば、襲われているのは女や老人、男でもいかにもな御店者で、一番強そうなのでも年若い大工である。 襲われた者たちの話からしても、ミッドランダーかやや小柄なハイランダー、あるいは大柄なミコッテの男だろうとのことだ。つまり、犯人は中肉中背、決して屈強なタイプではない。不意を打たれなければ、あるいは少しなりとも腕に覚えがあれば、取り押さえることもできそうだった。 「完全に外出禁止にして全員がそれを守れば、相手がいないんじゃ襲いようもないが、それは禁止されている間だけだ。解除されればまた始まる。しばらく我慢させればそれっきりやめてくれる、なんて見込みもない。だったら禁止したって大した意味はないよな。それに、政府の命令なんてただでさえなに言ったって反発されるんだ。禁止とまで強く言えば噛み付かれるのは目に見えてるし、禁止令を守らせるのに人を使う必要だってある。そんなくらいなら自粛にしておいて、出歩くのは自己責任、それで襲われたところをうまく見つけて捕まえれば万事解決、怪我人でも出れば見回りをしてる連中の不行き届き、って腹らしい」 「なるほどねぇ。でも、やだわ。そりゃ今までは誰も死んでないかもしれないけど、ナイフだって首なんか切られたりしたら大変よ。怪我で済んだって、痛いものは痛いんだし。私は絶対やだわ」 「それが真っ当な考え方だな」 大抵の人はそう考えて、暗くなったら家にいようと心がけている。
だが中には腕っ節に自信のあるのもいて、 『刀でばっさりやられるってんならともかく、たかが匕首にブルッて夜んなったら出歩かねぇなんざ、相手をますます付け上がらせるだけじゃねえか。とっ捕まえて簀巻にしてやらあ』 とかなんとか袖を捲り上げる勇み肌な連中が、徒党を組んで自発的な見回りをしているらしい。 「襲われる心配もないだろうし、見回りの頭数が増えるのはいいことだがな」 この切取強盗が、複数人連れ立っている相手に襲いかかることはあるまい。ましてや肩を怒らせて往来を闊歩している連中だ。避けるに決まっている。とすると、彼等が手柄を立てられる可能性はまずなかった。 だが、そういう連中がいれば強盗はそこでの仕事を諦めざるをえなくなる。行き会った一人歩きの誰かが、うちまで送ってくれと頼むこともできるだろう。 それは決して無意味なことではない。
どうしても夜に行き来しなければならない者も、馬鹿でなければ精一杯気をつける。いつもなら一人で帰る道を誰かと一緒に行こうとするだろうし、出先に泊めてもらって夜が明けてから帰ることだってできる。普通なら一人で迎えに行く旦那様を、今は二人で迎えに行けと言われたりもしよう。 「そうよねぇ。私だって、もし今から出掛けなきゃいけないとしたら、絶対にフィルちゃんに一緒に来て、用事が済むまで待っててって言うわ。でもよ、だったらもうそう簡単に被害に遭う人なんかいないんじゃないかしら?」 「と思うだろ? 俺があんたの護衛として一緒に行ったとして……いやまあ俺は”分かってる”から絶対にあんたから目を離さないが、こういう経験のない奴は、あっさり油断する」 切取強盗が厄介なのは、彼(ともすると彼女の可能性もゼロではないが)には、脅す、話すという無駄な時間がないことだった。 ほんの束の間、相手が一人きりになればいいのである。 せっかく連れている用心棒が、怪しい人影に気をとられ、角を曲がるのが少し遅れた。二人三人連れ立っていても、少し遅れて一人になった。たったそれだけで隙が生まれてしまう。 事実、被害者の一人は自分の家の庭へ出て、裏木戸を閉めようとした瞬間に襲われている。背後では家族が団欒し、笑い声さえ聞こえるような場所だったそうだ。
犯人がいったいどういう理由で切取強盗をしているのかは分からない。 襲われているのは大金を持っている者とは限らず、時刻も主に夜というだけで、夕刻や明け方に襲われた者もいる。被害者同士に共通点があるかというとそうでもない。流して歩いてたまたまのチャンスにやるのか、相手を決めてじっと待ち受けてやるのかも分からない。 死人が出ていないせいで危機感が薄いが、フィルにとっては、そしてその話を聞いたローズにとっては、ずいぶん不気味な賊に思われた。
こうして眺める暗い部分の、明かりが二つ以上共に揺れているのはいい。四つ五つ連なっているのは、件の威勢のいい兄ィたちだろう。 だがたった一つきり、ひどく急いで動いていくのが不意に消えるとはっとする。蝋燭を入れた古めかしい提灯であれば、落ちれば燃え上がるだろうから、消える前に明るくなるだろう。だが蓄光クリスタルを使ったランタンであれば、落として割れた時点で消える。 「い、今消えたのは?」 「家の中に入っただけだ。今のところ、それらしいのはないな」 よその国のよその町、あと五日もすれば旅立ってしまう場所でも、フィルは気になって仕方ないらしい。
「見回り、フィルちゃんも参加する?」 「それで一人二人、たまたまでも襲われずに済むなら、やらんよりはマシだが……」 冒険者、あるいは傭兵として、問題があればそれを”解決”することを習性に動くフィルは、「見回っていることで貢献している気になってハイ満足」とはいかないのだ。見回りをするなら、それがしっかりと警戒や牽制になっていなければならないし、この強盗事件そのものであれば、犯人が捕まらなければ意味はない。 しばらく無言の時間が続いて、 「俺を襲ってくれりゃ早いんだがな」 フィルがぽつりと呟いた。 それはそうだろうとローズは思う。襲われればいいなどというのは薄情かつ物騒極まりないが、ナイフ一本振り回し、戦えそうもない一人歩きを狙うような相手である。フィルにとっては危険でもなんでもない。 問題は、こんな屈強なのは絶対襲うまいということだ。 (私なら別だろうけど……) 冗談じゃないわと怖気を振るった。
だがそのとき、ローズの脳内でかちかちと、いくつかの情報がめまぐるしく動き始めた。 (要するに、フィルちゃんが “強くなさそう” に見えればいいのよね) ルガディンの男は、巨体が武器になるかそれとも足枷になるかで、強いか弱いかが明確に分かれる。体を鍛え上げ戦い方を身に付けたとき、身長2メートルを楽に越え体重は200キロ近いという肉体は、見た目を裏切らない破壊力と防御力を発揮する。だが、生半な鍛え方では、大量の肉と脂肪をおもりとして身にまとった鈍重な標的でしかないのだ。 同じローエンガルデだが、ローズとフィルはその典型で、フィルを襲うのは自殺行為でもローズを狙うのは正しい選択なのである。 フィルがそのままのし歩いていれば、誰も襲おうとは思うまい。巨体ならではの重厚感はあるが足の運びは鋭く確かで、鈍重とは到底言えない。腕も胸も腹も脚も、ルガディンらしくないほどくっきりとした筋肉が陰を落としている。こんなのに殴られたら打撲で済まないと目で見て分かる。威圧も威嚇もしなくても、自然に人がどいて道ができるタイプである。 だが弱く見せることができないかというと―――。 (キモノって、誰も彼も同じような体型に見せるのよね) 腰の細い者は、見栄えよく着るために腹回りにあて布を巻くくらいで、メリハリのない体をこそ最も美しく見せるように作られている。そしてまた、メリハリの大きさをある程度誤魔化せるようにもなっているに違いない。そうでもなければ、細く固く引き締まった体つきで、肩幅と腰幅が広くしかしウェストの細いアウラ族の男性が、ああもすんなりすとんとした落ち着きのある姿に見えるはずがない。 ということは? (と、いうことは―――!?( ?Д?))
「フィルちゃんフィルちゃん! いいこと思いついたわ! 聞いて!」 『それらしいキモノを身に着けて、それらしい振る舞いを心掛けることで、人畜無害そうな商家のルガディンに見せかければいい』。 それがローズの閃いた案だった。 ローズは昼間の呉服屋巡りで、キモノに関する知識をできるだけ仕入れてきた。その中で今、これは使えると思うのは、ハオリが持つ”コード”である。ウェディングドレスを着るのが花嫁だけであるように、ハオリを着るのは権力者だけだと決まっている。ある店のバントウは、近年芸者がハオリを身に着けることを苦々しく思っていた。つまりハオリを着ていればそれは一家の主なのである。ハオリを身に着けている人を見れば皆、あああの人はどこかの旦那さんだな、あるいは後家さんだなと思うのである。 しかもそのハオリのデザインは、やや末広がりにふんわりかつしゅっとしているので、体つき全体の細い太いは分かっても、それ以上のメリハリはハオリの内側、そこにある空間に隠されてしまう。ということは、フィルの鍛えに鍛えた体ならではの、ルガディンにしてはがっちりと締まったシルエットも隠せるということだ。
すさまじいばかりの僧帽筋や三角筋、それが生み出す肩幅やくっきりとした段差を隠すのは大変そうだが、コンプレックスになっている体型を隠すための服など、これまでどれだけ作ってきたか。どうしてもふくよかな二の腕、大きなお尻、ビール腹、極端ななで肩やいかり肩、O脚、大足……。 キモノでそれを実現するのは初めてでも、蓄積してきた”レールと潤滑油”があるのだ。これまでのすべての知識と経験が、正解の形を影絵のように浮き上がらせている。あとはその陰影を、色を、細部の形をつかみとるだけだ。 「裕福な商家のご主人みたいな歩き方だけど、劇団のかたに協力してもらえないかしら。伝統第一みたいな大きなところはともかく、ほら、この間トクサ屋さんと見に行った、ネコネ座だったかしら? あそこなら面白がって手伝ってくれるんじゃないかと思うの。もし代価が必要なら、無茶なこと言われない限り私がちゃんと払うわ。それにもしかすると、西洋風の衣装をデザインするとかでなんとかなるかもしれないし」 そして、昼間ならばともかく、明かりの乏しい夜道である。完璧でなくとも遠目には十分誤魔化せるはずだ。 面食らった様子のフィルだったが、やがて、 「釣れるかどうかは分からんが、こんなところでじっとしてるよりはマシか。面白そうだしな」 口の端を上げた。
【裁縫師ローズ】
翌日、ローズはうきうきでキモノ作りにとりかかった。 あまりのうきうきっぷり、テンションの高さにフィルは引き気味だったが、ともかくネコネ座に行ってわけを話し、協力してもらえないか聞いてきてと追いだした。癖のある男だが、冒険者として傭兵として、馴染みの世間でなく知らない土地、見知らぬ他人と関わり続けてきただけあって、人の輪に入り込むのは上手い。きっとなんらかの手蔓は掴んでくるだろう。 ローズは宿の部屋でせっせと型紙を引いている。ベースにしたのは、宿の人に頼んで取り寄せてもらった、一般的なルガディン男性用のユカタだ。それを昨夜採寸したフィルの体型に合わせて調整する。このまま作って身に付ければどうなるか、ローズには明確に予想し思い描くことができる。そして、それをどうすれば良い形に修正できるかも、何度かの試考でひとまずこれという案は出た。 それをもとに、まずは試着用の仮着を作って着せてみなければならない。問題があれば調整し、しかし完璧は目指さないつもりだ。今は、できるだけ早く作り上げることのほうが肝心である。それなりに見れた姿、のっそりもちもちした”戦わないルガディンの男”に見えればいい。 うまく出来上がればいよいよ本番となる。 商家の旦那ともなれば安物など身につけないだろうが、幸い今は初夏。ユカタであれば麻地でも問題ない。ただ、ハオリはそれなりに見栄えのいいものにしなければなるまい。 型紙を引く時点から着用した姿を思い描き、何色がいいか目まぐるしく脳内彩色する。 (こんなチャンスそうそうないんだからッ!! さあやるわよローズ!! やってやるのよ~~~ッ!!) 瞬きも忘れたような集中と気迫で、様子を見に来た宿の者は足音一つでも立てて邪魔したらどうなるかと、そーっと引き返していった。
ローズにここまで気合が入っているのには理由があった。 それは、THE シタゴコロ、である。
こんな提案をしたのには、実は下心もあったのだ。 見回り兼囮捜査ができる、というのが第一だが、実は第二に、キモノ作りに着手するきっかけがほしかった。 もちろん日常の合間に、さて作ってみようかととりかかることはできる。だがキモノは洋服とはまるで違う構造を持っていて、この短い間に聞き集めた知識だけでどれくらい納得のいくものにできるかが分からなかった。そうなるとローズにもちょっとしたハードルになる。クガネにいる間に一枚でも試作できれば、上手くいかないところを現地の人に聞くこともできるから、帰るまでに一着は、と思っていたのだ。だがなかなかそのスイッチが入らなかった。なので、「作る必要がある」ようになるのは、大歓迎だったのだ。 そしてついでにもう一つ。極めて個人的な趣味嗜好の問題として、フィルに自分の作った服を着せてみたい、というのも、あったりした。
フィルはなかなか独特の体型をしている。一般的なルガディンの男に比べると、硬くて細いのだ。10代も半ばの頃から冒険者、傭兵、剣闘士と不安定かつ戦うことをメインにした仕事で生きてきて、ろくに食えないこともあったとかで、ルガディンにしては体脂肪率が低い。(もちろん他の種族と比べれば高いのだが) それだけに、既製服はことごとくフィットしなかった。丈を合わせれば肩のあたりや腹回りがダブつき、厚みを合わせると丈が足りない。動きやすくて扱いやすいことが第一、みたいな実用主義なので普段着をオーダーメイドで作ることもなく、オーダーしたほうがいいようなフォーマルスーツなんてものは、 「そんなもんどこに着てけってんだ」 とそもそも用がない。そんなわけでいつも、だぼだぼのシャツやジャケット、パンツ、あるいは伸縮性のある生地のもの、というかそもそも服装には無頓着で、他人が嫌悪感さえ覚えなければいいと、適当な服を適当に着ている。 ファッションデザイナーのローズにとっては、歯がゆいことこのうえない存在だった。
だったら普段着のシャツでもなんでも私が作ってあげるわよ、とも思う。というかむしろ作らせてほしい。あれもこれも着せてみたい服はいくらでもある。カジュアルなものもフォーマルなものも、そしてキモノもだ。 だがローズは裁縫師ギルドのマスターであり、名が知れ実力の認められたデザイナーだった。 小一時間で手慰みに刺繍したハンカチですら数千ギルで売れる。そんな彼が、タダで服を作り渡すことはできない。何年も前から予約したり、あるいは週に一度は店を覗いて新作や再入荷を待ち、ものによっては数万ギルを支払って購入している客にとれば、不公平極まりないからだ。ましてや利害にうるさく損得勘定が激しいウルダハのことなので、無償でスーツ一式プレゼントしたなどとなると、よほどの理由がないかぎり、「では私にも」「何故私には」と言い出されるに決まっている。 長年の友達だし、ほんのり以上の好意も抱いているし、なにか贈り物をしたいという自然な欲求も持っているが、それを形にすることはずっとできずにいたのだ。
だが今は、囮捜査のために必要な装備品だという大義名分がある。 フィルのために作るのでも自分のために作るのでもない。クガネの平和、人々の安寧のためだ。そんなものに金銭を要求してはなるまい。市民の、いや市民ではないが、人としての義務、義理人情、正義の心と秩序を尊ぶ社会性、奉仕の精神である。 そんなわけで囮捜査、キモノの試作、そして長年の願望、まさかの一石三丁、コレヲ ヤライデ オク ベキカ!!( ?Д?)
残念なのは、とことんまで納得がいく、最高のものを作るのはできないことだ。 それにはまだまだ模索も閃きも足りないし、キモノという異国の衣類を、そもそも型どおりに完璧に仕上げることもできない。もちろんそこらの裁縫師がやるより圧倒的に早く正確にその特徴や性質を掴めてはいたとしても、完璧には程遠いし、納得にもかなり遠い。 だがそれでも、それでも……!! (フィルちゃん待っててッ!! 今私が素敵なおキモノ作ってあげるわあぁ~~~ッ( ?Д?)!!) 待ってないしだいぶ本来の目的を見失っているが、結果オーライということで……。
【囮大作戦決行の夜、そして……】
「フィルちゃん、フィルちゃん、駄目、駄目よ、全然駄目。それじゃどう見たってヤクザの大親分。そうじゃない、そうじゃないでしょ!! なに習ってきたのよ!!」 動悸と目眩は思った以上に様になっていて大変見目よろしいからだが、頭痛と脱力感はその完全なまでの方向性の違いに対してである。 「外に出たらちゃんとやる」 「今からやりなさい!!」 なんでそう大きく胸元を寛げて露出するのか。なんで懐手していたり、前身頃から腕を出していたりするのか。なんでそう堂々とあたりを見下ろすのか。 これでは、「おい!」と声をかければ「へいっ!」と子分どもが勢揃いしそうである。 逞しい胸板や腹筋はそれはもう眼福だとしても、今夜の趣旨にはまったくそぐわない。
しかしそんなすったもんだも、望海楼の一階に降りると必要はなくなった。 猫背ではないが常に少し頭を低くするように。丈の高いルガディンではあっても、人様を見下ろすのではなくうかがい上げるように。それでいて、大勢の奉公人の上に立つものに相応しい鷹揚さと貫禄、自信に支えられ、ここまでは下げるがここからは決して下げない、といった自尊心もうかがえる。 どうがんばっても気弱で臆病な旦那像など演じられなかったので、「私が襲われるわけがない」と強盗を甘く見ている悠揚さを演じることにしたらしい。少しでも気を抜くとそれが「俺を殺れるもんなら殺ッてみやがれ」の余裕になりそうなのがあれだが、ともかく、いささか自信過剰の旦那、という範疇にはおさまっていそうである。 試作したキモノはまず40点といったところでも、幸いよく似合っている。ハオリのほうは体型にほぼ左右されなかったので、甘く見て60点あげてもよさそうだ。実際に作ってみて、今はまだなにがどうだから納得がいかないのかまでは分からない。分かっていれば直している。だがなんとなく、咬み合わないもの、組み違っているものの手応えはぼんやりとある。 (ああ……でもやっぱりどうせなら、もっとちゃんとしたもの着せたいわぁ……) 「おい、レット。ついてくる気か」 「え?」 ぼーっと眺めているまま、追いかけて外に出てしまった。
真っ当に考えれば、おとなしく宿で待っているべきである。ローズが出歩いても、襲われる可能性はあっても役に立つ可能性はない。 しかし、怖いという気持ちより、少しでも長く眺めていたいという気持ちが勝った。 「油断するとまた親分になりそうだし、それに、離れなきゃ大丈夫でしょ? ね? そうでしょ?」 フィルは軽い舌打ちをし長い息を吐いたが、 「あんまりくっついていられても、一人歩きにならんだろ。まあ……表通りを歩いているうちはいいが、そこで帰れよ」 「わ、分かったわよ。私だって、襲われたいわけじゃないし……」 たしかに、すぐ後ろにいれば護ってもらえるとしても、それでは二人連れになってしまい、犯人が食いつく可能性はがくんと下がってしまうのだ。それに、大通りを引き返したところで、宿に戻るまでの間にほんの少しも人通りの絶える場所、明かりの乏しい場所がないのかと言われるとそうではない。 早まったことをしたと思ったが、石段を降りて角を曲がり、既に背後も前も、街灯の明かりはあっても人影はない。今はとにかくもっと明るくて人が多いところまでフィルにくっついていくほうがマシだと、ローズは唾を飲み込んだ。
寄り合いで花街にでもいて、そこから帰るような足取りで、フィルはぼんぼりの並ぶ商店街を歩いて行く。このあたりはまだまだ人が多く賑やかだ。それでも一人で店を冷やかしているようなのは見当たらない。 このあたりは頻繁に通ったので覚えているが、もう少し先までいくと商店は途切れ、明かりの数も減る。 そうしてとうとう曲がり角に来た。ここを左に折れればその先は小さな店が多く、この時間にはもう閉めている。いくつかの軒先に行灯やランタンが出ているのはいつもの光景なのか、それとも通る人が少しでも安心できるようにとの心遣いなのか。 それでも、例の切取強盗が出るには、十分な人のなさと、明かりの乏しさに見えた。 「……レット。誰か頼んで、宿まで送ってもらえ」 「そ、そうするわ。フィルちゃん、気をつけてね」 「こっちの台詞だ」 確かに。素直にそう思いながら、ローズは快く同行してくれそうな人はいないかと、左右を見やる。フィルは別段どうということもない様子で角を曲がった。 そこにいるミコッテの職人は、アウラ・ゼラの仲間も一緒のようだし、タルに腰掛けて楽しげに話している。ぴこぴこと耳のよく動く朗らかそうな青年で、頼んだら引き受けてくれるかもしれない。 「そこのかた」 声をかけた。 「逃げて」 と微かに、しかし切り裂くように、甲高いかすれた娘の声が聞こえたのはそのときだった。
(そしてああなった)