傭兵物語 二

     【第二日目】

 ローズのクガネ探訪は、案の定ハイテンションなものだった。  初日を休憩で潰したものの、翌日復活するやさっそく朝から街に繰り出した。8時では大半の店は開いていないが、紺屋など早朝から動き出す職種はある。そういった服飾関係の仕事場でも見学に行くのかと思えば、 「できればぜひ見てみたいけど、職人の仕事場は公開してくれないところも多いから、少しでもツテを作ってからね。今朝はまず、あちこちぶらぶらしましょ」  そう言って、民家の並ぶ路地や港、観光客向けの飲食店が軒を連ねる大通りをのんびりと散歩して回る。それでもローズにとっては学ぶことが多いらしい。

「普段着って決して無視しちゃいけないの」  変人扱いはいいが不審者や変態と間違われなければいいが、とフィルが呆れるくらいに、ローズはあっちを見てこっちを凝視してで、忙しい。そのうえ、 「お洋服の大半は、普通の人が普通に身につけて過ごすわけよね。それって、モデルやマネキンが着てるのとは全然別物なのよ。階段を上り下りしたり、家事をしたり、子供と遊んだり……。動いたときにどう見えるか、どうなるかってすごく大事だわ。だからこうして、普通の人が普通に身につけて、普通に過ごしてる光景をちゃんと見ておくのも、私には大切なお勉強なのよね。ほら見て。キモノって、言っちゃえば布を巻きつけてベルトで締めてるだけなのに、どうして前が開いていかないのかしらって思ってたけど、そうならないような所作がこっちの人には染み付いてるのね。男性も女性も歩幅が狭いし、特に女性は内股気味。ということは、キモノをそのままエオルゼアに持ち込んだって、綺麗に着こなせる人はほぼいないのよ。ほらほら! ああやってタモトを押さえるのも、無意識の自然な動作よ。あれだけ袖口が開いてるのに、腕を見せることだってほとんどしないわ。こういう癖がないエオルゼアの子たちに着せて見栄えのいいようにしようとしたら、いろいろアレンジしなきゃいけないわけ」  服のことになると、ローズは普段の―――普段からお喋りなのに更に―――三倍は饒舌になる。  だが聴いているのは面白いし、知っていればいつどんなときに役立つか分からない。  それにしても (服を作るってのも大変なもんだな)  とフィルは思うが、ローズは好きで仕方ないからやっているだけで、だから今も勉強そのものが楽しくてたまらないのだろう。

 昼食には蕎麦を食べ、蕎麦湯なる不思議な習慣(?)を経験した。  いよいよ午後は本命中の本命、衣類や布地を扱う呉服屋へ行くつもりだそうだが、 「どうする? 適当に目についたところから入ってみるか? それとも、参考になりそうな店を聞いておくか?」  フィルが問うとローズは少し考え、 「時間があれば全部のお店でも回りたいけど……。……うん、決めたわ。最初に一番おすすめのお店に行きましょ。思うようにあちこち回れなくなったとき、そのほうが後悔しないし、それに、“次"があるかどうか分からないんだから、せっかく来たんだもの、お仕事以外のことも楽しみたいわ。せっかくフィルちゃんと二人旅なんだし、ね?」  両目を閉じるウィンクらしきものにぞっとして、フィルは勘弁してくれと手を振った。

 昨日の今日ではさっそくすぎるかと思ったが、フィルはチトセの茶店へとローズを連れて行った。ローズの言葉遣いに面食らったチトセだが、面白そうに屈託なく笑って奥の小座敷へ案内してくれた。 「それにしてもフィルちゃん、東国語できたのね。びっっっっっくりだわ」 「だろうな」  他人が自分をいわゆる脳筋系だと思ってることくらいは、とっくに知ってるフィルである。 「それにクガネの人って、ほとんどが共用語を話せるのね。やっぱり港町で、外国人のお客様も多いとなると、身につけなきゃいけない教養の一つなのかしら」 「そうですね。まず中等学校で必ず習いますし、私もクガネに店を出す前には勉強しなおしましたから」  共用語で話すチトセは、当然少したどたどしく、そして紋切り型に近いような丁寧語になる。フィルが普段から聞く言葉としてはまだしも耳慣れているはずなのに、昨日の西国方言のほうが自然な気がするのも不思議だ。  つい笑いそうになるのを隠しながら、ローズが見学と買い物に行くのにいい店がないかと尋ねると、 「それならトクサ屋さんです」  と即答された。

 専門的な用語が入ると、チトセにすべてを共用語へ翻訳することはできない。フィルも東国語がペラペラとまではいかないが不自由はしないので、二人の語学力を合わせて、トクサ屋の場所とおすすめの理由を聞いた。  まず、トクサ屋はクガネで一二を争う呉服の大店で、百年以上前から続く老舗の一つでもある。だから当然、高級な商品から日常的なものまで幅広く扱っているし、長年維持してきた信頼もある。  それに、大店だから奉公人も数が多く、ゆっくり話し相手になってくれる人を得やすい。ローズが服飾の専門家として、ただ買い物をしたいだけでなく、和服や布地についていろいろ聞きたいのであれば、トクサ屋はうってつけだということだ。 「トクサ屋さんの人たちはみなさん親切で正直です。ですから、高いお買い物が安心してできますよ。外国から来たお客様に、お土産に和服や布地を買いたいと言われたときに必ずおすすめする店です」 「まあ! 素敵なお店なのね。それは楽しみだわ!」  店は文字通り”呉服町”二丁目の角地にあり、深緑色に屋号を白く抜いた大暖簾が出ているからすぐに分かるらしい。

 おやつにでもどうぞと花の形の干菓子をお土産にもらって茶屋を出、ローズの足は自然と早くなる。そうしてまっすぐにトクサ屋へ―――行かなかった。 「あらやだ……っ!!」  呉服町の入り口に立った途端、そこは宝の山、夢の国。  トクサ屋へ行くのが一番いいと言われていても、小さな出店に吊るされている古着にすらふらふらと引き寄せられていく。 「おい!」  もうフィルの声も聞こえていない。

 訪問の約束をしているわけでもないので構いはしないし、 「ごめんなさあのグラデ素敵ッ!!」  一応振り回している自覚はあるので謝ろうとくらいはするのだが、謝り終える前からあっちに行きこっちに行き、しかしそれでこそフィルを連れてきた甲斐があるというものである。ここにいるのが別の誰かであれば、心惹かれるなにかがあっても我慢して、決めたとおりに行動するしかなかったのだ。あるいは、振り回してうんざりされて気まずい思いをするか。  悪いと思ってほしいわけでもなし、よくやるよと思いながらフィルは苦笑を隠しもせずついていく。  今はまだ大きな買い物をする気はないらしく―――そのあたりは理性が働くのが不思議だ―――、買ったのは端切れが数枚。それでもその中の一枚は、太い金糸銀糸で豪華な刺繍の入った厚手の生地で、よそ行きの服が一着買えるほど高額だった。

 フィルはぼったくられているんじゃないかと思い、店から離れた後で一応言ってみたが、 「い・い・え! これ絶対にすっごい掘り出し物よ! なんでって、そんなもの勘に決まってるでしょ!」  ものすごい勢いで否定された。  プロの勘は、何千何万もの経験が積み重なったものだ。素人の当てずっぽうとは質が異なる。ローズがそう言うなら、これが本当にいいものであることもそこそこの確率であるのだろう。  だがなにより肝心なのは、 「それに見て、この可愛らしいうさぎちゃんたち。おめめもちゃーんと真っ赤で、真っ白な毛並みして……」  ローズがそれを気に入って、自分用のなにかを作りたいと思い、そのための布としてあの金額を払う価値があると判断した、ということだ。素人がこれ以上口を出すことでもないと、フィルはそれきりなにも言わないことにした。

 結局トクサ屋の前に辿り着いたのは、呉服町に入ってから2時間ばかりした後だった。  さすがにローズもこのまま店内で品定めを始めるのは気が引けたらしい。 「フィルちゃん、今日のクガネ巡りはここで最後になると思うし、先に戻っててちょうだい。まっすぐ帰るのがつまらなかったらどこか寄ってもいいし……。あ、そうそう。はいこれ、お小遣いよ」 「ああ。悪いな」  悪いなと言いながら悪びれもせず受け取って、フィルはそれならと道中で見かけた飲み屋へ寄ることにした。

 小さくて汚い飲み屋だが、面白い話を聞くなら絶対にこっちだ。観光客を目当てにした店では、旅行の感想と仕事の愚痴や密談、お世辞、おべんちゃらくらいしか聞こえてこない。  もちろん現地人が普段使いする飲み屋で聞こえてくるのは東国語である。あまりに訛りが強いと意味が分からないこともあるが、クガネでよく聞く標準的な東国語と、多少東、西の言葉ならフィルにはだいたい分かった。  ローズが驚くのも無理はないが、傭兵には語学に堪能な者も少なくないのだ。いろんな国から集まってきた連中の群れだから、最低でも共用語ができなければ意思の疎通がままならない。それに、現地人に言葉が通じるかどうかは時に死活問題になる。一人ではぐれてしまったとき、「敵ではない」「水がほしい」「都市はどっちだ」といったことを言えるかどうかは大きな差だ。  フィルが東国語を初めて聞いたのは小僧冒険者だった頃で、後に傭兵稼業に手を染めて東国からの傭兵にものの名前や挨拶、面白い慣用句などを教わった。そしてドマにいたときに会話ができる程度になった。教えてくれたのはアダナミだった。

 気にしても生き返るわけでもないものを、あれこれ考えても仕方ないと自然に意識の外に片付けていたが、こうしてふとその記憶がよぎると、しんみりした気分になる。 (不器用ってのは、損だな)  俺みたいにもっとのらくらと、まあそれならそれでいい、なんとかなるうちはなんとかなるだろう、くらいでその場その場を生きていければ今もここにいたのだろうに、アダナミにはそれができなかった。 (馬鹿な奴)  あいつが好きだと言っていた酒はなんて名前だったか、ここにあるのだろうかと壁にかけられたメニュー、御品書へと目をやった。  そんなフィルの耳に 「またあの強盗が出たってよ」  という言葉が飛び込んできた。

 仕事柄、危険な事柄には敏感だ。避けるべきものは避け、そして、金になりそうならする、そのためである。今は、護衛対象がいるからには決して無視できない。  目当ての酒はなかったが、前にある銚子はもうすぐ空だ。通りかかった女中に追加を頼んでさりげなく聞き耳を立てると、聞こえてきたのは「キリトリゴウトウ」という言葉だった。 「信じれへんなぁ。いまどきキリトリゴウトウなんて、流行らへんで」 「流行るとかなんとかってもんじゃアねえだろ。てぇか、どこだよ」 「サカエチョウのほうらしい。夜中にすれ違いざま、ピカッときたってよ」 「前はトキワマチやなかったか。またえろう離れたとこで」 「てぇか、馬鹿だろそいつ。なんで夜中に一人歩きしてんだよ」 「それはシンコが昼の仕事しとるから言えることや。わてらみたいな芸人は、日が暮れてからが稼ぎ時や。帰りはどうしたって夜んなる。おかみは出歩かんようにとか簡単にゆうてくれるけど、わてらみたいなモンにとったら、そない簡単なことやないで」  あとは仕事の愚痴、政府への愚痴になって大した話は聞けなかった。

 フィルは新しく届いた酒をほとんど一息に飲みほして腰掛けから立った。勘定を置いて店を出る。  ローズもまさか夜まで居座ることはないだろう。だが金持ちの浮かれた外国人など、多少日が残っていようと襲って損はないいいカモだ。自分なら間違いなく、さりげなくつけて歩いて人通りの途切れたところで……という物騒な仮定はともかく、キリトリと言うからには刃物の一本くらいは持っているのだろうし、となると当然、案内人兼護衛としては先に宿に帰って寝転がっているわけにはいかなかった。  だが、今までの様子からして、おそらくローズは30分やそこらでは出てこないだろう。今はまだ陽も高いが、日暮れ前に満足するかどうかは微妙だ。  たしか、店の前には床几、腰掛けがあった。店内が混んでいるときなどはそこで順番待ちをするのだろうが、さっき見たかぎりには人はほとんどいなかった。座れる場所があるのは人を待つには持って来いだ。 (さすがに店先で飲んでるわけにもいかんか)  仕方なくフィルは他の暇つぶしを考えることにした。


     【第三日目】

 レドレント・ローズの名前は東国にも売れていた。  この20年ばかりはほぼ国交がなかったため、知られていたのはサン・シルクというブランド名と合わせて名前だけだったが、聞いたような名前の、しかし間違いなく一流の目を持つルガディンの男が訪れているということは、たった一晩でクガネの服飾界に広まった。  おかげで翌日は、朝から客が押しかけてくる始末である。ぜひ当店にもお越しいただきたいというのから、接待させてほしいというの、頼んでもいないのに見てほしい品があると持ち込んでくるの、様々だ。  ローズはそれに、きっぱりと今日は一人あたり10分、午前は11時まで、昼は13時から14時までと時間を区切って対応した。  それに不服を覚えたり、偉そうにと思うような相手ならば会う価値はない。旅行中なのにこちらの都合を構いもせず押しかけてきているのだから、「失礼は分かっていてもどうか」といった心のある者であれば、引くことくらい弁えているだろう。  時間内に会えない分は、宿の者に用件を控えてもらう。迷惑をかけるのだからと、手伝ってくれる者には手間賃、宿には迷惑料を支払おうとしたが、それはやんわり、しかしきっぱりと断られた。 「ご予約いただいたときに、こういったこともありうるのではと思っておりました。どうぞご遠慮なく、当宿をお使いください」  そんなプロの対応に助けられて、どうにか昼食を挟み、午後の面会タイムも終えることができた。

 ローズよりもフィルのほうがうんざりして壁にもたれている。  忙しいギルドマスターが、おそらくは無理に無理を重ねてまとまった時間を作り、やっと手に入れた休暇であり、好きなことを勉強する時間なのだ。いくら知り合うチャンスだからと言っても、押しかけてくるのは図々しいんじゃないかと思わずにいられない。  だが普段からそんなふうに人から崇拝されているローズにとっては、珍しくもないことなのだろう。 「自分の時間が全然なくなるのはお断りだけど、会いもせず追い返したら素敵なチャンスも逃しちゃうでしょ」  そう言って、まるきり平然としている。 「なにもフィルちゃんが怒らなくてもいいのに。ん、もう、優しいんだから」 「別に怒ってない」 「それにね、来てくれて良かった人だっているわ。ダイテン屋さんは西洋の生地の取り扱いに積極的だし、若い旦那さんだったけど真面目で熱心で、いい関係を築けそうよ。それから、今夜のサラシナ屋さんの招待は受けてみようと思うの」 「今夜? いたっけか、そんなの」  厄介な客がいたときのための用心棒としてフィルも後ろにいたが、どの名前がどんなオファーをしてきたかはろくに聞いていない。妙なことをする奴がいないか睨みをきかせていただけだから、耳には入っていたが覚えてはいないのだ。  ローズは、花街の茶屋に芸者さんを呼んでくれるというものだと答えた。

「……一応言っておくと、花街ってのは歓楽街だし、茶屋と言ったって娼館と変わらんところもあるぞ?」 「そんなことも知らないほどウブじゃないわよ。たとえ私がフィルちゃんにとっては清純な乙女同然だとしてもね、うふっ」 「それはない」  言下に一刀両断するが、そんなことで堪えるローズではなく、さらりと無視して話を続けた。

「様子からしてそっちのほうも私が言えば頷くようにって言い含められてはいそうだけど、呼んでくれるのは一流のゲイシャ……ゲイコさんだそうなの。一概には言えないけど、一流店の並ぶ場所で向上心を持って接客してる子にお馬鹿さんはいないのよ。高い教養のあるお客様に合わせて、きちんとお話しできなきゃいけないんだから。着こなしや話し方、お化粧のしかたに仕草だって洗練されざるをえないわ。それにやっぱり、なにかに真剣に向き合って努力してる人と話すのはすごく刺激になるわ」 「なるほどな」 「ご理解いただけて? あとは……あ、そうそう。ほら、昨日のトクサ屋さんも来てくださってたみたいなの。お芝居への招待よ。これは明日ね」

 あのデカい呉服屋だ。角地というのは一等地で、しかも他の店の倍ほどの間口をとって占めている。ローズはえらく上機嫌で馬鹿みたいに高い布切れをいくつか買い込んだようだが、フィルが覚えているのは、見送りに出てきた兄妹らしい二人のことくらいだ。  兄のほうは柔和でおっとりした物腰だが、ただの箱入り息子ではなさそうな印象を受けた。だが娘のほうは、どこかぼーっとしたような、いかにも大金持ちの娘だと感じた。挨拶一つすら、兄が先んじてするのに合わせて慌ててしたくらいである。  苦労したこともなければ嫌な目にもろくに遭ったこともない、だから警戒心がなく隙だらけのぼんやり娘。着飾らせて眺めている分には可愛らしくていいが、役には立たない。フィルにはまったく関心のない”お人形さん”だった。 「お嬢さんがお芝居を見に行くから、それに合わせて席を用意してくださるそうなの」  遊興娯楽、買い物、おままごと、金持ちの娘が好きそうなことだ。だが東国の劇に使われる衣装は、ローズにとっては間違いなく一見以上の価値があるだろう。 「行ってきたらどうだ?」 「もちろんそのつもりでお返事するわ。ね、フィルちゃん。良かったらお連れ様もご一緒にって言ってくださってるのよ。フィルちゃんも行きましょうよ」 「俺は別にいい」  即答したが、例の強盗の話がちらりと気になって、考えを変えた。

「いや、どんな芝居だ」 「えーっと……たしかメモと一緒にもらった演目のチラシが……」  パラパラと紙の束をめくって、ローズは 「あらまあ!」  と口元に手を当てて声を上げた。  演目はついこの間のドマ解放戦。死んだと思われていた若殿が、アジムステップのアウラ・ゼラを援軍につけて凱旋し、城を水攻めにして首領を孤立させ討ったという派手な活躍だ。しかもそれに、例の英雄様とやらが絡んでいるらしく、噂はエオルゼアにまで流れてきて大した騒ぎになった。  だがフィルには一番苦手な演目だった。 「無理して一緒に来なくたっていいわよ。こんなのいいとこどりの非現実だって、いつだったか言われたものねぇ?」  言っただろうか。言ったかもしれない。覚えはないが、似たような内容の劇にでも誘われれば、興味ないと断っただろう。

 使い捨ての傭兵として、目の前、自分の隣で無数のむごたらしい死を見てきた目には、華やかな部分だけを切り取った活劇や、格好のいい部分を担当する英雄様の話など少しも響かない。  水攻めと聞いてフィルが真っ先に思い浮かべたのは、濁流に巻き込まれて倒壊した壁や柱、その瓦礫とともにもみくちゃにされながら流される敵兵のことだ。どういった形で行い、どれくらいの水流がどこへどう流れ込んだかにはよるが、大抵の水攻めは敵兵ごと押し流し溺死させる。何十人という人間が溺れ死に、どこかの岸辺に打ち上げられる。水中で大小の瓦礫にぶつかった体は五体満足であることがまずなく、死体は長時間水に浸かって白っぽくふやけ、ともすると腐敗ガスで膨らんでいる。  それが現実だ。  だが大衆演劇の舞台で演じられる戦記は、その現実からあまりにも遠い。清潔できらきらしく、美しい涙や友情、信頼、飾られた裏切り、そんなもので”楽しく、感動的に”飾り立てられている。  ぶちまけられた内臓の悪臭、肉片の一つもない小綺麗な英雄譚など、フィルにはただ白けるだけだった。

 だがそれを言っても仕方ない。”普通”からは程遠い暮らしを続けてきたはぐれ者の、極めて偏った感想だ。だからこんなことを誰かに語る気は毛頭なく、見ても面白いと思えないから行かない、それだけで十分だ。  なにより、今最も重要なのはローズの護衛である。行ってこいと一人で放り出したのでは、目の届かないところでなにをして、なにが起こるか分からない。 「いや。付き合う。ただし、俺に話を振るなよ」 「だったら無理して来なくていいわよ」 「そういうわけにいくか。あんたに付き合うのは仕事だ。出先でなにかあれば職務怠慢、そうだろ」 「もー。だったら、別に面白がってくれなくてもいいけど、雰囲気ぶち壊すようなことだけはしないでよね? いい?」 「分かってる。そんなこと言われなくても、ガキじゃないんだ」 「フィルちゃん十分子供っぽいわよ。ま、いいわ。一緒にお芝居見物できるだけで良しとしましょ。それより、こっちのお芝居ってたしか、けっこう独特の見方をするって聞いたのよね。フィルちゃん……はいはい知ってるわけないのね。じゃあ、宿の人に聞いてくるわ」  マナー違反で他のお客様の迷惑になりたくないないものねぇと、ローズは重い尻を上げてうきうきと部屋を出て行った。