傭兵物語 三
【第四日目】
翌朝の出発準備中に、芝居の規模にもよるが時には朝から晩までの観劇になると聞いてフィルは唖然とした。 今回の芝居も朝10時開演、終了予定は16時。 「なに白目剥いてるのよ。……まあ気持ちは分かるけど。私だって、大きな座の出し物なら一日がかりだって聞いて呆気にとられたわ。でも今日見るお芝居は3時間くらいみたいね」 「それでも十分長い。それに、10時から16時だろ? 3時間はどこへ消えた」 「前後とか間にいろいろあるんですって。ほら、こっちでも長い劇だと途中でトイレ休憩が入るでしょ? あの部分がもっと長く取られてるみたい」
幕間には、手洗いや体を伸ばしに立つだけでなく、そこまで見た芝居についていろいろと話しながら食事をしたりお茶を飲んだりする。後援者であれば、いったん茶屋に下がって待っていると、役者が挨拶に来たりもするらしい。 開演前であれば、前座として別の芸人が出てくることもあるし、前日譚が講談―――トークショーとして語られることもある。座長の挨拶だけでなく、 「そこが一種のファッションショーみたいなものなんですって!」 メインの役者たちが衣装、あるいは特別に誂えた上等な着物で現れて、客に挨拶をするのもよくあることらしい。人気のある役者や歌手が身に着けているものが流行るのは洋の東西を問わないようで、彼等の着物の柄や生地、色、着付けのスタイルが大流行りするのも同じだという。 そして幕が下りてもさあ帰ろうとはならず、金がある者は予約した茶屋で飲食、宴会をするし、ともすると贔屓の役者を大枚をはたいて呼び寄せる。金のない者もたまの贅沢ついでに芝居街の雰囲気の中で一杯ひっかけて帰る。 観劇は東国において、半日から一日がかりのエンターテイメントだった。
「あー……なるほどな」 フィルが納得したのは、東国で「こいつは芝居狂いだ」と言うときの語気の強さについてだ。エオルゼアでも劇を見に行くというのは大きな娯楽で金もかかるが、こちらではその比ではないのだろう。一日潰して普段よりも大金を使う。それを何度も繰り返すなら、たしかに「芝居キ○ガイ」と言われても仕方ない。 今日の芝居はそういう大規模なものではないが、構成はだいたい同じだ。 それならそれで、芝居の内容はともかく、東国で芝居を見るという経験そのものは目新しいことばかりで面白そうだ。これならまあいいかと、フィルは昨日よりはずいぶん軽い気持ちでローズとともに宿を出た。
外国人の客だと聞かされていた茶屋の者は―――金のある人間は直接劇場に行かず、専用の茶屋に立ち寄るところからスタートする。そうすれば専門家がなにからなにまで手配してくれるのだ。フィルたちの場合は東国の観劇に慣れない外国人ということで、こまかいところまで丁寧に気遣われるし、受け持ちの案内人はネイティブ並みに共用語がペラペラだった。 ローズは熱心に質問をしている。マナーをきちんと守ろうという意識もあるし、純粋に好奇心が旺盛なのだ。フィルも観劇の仕組みについては興味深く聞いた。 正午を挟むため、鑑賞中に弁当も出るという。エオルゼアでも観劇中に飲食することはあるが、それが許される場と許されない場は完全に分かれていて、いわゆる"高尚な"ものであればくしゃみ一つでも睨まれる。飲食など言語道断だ。石像みたいに固まっていなければならない。だがこちらでは、シリアスな芝居だろうと大物歌手のリサイタルだろうと、見ながら感想を言い合い、好きなものを飲み食いしていいのだ。(もちろん大声を上げたりするのはNGである) しかも度を過ごさない程度になら酒を飲んでもいいらしい。 「フィルちゃん、目の色変わったわよ」 「うるさい。俺は酒にしてくれ。勘定はトクサ屋が持ってくれるんだろう? だったらめったに飲めない上物がいい。あ、それから安酒だが、もし”夕浜”ってのがあったらそれもほしい」 「遠慮ってものがないの、フィルちゃん。あとオブラートくらい持ちあわせてちょうだいよ……」 頭痛を覚えたような仕草のローズとは裏腹に、案内人は嫌味もなく笑って、 「どうぞご遠慮なく、なんなりとお申し付けください。それにトクサ屋さんでしたら、お客様が存分に楽しまれることを一番喜んでくださいますよ」 と答えた。
(ん?) と思ったのは、そのときが最初だ。 伊達に癖者ぞろいの冒険者や傭兵、その依頼人、敵味方と長年過ごしていない。人の本心までは見抜けないが、本心かどうかくらいは大概見抜ける。案内人の言葉はまるっきり嘘偽りのないもので、彼自身もこの案内を楽しんでいるようである。 もちろん、それはプロの職業人として訓練されたものでもあるだろう。不思議なのは、「私は」喜んで給仕いたします、というだけの内容ではないことだ。「トクサ屋さんなら」と他人のことを言っているのに、何故そんなに自信があるのか。「ああ、あいつなら援護を任せて間違いない」と十全の信頼とともに言う、そのときの言葉にそっくりだった。
そしてふたつ目の (ん?) も間もなく出てきた。 少し遅れて観客席、桟敷という上等な客席にやってきたトクサ屋の娘と、そのお供二人。金持ちの若い娘が、お目付け役や世話係を連れているのは東国ではごく当たり前、むしろ常識だ。だがそのおとも二人の様子が、いかにも楽しそうで、女中が 「お嬢様、楽しみですね」 と話しかけるのにもまるで屈託がない。主従の隔てはあっても、その隔てとともにあるはずの壁がない。 「そこ、手すりが少し剥げてますよ。触ってトゲでも刺さったら大変です。お嬢様、良かったら場所を代わりましょうか?」 10代前半に見える小僧が言うのも、そうやって気遣わねばならないからではなく、たまたま気が付いて言わずにいられないといった様子だ。
(……ふむ) どうもこの娘、奉公人から慕われているらしい。そして、主だと威張ることもなく、楽しそうに接している。(相変わらず頻繁にぼーっとしているが) 聞くともなしに聞いていると、トクサ屋では娘が芝居に行くときには、奉公人を順繰りにつけてやって、彼等にもいくらかの小遣い与えているようだ。大きな失敗をしたから行かせてもらえないと思っていた、と小僧が言うのだから、出来のいい奉公人へのボーナスというわけでもないらしい。 (トクサ屋か……) クガネ有数の豪商。 チトセは外国人におすすめするならそこだと迷いも考えもせずに言い、茶屋の案内人は全幅の信頼を置いて語る。そして娘主従はごくごく素直に仲が良い。 (こりゃ本物中の本物のお嬢様かな) 温室育ちで世間知らず、人の気知らずなどでなく、ちゃんと世間のことも人のことも気にかけるよう育てられている。殴られたことはない。だが殴られると痛くて悲しくてつらいことをちゃんと知っている。その痛みを、自分のもののように感じることができる。 ごくごく稀に咲く、良い種を良い土で、良い園芸家が丹精込めて育てた花。 たまに自分をじっと見ているのも、こんな無骨な男は今まで暮らしていた世界に存在せず、物珍しいからだろう。だが嫌な気のしないまっすぐあどけないような眼差しだ。そして、目が合うと慌てて俯いてしまう。 (ま、こんなお嬢様にとっちゃ、俺なんて怪獣みたいなもんだろうな) ガオーッとやったらどんな反応をするかと思ったが、間違いなくローズに「子供じゃないんだから」と叱られるので、やめにした。
そんな怪獣に話しかけてくるのだから、案外怖いものしらずなのかもしれないと思ったのは、その娘を涼みに連れだしたときだ。 観客の興奮は熱気になって劇場を蒸していたから、のぼせるのも無理はない。 そうして砂利道の白灰色と深緑の木々がすがすがしい庭園に出ると、貴方はエオルゼアではなにをしているのかと尋ねてきた。これまでずっと、挨拶や受け答えはしても、お嬢様らしく無駄口などきかなかったので気付かなかったが、かなり流暢な共用語である。 ”冒険”とはなにかなどとおかしなことを聞かれたが、こんなお嬢様ではしたこともあるまいし、無理はない。 そうやって話してみると、気取ったところはまるでなく、思っていたほどぼんやりでもないらしい。 ただ、怪獣というより異国の英雄でも見るかのようなきらきらした眼差しがどうも落ち着かなかった。冒険者なんてただのヤクザ者、傭兵というのも一般人が思うよりはるかに血生臭く凄惨なもの。だがそんなことは、お伽話のお芝居にドキドキワクワクするような小娘に言うことでもないだろう。
向けられたことのない、透明なほど純粋な好意と好奇心に居たたまれなくなったのもあって、顔から火照りも引いたようだしと、客席に戻ることにした。 ローズは、フィルがこの離席を幸いにもっと時間を潰してくると思っていたらしい。「もう戻ってきたの」とか言われた。 (こいつ、どこまで俺を考えなしのガキ扱いするんだよ。それとも、いつだったか芝居に付き合わなかったのをまだ根に持ってやがるのか) 俺はともかくこのお嬢さんは劇が見たいに決まってる。まだ始まって30分かそこらだし、見せ場というわけでもないが、見逃したシーンのせいで後の面白いところが分からなくなっては損だろう。そんなことも分からないほどの自分勝手でも馬鹿でもない。 だがそれを今言って観劇の邪魔をしても仕方ないと、フィルは黙ってまた、弁当をつつき酒を飲むことにした。
【第五日目】
一昨日は朝から押しかけてきていた客が、昨日の時点でもうだいぶ少なくなっていた。 昨日は昼前から劇を見に行って夜まで戻らない予定だったから、用があれば宿に伝言を残してもらったのだが、その件数も高が知れていたし、今日はたった一人、弟子にしてほしいという暑苦しい青年が来ただけだった。 その弟子願望の小僧は東国語しか話せなかったので、最初はフィルが通訳した。だが、エオルゼアへの渡航、その先での暮らしの立て方、共用語がある程度話せること、そういった前提の課題がクリアできるならいつでもエオルゼアに来て裁縫師ギルドに入門なさいと言われ、 「そこをなんとか直弟子に」 「エオルゼアに帰るときついでに私も連れて行ってくれれば」 「その"ぎるど"とやらに住み込みで」 「言葉はお互いに覚えていけば」 訳して伝えるのも馬鹿らしく、一通り言うだけ言わせてつまみ出した。息巻いたのは一瞬で、 「てめえの面倒一つ見る気もねえクソガキなんぞお呼びじゃねえんだよ」 フィルに睨みつけられると、これまた一瞬で真っ青になって逃げて行った。
その後で言っていたことを聞かせると、厳しいところもあるが基本的には人のいいローズでも、げんなりした顔で溜め息をついた。 「熱意は買えなくもないけど、それと引き換えに寄生虫飼うのは勘弁だわ」 「俺がいて良かったな」 なにげなくフィルが言った途端、ローズは大きく頷いた。 「ほんっとそうよ」 その言い方にえらく力が入っていたので、つい怪訝な顔になる。 「押しかけてくる人が減ったのって、半分はフィルちゃんが後ろで睨んでたからだと思うわよ?」 客が減った最大の理由は、適当な申し出は却下されると知れたからだろう。ローズが聞く耳を持つのは、ファッション界のためになる話、今回の旅行の目的である自分の勉強に役立つもの、そのどちらかだ。誰か一人の懐を豊かにするための商売になど興味はない。 だから、東西のファッションを交流させ新しい潮流をうちの店から生み出していきたいのだと語ったダイテン屋とは、今日の午後にゆっくりと会う約束をしている。
そのダイテン屋との約束は14時なので、それまでは街歩きとなった。 とはいえ、多くの服飾関係者に(伝聞も含めて)知られてしまった今、初日(正確には二日目だが)のように"ただの外国人客"として扱ってはもらえない。 ある意味それは名実ある者の特権で、店頭にないものを出してきて見せてくれたりといった恩恵はある。平等ではないが、金額だけではない価値のある布を「高いならいいものだろう」くらいで買われたくない、分かる人にだけ買ってほしいということはあるだろう。また、半年置いておいて売れなかった高額品を、これ以上店先にさらしておいて劣化させたくないから下げたといった商店側の事情もある。そういう中で、この人なら興味を持ってくれるのではないかと判断されるのは、ローズが築き上げてきた実績に対する特権だ。
だが、今まさに接客中の客を放り出してこちらに来るのは不愉快でしかないらしく、楽しげだった顔が曇る。 世の中には、一般の客ごときより俺のほうが大事だと言う者もいるので、それを恐れて飛んできたくなる気持ちは分かる。だが、 「そちらのお嬢さんとのお話が終わるまで待ってますから」 そう言っているのに、わざわざ奥から奉公人を呼び出す。ローズに向けていた愛想笑いとは打って変わった横柄な様子で、慌てて出てきた青年に指示する態度もぞんざいだ。 言葉は分からなくても、態度は見ていれば分かる。だが自分の息がかかった店でないとなると、上から「もっと客も店員も大事にしなさい」とは言いがたいようだ。このへんローズは、争いごとを嫌う典型的なローエンガルデである。 「あの嬢ちゃんに、あんたが接客しちまえばいいだろ」 フィルが耳元で囁くと、ぱっと目が輝いた。
ローズ・マジック。 垢抜けない田舎娘が、着物はそのままに小物と髪型のアレンジだけで、野暮地味ダサ子から渋好みの小粋なレディに変わる。 それでいて、オシャレに目覚めた者がやりがちな、そして取り返しのつかない失敗である過度の贅沢、中毒にならないように、自分にできる範囲で工夫する大切さと楽しみもさりげなく伝えている。 現にその娘の予算はこの店で高い着物を買えば一枚で使い果たすようなものだったが、ローズのおかげで見違えるようになりながらも、手元にはまだ半分以上残っていた。 「ごめんなさいね。まずはこのコーデに合うアクセを見に行ってしまいたいの。必要なものができれば、また寄らせていただきますから」 ローズがそう言い、娘を促して出ようとする。その背中に、 「ふん。汚い男女が」 吐き捨てる東国語が飛んだのを、戸口まで出ていたローズたちにはそもそも聞こえなかっただろうが、フィルの耳には届いた。
自分のことであれば引き返して「今なんて言った」とでも睨みつけ、軽い失言でも命を脅かされることはあるとくらい思い知らせておくが、今はローズが絡む。自分のしたことがそのまま自分のしたこととして広まるならともかく、ローズのしたことに変換されると面倒だ。 実のところ今朝の一件も、伝えてローズになにか言わせるほうがゴネたときに面倒かと勝手にやってしまったが、短気だったかもしれんと反省はしているのだ。 (……まあ、いつもああいう態度なら、自然に廃れるか) たぶんローズがここに戻って商品を探すこともないだろう。 農村からクガネ見物に来たという娘のことは、前に立ち寄って感じの良かった小間物屋の母娘に預けた。 小さな店で高級なものは扱っていないが、あれこれ聞いても嫌な顔一つしなかった。それどころか、外国のお客様ならうちよりもこの店とこの店のほうがいいかもしれない、とまで教えてくれた。その結果あの呉服屋は一人の客を逃し、この小間物屋が得たことになる。 出て行く間際振り返ると、妹の初めてのおしゃれを手伝う姉といった様子で、ミコッテの娘が楽しそうに何枚かの櫛を取り出して並べ見せていた。
ローズがダイテン屋と会談している間、フィルは暇だ。買い物の荷物もダイテン屋が預かってくれたし、例によってローズは小遣いをくれたしで、ぶらりと街に出る。 そして目についた大衆飲み屋に入ると、今朝押しかけてきたミッドランダーの小僧が、唾を吐き散らす勢いでがなり立てているのが見えた。 俺の才能も見抜けないボンクラだとか、こっちは丁寧に頼んでいるのにどうだこうだとか。聞いているほうはうんざりした様子で相手にしていないようだったが、フィルはそのテーブルまで行くと後ろの樽(腰掛け)を一つ片手で掴んでその一隅に据え、腰を下ろした。 「で、なんだ? 続きは?」 言った途端に逃げていく。 テーブルからどっと笑い声が上がった。
「あんたがあいつの言う、”化物みたいなルガ公”さんか」 面白そうに笑いながら、どうやら彼等は、あの小僧の言うことなど最初から本気にしていなかったらしい。 「一つ法則があるんや。あいつがいい言うもんは悪い」 「で、悪いって言うモンはいいっていうな。俺らが白けてたって気付かねぇで、自分では仲間だと思ってるような野郎だよ。心配しなくたって、あいつの言うこと真に受ける奴なんてここにゃいねぇさ」 「そ。で、あいつがあんたたちをさんざん悪く言ったってことは、あんたたちは超いい人だってこと」 せっかくこのテーブルに来たんだから一緒に飲もうと、フィルは二回り近く年下の連中に囲まれて、わいわい飲み始めた。
彼等はそれぞれ、左官、指物師、漁師といった職人で、20代も前半から半ば。だが近所に生まれて幼馴染みとして育った仲間だった。 朝の早い漁師と、仕事が昼で終わればあとは暇な職人が、いくばくかの小遣い銭で安く飲めて楽しめる店。それがここらしい。たしかに安いがその割に量も多いし美味い。腹をすかせた男連中が集うには丁度いい。 仕事が引ければなんとなく立ち寄って、同じく暇になった連中とだらだら日暮れくらいまでは飲みながら喋る。飯を目当てに来る客が増える頃には家に帰って、夜は夜で内職の手伝いをするのが彼等の暮らしだ。 聞く限り皆、どちらかと言えばやや貧乏人である。派手で華やかな商業の町とはあまり縁がない。だからローズのこともまるっきり知らなかったし興味もなく、彼とフィルのことはあの勘違いしたデザイナーもどきから初めて聞いたとのことだ。 そういう場所のほうが、フィルにはずっと過ごしやすい。なにより、自分が戦う力を武器に生きてきたろくでなしだと自覚しているだけに、ささやかでも地に足の着いた世界で、せっせと生きている若い連中のことは好きだった。 大工の仕事、左官の仕事、指物師という仕事、漁師の毎日。そんな話も面白いし、彼等の成功談失敗談も飽きずに聞いていられる。 そんな中でふと思い出したように 「そういやフィルさん、あんたはそのローズさんって人の護衛なんだろ? 護衛って、それだけじゃ仕事にならないよな?」 フィルのことに話が向いた。
そもそもは冒険者、傭兵だ。ローズと共に来たのは、自分がたまたま10年前、傭兵稼業の流れでクガネに滞在したことがあったためだ。そう教えると、 「10年前って、ほんならあんた、もしかして、あの火月の乱で戦っとったんか」 西国なまりの左官、アウラ・レンが目を見開いた。 「わいの伯父さんも傭兵やってん。……帰ってけぇへんかったけどな。一緒に行った人から、むごい戦いやったって聞いた」 「伯父さんの名前は」 「エンライ。なんか知っとるんか? 知っとるんやったら……」 「いや。すまん。聞いたことがない。たぶん別の部隊だ」 「そっか。そんならしゃーないなぁ。せやけど、伯父さんと同じとこで戦ったお人や。ガキが偉そうにと思うかもしれへんけど、一杯奢らせてくれへんか」 そんなことから急速に親近感を抱かれて、昔からの兄貴分のように扱われ始めた。
そうなるとフィルは単純なので、弟分のように思えてくるから他愛ない。 だがそのおかげで、今のクガネの忌憚のない話が次から次へと聞けた。良い店、悪い店、有名な人、街の噂、仕事の状況、彼等が気にする範囲ではあるが政治のこと、そして街の治安だ。 「そういやそのキリトリゴウトウってのはなんなんだ」 フィルが問うと、 「キリトリじゃなくって、キリドリだよ」 他の三人よりも学問が得意らしい通訳志望のミコッテが、分かりやすくはきはきした東国語で大昔の辻斬り強盗のことから教えてくれた。 人を切って取るキリドリ。そして強いて盗むゴウトウ。それを合わせてキリドリ・ゴウトウだったのが、今は一つになって切取強盗。それが意味するのは、フィルが思ったような袂や財布の紐を切ることではなく、人を切りつけることだった。 これまでに何人も被害に遭っている。その相手や場所、時間は様々で、赤誠隊は巡回強化しているが人手が足りていない。相手は一人、襲われた人の話では中肉中背らしいから、体格に特徴のあるララフェルやルガディン、アウラ、エレゼンでないのは確かだが、それ以外のことははっきりしなかった。 腕っ節の強いのが、とっ捕まえてやると自主的に見回りをしているが、自分たちは万一を思うと素直に夜には家に篭っている―――。
「実はよ、こないだやられたのはセン公でな」 忌々しげにゼーヴォルフの青年が顔を歪める。 幼馴染で、少し年下の19歳。まだまだ見習いの大工だが、真面目に熱心に働いているおかげで親方や先輩たちからも可愛がられている。本人も、母親を養うため少しでも早く一人前になりたいとがんばっていて、こういうだらだらした飲み会に付き合って無駄遣いすることもないが、彼には同じ長家に住む昔っからの可愛い弟分だ。 難点は気が弱く人に逆らえないこと。そのせいで一昨日の晩、普請先の無駄話から逃れることができず、帰りが遅くなった。途中までは仲間と連れ立って帰ったし、一人で歩くのはほんの一町程度。たったそれだけの道のりで賊になど合うまいと思ったのが間違いだった。 「ひでぇ話だぜ。思いっきり右腕を切られてよ。あれじゃ当分働けねぇ。おふくろさんは外に出るのも難しいし……」 「シナト。なんでそれを早よわいらに言わんのや。これ、センちゃんに渡したって。いくらかの足しにはなるやろ」 「くそ。悪い。俺は持ちあわせがないや。言ってくれりゃ少ししらい持ってきたんだぜ!? 水臭いだろ」 「おまえら……」 テーブルの上にばらばらと小銭が置かれる。職人で、まだ見習い、半人前といった彼等にとっては、軽くは出せない自分の小遣い、食費だろう。
この後飲む金があるなら、今日はそれを見舞金にしよう。話はそうまとまって、 「兄さん、悪ィけど俺ら、セン公の見舞いに行ってくる」 シナトというゼーヴォルフが立つのに、 「これも縁だ。俺もついていっていいか?」 フィルが言うと、すこしばかり不思議そうな顔はされたが、断られはしなかった。 話でなんとなく分かったが、セン公、センちゃん、センタの住む長屋は町のはずれにあった。おんぼろとは言わないまでも貧乏すれすれの者が住むような場所だ。どこもかしこも、せいぜい手入れをして掃除をしても、薄汚い印象は拭えない。その一隅にセンタ親子は暮らしていた。 見習い大工のセンタは、ほとんど盲目に近い母親と、働き手になるには幼い妹を養っていた。妹は、腕を怪我して働けない兄の代わりに少しでも稼ごうと、今日は朝からずっと近所の縫い物をしていたらしい。 センタはハイランダーの青年で、肉体労働で鍛えられたがっしりとした体をしていたが、その右上腕は包帯で厚く巻かれていた。 口々に見舞いを述べ、容体を案じ、少しでも暮らしの支えにしてくれと自分たちに出せるだけの見舞金を出す。遠慮していては母を養ってもいけないと思うのか、センタは涙目でそれを拝むようにして受け取った。
ところで謎なのは、友人たちについてきた大男だろう。漁師であるシナトも大柄だが、それを軽く頭半分は越える巨漢。しかもだいぶ年上の見知らぬ外国人。 飲み屋で意気投合して一緒に来たいと言ったから連れてきた。そう言われても、「なんで??」というのが正直なところで、どう挨拶していいのかも分からないような様子だ。ハイランダーの男はいかつい容貌のせいで年かさに見られやすいが、その眼差しはまだ二十歳前らしい子供っぽさも残っている。 「なに、俺にできることもあるかと思ってな。見せてみろ」 フィルが出した手の上に、センタは恐る恐るといった様子で腕を出す。 「あ、あんた、お医者か?」 「まさか。そう見えるかよ」 「見えないけど……」 「ただの傭兵だ。だが、戦地では衛生兵ってのも必要になるし、最低限の応急手当の知識くらいは要るもんでな」 「そ、そっか。あっ! でっ、でも、俺んちにはその、お礼に払える金なんて」 「ああ。分かってる」 分かってる、とフィルは答えた。
彼等は貧困寄りの暮らしだ。医者はどこでも高額で、気軽にかかれるのは中流以上。それ以下は昔ながらの民間療法や、自然治癒に頼るしかない。 そして厄介なのは結界だった。 どんな町にも大なり小なり魔法を封じる結界がある。エーテルの過剰共鳴や震動を低減し……という理屈はともかく、武器と違って魔法は所持していても一切目につかず、しかもその破壊力は広範囲に及ぶ。町中で使うのは武器を出す以上のご法度だ。だから当然、使えなくするための仕組みもある。 大都市では大掛かりな結界が構築できるため、破壊の呪術はもちろんのこと、癒やしのための幻術もほぼ封じられる。それでは不便な医療館や救護院だけが、”魔封じの結界を無効化するための結界”を張る許可を得て運営しているのだ。
だから、ヒーラーが町にいたとしても回復魔法は使えない。使うためには許可された結界のない場所に行かねばならず、そこに行けば医療行為はその場にいる者に委ねねばならない。 さもなければ結界のない街の外へ出て治療するかだが、治癒師の収入を守るため、それは営業妨害の一種と見なされた。 エーテル抑制無効化結界の展開、維持費用もあって、魔法も併用できる医者にかかると治療費はかなりの高額になる。 貧乏人がかかれるのは魔法を併用できない医術師だけで、長期的な病には意味があっても、物理的な損傷を短時間で治癒するのは無理だった。
だがその魔封じの結界も完全なものではない。結界の圧を上回る力でならば、強引に発動できる。 戦場でならばこの程度の傷、指一つ鳴らすくらいの他愛なさで治癒させられるものを、町中では白魔法に頼るしかない。しかも膨大な魔力と精神力を要するが―――切り傷程度は、跡形もなく治すことができるのだ。 「えっ……。……い、痛く、ない……」 ふう、とフィルは大きな息をつく。 「その腕で、おふくろさんと妹さんを養ってんだろ。親孝行の褒美に、これくらいのことはあってもいいさ。その代わり、内緒だぞ? あと何日かは休んで、知り合いには、こいつらが金を集めてくれて医者にかかれたって言っておけ。これは、俺からだ」 ローズから、軽く金銭価値が狂ったまま渡された多額の小遣い。それが真面目で健気な青年一家の数日分の食い扶持になるなら、ローズもむしろ喜んでくれるだろう。 「で、でも……」 「今までがんばってきたんだ。そのがんばりが報いられたっていいじゃねえか。立派な棟梁になったら、こいつらの家でも、少し安く建ててやれよ。な?」 センタは細い目に涙を溢れ返しながら、這いつくばるような勢いで頭を下げた。