スカラ迷宮 3
フィルさんとコトコさんの二人に、僕は簡単に自分の来歴を話した。 アラミゴの生まれであること。しかし政府高官だった祖父や父が、テオドリックの暴虐に巻き込まれないようにと僕をラザハンへ逃し、以来20年、一度も戻ったことはないということ。そして、家族が生きている見込みがないのもあって、アラミゴという土地に対しての愛惜はなく、帝国支配から解放されたというだけなら、おそらく来ることはなかっただろうこともだ。 にも関わらずここにいるのは、ただ学術調査のためだけではない。調査対象になったスカラ遺構に、祖父が「落とされたのかもしれない」と父が疑ったためだった。
「正確には、戻る気はないくせに気にはなるといった僕の背を、押した人がいました。そのかたがこの調査団のメンバーに僕を加えてくれたんです。そうと決まってからは、何も見つからない可能性はあるとしても、祖父の最期につながるなにかを探しに行くことが、家族のため、せめて僕にできることのような……。やる気になっていたのですが、結果はご覧のとおりです」 「で、でもっ、だったらさっきの人にお願いして……!」 「無駄です。彼はライブラリアンという一派に属していて、基本的に他国の人間を見下している。ラザハン出で、考古学にも博物学にも素人の僕を評価する可能性は、間違いなくゼロですよ」 ライブラリアン自体は、“知識の収集と蓄積"を旨にする学派に過ぎない。だが彼等はそれを"シャーレアン人である我々だけに"と限定する。野蛮で愚昧な人間に知識や知恵を与えても世界を良くすることはない、と。 ただの選民意識、屁理屈だ。だがそう考えるシャーレアン人は多く、ライブラリアンには一定の力がある。シャーレアンの意志決定機関である哲学者評議会ですら頭ごなしに押さえつけることはできないし、そもそも評議会の中にライブラリアンがけっこうな数混じっているのだからどうしようもない。
「知の守護者の、負の面というわけか」 フィルさんの表現に僕は頷いた。シャーレアンがかなり閉鎖的、排他的な都市であるのは事実だが、中には尊敬に値する立派な人も少なくない。彼等は知の最先端にいる者として、正の面を体現している。そういった真に知的な人であれば―――。 「しかしまあ、自業自得だな」 言ってフィルさんはにっと口の端を上げ、僕を見下ろす。 「シャーレアン人以外は役に立たないと決めつけてなければ、目の前の巨大な手がかりを見落とすこともなかった。トロイ。おまえさん、スカラについてかなり詳しく知ってるな?」 ―――真に知的な人間であれば、一顧だにせず切り捨てるものなど持たない。その中にどんな叡智があるかも知れないのだから。見たいものだけを見たいように見るなどという愚かなことはせず、偏見や先入観に囚われず多くのものに目を配るものだ。だからフィルさんは僕の反応を見落とさなかったのだろう。
僕は知っている。ラスティング・ドーンさんたちがこの一週間で調べ、“発見"したより多くのことを。 ラスティング・ドーンさんが、自分たちの調査能力をひけらかすように得々と語るのを聞いて、僕はいったいどういうことだと戸惑った。そんなことは周知の事実じゃないのか? なんでそんなことを、今の今まで誰も知らなかったように、発見したように話すのか。 だがすぐに理解した。僕は自分で思うよりはるかに希少な生き残りになってしまっているのだと。
スカラ遺構については、王宮内では秘密でもなんでもなかった。 スカラは第五星歴に存在した都市だが、戦争で滅んだ後、第六霊災によって起こった大洪水に飲まれ地中に埋没した。 深い渓谷の底を縫って大通りが走り、洞窟を掘り広げて市街地にし、岸壁に小さな家々を刻んで作る。そんな風変わりな建築様式は、当時このあたりは今より更に乾燥した熱帯気候だったためだ。日陰が多く大地が熱をコントロールしてくれる、地中に近い形のほうが過ごしやすかったのだろう。 内陸部にあり、乾燥した土地柄のため、スカラは高い治水・土木技術を持っていた。まず第一に、生活用水を確保し行き渡らせることが必要だった。そして第二に、谷底にあるという地形から、万一大雨などに見舞われるとあらゆる水が流れ込んでくる危険があった。彼等の技術力は現代以上で、彼等が残した水路が未だに使われている場所もある。 そのスカラも、霊災がもたらした大洪水には勝てなかった。遠い海から広大な陸地を越えて海水が押し寄せ、残った一部が干上がって濃縮していったのが今の塩湖地帯だと言われている。スカラもその水の中に沈み、だが、消えはしなかった。
遺構を見つけたアラミゴ王は、それが王宮の真下にまで広がり、しかもかなりの深度にあることから、埋め立てたりあるいは発掘するよりも、そのまま利用することにした。使い道など限られていて、一つは秘密の宝物庫。そしてもう一つは、 「罪人を落とす処刑穴です」 社会的な罪人は、堂々と裁けばいい。だが都合の悪い人間をひそかに消したい場合には、誰も知らない場所、そしてそうそう出入りができず、あわよくば自分たちの目に触れない場所で監禁、あるいは殺すのが適している。スカラ遺構は、誰かを地上から消し去って"行方知れず"にするにはもってこいだった。
そのことは王族、そして政府中枢の人間にとっては秘密でもなんでもなかった。一般市民にこそ秘されていても、アラミゴという国の暗部、政治の一部として、彼等はそれを利用する立場にいた。 僕は小さい頃からそういうことを教えられて育った。いずれ背負わねばならないものであり、政というものは綺麗事だけでは成り立たないからこそ、私利私欲や感情で物事を決めてはいけないのだと。子供に聞かせるにはダークでダーティな内容だ。だが僕の家だけが特殊だったとは思わない。同じ覚悟で後継者を育てようとした家はあるはずだ。つまりその時点では、それなりに多くの官僚やその後継者たちが、スカラ遺構について知っていたはずだと言える。
だが25年前、テオドリックは暴走を始め、気に入らない連中、自分のすることを非難し否定する連中を片っ端から殺すようになった。これでまず、多くの善良で勇敢な官僚や側近、親族たちが殺された。 そして、革命軍によって排される前の数年は、王位を狙われていると疑心暗鬼になり、継承権のある王族をも次々と処刑していったという。これでまた詳しい歴史を受け継ぐ人間たちが消えた。 そしてテオドリックが倒されたとき、彼に従うことで生き延びていた官僚たちもまた、同罪として処刑された。 その結果、スカラについて知る王族も官僚も、ともするとその家族親族も、ことごとくこの世から消えてしまったのだ。
先見の明のある人であれば、妻子を遠方に預けたりしただろうから、スカラについて知る人間はゼロではない。だがそういった者たちは今、まだ誰もアラミゴに戻っていない。だからラスティング・ドーンさんたちは、僕が最初から知っていることをわざわざ調べ、“発見"しなればならなかった。 スカラ遺構というものが地下にあること自体は民衆も知っていることだとしても、それがどれくらいの規模で、いつの時代のもので、どういった経緯を経て地中に沈んだのか、そして何のために使われていたか。そこに王族が出入りしていたとすれば、入り口はどのあたりにありそうか。宝物庫として使われていたというのがもし事実だとすれば、帝国軍によって既に入り口は発見、徴集されているのではないか。 それらを調べ、いくらかの情報を得るために彼等は一週間費やした。たった一週間で調べあげた内容としては、さすがと言えるほどの質量だ。だが、 「僕は父や祖父から聞いただけで、この目で見たわけでも入ったわけでもありませんから、その点では彼等と大差はありませんが……」 ラスティング・ドーンさんが披露する内容の9割は僕にとって既知のことで、この人はいったい何を言ってるんだと面食らったのだ。 そしてフィルさんは、僕のその反応を見落とさなかった。 「来る道で聞いたスカラの話は、おまえさんの口ぶりじゃ、“ちょっとアラミゴに関心があれば誰でも知ってること"だった。だからてっきり、現地についたらさっそく遺構に入るもんだと思ったんだがな。それを仰々しく調査結果だなんぞと勿体ぶられれば、いったいどういうことだと思うさ」 案外人が悪いのか、フィルさんは面白そうに笑った。
「それでトロイ。諦めるのか?」 問われて僕は考える。コトコさんと二人だけでは、スカラに入るのは諦めるしかなかった。スカラは僕が思っていたよりはるかに危険だったからだ。 ラスティング・ドーンさんが調べたことの中で、たった一つ僕が知らなかったこと。それは、王位簒奪を恐れたテオドリックが、近親者も含めた王族を処刑した際の詳細だ。ただ殺すだけでなくあの狂人は、人間を魔術で怪物に変えて地下に放ち、宝物庫の番人も兼ねさせたという。今のスカラにはその怪物たちが徘徊しているらしいのだ。 ラスティング・ドーンさんたちは入り口すらまだ見つけられず、怪物を実際に見たわけではない。そして僕はテオドリック王を見たこともないのだが、伝え聞くだけでもあの王ならやりそうだと思えた。確実性はなくとも、その可能性は低くないと見て、警戒するに値した。 だから賢者としてはまだまだな僕と、Dランクになってそう間がないというコトコさんだけでは危険すぎて、諦めるのが賢明だった。だがAランクのタンクがいるなら話は別だ。 「フィルさんが加わってくれるのであれば、遺構の探索自体はできるでしょう。ただ、それでも問題はあります」 それは、どうやって遺構に入るかだった。
僕が知っているスカラ遺構への入り口は、まずロッホ・セル湖底。 「……湖?」 「はい。王宮の足元辺りに、中へ通じる洞窟があるはずです」 「聞くまでもないとは思うが、船では行けないよな?」 「潜水することになりますね」 「どれくらいだ?」 「すぐ上までは船で行ったとして、……盗賊の残した手記ですから全体的な信頼性は乏しいのですが、『息継ぎ用の袋』が1つでは足りず半数が死んだという記述は事実だと思います」 「よし、俺には無理だ。というか潜水の達人ででもなきゃ無理だろうそこは」 「鎧を着て潜るとなると尚更でしょうし、湖底のルートを使うなら潜水艇の確保は必須ですね」 「そのアテは?」 「ありません」 こうして一つ潰れると、問題は、他の出入り口は王宮内部にあるということだった。
外からのルートならば、“言われたとおり"外部を調査していたら謎の洞窟を発見したので入ってみた、とくらいは言い訳できる。過ちをおかすとしても、偶然に誘発された気の迷いだ。 だが王宮内のルートになると、当然ながら警備がいて、忍び込まざるをえない。その抜け道も僕はいくつか知っているとはいえ、明らかな不法侵入だ。ラスティング・ドーンさんの指示も破るつもりで破ったことになる。 僕自身は、祖父について調べたかったという理由がある。どこまで通じるかは別として、同情や理解、情状酌量の余地はないわけではない。それに、僕の不名誉は僕個人のもので誰にも迷惑はかけないし、シャーレアンから追い出されるとしても構いはしない。あの国の高度な知識や技術は魅力だが、目の見えない義父を義母だけに任せて留学しているのは、それが義父の勧めたこととは言え心苦しいのだ。 だがフィルさんとコトコさんにとっては、探究心や向学心以外に特に理由はない。それで王宮への不法侵入となれば、さすがに「外野のさえずり」では済まないだろう。僕に懇願されて断りきれなかったと言い訳したところで、犯罪は犯罪だ。冒険者全体の評判を落とすことになりうるし、下手をすれば国際問題になる。
「もう少し外に繋がる道があるかと思ったが、甘かったかな」 顎鬚をこするようにしてフィルさんが唸る。 「王宮の下に遺跡があることなら、侍従や衛兵たちも知っていたくらいですから、一般市民でも聞いたことのある人はそれなりにいます。当然、盗賊や盗掘者、あるいは暗殺者が王宮に入るため、ルートを探したことなど何度でもあったでしょう。ロッホ・セル湖の洞窟も、彼等が発見したものだと言われているくらいです。長い年月の間、それなりに探索されて今に至るのですから」 「今更別の道を探しても、見つかる見込みはまずない、か」 「はい。それに、容易に行き来のできる道があれば、怪物にされ遺構に落とされたという王族が、地上に出てしまう可能性もあります。テオドリックは正気とは言えない暴君でしたが、馬鹿ではありませんでした。もしそういう抜け道があったとしたら、必ず塞いだはずです」
結局その日は、いくつかの可能性や候補を挙げては却下し、八方塞がりだということを確かめて終わった。 残念には違いないが、大きな落胆はしていない。 何がなんでも、どうしてもというわけではないのだ。もし祖父の遺骨でも見つかるなら、一片でもいい持ち帰って葬いたいとは思う。だが何もないかもしれないのに無茶をするほどの妄執はない。それにもし、何かあると分かっていたとしても、だ。僕が法をおかし、社会的な危険を顧みず行動することを、あの祖父が望むわけがなかった。 忙しい祖父が家に戻ってくるのは一週間に一日もなく、共に過ごした時間は本当に短い。だが僕の知っている祖父は決して、馬鹿なことなどしないしさせない人だった。 僕が無茶をするのでさえ、自分の骨にそんな価値はない、ましてやあるかどうかも分からないものをと呆れ叱るだろう。ただの哀惜や感傷と、学術都市での研鑽を続けることで得られる僕の人生の成果、どちらに価値があると思うのか、そんなことも分からないのかと怒るに決まっている。ましてやそれに他人を巻き込んだりしたら……。 祖父は、そういう人だった。
だが何故かフィルさんに手詰まりの様子はなく、続きは明日にしようと言ったときも、まだ何か考えがあるようだった。 コトコさんはもっぱら聞き役だが、彼女も不思議と行き詰ったとは思っていない様子だ。フィルさんが諦めない限り、彼女の頭にも諦めるという考えは出てこないのだろう。その信頼を僕は、単なる恋心、それが生み出すものだと思っていた。
「よし、許可が取れたぞ」 翌日の昼前だ。 朝から形ばかりの周辺調査をしていると、不滅隊の兵士が来てフィルさんを呼んだ。彼女と二言三言話したフィルさんは、戻ってくるなりそう言った。何かと思えば、王宮に立ち入る許可だった。 思わず僕は「は?」と言いかけた。 「許可って、いや、そんなに簡単に取れるものでは……」 ないはずだ。そう思ったとしても、それは決して僕の世間が狭いからではないと思う。ただ世の中にはやはり、僕が考えうる外を容易く行き来する人種というのがいるらしい。 「ラウバーン局長にわけを伝えてみたらな。さすが器がデカい」 フィルさんはあっさりそう言った。
いやいやいやいや、普通ありえない。ウルダハの国軍、不滅隊のトップに直談判? それで一日どころか半日も待たされず許可が降りるなんていうのは……ありえない。普通は。 だがフィルさんは、昔ウルダハの闘技場で剣闘士として戦ったことがあり、その縁でまるきり知らない相手でもないのだと言った。 不滅隊に親しくしている人がいて、アラミゴに来ているのは知っていた。だからその人に頼んでラウバーンさんに事情を伝えてもらった。アラミゴ出身でありこの解放戦争において指揮官も務めたラウバーンさんの発言力と信頼度は絶大で、まさに鶴の一声、通してやれとたった一言で王城の門が開いたのだ。 満面の笑顔になっているコトコさんの気がダンスしているようなのはさておいて、どうやら引いたアタリは特大だったらしいと、僕は喜ぶより呆気に取られていた。
フィルさんよりまだ20近くは上に見える、老人と言っていいミコッテの軍人が、王宮前で出迎えてくれた。かなりの歳だがまだ背筋もまっすぐにのび、ミコッテ族にしては体格のがっしりした老人だ。どうやら彼が、ラウバーンさんへの橋渡しを頼んだ相手らしい。 調査団のリーダーとの確執については話してあるようで、彼等と鉢合わせることがないよう、調査団の簡単な予定、報告を受けている計画についても教えられた。 彼等はまだスカラへの入り口を発見できておらず、昼食後に王宮内の探索を開始するらしい。
「さて、どこへ向かう」 フィルさんが言う。今日はもうスカラに入ることを前提に、彼は年季の入った鎧に身を包んでいた。コトコさんも皮鎧で、肩下まである髪も結い上げてまとめている。双剣士ならば身軽さが身上だろうが、それにしても軽装で、防御力は心もとなく見えた。 気にはなったが、考えるのはやめた。時間を無駄にはできない。いくら不滅隊局長の許可があると言っても、それはあくまで王宮に立ち入る許可だ。スカラの調査はシャーレアンに依頼されている以上、いかにラウバーンさんでも横槍は入れられない。僕たちは自分たち自身のため、そして便宜をはかってくれた不滅隊の人たちのため、極力ラスティング・ドーンさんたちに見つかるわけにはいかなかった。……いや。頭の切れる人だから、いずれ気付かれるのは分かりきっている。それを少しでも遅らせて、そして駆け引きの余地は多く残す。勝てないまでも大負けしないようにしなければならなかった。
まずは彼等に知られないうちに入り、出なければならない。 探索の始点はもう決めてあった。 見回りのふりをした不滅隊員に先行してもらい、連絡を取りながら地階を西へと進む。 僕が知っているスカラの入り口は三つある。 一つはロッホ・セル湖底で、数分間息を止める技術があるのでないなら、潜水艇が必要だろう。 それから二つ目が、後宮、と言ってもハーレムではなく王族の居住区画だが、その奥にある。スカラ遺構の比較的浅い場所に通じる道で、骨董趣味のあった先王テオドールが世界各地から取り寄せた骨董品や、有名な絵画、遺物などが収められているはずだ。 僕は不滅隊の協力者に、ラスティング・ドーンさんをそちらへ誘導してくれるよう頼んでおいた。彼等はそこで、魔法によって隠された宝物庫を発見する。魔法が使えず、その痕跡を感知することもできない帝国人が発見できなかったとしても無理のない、秘密の宝物庫だ。そこが「怪物化した王族に守られている」場所でないことはすぐに分かるだろうが、だとしてもスカラ遺構の一部であり大発見には変わりなく、しばらくはかかりきりになるだろう。 だが本命は―――僕の目当てである祖父の終の地、そして「スカラ遺構に秘蔵された王族の財宝」の大部分は、地下監獄の下に広がる大遺構にあった。
僕はすべて、話で聞いたり、本で読んだりしただけで、実物を見るのはフィルさん、コトコさん、それに同行してきた不滅隊員と同じく初めてだ。自分で経験していない物事を信頼するのは危険だが、多数の情報から多角的に検討した内容は、高い精度で"事実"を導き出す。 罪人を収監する監獄の、しかし監房区画に入り口はないと、僕は見ていた。スカラに落として人知れず始末するために、囚人のいる場所を通るわけはないからだ。 監獄内を手分けして調べると、監視用の裏通路が見つかった。監房より半階ほど高い位置に作られ、空気孔から監房内を隅々まで見られるようになっている。この監房と監視路は帝国軍も利用していたようで、どちらにもまだエーテルの残滓が視える。 監視用通路の突き当りは小部屋になっていた。事務的な机や椅子、棚だけがある地味な室内だが、右手の壁の一部が、複雑にエーテルの絡みあう魔法紋に覆われていた。
大したものだと思う。強力な魔法ほど大量の、そして高濃度のエーテルを必要とするが、これは紋様そのものに力を与えることでエーテルの極端な節約に成功している。僕の目にはうっすらと視えるが、これではよほど高位の魔術師でないかぎり、感知することもできないだろう。物質しか見えない目にとっては、変哲もないただの壁だ。 だが勘の鋭い人間はそれに気付くこともある。 「んん……?」 コトコさんが困り顔にも見える眉を寄せた顔で、その壁を覗き込むようにした。 「どうした」 「んー……なんにもないですよねぇ」 たとえ一瞬でも、なにかあるような気がする、と感じただけでも大したものだ。 勘とは決して当てずっぽうや思いつきではない。蓄積した情報から事実を導き出すのと同じだ。空気感や匂い、色味、過去に経験した類似の出来事や風景、そういったあらゆる情報を無意識に総合して、なにかが起こる、なにかあると感じる。それが本物の"勘"だ。 危険や異変を察知する能力は、生存の役に立つ。もちろん、これから先の探索にもだ。頼もしく思いながら、しかし彼等が行き止まりの部屋を見回すのをいつまでも見てはいられない。さっさと扉を開けてしまおうと、僕は思った。
が、 「ふむ。フレア」 壁の前で腕組みしていたフィルさんが口にしたのは、名前だろうか。分からない。途端僕は、フィルさんの傍に突然現れたすさまじい緋色の光源に当てられて、反射的に目を閉じ顔を背けてしまった。 「どうした、トロイ」 それはたぶん、普通の人にはなんでもない、何も起こっていない、大したことではないことだったのだろう。だが僕には、熱のない小さな太陽がすぐそこにあるのと変わらない。目を閉じていれば平気だが、薄目でも開けようものなら視界が緋色に染まる。背中を向けて自分の体で光を遮ってやっと、どうにか目を開けられた。 なにが起こったのかも分からないのでは、できる誤魔化しも限られている。僕はとっさに 「すみません。僕は少し、光に対して過敏なところがあるんです。目を慣らせばいいだけなので、日常に支障はないのですが、その赤い……どうやら僕の苦手な色みたいで」 真実に近いほど、嘘は無理がなく自然になる。「人とは少し違う目をしている」というのは本当で、今の僕のおかしな反応に対して説得力があったようだ。 「そっ、そうか。そりゃすまんことをした。すぐ還す。少しだけ待ってくれ」 慌てたフィルさんの声がして間もなく、緋色の小太陽は消えた。
フェアリーだと聞いて、僕は納得すると同時にまた驚いた。いったい僕はここに来て、何度驚かされただろう。 フェアリーというのは、古代ニームの軍学者が使役していたというエーテル体だ。しかし僕がこれまでに出会った三人の"学者"が召喚したフェアリーは、こんな強く濃いエーテルで作られてはいなかった。 正式になんと言うのかは知らないが、僕が呼ぶならそれはアーティフィシャル・フェアリーだろう。ニーム時代に生み出された本物のフェアリーを模して再現したものだ。 模造品に過ぎないそれらは、物質的な形こそ小人のようだったり鳥のようだったりしたが、エーテル体としては幾何学的だった。論理的、合理的、効率的に構築されていて、僕にとってはエーテルでできた器械のようだった。 だがフィルさんが召喚したものは、そんな理屈や小手先の技術を越えた、もっと自然で複雑で、かつ強力なものだ。それこそ電球と小太陽ほどの差があった。 フィルさんが「フレア」と呼んだそのフェアリーは、出現した瞬間に、自分と同質の存在を看破したのだろう。そして彼女(?)自身のエーテル放射によって、僕が視ていたのと同じ魔法紋を壁の上にくっきりと浮かび上がらせていた。
「ええ、と……。フィルさんは、剣術士では?」 「ん? まあ、いろいろ縁があってな。それより、先を急ごう。この形なら……たぶん、ここだな」 緋色に焼きあげられた魔法紋の一部をいじり、フィルさんは呆気無く幻惑魔法を解除した。アラグの召喚士に似て、術式による効率化と強化を行う軍学者には、魔法紋の扱いはお手の物らしい。 とはいえ施錠術式の解除ができるほど魔法学に詳しいわけではなく、そこは僕が担当した。……コトコさんは、僕のすることには素直に感心してくれるのだが、フィルさんのすることについては気がバーストするほど華やかになるのは、素直でいいと言っておこう。
ともあれ、とうとうスカラへの道は開いた。 隠された小部屋の奥は、見るのもおぞましい拷問室。床の色が大半変色しているのは、流された血や汚物のためだろう。置かれている諸々の道具は、自白を促すためというより楽しむためのものだ。中には一つ、人の皮とおぼしきものが垂れ下がったままになっている吊り鈎もあった。 ただでさえろくでもない場所だ。しかもここに電灯は引いてなく、携帯ランタンの明かりに揺れる拷問具なんて僕が見てもぞっとする。コトコさんがフィルさんの影に隠れるようになるのも無理はない。 そんな部屋の一隅に大きな落とし戸があり、持ち上げた下に白茶けた空洞が広がっていた。発光植物によって照らされた巨大な洞窟と遺跡。これがスカラ遺構だ。
見下ろすと、穴の真下には無数の人骨が散らばっている。単純にここから突き落として殺した人間もかなりいるようだ。高さは現代の建造物でも5階分ほどはあり、落とされればまず命はないし、かりに生きていたとしても、いずれ失血か飢えで死んだだろう。 そして部屋の一面に設えられた鉄扉を押し開けると、下へと続く階段が現れた。人が通るだけならこれほどの大きさはいらない。ここから宝物を運びこんでいたのだろう。 「お、お気をつけて」 ここまで同行してくれた不滅隊員が、ウルダハ式の敬礼をして見送ってくれる。ララフェルである彼女を見下ろしたとき、部屋の隅の暗がりに転がるものが目に入った。それは、ほんの赤ん坊の……ともするとそれ以下のものと思われる、小さな頭蓋骨だった。