スカラ迷宮 8
少しだけ目を開けて、なにか見たかどうかも分からないうちにまたすぐ意識をなくす。それを何度も繰り返し、ようやくそこに人がいてそれが誰か分かる程度になっても、「ああフィルさんだ」と思った後にはまた闇の中。知らない女性。それから、ジンジャーさん。これもやはり「ジンジャーさんだ」と思ったくらいでまた落ちて。 ようやく少しだけ、何かをちゃんと見、何かを考えられるようになったのは五日後だった。 その間僕はずっと、ほんの僅かな覚醒を時折繰り返すだけの昏睡状態で、三人の特級ヒーラーが交代交代、付きっ切りでエーテルを送り続けてくれたらしい。 僕がどうにか「目覚めた」と言える状態になったときそこにいたのは、天女のように美しいエレゼンの女性だった。白いローブに淡い金色の髪。白磁のような肌。僕に気付くと、落ち着きのあるアルトでじっとしているように言った。 それから彼女はリンクパールで誰かに僕の覚醒を告げ、やがて入ってきたのはジンジャーさんとミスティさんだった。二人を見ても特に何も思わなかったのは、驚く力も考える力も、まだ戻っていなかったからに過ぎない。ただぼんやり見上げているうちにまた眠くなり、それきりだ。
僕は重度のエーテル欠乏に陥っていた。 生物は、エーテルで動く水車のようなものだ。エーテルによって水車を回し動力を得る。その動力はエーテルを巡らせ流すことそのものにも、水車自体の維持にも用いられる。人の活力や元気、あるいは闘気、魔力といったものは、水車(生命)の維持や輪転には使われない、余剰のエネルギーと言える。 僕のしたことは、その余剰分だけでなく水車を回すためのエーテルまで大量に持ち出して、別の目的に使うことだった。 それでも限度の範囲内なら問題はなかった。許容量を越えた力を加えられ、無理に動かされる体は傷むし、水車の回転は弱まり生み出すエーテル量は少なくなる。けれど戦いが終わったら、安静にして、いくらかの分与エーテル、つまり回復魔法をもらえば元に戻る。 医師としてモンクとして、限度の在り処を極力正確に見極めてしたぎりぎりの無茶だから、それ以上は危険だと分かっていた。なのに僕はやってしまった。二度目の三極は、絶対にやるべきでないことだった。それを何故と尋ねられても、分からない。
なんにせよそれで僕の体は限度を越えて酷使され、生命力を生み出し保つ機能も極端に低下し、止まる寸前だった。 フィルさんいわく、駆けつけたとき、見た目には僕はただ、ぼんやりを天井を見上げながら転がっているだけのようだったそうだ。呼びかけても反応がなく、さてどうしようかと思ったとき、彼のフェアリーが突然、指示もしていないのに強化状態に転身し、僕につながった。周囲の環境エーテルを取り込むと同時に生命エーテルに変換して僕に送り込む。それを見てフィルさんは、僕の状態が見た目以上に危険らしいと気付いた。 撫でるどころか触れただけで、触れた場所の毛細血管が破裂して内出血が広がったというから、砂になった獣人像とほとんど変わらないくらいまで壊れかけた、脆い状態だ。それで仕方なく、僕の左手が原型をとどめていないのは承知で、形を保てるようになるまではそのまま回復させるしかなかった。
そんな僕を運び出そうとしたら、フィルさんが抱えるのでさえ大丈夫なのかと躊躇う。無論、入ってきたときのようにこっそり裏口から出るため、コトコさんが運ぶなんていうのは不可能だ。こうなったら、僕に関しては勝手に入ってきたと露見するのは諦めて、多少壊れても仕方ないからとにかく早く外に出ようとなった。 そこへ幸い、同盟軍と解放軍、そして冒険者からなる六人の救援部隊が到着した。 僕が抜け出してから一時間ほどした頃合いと思われる。仕事でもないのに様子を見に来たママルモさんが、僕がいなくなっていることに気付いた。診察してくれていた医師も当然、僕の体がヒーラーにしては鍛えられていることには気付いていたから、もしかしたらもっと戦えるんじゃないか、それでフィルさんを助けに向かったんじゃないかとなって、一騒動。 まさか一人で向かったと思わなかったから、事情や状態を知っている我々ではなく、冒険者を頼ったのではないかと、まだ起きていた人たちに尋ねて回った。そこにはあのとき酒場で会った人たちもいて、「だから聞きに来たのか」と納得し、そして、僕も含めて助けに行こうと彼等は決意した。 遺跡を荒らされたくないというだけで、人の命を見捨てようとするラスティング・ドーンさんに募っていた反感もあって、彼等は辞職・降格覚悟で六人、警備の人たちは力ずくで排除して(ということにして)突入した。 体力、腕力のある人数が揃ったことで、手近にある平らなものを担架代わりに、僕をできるだけ動かさないように運び出すことが叶ったのだった。
戦う前にした、僕がどう戦うつもりかの話から、エーテル欠乏に陥っていることを察したフィルさんは、それから丸一日、一睡もせずついていてくれた。 翌日には応援部隊が到着した。討伐隊に編成するために呼んだ人たちだったが、その中にグリダニアで最高と言われる白魔道士の女性がいた。僕がふと見たとき、天女のようだなと思ったのがその人だ。 そしてその翌日、シャーレアン本国から二人、呼んでもいないし来る予定もなかった人物が押しかけてきた。そのうちの一人が占星術、幻術をマスターしたヒーラー、ジンジャーさんだ。 その三人がかりで五日間、ずっと僕を癒やし続けてくれた。おかげでなんとか生き延びて、目を覚ませたのだった。
全員、ママルモさんたちも含めて、なんて馬鹿なことをしたんだと怒りたいのは山々だったようだ。 けれど僕は目が覚めて多少意識は戻ったとしても、自力では息をするのがやっとくらいの有り様で、すぐに眠ってしまう。決定的に不足しているエーテルを節約するために、極力消耗を減らそうとする防衛反応だ。それでまた数日が過ぎてなんとか数時間は起きていられるようになったときには、みんなもう、心配しすぎて怒る気力はなくしていた。 ――― 一人を除いて。
ジンジャーさんは優れたヒーラーだが、「優れたヒーラーだ」というだけで駆けつけたわけではない。彼は義父の知人で、シャーレアンでの僕の寄宿先、後見人だった。つまりは僕の個人的な知り合いで、ともするといくらかの責任も引き受けている。そしてこの後見人、僕の宿主というのはもう一人いて、それがジンジャーさんの弟であるミスティ・アイルさん、シャーレアンでも屈指の医学者だ。 ジンジャーさんとミスティさんにとってみれば僕は預かり物だ。しかも彼等にとって義父は恩人だそうで、万一のことがあったら顔向けできないとも言う。そういう義理の話だけでなく、二人ともこの五年間僕に本当に良くしてくれた。子供というには年が近いが、もう一人の弟くらいには親身にしてくれていると思う。 だから極めて単純に、二人ともなんらかの形で事情を知って、心配し駆けつけてくれたということだ。 未だに怒っていて最低限以外口もきいてくれないのは、ミスティさんだった。
分からないでもない。たとえばジンジャーさんたちはヒーラーとして、重傷者を何人も見てきているだろう。けれどその傷、状態がどれくらい深刻なのかは、経験的、直感的にしか分からない。けれど医者であるミスティさんには詳細に分かってしまう。「助かるかどうか危うい」ということが感覚でなく、何か一歩、一つでも間違えば駄目になるという確信とともに分かってしまう、ということだ。 すみませんと謝るにも言葉は軽すぎて、僕も何も言えない。 胃腸がほとんど働かないから、養分は点滴。再形成手術はしたものの、まだ十分とは言えない左手の経過チェックにも来る。もちろん全身的な診察も担当しているが、始終僕たちは無言だった。 ミスティさんが黙っているのには、今ここで怒りを爆発させたら他の人の迷惑になるというのもあって、 「あんな激おこミーちゃん初めてだわ。おうち帰ったら覚悟なさいね」 とジンジャーさんから警告された。 ……ちなみにジンジャーさんとミスティ・アイルさんは、ローエンガルデの男性だ。
この二人については、実はただ僕の治療に来たというだけでなく、一波瀾あった。 ジンジャーさんとミスティ・アイルさんは、同日、かなり近い時刻に生まれている。性格も雰囲気も好みもまるで違うし、得意分野の違いで体格や身長にも僅かな差があるが、顔そのものは見分けがつかないくらい同じだ。それと同じ顔が、このキャンプには実はもう一つある。ラスティング・ドーンさんだった。 ラスティング・ドーンさんは僕を個人的に嫌っている。理由は、シャーレアン外の人たちを基本的に見下し毛嫌いしているからというのもあるが、一番は僕が彼の生まれた家の、元は彼の部屋だった場所に住み着いているからだ。外部の人や物事に対してフラットな二人とではそもそも考えが違いすぎて、家を出たのは20年も前だそうだが、それでもかつて自分の部屋だった場所を僕が使うことには、生理的な嫌悪、おぞましさ、家族の思い出まで汚されるような気がするそうだ。
そんな人の率いる調査団で、僕は彼の指示を完全に無視して勝手にスカラへ入った。直近のものが一度目でないことくらい、ラスティング・ドーンさんは薄々勘付いていただろう。ただ、今すぐ取り沙汰するよりもっと有効なタイミングで取り上げる気でいただけのはずで、それが今(と言っても十日ほど前)だった。 慎重であるべき調査の一員でありながら、無断で調査領域に出入りする。魔獣に襲われた等の偽りを述べてそれを誤魔化す。更には再び勝手に遺跡へと侵入する。しかもその理由は、到底認められるようなものではない。「アラミゴで生まれた者として、今まで帰ってくることもできなかったから、何かしたかった、放っておけなかった」が表向きの理由になっているのだが、そんな感情的な理由は、調査や討伐の妨害をする正当な理由にはならない。どころか、アラミゴの、政府高官の家の出で、スカラについての情報を持っていたのに提出しなかった。知性と理性を重んじるシャーレアンに、利己的で感情に駆られ暴力に走る僕のような野蛮人は相応しくない。 ―――実際これは、とっくに本国へと提出された内容だ。
だいたい、ジンジャーさんとミスティさんが僕の状態について知った切っ掛けがそのレポートだった。兄弟である彼等のところには、専門分野は違っていても情報が回ってくる。こんなことになっていると教えに来てくれた人がいて、何がどうなっているのか、調査団の中でも比較的僕たちに親切な助講師に問い合わせ……、というわけだ。 それで講義も何も放り出して駆けつけてきた。 僕の状態を見て真っ青になっても、最低限の生命力も戻らないのでは外科手術はできない。ジンジャーさんに僕を任せたミスティさんはラスティング・ドーンさんのところに乗り込んでいった。その剣幕、といっても 「ブリザード系だな」 とフィルさんが言うように、歩いた跡に氷の道と冷気でも残しかねない怒り方をするのだが(今も実際)、ともかくそれを見て殴り合いにでもなっては大変だと追いかけたフィルさんは、一部始終を見聞きした。 外部の人間に対する価値観の相違から、聞くに堪えないような悪口雑言。特に僕に対する個人的な見解。それが、死ねばいい、生きているだけ資源の無駄だとまでになったとき、ミスティさんは完全に凍りついて、自分の知っていることをすべて評議会に告白し、告発すると言い出した。それでラスティング・ドーンさんの学者としての命を、引き換えに全部奪い取ると。
僕もうっすらと聞いていた。ラスティング・ドーンさんが、発見した情報や遺物の一部を私物化しているという噂は、ほんの僅かに知っていた。彼等の家にいて、身近にいればこそなので、誰でもなんとなく知っているような類ではない。 兄弟としてジンジャーさんとミスティさんは、それが事実だと知っていたけれど、目的があくまでも知識欲や名誉欲のためであって、金銭欲でなく、いずれは成果になって発表されることならと沈黙していた。一度でも見逃してしまえば共犯だ。彼等ほどの人でも保身を微塵も考えないのは無理で、だんだん度を越してくるのを知っていても、今更告発するのは難しくなっていたようだ。 それを全部暴露すると言い出した。兄さんたちもただでは済まないと言われても、地位や名声と、人の命、尊厳、どちらが大事かは分かりきっていると言い返し、 「おまえにそこまで心(ハート)がないなら、必要なのは頭だけだな。切り離して頭だけ持ち帰るか」 外科医の言うこの台詞、しかも本気でやりかねない凄みには、ラスティング・ドーンさんは震え上がってそれきり一言もなく、さすがのフィルさんでさえぞっとしたとのことだった。
そういう揉め事はあったものの、僕が二度目にスカラに入ってからは十日も過ぎていて、調査は再開されているし、物事は緩やかに日常へと戻っていた。 唯一異常事態だったのは僕自身だが、その周囲もようやく少しだけ落ち着いた。僕は数時間起きていて半日寝ているような有り様でも、話くらいは聞けるし、少しなら喋っていられるようになった。……我ながら、こんな患者を診ることになったら医者として、頭を抱えるし心臓にも悪いし、それが正気を疑うような無茶の結果だとなったら、言葉で表現できる感情の範囲を突破して、無言になるしかないなと、思う。 このままここにいても僕はただ邪魔なだけなので、船旅に耐えられるようになったらシャーレアンに戻ることになった。三人も腕利きのヒーラーがいて、優秀な専属医もついているのだから、あと数日というところだろう。
僕は、自分のしでかしたことの重大さについては反省し、二度としないと約束し―――二度もこんなことがあってほしくないし、もう一度やろうとしてもここまで壊れた体が元に戻ることはない。物理的に無理だ―――、案外充実して過ごしている。 寝ているしかない僕が退屈だろうと、ジンジャーさんは枕元で本を読んでくれる。ただし僕がここに来ている間、そして帰ってからも動けない間、遅れることになる分の講義の参考書なので、普通の人が聞いても面白くはないと思う。イリスさんという白魔道士からは、グリダニアの話が聞けた。彼女も人の命を守るヒーラーなので、にっこり笑った状態で優しく恫喝する、という形で怒られたが、国土の多くを覆う森と精霊の話は新鮮だった。そしてフィルさんからは、フェアリーとの出会いをはじめいくつかの冒険や旅行の話、冒険者たちの話を聞けた。ただ、そういうとき彼の肩のあたりに浮いているフェアリー、フレアさんの光が、僕が見ていられるほど弱くなっているのには、申し訳ない気持ちになる。それでも彼女は周囲のエーテルを集めては僕に投げかけ続ける。だがそれは、ヒーリングする必要がなくなればすぐ元に戻るということで、そう言うフィルさんは嘘をついておらず、安心した。
「フィルさん。交代しますわ」 そう言ってジンジャーさんが入ってくる。相変わらずサーモンピンクのスーツに薄化粧で、たいていの人はびっくりすると思うのだが、フィルさんは平然と笑い返す。それはそれとして、二人が揃ったなら今のうちかなと、僕はジンジャーさんに目配せをした。 昨夜ジンジャーさんがいるときに相談し、用意してもらったものがある。それは、調査団からの報酬ではなく、僕からの謝礼だ。フィルさんとコトコさんがしてくれたことは、調査団の決定や方針による公事でなく、僕個人の、完全な私事による護衛や救助だ。当然支払うべきだと思う。
ただ、冒険者の仕事に対する相場が分からなかったため、ジンジャーさんに頼んで調べてもらった。それを聞いて僕は、一日たった数千ギルで命のかかった仕事をする冒険者が、途轍もなく割に合わない仕事に思えたのだが、そんな口出しをしても仕方がない。 ともかく、Aランクの冒険者を護衛として雇う場合でも、ギルドに納めるのは危険手当などすべて込みで一日たった6000ギル。もちろんそれとは別にチップなどを渡すのだろうが、ありえないほど安い。それがDランク、コトコさんのクラスになるとたった1500ギルにまで落ちる。仲介料その他を差し引くと、冒険者本人の手取りは7割から8割ではないかと思われる。 僕が個人的に雇うなら、最低でも3倍は用意しないと失礼だし、期待できる仕事に見合わないと感じる。それとは別に、実際の仕事内容に対して報酬を上乗せするのが道理だろう。
ただ、『ノシカ』の話をしたときに思ったけれど、僕の感覚は彼等とは、少なくともコトコさんとは違うようだ。僕が妥当だと思った金額は、そのまま渡せばたぶん嫌味になる。これまでの人生で何度か経験して少しは理解したつもりだ。 それでジンジャーさんと相談して決めたのは、フィルさんに3万、コトコさんに5000だった。 フィルさんには間違いなく命を救われている。しかも二度だ。一つ桁を上げるべきだと感じるが、そんな金額は受け取ってもらえないわよとジンジャーさんに言われると、そのとおりかもしれないと思って諦めた。僕が納得いくかどうかではなく、フィルさんが納得して受け取ってくれるかどうかだ。 長い間喋っていられない僕の代わりにジンジャーさんがお礼と僕たちの考えを伝え、用意してきた小袋を渡す。フィルさんはまるきり屈託なく、 「そうか。ありがたく受け取ろう」 と受け取ってくれた。
コトコさんは本来の仕事に戻っているため、ここに来ることはない。僕がどうしているか頻繁にフィルさんに尋ねるそうで、心配してくれてはいるのだが、来てもできることはないし、顔を見せるほうが気を使わせたりと負担になると、分かっているのではないかと思う。 だから彼女の分はフィルさんに渡してもらうことにした。5000という金額は、フィルさんに言うと、 「妥当だな」 そう笑う。僕の迷いや煩悶を見透かしていたようだ。 ジンジャーさんも交えて話したのは、彼はウルダハで事業を持っているということだった。その一つが人の生活の基盤、生活用水に関わるもののため、彼自身は10万、100万という単位の金にも、 「慣れたのはこの数年のことだがな」 そうは言っても慣れるには慣れていた。冒険者としても時には万単位の報酬が発生することがあり、3万というのは受け取りやすい気持ちのいい額だと言ってもらえた。
だがコトコさんに多額な報酬を渡すことは、やはり喜ばれないとフィルさんは言う。僕が思ったように、多く貰えれば貰えるほど嬉しい、とは考えない人だそうだ。悩みに悩んだ挙げ句に返しに来るに違いない。フィルさんの見立ては正しいように思う。そんなふうに悩ませるくらいなら、少し驚きながらも受け取って、いいのかなと思ってもいいよねと結論できる額がいい。 「5000なら、ぎりぎりあの子も受け取るだろう。まあもう少し自己評価は高くてもいいと思うんだが」 フィルさんにそう言ってもらえるとほっとした。 ただ、実は僕にはもう一つ提案があった。コトコさんがしてくれたことに対する謝礼と、彼女の素晴らしい能力に対する敬意と賛辞、これからの彼女を応援したい気持ちを、しっかりと彼女の得る報酬にする方法だ。そしてそれは、5000では納得できない僕の気持ちも晴らすことができる。
渡してもらう謝礼金とは別として、僕はもう一つの袋をジンジャーさんに出してもらう。その中身も5000ギルだ。ただしこれは、フィルさんに渡すため用意した。 「僕としてはやはりどうしても、1万ギルが妥当だと思います。でも安心して受け取ってもらうには額が大きいなら、半分はフィルさんにお預けします。だから、ウルダハに帰ったらこれで、コトコさんを何回か食事に誘ってあげてください。あなたの奢りなら、甘えやすいでしょう」 言うと、フィルさんはなるほどなと言いたげに何度か頷いて、請け合ってくれた。 たぶんこれが一番いい。ただお金をあげるより、彼女にはずっといい報酬のはずだ。
それからまだ少し、他愛もないことを三人で話して、僕が眠くなってきたのを潮に、フィルさんは出て行った。 「ほんと、素敵なかたね。こんな形だけど、知り合えて良かったわ」 とジンジャーさんが言うのには同意する。シャーレアンの外にも、素敵な人はたくさんいる。世界が広い分だけはるかに大勢だ。どうしてラスティング・ドーンさんたちのような人にはそれが分からないのかと思う。 だがそんなふうに誰かを批判し、貶めたら、僕も彼等と同じだ。なにを理由に非難し見下すか、その違いでしかない。だから僕は考えるのをやめ、自分のすべきことやしたいことに集中する。今までずっとそうしてきた。今は、休むことだ。 「いい子ね。よくお休みなさい」 ジンジャーさんが僕を子供扱いしきるのはさておいて、言うとおりにする。
ただふと、こうして彼等と過ごすのは、もうそろそろ終わりかもしれないなとは思う。 シャーレアンには、ラスティング・ドーンさんを支持する声も多いはずだ。僕のしたことが蛮勇であることは否定できない。表向きの理由、愛国心や罪悪感だろうと、本当の理由だろうと、感情的で身勝手だと言われたらそれまでだ。争いごとを嫌うあの国で、モンクという拳で戦う力のあることをきちんと明かしていなかったことも、気に入らない人はいるだろう。 居づらいから出ていこうとは思わない。ただ、僕のせいで、僕を大事に思ってくれる人たち、僕が好きだと思う人たちが不利益を被ったり、不本意な争いに心をすり減らすのは嫌だ。僕と一緒に争いの種が一つ減るなら、そのほうがいい気がする。 寂しいけれど、だからまだ決めないけれど、もしシャーレアンに戻って、どうなるかを実際に見て、いないほうがいいと結論したら―――……。 「どうしたのトロイちゃん。思い出し笑い?」 今しばらくは、変わり者だけど優しい人たちのもとで、もう少し学べたらなと思う。だからそんな思いつきは、もしかしたら、いつの日かの話だ。
(了)