スカラ迷宮 after03
今の俺は昔ほどギルドに顔を出さないが、それでも冒険者になって数年の若い連中よりはギルドの変化に気が付ける。その日見つけたのは"荒れた"依頼ボードだった。 荒れたと言っても物理的にではないし、 見た目にはむしろすっきりしている。その「すっきり」がくせものだ。普段に比べて極端にすっきり数が減っているその有り様は、誰かがボードを"荒らした"証拠だった。 先々週見たときにも違和感を覚えたが、今日はあからさまに分かる。 普段の三分の二程度しかない。 こういうことはごくたまにあった。 たとえば軍人や備兵など、そもそもの戦闘能力が高い人間がなんらかの理由で前職を離れ、冒険者になった場合だ。
ギルドは相変わらず、登録時のランクをFに固定している。 一時期は登録前の審査を設けて相応のランクからスタートさせたこともあるのだが、そのときだけ代理人を出して一つ二つ上のランクから始めようとするのがけっこういて、廃止になった。そのため、高い戦闘力を持っていても最初はFランクだ。 そういう連中にとれば、FやEにある戦闘依頼なんて片手間に達成できる。 相手がネズミや野犬なんだから当たり前だ。そしてそういう依頼は、ランクにしては難易度が高いため、報酬やポイントも高く設定されていた。だからこそ、早くランクを上げて雑用から逃れたい連中は、我先にと取っていく。時には1つ2つ掛け持ちで引き受けて、連日、片っ端から。 その結果、ランクを上げたい駆け出しが仕事にあぶれる。彼等が迷ったり躊躇ったりしているうちにどんどん取られていくためだ。 だから"荒れる"、“荒らす"という言葉を使う。この状態は多くの冒険者にとって、まず歓迎できない、腹の立つことからだ。
しかもそれだけじゃない。 俺たちからすればたかが野犬狩りでも、駆け出しには命のかかった仕事なんだから、今の自分にこなせるか考える時間は重要だ。その間に依頼を横から取られたとしても、それはみんな同じなので大した頻度ではないし、近い難易度と報酬の仕事は他にもある。 だが"荒らし"がいるとそれが崩れる。金あるいはポイント、その両方が稼げる依頼が激減するせいで、見かけたらとにかく取らないといけないという切迫感が生まれてしまう。その結果、焦って取った依頼にちゃんと対処することができず、無理に、遮二無二に挑んで、命を落とす者も出る。 こうなると、腹が立つとか迷惑だとかいうだけでなく、もっと激しい怒りや嫌悪、時には憎しみの対象になると言っていい。
たしか三年くらい前、F・Eを荒らして半年ばかりでDに上がった冒険者が、組んでくれる相手が一人も見つからずフェードアウトしたことがある。そのときは"荒らし"に気付いた奴等が、無理な仕事をするより先輩に相談するんだと若いのに伝えて、幸い"荒らし"のせいで人が死ぬようなことはなかった。だが、他の連中のことも考えてやってくれと頼んだそれを無視し、荒らし続けたそいつをほとんど全員が嫌い、その情報と感情を共有した。そのせいで、一面識もない連中からも含めた総スカンを食らった。聞いた感じじゃ、ギルドの運営員さえかなり素っ気なく接したらしい。 ウルダハの冒険者は比較的節度があって常識的なほうだから、袋叩きにして再起不能にするなんてことはもうめったにも起こらない。だが一人の人間の道を寄ってたかって潰したのは事実だ。 知っていれば止めた。腹が立つのは分かるし俺だって苦々しく思うが、必要なのは行動を改めてもらうことであって、消えてもらうことじゃない。だがその時期俺はしばらくウルダハを離れていたから、後になって聞かされてもどうにもならなかった。
苦しい中必死に足掻いて這い上がろうとする者同士の結束がこんな形で出ることはあって、それも決していいことじゃない。だから尚更俺は"荒らし"は勘弁してくれと思う。 俺もただの冒険者で、たまたま他人より長くやってランクも高いだけだ。それがあれこれお節介するのは余計なお世話かとは思う。いい"荒らし"対策も思いつかないままじゃ大きな口は叩けない。それでも気になるものは気になって仕方ないので、せめて状況だけでも知っておくかとボードの前に立ち、気が付いた。この"荒らし"は、30年も冒険者やってて初めて見るタイプのものだった。
“荒らし"で真っ先に取られるのは普通、高報酬・高ポイントの戦闘依頼だ。だが今軒並み消えているのは、ネゴ系と呼ばれるものだった。 ネゴシエーション、 交渉だ。夫婦喧嘩の仲裁から地上げ屋との談判の付き添いなど、こじれるとなんとかしてくれと誰かに頼みたくなるが、弁護士は高い。それでなんでも屋の冒険者に頼む。専門家ほどの解決力はないが、いざとなれば力任せの解決でも構わない、とにかくなんとかしてくれというわけだ。 こういう依頼は人気がなかった。素人が腕力なしで解決するのはまず無理だし、腕力解決すれば当然相手から恨みを買う。この手の依頼は、有り体に言えば、殴って解決した恨みを依頼人ではなく冒険者が引き受けるということだった。 相手が悪いと命を狙われることもある。そういう見極めをして、 失敗を選ぶ勇気、決断力もないとならない。そのくせ報酬は高くない。当たり前だ。たとえば借金取りに脅されている人間に、金があるわけはない。 だから何日も、ともすると何か月も放置され、真新しい依頼に比べて傷んだ依頼書がいつもある程度残っているのだが―――それが軒並みなくなっていた。
もしこれを、腕力に頼らず解決したのだとしたら、ずいぶん珍しいのが冒険者になったらしい。 ネゴ系の解決には法や判例の知識は当然として、相手を説得する話術も必要になる。人の心理についてもある程度明るくないと無理だろうし、駆け引きも発生する。ともすると騙し合いも。しかも相手はウルダハの住民だ。少しでも多く得をしどんな損もしたくないという人間も少なくない。そんな連中を相手に交渉するのは難しいなんてものじゃない。 逆にもしネゴ系を腕力で解決していったとしたら、それはそれで大した肝の太さだし、あちこちから恨みを買っても構わないほどの力があるからだろう。それは腕力よりむしろ金や権力だ。命を脅かしかねない恨みを遮るのには、それくらい分厚い壁が要る。
なんにせよ、普通ならまずもって冒険者になんぞなるはずもない人間に思えた。いわゆる知的階級、特権階級に属する人間にとって、冒険者は手足程度に見下した存在だからだ。落ちぶれてもなりたがらない。それでも極稀に、そんな物好きがいないわけでもないが……。 と思っていたところで、 「フィルさん」 後ろから落ち着いた男の声で呼ばれ、振り返った瞬間に俺は察した。こいつだ、と。 砂色の髪に独特の金眼をした長身のハイランダー、トロイだった。
相変わらず小綺麗で金のかかってそうな格好だ。そのうえただ立っているだけでも育ちの良さが分かる。こういうのは普通、 冒険者ギルドなんてところには近寄りもしない人種だ。こうして見ていても違和感がすごい。が、 「もしかして、 冒険者になったのか?」 聞くと、少し驚いてから、屈託なく笑って「はい」と答えられた。
「何故分かりました。ここは酒場も兼ねていますし、冒険者以外立ち入り禁止というわけではないと思いますが」 「そりゃおまえ……。おまえさんの仕業だろ? 揉め事の仲裁だなんだ、軒並み片付けたのは」 「はい。長い間残っているようですし、それなら僕が引き受けても他のかたの迷惑にはならないかと思ったのですが、いけませんでしたか」 トロイはいくらか不安そうな顔になった。まさか、だ。 「いや。 悪かないさ」 どこぞの誰かさんは若い頃、金に不自由してないにも関わらずそんなこと一切気にせずやりたい仕事を片っ端から取って、盛大な恨みを買った。それに比べたら、卒のない大正解の行動と言える。 そしてそれができること―――ネゴ系依頼の解決もそうだが、他の冒険者の利害を考える―――に、俺は少しも驚かない。政府高官の家系に生まれてほんの子供の頃から英才教育。それが実家を離れても引き取られた先が外交官の家。政治家や外交官を目指したわけではないとしても、こいつの交渉力は家庭環境として染みついた"地"だろう。
ウルダハに来たのはたった一ヶ月前だった。冒険者登録も到着から間もなく行い、売れ残りの依頼を一掃した。 しかしそのせいでちょっと困ったことになってしまい、今日は 「審議の結果が出たと連絡があったので、寄ってみたんです」 「審議? 困ったことってのは……?」 トロイはピンと来てない様子だが、話を聞いて俺は空いた口が塞がらなかった。 それは、莫大なランクポイントだった。 「自分のランクより一つ上下のランクの依頼は受けてもいい」というルールから、こいつはFランクのままEランクのネゴ系まで片付けた。しかもほとんどの依頼を話に行ったその日のうちに解決し、次から次へとだ。そのせいで、ポイントだけを見ればEランクへの挑戦はおろか、Dランクへの挑戦権まで溜まってしまった。それでギルドは、Eランクに上げるべきなのか、Dランクへ飛び級させるべきなのかでフリーズしたらしい。
後になって事務員から詳しく聞いたところによると、トロイの件はギルド創設以来初めてのイレギュラーで、三国のどこにも前例がなかったらしい。 そもそもギルドのランク制は、Fランクでひたすら貯めたポイントでDに上がるのはまず無理なようにできている。ポイントは累積型で積み重なっていくが、高ランクになるほど獲得ポイントも増え昇格に必要なポイントも増えるからだ。そのため、Fのままポイントを貯めてDランクになろうとすると、普通にEを経た場合の数倍の時間と労力がかかるし、昇格にはEランクの依頼をこなす必要があるのだからそこで否応なく難易度の壁に阻まれる。 また、一つ格上の依頼を受けるのは自由でも、ポイントを得るためには高ランクの冒険者に手伝ってもらってはならない。つまりFランク四人でEランクの依頼を達成すれば規定通りのポイントがもらえるが、その中に一人でもEランクがいたら獲得ポイントはゼロになる。 だがトロイは、人気がない分を破格のポイントで補うネゴ系依頼を、Eランクのものまで含めて20件近く、一人でこなしてしまった。
ネゴ系でもらえるポイントは、低難易度ものの10倍以上、通常の戦闘依頼の5倍から8倍、昇格試験クラスの依頼に比べても最低でも3倍くらいが相場になっている。長い間受け手がおらず撤回もされないと、更に上乗せされることもある。そんな依頼を一掃すれば、莫大なポイントが入るのは自明だ。 だが今までそんなことをした奴がいなかったせいで、誰も気付かなかった。それが実際に起こってギルドはやっと、これじゃ滅茶苦茶だと大慌てした。 おかげでトロイは、まずEランクへの昇格挑戦をするべきなのか、そんな無駄なことはやめてDランクに挑むべきなのか、ギルドの審議を待つハメになった。
「失礼して、受付に行ってきます」 律儀に断りを入れ一礼してからギルドカウンターへ行ったトロイは、やっぱり自分のしたことのでたらめ加減が分かっていないらしくいつもどおりだが、受付のミナココは二枚の書類を右見て左見てだ。 それでどうなったのかと言うと、 「Eランクにもう一ヶ月とどまってほしいと言われたので、そうすることにしました」 まるきり他愛もないことのようにトロイは言ったが、まあそうだろうなと俺は呆れ半分、感心半分になった。
相変わらずいい身なりをしているんだからトロイは金に困ってはいない。どうしても早くDランクに上がりたい、暮らしの上での理由がない。冒険者として名を上げることにも興味はないだろう。 今も本業はやはり医者で、薬学院で助手として勤めていると言う。 「助手? 医者じゃなくてか?」 「フロンデール薬学院は学術機関も兼ねていますから、なんの肩書も実績もないのにいきなり医師として働くのは無理です。それに僕はまだまだ学ぶことが残っていますので、助手という立場のほうがありがたいんです」 その返事を聞いて俺はにわかに不安になった。 早く上に行きたいと必死になる連中を見ることが多いせいか、トロイにはやはり、衣食足りて礼節を知るというか、豊かな人間だからこその余裕を感じる。稼げるだけ稼がないと食っていけない、家族を食わせられない人間だったら、学ぶだけなんていう身分に優雅に甘んじてはいられない。そんな連中がトロイのこの余裕を見たら、どう思うか―――。
「なあトロイ」 これもやはりお節介だろう。だが知らない仲でもないし、知らん顔をしたくもない。 「Dランクへの昇格は、やめたほうがいい」 だから俺は、言うことにした。 トロイは飲みかけていたお茶を口元で止めて俺を見る。剣呑さも憤懣もない、ただ疑問だけあるようなストレートな目だ。今の俺の言葉を侮辱や余計な口出しだと感じないのも、育ちがよく心が飢えていないせいだろうか。大抵の人間はこんなことを言われたら、まずムッとするだろうに。 だが今は、そうでないのを幸いに俺の懸念を伝えることにした。
冒険者の大半は、何か事情があってこの胡散臭い仕事をしている。世界各地で活躍する英雄殿が冒険者出身のせいで、それに憧れてなる人間もかなり増えたし、世間の目もだいぶ変わったが、それでも半数くらいはまだ冒険者以外にはなれないわけがあるような連中だ。昔ほどじゃないにしても人から軽く扱われ、人並みの仕事より危険な何かを、人並みの報酬より安く引き受けなんとか糊口をしのいでいる。 そういう、食い物だけじゃなく人としての尊厳に飢えた連中に比べて、トロイは豊かすぎる。 「恵まれてるってのとは、違うんだがな」 こいつもこいつで重荷がないわけじゃない。だが一度も飢えたことも凍えたこともない人生を歩いてきたのは事実だ。そして冒険者をやるのは趣味同然で、本業は医者。人が見るのは、そういう光の部分だけになる。照らされてあたたかく感じるより、自分が持てなかったものをいくつも持っていることに嫉妬する人間のほうが多いだろう。しかもそいつがずば抜けた頭を駆使して、自分たちでは手が出ない依頼を片付けた挙げ句、自分たちは数年かけてやっと辿り着くDランクにたった二ヶ月程度で昇格なんてことになれば、 「おまえさんは何一つ悪くなくても、恨みと妬みの的になる」 俺はそんな非難や拒絶でトロイに傷ついてほしくないし、人並みに恨み妬んでしまう奴等に、そのどろどろと暗い感情を抱え振り回されてほしくもない。 そう。結局同じになる。昔のザザと、ザザを嫌悪し憎んだ連中と。
「……そうですか」 俺の話を黙って最後まで聞いたトロイは、さすがにいくらか暗い顔で呟いた。 だがすぐに例の金眼を上げ、 「ご忠告ありがとうございます。いくつかこなしてみて、ウルダハの人たちは利害に納得がいけば許容してくれるものだと思ったのですが、僕の浅慮ですね。立場が違えば、重要視するものも違って当然です。昇格についてはもちろん、依頼を受けるのもしばらくは自粛しておきます」 「海山千々の連中ならおまえさんを重宝がるだろうが、若いのはやっぱりな。利害だけで割り切れんだろう」 「うみやま……ああ、海千山千ですか。面白い表現ですね」 つい仲間内の言葉遊びを口にしていた俺に笑って、トロイは、 「本当に、教えていただけて助かります。さすがに僕も、来て早々にウルダハの人からまで嫌われたくありませんから」 それを苦笑いに変えた。
「実は」 トロイは、シャーレアンは追い出されたのだと言った。 もともと外国人に対して閉鎖的、排他的なところを、義父のコネ、家主になった二人の後押しで受け入れられた。当然それに見合うだけの行動と成果を期待され、五年の間はどうにかやっていたが、あのアラミゴの件だ。 理知を重んじるシャーレアンの人間も、愛国心や義侠心を知らないわけではない。だがそんな感情的な自己満足に流されず、公益のため最善の手法を模索して選択し、合理的にかつ穏当な手段での解決をしてこそのシャーレアン人だ、と考える。 「その点では、ジンジャーさんとミスティさんも同じです。あの二人でさえ僕のしたことは、『馬鹿な真似だが気持ちは分かる』ではなく、『馬鹿な真似だから理解できない』ですから」 ただ彼等は、トロイの決断と行動を理解できなくても尊重してくれた。トロイにとって重要だったのなら、自分たちが理解できなくてもとやかく言わない、と。だがそこに、俺たちが感じるような同情や共感はない。
最も親身で理解に努めようとしてくれる人間ですらそうなのだから、他は推して知るべし、だ。 「それまで比較的肯定的だった人たちも、大半が否定的になりました。それは構いません。彼等の言うことは正しい。僕自身が第三者だったら同じことを言ったと思うくらいです。合理性も妥当性もない。ただの自己満足に過ぎない。感情的すぎる。しかも容易く解決したならまだしも瀕死の大怪我なんて、馬鹿と言ったら馬鹿に申し訳ないほどの愚行です。本当にそのとおりで、一言もありません。ただ、……一人二人からならともかく、会う人ことごとくにそんな目で見られては、平気ではいられないですね、やっぱり」 頭では妥当な反応だと分かっていても、精神的には耐え難い。だから、出て行けと言うならそうしようと決めた。それはなんと、アラミゴから戻って半月もしない内のことだった。
「それじゃ体は……」 「まだ治っていませんでしたが、仕方ありません。それに、いろいろ考えるとそれがベストでした」 トロイを置いているジンジャーとミスティにも非難の目が向けられる。二人とも、トロイを庇おうとすればこそ講義を休むわけにはいかず、いつ具合が悪くなるかもしれないのを置いて出掛けなければならない。昼休みに大丈夫かとリンクパールで通信するのでさえ、しなくてもいい余計な世話に見られたらしい。 そんな国にいるよりは、家族のいるラザハンに戻ったほうがはるかに安心して静養できる。トロイとしても、自分を気遣う二人の立場をこれ以上悪くしなくて済む。彼等の結論はもっともだった。 「唯一の難題は父にどう言い訳しようかでした。なにせメンタルがマシュマロな人なので」 「え? 引退したとは言っても、元外交官だよな?」 「不思議ですよね」 不思議の一言で片づけられても困るが、ともかくそれでトロイは早々にシャーレアンを離れ、これまでの半年間、ラザハンの実家で静養していたとのことだった。
「ラザハンに戻って、父と母に泣かれて怒られて心配されて、おまえは馬鹿かと言う人たちもごく普通に心配してくれて、自分がシャーレアンにいた五年間、本当はかなり参っていたんだと気が付きました。『自分のことをよく知りもしない人間にどう思われても気にしない』。そう言えるのは、数が少ないときだけです。大勢の人間に嫌われて、それを無視できるほどの強さは、僕にはありません」 なるほど。だからこそウルダハでまた嫌われるような真似をしたくはないということかと、俺は理解した。
「すみません。僕の話ばかり」 「いいさ。ま、俺の言ったことが、お節介でなくて良かった」 「お節介どころか、僕が一番気にしていたことです。言っていただけて本当に良かったと思います。それにしても、僕はまた助けられてますね」 それからトロイは、 「そういえば、コトコさんのことは、ちゃんと誘っていただけましたか?」 と話を変えた。
俺は預かった5000ギルがまだ残っていることを打ち明ける。一食一人頭1000ギルくらいするレストランにでも連れて行けば5回で済むわけだが、あの子は尻込みしてしまう。貧乏な家の出というわけではなく、ドマにいたときはごく中流、その中でもやや上の部類にいたはずでも、なにせ帝国占領下だ。それに加えてもともと質素で慎ましい家庭だったのが、一人でエオルゼアに来て冒険者暮らし。 「ここの飯はランクに応じて額が変わる。一番安いランチは、Fランクなら20ギルだぞ。それをありがたがるようなところからスタートして、今でも昼飯は50ギル前後、夜 友達と食いに行って200ギルも使えば明日は節約しようと思うような子だ。それに、あの子ばっかりたびたび誘うわけにもいかん」 せっかくの縁ならそれを理由にいくらか手を貸してやりたいとは思うが、それを他人が贔屓だと見て責めるようになるのはまずい。 「あ……。すみません。でしたら、もう少し多くのかたを誘えるように」 「いやいやいやいや、それはいい。ぼちぼち使う。そうやってポンと千・万単位の金を出そうとするな。とりあえずおまえさんは、ギルドに来るときは財布の中に100ギルしかないと思って行動しろ。いいな?」 俺が言うと、トロイは面白いほど素直に申し訳なさそうな様子になった。
だからまずは、だ。 「よし。トロイ。この後何か予定とか用事はあるのか?」 「え? いえ。特には」 「だったら飯だ」 「はい?」 「飯行こう」 「え?」 「とりあえずおまえさんは、もう少し庶民感覚ってのを身につけたほうがいい。ここでうまくやっていくためにもな」 だからまずは、50ギルくらいで美味いものが食える店とその味を知るべきだ。商売に厳しいウルダハでは、高くて不味い飯屋なんてすぐ潰れる。だから1000ギル支払って美味いものが食えるのは当たり前だ。だがそんな店にほいほい出入りのできない庶民は、もっと安くて満足のできる店を探すし大事にする。 「安い飯だが、先輩冒険者として後輩に奢ってやるよ。だから来い」 そう言って俺は、トロイを連れてギルドを出た。
まずは、俺が若い頃から行きつけにしているカフェだ。当時からはいくらか値上がりしたが、それでもまだ驚くほど良心的な価格でドリンクを提供してくれるし、自家製のパンも美味い。最高級に比べればともかく、これを「美味い」と言い喜んで通うのが庶民ってやつだ。 「ああ、そう言えば『ノシカ』。覚えてるか」 「はい。潰れたんですよね」 「なんだ、知ってたのか」 「ウルダハに来たとき、せっかくだから行ってみようとしたんです」 が、そのときにはもう店はなかったわけだ。
潰れたのは先々月の頭くらいだから、トロイが来るより一ヶ月半ほど前になる。その頃に来ていればぎりぎり賞味はできたわだが、 「あの話をした前後一ヶ月くらいだけの流行りだったな」 流行に敏感で流行り物に弱いウルダハのお嬢さんたちは、しかし根っこはシビアだ。彼女たちは話題性に200ギル支払った。「食べに行った」と話すために。だが価格ほど美味しくなく、話題としても飽きたらもう価値はない。一個1000ギルするショートケーキで、セレブだけを相手にして成功している洋菓子店も存在するが、『ノシカ』にその力はなかった。
そして今から行くカフェには、抜群に美味しいわけではないとしても、30ギルでこれなら十分以上というケーキが、日替わりでいつも3種類くらい置いてある。ケーキだけ買いに来る客もけっこういて、夕方にはいつも綺麗さっぱり完売する常だ。 「トロイ。甘いモンは?」 「好きです。ケーキ、いいですね。楽しみです。ところでフィル先輩。ご予算は?」 「200……いや、150ギルくらいまでに収めてくれ」 別に2000ギルのショートケーキだろうが食わせてやれるが、“冒険者"としてはそれくらいが妥当なラインだろう。
なんにせよ、これでまた俺の周りは少し賑やかになった。 その賑やかさが、俺が思っていたよりもう少し派手になることに気付くのはこの後3時間後だが、それはまた別の話にするとしよう。……やれやれだ。