スカラ迷宮 after05
私は自分を有能で優秀だと思ってきた。 そうなろうと死に物狂いで努力し、結果を出した。二世シャーレアンである私たちには、力を見せつけるより他に居場所を確保する方法がなくもあった。誰もが認めざるをえないほど抜きん出た結果でトップに立たなければ、見下す連中を黙らせられなかった。 驕るつもりはない。まだまだ研鑽の余地はある。 だとしても、今の時点の自分でも十分に、他者に勝る力があることは間違いないと、疑っていなかった。 その自信も自負も、ある日完膚なきまでに粉々にされた。
私はアラミゴに駆けつけて、死体と変わらないほど生命の気配が失せたトロイくんを見たとき、そして左腕から胸の大きな傷や酷い有り様の左手を見たとき、私がいればこんなことにはさせなかったのにと心底憤った。 特に左手だ。粗い外科処置。欠損した指を粗雑に整えて癒着させただけの付け焼き刃。 私がいたらこんなふうにはならなかった。 もし私とジギがここにいたなら、こんな酷い怪我も衰弱も決してさせなかった。 そう思った。
私は医者だ。外科を得意とし、今のこの世の中ではほとんど探究されない外科手術において、シャーレアンでトップだという自信がある。ならば世界でも屈指とくらい言っていいと思っている。 そしてジギは、私の分の魔力まで奪って生まれたと陰口を叩かれたほど豊富な魔力を持ち、それを私と同じように必死に磨き上げ、蘇生魔法も難なく操るヒーラーになった。 もし、トロイくんが傷を負ったその場に私とジギがいれば、もっと迅速で完璧な処置を施し、明確な回復ももたらしていた。 そんなふうに、感謝より苛立ちを覚えていたのは、トロイくんに対する恋慕の情もあるが、私もいつの間にかシャーレアンの傲慢に染まったからだろう。 だがそう思っていられたのは、この処置をたった一人の人間がやったと聞くまでだった。
私はこれらの処置は複数人がかりのものだと思っていた。それが世間一般の標準レベルだからだ。 その努力によってトロイくんが生きているのはありがたいには違いなくとも、低レベルな者が寄ってたかったところでこの程度でしかない。 そんな思い込みと思い上がりは、なにげないような言葉で揺らぎ、崩れた。
私は形ばかりだが、ジギはたぶん心からだ。 「助けてくださったかたにお礼を申し上げたいんですの。どちらにいらっしゃるのかしら」 それに不滅隊とかいう軍の兵士は、 「そちらにいるフィルさんです」 同じ部屋にいたルガディン族の男を示した。 付け加える形で、「それから」とグリダニアから来た白魔道士の名も出したが、そのエレゼン女性が、自分はただここでエーテル補完の手伝いをしているだけだと言った。細い溜め息を帯びた言葉は心から気の毒そうで、だが私もジギも、その言葉に愕然とした。
そんな馬鹿な。 話を聞き状態を見る限り、たとえシャーレアンの医者・ヒーラーでも三人は必要だ。生命維持のためのエーテルを注ぐヒーラー。肉体の修復をする外科医。そして、自己回復が可能な部分や処置が終わった箇所の細胞を活性化させ治癒進行させるためのヒーラー。 私とジギならば二人でできる。だがそれでも、二人でないとできない。
もし現場にいたのが私だけだったら、外科処置はできても、膨大な魔力を要する回復ができない。失われた生命力を補充するにも大きな傷を塞ぐにも、私の低い魔力はもちろん並の魔力量でも足りることはなく、肉体の形こそより良く取り繕えたとしても、トロイくんは間違いなく死んでいた。 ジギでも同じだ。ジギならば回復・治癒はさせられる。だが外科処置ができない。破損・欠損の激しい肉体を強引に癒やせば、できあがるのはいびつな肉塊だ。命は簡単にとどめただろうが、左手は裂けて砕けたのがただ固まっただけの棒きれになっていただろう。そこから後になって成形手術をしようとしても、到底手の形には戻せない。
外科は私に及ばずヒーラーとしてはジギに劣るとしても、その場にいたたった一人が一人ですべてを並列で、高い水準でこなせばこそ、トロイくんは生きていたし、大きな不具も免れた。 当人はそれを謙遜するどころかまるきり些事にして、無謀な戦闘を止めきれなかったことを詫びた。 砕けた私のプライドは、焦燥や動揺もあって、つい「まったくそのとおりだ」と理不尽な暴言を吐き出しかけたが、それより先にジギが飛びつくようにして彼の手を取り、感謝を迸らせた。おかげで私は恩知らずの下衆になり下がらずに、どうにか言葉を出さないまま捨てることができた。
アラミゴにいる間、私はたぶん最低限くらいしか彼の顔を見ていない。 医者として負けただけなら、思い上がりを改めてまた努力するだけだ。悔しかろうと恥ずかしかろうと、それだけのこと。上には上がいると、大したものだと思えただろう。 のしかかって去らないのはそれではない。 私ではトロイくんを救えなかった。 彼だから救えた。 考えまいと考えることすらできないくらいに、その事実が常に意識の一部を支配していた。 自分の矮小さに嫌気がさした。ジギのように素直に感嘆して感謝し、尊敬すればいい、すべき相手だと頭では分かっていても、口惜しさと腹立たしさがどうしても消えなかった。
シャーレアンに戻ってから、紆余曲折を経て私もラザハンに渡った。 大学は放棄した。届けも出さずに投げ出した。シャーレアンに残るジギは迷惑するし面倒も山ほど抱えるだろうが、その本人が好きにしろと言ってくれたなら、私には他に何一つ惜しいものはなかった。 「いいこと? 癇癪起こして大学辞めたとか、自分のことどう思ってるかとか、余計なこと言うんじゃないわよ。まずは治療。行くのはそのため。それが一段落したら、まだ自分と付き合う気があるかどうか聞いてみなさい。NOだったら、分かってると思うけどここには戻れないわよ。できる援助はしてあげるけど、どこで何して生きるか、最終的には自分でなんとかしてよね」 ジギはいつも正しい。まっすぐで、強い。ジギの助言のとおりにして、私は落ち着いてトロイくんの気持ちを確かめることができた。
ラザハンにいる間、私は比較的凪いだ心持ちでいられた。 破損し、ぎりぎりで修復され、手の形だけしていた左手を成形し直す。機能を復元させるためには腕利きのヒーラーが不可欠だったが、軍へのコネと錬金術師たちの協力とで乗り切ることができた。 こんな芸当は私にしかできないという自負心が、多少は回復した。同時にちらりとよぎった嫌なイメージは追い払った。 トロイくんの回復も順調だった。冷たい無関心と否定に取り巻かれていたシャーレアンとは逆に、ラザハンの親族、友人知人、元同僚たちというのは快活で親切であたたかく、安心できるからだろう。 睡眠時間こそ長く、時折発作的に具合が悪くなることはあるとしても、家のことを手伝ったり散歩をしたり買い物に出掛けたり、日常生活にはほとんど差し障りがなくなった。私を案内して街を巡ってくれたりもした。それから、また私と過ごしてくれるという返事をもらえてからは、できるだけそっとだが、再び抱き締めることも叶うようになった。
このままこの国で彼と生きていくのもいいと思えた。 とはいえ、そのためには私との関係を家族に伝えねばならない。その決断は私にもトロイくんにもまだできなかったが、いつか必ずご両親からの許しを請いたいと、私はそんな、楽観的で甘い夢を見ていた。 トロイくんもシャーレアンにいたときよりは私に甘えてくれるし、彼のほうからキスしてくれたり、腕の中に来ることもあって、それは夢というよりそう遠くない将来のような気がしていた。
トロイくんもそのつもりでいたのは、彼の口から聞いた。だから事実だ。 だがそこまでの道のりは、私が夢想するものとは違っていた。
考えていることがあるので相談に乗ってほしいと、ある日言われた。 トロイくんは、こんなにも自分を大事にしてくれる家族親族、そして気の置けない同僚や友人たち、あたたかいこの国のために何かしたいと言った。以前よりも強く、明確にそう思うようになったと。無理もない。彼は言わなかったが、シャーレアンで五年間、冷淡に扱われ続ければこそ、ラザハンのあたたかさがつくづくと身に沁みたのだろう。 そしてそのために自分にできることがあるとしたら、それはやはり、この国で医者を目指して学んだ者として、より良い医療や薬学、錬金術をもたらし人を救い癒やすことだと彼は決めていた。 「でもラザハンのそれらは既にかなりの完成形です。発展の余地はあっても僅かな進捗で、画期的な大発明か世紀の大発見でもしないかぎり、目立った前進は難しいでしょう。でも大発明や大発見は天才の仕事で、僕にできることじゃない。その代わり僕は、この国にない知識や技術を学んで身につけて、それを取り込んでいきたいんです」 環境としては最低限だったシャーレアンで学んだことでさえ、ラザハンの常識や固定観念からすれば新鮮で独特で、現にトロイくんと私を通してラザハンの医師、錬金術師に伝えたことは、大きな刺激になり新しい可能性にもなっていた。
完治したとは言えない以上、両親の意思は最大限に尊重し、許可をもらえないかぎり実行はしない。だが何年かのうちにはまた外国に行きたい。そこで学びたい。トロイくんはそう言った。 だがまさかシャーレアンに戻るという選択肢はない。 嫌な予感はしていた。 戦乱のただなかになく、医学や錬金術にいささか秀でた国といえばーーー。 「ウルダハに行こうかと思ってます」 アラミゴで、不滅隊の医療班を通してかの国の錬金薬を実際に経験した。フロンデール薬学院で学んだという軍医もいて、その処置は丁寧で信頼できると、自分も医者だからこそはっきりと分かった。 薬学院のほうはともかく錬金術はギルドがあって、互助組織というだけでなく育成機関も兼ねているため、門戸は一般に開かれているという。 「そのときには、……まだ僕といてくれたらの話にはなりますけど、そのときには、ミスティさんも一緒に行きませんか」 ついてきてほしいという、控えめに言い出された我が儘は嬉しい。だがウルダハがいいと思う背景には案の定、 「それにウルダハならフィルさんもコトコさんもいて、困ったときには相談に乗ってくれそうですし」 半年ほどの間、思い出すこともなくおかげで平穏だった私の心は、にわかに波立った。
私が、理不尽にも彼に対して、何故もっと完璧に治してくれなかったのかと腹を立ててしまうことは、アラミゴからシャーレアンに戻る船の中で告げてあった。トロイくんが自分のした無茶について怒っていると思って謝るものだから、それもあるがそれだけでなくそれ以上にと、そのことだけは話した。 理不尽だと分かっていても払えないほど強い感情だ。そう簡単に去ることはないとトロイくんも思うのだろう。 「フィルさんのこと、まだ駄目ですか?」 明らかに動揺した私にトロイくんが言い、私は頷いた。その小さな理不尽を認めることで、はるかに大きく醜い妬心と敗北感、そこからくる敵愾心のような何かを隠せるなら安いものだった。
だがそれを理由にトロイくんの望みを潰せるわけがない。野心や我欲ならばともかく、愛してくれる人たち、自分を受け入れ育んでくれた国に何かを返したいという願いだ。 結局私は、確かに思い出すと反射的にムッとしてしまうが、当時ほど強いものではないし、君が行きたいと望むならと、言うしかなかった。
ウルダハという国は、騒々しくがめつく居丈高だが、活気に満ちていた。 私はフロンデール薬学院の客員医師という仕事を手に入れた。トロイくんとともにウルダハに行くとジギに手紙を送ったとき、いったいどうやって手に入れたものか返信に推薦状が同封されており、おかげでスムーズに受け入れてもらえた。 なにかと損得勘定に走る国民性は、時に好ましくないと感じることもあったが、薬学院の医師や看護師たちは向学心があり、患者には誠実で真摯だった。であれば多少の好悪は些事だ。気に食わないというだけで誰かの危難を笑う、そんなクズどもに比べれば何万倍もマシと言える。彼等は私の知識と技術を貪欲に真剣に学ぼうとし、私にも彼等から学ぶことがあった。
トロイくんは案の定、やがて彼と再会した。 私は努めて冷静に、理性的に振る舞おうと心がけたし、いくらかは成功した。 あまりにもトロイくんが彼のことを話すし共に出歩くので、何かあるとはまったく思わなくて嫉妬は覚えるのだと、告げたのも功を奏した。 言葉にし、共有すれば、暴走はおさまるものらしい。
伝えたことで明瞭になったのは、私はだからと言って、トロイくんのしたいと思うことを邪魔したくない、ということだ。だから、体に障らない範囲でなら好きなように過ごせばいい。誰とどうしていてもいい。ただ、医者としての私を心配させるようなことはしないこと。その点においては、彼は都合のいい同行者だった。 医療の知識もあり、ヒーラーとしての腕もよく、篤実な人柄は、私の勝手な妬心さえなければ、盤石の信頼に値する。それになにより、体を鍛え上げたルガディン族だというのも大きい。 怪我のせいで半年近くをほとんど寝て過ごして、トロイくんはかなり痩せたが、それでも80キロ近くある。腕力を鍛えていない私では、起居の補助はできても持ち上げたり抱えたりはかなり厳しい。だが彼であれば軽々と運べるだろう。もし外で何かあったとき、支えきれず諸共に倒れて怪我とするといった心配は、まったくしなくていいのだ。 ……多分に、自分に言い聞かせる言い訳だったのは自覚している。それでも、そう思うことで、彼と出掛けるのは他の誰かと出掛けているよりはるかにマシだと、自分を納得させることには成功した。
私は相変わらず彼に嫉妬ばかりしている。 私にできないことを容易くやってのけ、こんなくだらない妬心や欲に振り回されることなどなさそうな彼と自分を比較して、また負けた気がしたりもする。 そのうえ―――馬鹿だった。一目瞭然だ。どうして気がつかなかったのか。たぶん、外で倒れたという事実に動転して、私ではトロイくんを抱えられない、無理に抱えたとしてもどこかにぶつけたりしそうで、とても信用できない事実にまた敗北して、見せていい場所じゃないということに、まったく頭が回らなかった。 幸い彼はそれを嫌悪することもなく、すまなそうな顔で私に失策の指摘をした後には、話したいこと、話すべきだと思うことがあるなら後日にしようと言って、すみやかに立ち去った。
ようやく少しだけ、ジギの気持ちに近づけた気がしたのはそのときだ。 もし私とトロイくんがただの教師と学生、家主と留学生、それだけのつながりで、相応の好意だけを抱いていたなら、私もジギのように彼を尊敬できただろうと思う。頼りにも思っただろうし、彼が見ていてくれるならば安心だと思っただろう。 あいにくそう思い切るには私は我欲まみれだが、それでも、きっとそうだっただろうと思えるくらいには、どうやら諦めがついたらしい。
まったく私は、シャーレアンにいたときに自分が思っていたよりはるかに馬鹿だし、小さな人間だ。だが狭い世界で思い上がったままいることに比べれば、今のほうがマシなように思う。 ともあれ、トロイくんが起きたら、もう少し私の気持ちについての話もしよう。 それから、彼に知られてしまったことは、やはり言わなければならないだろう。寝室に入れたせいだと言えば、何故そんな誰が考えてもまずいと思うようなことをと呆れられるかもしれないが……。
そうだな。いつも礼儀正しくて節度のある君だが、従妹だという人や以前の同僚には軽口も出た。なに馬鹿なことをしてるんですかとくらい、罵られてみたいよ。 だが今は、よく休んで、ゆっくり回復して、すべてそれからだ。 「おやすみ」 まだ昼間だがそう言って、私は寝室の明かりを消し、部屋を出た。