スカラ迷宮 after06
トロイの育ちがいいのは知っていた。 国政に関わる家柄に生まれ、外交官の家で育ち、苦労や葛藤がなかったわけでもないからなおのこと、驕ることなく、荒いところや拗ねたところのない奴になったんだろう。 だがまさか、 「もしかしてこちら……お、王族のかた?」 その可能性はさすがに俺も考えたことがなかった。
俺が目を剥いて見やったのは、レドレント・ローズだ。30そこそこの若さで裁縫師ギルドのマスターをやり、サンシルクのチーフデザイナーも兼ねている。ウルダハが世界に誇れる才人の一人だが、俺は縁あって知り合って以来、妙に気に入られていた。 昼下がり、トロイと飯を食ってデザートにどこか甘いものでも食いに行こうか、何を食おうかと話していたら、けっこうな距離から、 「フィ―――ル―――さァ――――――ん!!」 くらいに呼ばれて寄ってこられた。本業で必要なスーツを仕立ててもらったこともあって、知人なのは間違いないが、ここまで懐かれる理由が俺にはよく分からない。とはいえ、ちょっと変わってはいるが仕事熱心で気持ちのいい奴だとは知っている。それにトロイなら、ローズの作る服を買うだけの金もあるだろうと、俺は二人をそれぞれに紹介してやることにした。
幸いトロイにはジンジャー氏という"先例"があるので、ローズの言葉遣いにはまるで驚いた様子もない。ローズはローズで、いい男にはいささかしんなりするものの、一目見てトロイの身に着けているものが良品だと分かったのだろう。少しばかりの職業人の目になった。 のだが、その直後に見目を気にするローズらしくもなく、目も口もぽかんと開けっぱなして数秒。言ったのが、 「もしかしてこちら……お、王族のかた?」 だった。
いきなり何言ってるんだとローズの正気を疑ったが、いや待てと思い直す。養父は元外交官だと聞いているが、王族皇族が外交官になることもないとは言えない。継承権が低く、かつ有能なら政府の重要なポジションにつくのはむしろ大いにある話だろう。 俺はつい、まさかこいつ大したことはないと思って言わなかったのか、と思ってしまった。 だが見やったトロイも驚いた顔をしていた。 「いえまさか。違います。少なくとも僕は、父の家系が王族だなんて聞いたこともありません」 「だ、だよな? さすがに言うよな、だったら。あ、いや、言わないか。言いにくいか」 「フィルさん」 落ち着いてください、と言う代わりに名前を呼ばれた。
「ローズさん。どうして僕を王族だなんて思われたのですか」 身に覚えのないことなら、その疑問は当然だ。トロイに聞かれローズは、 「だってそれ、あの、もしよろしかったら、よく拝見させていただけないかしら。そのジャケットの裏地って……」 「裏地ですか? ええ。構いませんが」 普段よく身に着けているジャケットの片襟を取って自分で中を覗いた後で、トロイは袖を抜くと軽く払ってからローズに手渡した。 表地もだがそれよりはるかにまじまじと裏地、光の加減で上品な銀色の波が見える極淡いパールグレーの裏地を矯めつ眇めつし、 「やっぱりだわ。これ、竜紋絹よ」 心なしかローズの手は震えていた。
竜紋絹、ドラガンシルクは、ラザハンで百年に一度しか作られないという最高級の絹だそうだ。竜の鱗に似た波状の凹凸を持ち、手触りや伸縮性といった布地としての品質は最高級。のみならず、 「竜紋絹はこの薄さで、そのへんの鎧より何倍も頑丈なの。焼いても凍らせても無傷。裁断するにしてもこの波に合わせてうまくやらないと到底切れやしないし、だから向きをずらして二枚重ねたら、刃物だって通らない。エーテル伝導率も最上クラスだから、魔道士のローブとして100万200万出したって惜しくないって人もいるくらいよ」 そんな莫大な金額の話をするためか、ローズは路地脇に俺たちを引っ張っていき、ひそひそと小声になっている。 その話を聞いて仰天した俺だが、どうやらトロイも知らなかったようで、返された自分のジャケットの内側を眺めている。 「でもね、今言ったとおり、竜紋絹が世に出るのは百年一度とか、そんなスパンなの。私が聞いた話じゃ、ほとんどの場合は太守の一族、つまり王族ね。彼等の衣服に使われるそうよ」 なるほど。それでローズは、そんな大層なものを裏地にした上着を見て、トロイをその一族だと思ったわけだ。
トロイはローズの話を聞いて、どうやら腑に落ちたようだった。 そして俺たちに、というより主にローズに、この布地の来歴を語った。これは叔父がくれたものだ、と。 「僕の叔父、と言っても養父の弟なので実の叔父ではありませんが、彼は王宮警護も担う軍に勤めています。このジャケットは、その叔父が僕にくれたものなんです」 着回しができるように三着、エオルゼア風に仕立てたジャケットを用意されたという。武人である叔父の餞別としては意外だと思ったトロイだったが、裏地について話を聞けばなるほどだ。アラミゴでとんでもない無茶をしでかした甥の身を守るためだ。 彼のものなのか、それとも祖先のものなのかはともかく、大きな功績があって下賜された布があったのだろう。一般市民となると難しいが、政府の要人や、人の生死、国の命運を左右する軍人であれば、特別功労として贈与されるのもありえない話ではない。
「ああ……眼福だわぁ……。話に聞いたことはあったけど、まさかこの目で見る日が来るなんて……」 ローズはうっとりと、今にもトロイ……のジャケットを拝まんばかりにしている。 トロイはトロイで、叔父が何も言わずに込めてくれた深い安全祈願を知り、じっと真珠のような光沢の裏地を見つめている。 俺は俺で、まさかこれ一着が100万単位するとはなと、こんなことが世間に知れたらどうなるやらと、怖くなり始めていた。 「おいトロイ」 こんな服は、ほいほい外に来てくるべきじゃない。政府高官だのになると暗殺の危険性もあったりするのかもしれないが、少なくともこのウルダハでのトロイはそんな物騒な連中に狙われる理由がない。 「甘いモンの前に、おまえさんはまず普段着だ」
こんなとんでもない代物は、危険な場所へ行くときだけでいい。それより、そもそも毎日毎日頭から爪先まで、合わせたら何万するか分からないような格好で出歩く冒険者なんてものもいない。育ちが育ちなので安物は体に合わないとしても、せめて桁は一つ落としてほしい。幸いそこにローズもいることだ。似合うものを見繕わせると、それはそれでローズにも楽しいだろう。 促すとトロイは素直に承諾し、誘うとローズは喜色満面で同意した。こいつは心底、誰かに似合う服を考えたりするのが大好きなのだ。 「ご予算 普段の十分の一なら、そうね、『ル・モン』から行きましょ。トロイさんに似合うお洋服いっぱいよ」 そして専門家らしく、見ただけでだいたいの価格も分かれば、予算に合う店もすぐ出てくるらしい。そしてトロイは、ジンジャーに慣れているせいかなんの違和感もない様子でローズと打ち解けて、楽しそうにあれこれと服飾の話をしている。話題にはついていけない俺だが、任せっぱなしだと微妙にまた見当はずれなことになりそうで、好奇心のままついていくことにした。