ブラトロ ああ見えて

      【トロイ】

 買い物を終えて帰ろうとしていた道すがら、横道から出てきた男に間合いを詰められた。 「騒ぐなよ」  低く抑えた恫喝を聞いたときには、逆側にも後ろにも同類と思われる人物がいた。背中と右の脇腹に、尖ったものの押し付けられている感触がある。 (えっと……)  ここは、表通りの商店街からは一本裏手に入った路地で、民家が並ぶせいで昼間は人通りがほとんどない。それならまとめて取り押さえても誰の迷惑にもならないだろうが、目的が気になった。

 おとなしくしていればいきなり暴力を振るうこともない様子なので、僕は言われたとおり静かに、促されるまま歩くことにした。 「タッパァあるが、細っこい兄ちゃんだな」  と言うのは、最初に現れたゼーヴォルフの男とは逆側、僕の左にいるハイランダーの男だ。腕自慢らしく、僕よりも少し背は低いけれど、シャツがはち切れそうに膨らんだ筋肉をしているのが分かる。  僕は、たしかに痩せたからなと思う。ミッドランダーやミコッテのような種族として細く柔らかな人たちから見れば今の僕でも十分いかついだろうけれど、同族からは華奢だと言われても無理はなかった。  ましてや、後ろにいるのはルガディン族の女性のようで、彼等から見れば"痩せたハイランダー族"というのは、ひよわに見えて当然だろう。

「あの、僕になにかご用ですか」  無言でいるのも変かと尋ねる。あまり平然としているのも不審がられるだろうけれど、僕は役者じゃないから、怯えた声が作れるほどじゃない。せいぜい調子をさとられないよう、小さな声で喋ることにした。 「おめえに用なんざねえよ」  と左のハイランダー。 「わけは知りませんけど、人違いとか、してませんよね。もしそうなら」 「あンさぁ、ここいらであンたみたいな小綺麗なカッコしたハイランダーの男なンて、他にいないンだよ。あンたがトロイじゃないなら、誰がそいつなンよ?」  少し南の訛りのある声が後ろから答えた。

 そういえば以前フィルさんから、普段 街に出るのに金のかかった格好をするなと注意されたなと思い出す。今の僕はブランスウェルドのところに厄介になっている身で、働いてもいないから自分のお金というものはない。言えばお金でもなんでもくれるのだろうけれど、必要でもないものを居候の分際で求める気になんて到底なれない。だから衣類は彼が用意したものばかりになる。それが、言われてみればどれも仕立てのいい品物ばかりで、なるほど、それを高級だと思わず普通に身に着けているあたり、やっぱり僕には裕福な暮らしというのが染み付いているのだろう。  ともかく僕が目当てで間違いはないようだし、 「すみませんが、あなたがたに見覚えはないんです。僕が何かしたということはないと思うのですが」 「黙ってろ」  十中八九、目的はブランスウェルドになんらかの損害を与えることだろう。

 この三人のリーダー格はゼーヴォルフの男で間違いなさそうだ。こういった荒事にも慣れているようで、最低限のことしか言わないし、楽な仕事だと浮ついた二人を睨みつけたりもしている。  それでも彼等が不用意に口走る雑談から、ブランスウェルドの商売敵に依頼されたことだとは知れた。  彼等は、というか世間の人たちは僕を、「ブランスウェルドがラザハンの外交官から預かった客」だと思っている。僕に何かあればその落ち度を責められるのはやむなく、近東との交易にも大きな支障が出る。そういう重要な客人だ、と。  だから僕を人質に、ブランスウェルドになにがしかの要求をするつもりなのだろう。

 ただ、やり方がひどく手ぬるいなとは、僕でさえ思った。  極論すれば、殺してしまって、生きているように話を持ちかけても構わないはずだ。にもかかわらずこの誘拐犯たちは僕を殴ることさえしない。抵抗するのでないならむやみに暴力を振るうなと、雇い主に言われているのだろうと思う。だとすればそれは、怒ったブランスウェルドと真っ向からやり合うほどの力も度胸もないからだ。  “客人として招き丁重におもてなしをした。しかし大変申し訳ないことながら、帰りの"足"を不慮の事故で失ってしまったため、そちらから迎えを寄越してもらえないだろうか。”  そんな形で足代として、身代金なりなんらかの利を引き出したいに違いない。

 表社会の"厄介な権力者"程度にしかブランスウェルドを知らない人にとっては、彼は弱みを握れば交渉の場に出てくる相手なのかもしれない。  けれどそれは大間違いだ。  そもそも彼に弱みなんてない……というか、そんな発想は通じないと思う。仮に僕がその弱みで、だから人質にされるのは嫌だとしても、「すまないが返してくれ、言うことを聞くから」なんて絶対に言わない。乗り込んで叩き潰し、奪い返す。それだけだし、そのときには一切の容赦をしない人だ。  だから彼を赤鰐として、噂ではなく実態を知っている人は僕に手出しはしない。もしするなら全面戦争の覚悟でもっと決定的に動くだろう。僕を利用するとしても、人質としてなどではなく、殺して宣戦布告にする。ただそれだけだと思う。

 だからつまり彼等は、あまり頭の良くない雇い主に使われて、これがあまり有効じゃないと判断できずに引き受けた、可哀想な人たちだった。  ブランスウェルドが気に食わないと思えば、彼等だって無事では済まない。 「すみません」  だから僕は彼等に、 「あなたがたはもう少し、ブランスウェルドという人のことを正しく恐れたほうがいい」  こんな馬鹿な真似はやめさせることにした。


      【テル】

 ブランからの命令で、トロイが外出するときには誰かしらが同行するか、あるいは監視することになっている。  それを俺の手下の多くは、「ボスの"身内"に手を出そうとする馬鹿がいるかもしれないから」だと思っているが、とんでもない。 「兄貴、どうします」  だから俺は、シュッツが血相を変えて俺を見たとき、その勘違いを訂正させるいい機会だと思った。

 こいつらは、俺たちがトロイを見張っているのはボスのお気に入りだから、弱点だからだと思っている。こんなふうに馬鹿どもがトロイを利用しようとしたり、あるいは危害を加えようとしたときに守るためだ、と。  たしかに、俺たちのような荒くれ上がりにとってトロイは、本当に育ちも品も性格もいいお坊ちゃんで、うちに来て動けるようになってからしていることも、ほとんどは俺たちの世話だ。医者として面倒見てくれたり、今じゃ飯にもあれこれ気を使ってくれている。喧嘩は口喧嘩すらしたことがないように見えなくもない。  だがブランはもちろん俺やレッコウのような、あるいはバンじいさんたちのような、戦いの経験値が多い奴は気付いている。  こいつはヤバいと。

 そうして実際俺たちは、おとなしく途中までついていったトロイが、立ち止まって振り返ったのとほとんど同時に、三人とも地面に這わせているのを目撃した。  シュッツは呆気に取られている。何が起こったのか分からないんだろう。俺にはぎりぎり見えた。振り向く間際、それぞれの手の裏拳で顔面に一発。そして振り向く動作のうちに後ろの女の足を払い、首を掴んで地面に押さえつけた。的確に血の筋を止めたせいで、落ちるまでほんの数秒。  鼻血まみれの顔を押さえて呻く野郎二人に、 「折ってはいませんが、ヒビは入っています。ですから、乱暴に触らないで、そのまま病院でヒールしてもらってください。そうすればきれいに治ります。あと、もしこれが他の人にも伝わるなら、はっきり言っておいてください。個人の戦闘力だけで話をするなら、僕はこの街のほとんどの人よりも強いですよ? 僕を拐うより、ブランスウェルドを拐うほうがまだ簡単です」

 俺は爆笑しそうになるのをどうにか堪えた。  とんでもない大言壮語のようで、なんの誇張もない事実だろうからだ。しかもそれを謙遜してるみたいに遠慮がちに、申し訳なさそうに言う。  それがかえって未知の状況で怖くなったのか、それとも殴られてトロイの"実態"の片鱗くらいは感じたのか、意識のある男二人は、気絶した女を置いて転がるように逃げていった。  トロイは残された女を見下ろして少し困った顔をしていたが、活を入れて意識を取り戻させる。そして、何しやがったと威勢よく吠えた彼女に、連れの二人は逃げたけれどどうしますかと、地面に落ちた血溜まりを示した。  自分より明らかに強い相手に、即座に尻尾を巻いて逃げ出すのは臆病じゃなく利口な行動だった。

「うわぁやっべぇ。マジかよ。俺、トロイとか言ってたけど、トロイさんって言わねえとまずいっスかね」 「そんなこと気にするかよ。基本的にはおとなしい、吠えさえしない座敷犬だ。ただ、見てのとおり、牙は剥かせるな」 「ヒイィィィ。やっぱ俺トロイさんって呼ぼっと」  これで少しばかり俺の近辺も話題が提供されて賑やかになりそうだが、それより俺は、これをブランに報告したらどんな顔をするのか、それが気になって可笑しかった。


      【ブランスウェルド】

「拉致られかけたァ? ほーお?」  そりゃまた無駄なことを。あいつを拉致れる奴がいるなら見てみたいもんだ。  ありゃ俺でも正面からやり合や勝ち目はねえ。たぶん秒でノックアウトだ。テルでも無理だろう。不意打ちを仕掛けたところで、気配を完全にゼロにできる化け物ででもないかぎり気付かれるし、もし気付かれずに近付けたとしても、こっちの切っ先が届いた瞬間に反撃されて、刺さる前に叩き潰される。  あいつをやるなら狙撃一択、それしかねえ。  俺がテルにトロイを"近くで"見るように言ってるのは、こういうつまらん外敵のためじゃねえ。  深刻なエーテル欠乏症。そのためだ。

 俺に医学の知識はないが、ものの理屈、仕組みとして分かる。それにいくらか調べて理解した。  命ってものを形作り、健常に維持するために最低限必要なエーテルが100だとする。生き物ってのはその上に200、300ってエーテルを持ち、それで動いてる。  怪我や病気ってのは、上に乗ってる追加の200や300部分の欠損だ。ここは流動するのが当たり前で、だから削れても問題ねえし、追加してやれば補充される。一方で、年を取ったりすれば自然と減っていって、それがゼロになったとき、つまり、追加分がゼロになり、最低限の100を切ったときが寿命ってわけだ。  この100って最低限の生命値は、絶対に下回っちゃならねえ数字だ。もし下回ると、生命そのものが脆くなり、破綻する。そして、一度削れたが最後、二度と戻らねえ部分だった。

 トロイはそこをぶっ壊した。  超絶優秀なヒーラー様が寄ってたかって治療して、それでなんとか命は繋いだが、本来100なきゃならねえ生命値は90とか80に削れたままだ。普通の人間なら維持できずガタガタと崩れていくところを、あいつはどうやら、モンク特有の"気"のコントロールで負担がないように巡らせ保っている。  それに、元々が並外れて鍛えられていたから、トロイにとっての最低限の100、それを下回った80ってのでさえ並の人間の100と変わりねえ。だから、それを崩壊させず維持できるなら、日常生活に支障はねえわけだ。  が、いつどんなはずみでコントロールをなくして崩れるか、それはおそらくあいつ本人にも分からねえことだった。

 だから、そう、万一はある。  片手どころか小指の先であしらえるほどのゴミが相手でも、たまたまそのときに調子が悪くなりゃ、話は別だ。  ああいう馬鹿がいなかったとしても、突然具合を悪くしたのを誰も処置できず(意図的にしないことも含めてだ)、なんてことも起こりうる。  だからと言って外に出るななんてつまらねえ縛りもしたくねえから、好きにすりゃいいと言ってある。その代わり、“医者"に送らせた薬を持たせたテルたちに見張らせてるし、必ずガタイのいい奴を一人付けさせてる。  今回はたまたま何事もなく、まあ馬鹿野郎には適当に思い知らせておくとして、笑い話で済んだわけだが……。  やっぱり万一ってのは、ありうるんだよな。  絶対に来るはずのねえ空模様から、嵐が来ることもある。  そうなったとき俺はーーー。

 今までと同じように、まあしょうがねえ、いつかは別れるもんだと、軽く後に忘れて行けるのか?

 なんでだか、どうして守れなかったと、何年も悔やみそうな気がする。  これまでの俺にはなかったことだが、ふん、だったら、それが今の俺ってことか。で、今の俺の感じるままが、そんな万一は冗談じゃねえと言ってやがる。 「おいテル。目ェ離すなよ」  俺が言うとテルは小さく笑ったが、余計なことは一つも言わねえで頷いた。