ブラトロ 赤鰐という男

 奴が"海賊"ってぇ看板を下ろしたのは、もう20年より昔のことだ。  あんときゃそれを、誰もどうとは思わなかった。手強い、ってよりクソ厄介なライバルが減ったと、それだけだった。なんで奴が海賊をやめたのかなんて、頭の悪イ連中は何も考えなかった。思いつきで、飽きたんだろうとか適当に言うだけだった。  俺は、あの気まぐれででたらめな野郎なら、ただ飽きたってだけでたしかにやめそうだとは思ったが、なにか引っかかるような気もした。けどそれを深く考えることはなかった。俺には俺の稼ぎがあったし、養わなきゃならねえ連中もいたからだ。

 奴ーーー赤鰐のことは、それでも誰一人として忘れることはなかった。当たり前だ。奴は海賊こそやめたが船は捨てず、そのまんまカタギの商売人として海を行き来したからだ。  カタギとは言っても奴の船はそのまま海賊船だ。乗り回してた小型の船だけじゃなく、新しく造ったらしい大型の船も軍艦と言ってもいいような武装をしてた。襲えば当然 反撃してくるし、「戦(ヤ)るなら皆殺し」って流儀は少しも変わっちゃいなかった。噛みつこうモンならこっちが木っ端微塵にされた。  結局、赤鰐には手を出すな、それは少しも変わらなかった。

 それから何年かしてのことだ。シルバーサンドのメスガキが霧髭を抱き込んで国のカジ握りやがった。  あの女の言うことはもっともで、このまま海賊の国としてやっていけるわけがねえことは、俺にも分かった。海岸線や内陸じゃサハギン族やコボルド族との争いも激化してたし、てめえの船を襲う俺たちを、ウルダハの商人たちがいつまでも指くわえて見てるなんてこともねえ。奴らは金の力で腕の立つ護衛や武器を揃えたし、冒険者ギルドなんてのもできて、実際のとこ俺たちの仕事は年々厳しくなってた。  だから俺は、ぎゃーぎゃー吠える手下どもを抑えつけて、提督サマのケツに乗っかることにした。

 俺は、脳みそってモンをほとんど使わねえ海賊どもの中じゃ、ちったぁ目端がきくほうだと自分でも思ってたし、それに間違いはなかった。  私掠船として活動するために必要な船と人員の登録、組織としての財産の報告、事務だ手続きだはやつたこともねえからクソ面倒だったが、メルウィブが手伝いに寄越した連中はセコい誤魔化しなんかせずあれこれ助けてくれた。そのへん見ても、あの女はマジでこの国をまともにする気なんだと感じたもんだ。  こういう言い方は気色が悪イが、俺はメルウィブの言うことに素直に従った。腰抜けだなんだと言われたが、後になってみりゃそのおかげで俺たちは それまでとあんま変わらねえ暮らしができてた。獲物を限られたせいで略奪のアガリは減っても、その分なんのかんのと国からの補助ってヤツもあったからだ。

 俺とは逆にゴネにゴネた連中や、あれこれ姑息な手を使って"海賊らしく"あろうとした連中は、ミルモムザン、てんだろう。ひどい落ちぶれようになった。  申告しねえで隠した財産なんては、つまり、「持ってません」ってモノだ。誰のものでもねえそれをメルウィブはどうやってか次々と見つけ出し、片っ端から国の懐に入れた。やべえってんで金にしちまおうとしても、おんなじような奴らがあっちこっちでおんなじことしてて、売値はガンガン下がっていった。  俺みてえに、最初っから素直にはいはいと任せちまってれば、そこそこの値で国に買い取ってもらえたりしたんだ。あんときは買い叩かれてると思ったが、暴落し尽くしたのよりははるかにマシだったし、ものによっちゃけっこうイロも付いて、悪くなかった。

 そうなって俺は二つのことを知った。  一つは、ゴネるのが面倒くせえからだろうと、なんかこの波にゃ乗ったほうがいいんじゃねえかと思った、俺の頭は悪くねえってこと。  そしてもう一つは、赤鰐って野郎の恐ろしさだった。

 メルウィブが動く前に海賊をやめたあいつは、てめえの思うように、思うとおりの価値で財産を処分した。それで船は全部 真っ当な商船。軍備も自衛用としてとっくに申告されてる。メルウィブが動き始めたときにゃ、略奪したままの財産なんてのは1ギルもなくなっていた。略奪品だのってのはとっくの昔に処分されて、その"汚い金"も商売であちこち巡り、全部"きれいな金"になっていた。  つまりメルウィブは、リムサ・ロミンサは、赤鰐からは1ギルも奪えなかったってことだ。  そして奴の金、資産ってヤツは国の持ち金と変わらねえほど莫大になっていたし、大抵の仕事、会社ってのは上へ辿るとどっかであいつの網にかかるようになっていた。

 俺はそう知ったとき、分かったとき、ぞっとした。  この国はあいつの網ン中だ。あいつがぐっとそれを引けば、国がまるごと引きずられる。  あいつにそんなマネするつもりはねえだろうが、これは国を人質にしたも同然だ。  それでこいつは決してたまたまなんかじゃねえ。あいつはこれを狙ってた。見越してた。誰より早く動いて動き回って、国すら黙らせる金と力を手に入れた。  俺は、奴は海賊をやめちゃいなかったんだと知った。  てめえの船と手下と才覚だけで、世海を自由に泳ぎ回り生きる、究極の海賊だった。

 俺はそれからずっと、赤鰐の野郎にだけは絶対に牙立てねえことを決めてやってきた。そうすりゃあいつはなんてこともねえただの商人だ。  だとしても、だ。丸くなったとか、カタギなら無法なことはできねえはずだとか考えちゃならねえ。  あいつは少し前に、国ですら手ぇ出さなねえでいた病犬を一匹残らず駆逐し尽くした。理由は分かってねえが、なんか気に食わねえことをしたんだろう。集落丸ごと襲撃し、焼き払い、皆殺し。焼け跡には黒焦げの死体どころか、黒焦げの肉片骨片しかなかったっていう。  それでいて、ホウチコッカってものになったはずの国からはなんのお咎めもなし。つまり、国や法からさえ自由な海賊、それが赤鰐だ。

 だから俺は、あの野郎がクソほど大事なデカい客を招いてるって聞いたときにゃ、そいつに何かあっちゃやべえと思ったくらいだ。  赤鰐にへいこらする気はねえとしても、暴れる鰐の巻き添えになんか絶対なりたかねえ。  だからこそそいつのことは調べさせた。  ラザハンの外交官のせがれだとかで、どうやらその外交官ってのは、あの帝国に中立、不可侵の条約を結ばせたっていうとんでもねえ大物らしい。  ただ、俺がこの目で実際に見た感じじゃ、そんなもんは建前でありゃ赤鰐の愛人だ。ラザハンからの客ってのが、なんでこうもリムサ風の服ばっかり着てる? 普通ならお国の服だろう。民族衣装ってんじゃなくても、国から着替えだって持って来るもんだろうし、使用人だかなんだか知らねえが、面倒見る係ってのがいつもいるもんじゃねえのか?  けどそんなことはどうでもいい。赤鰐だって大して隠す気がねえから、俺にだって分かるようなままほっといてるんだろう。大事なのは、「手ぇ出したらただじゃおかねえ」、それだけだ。

 だから俺は、その大事なオキャクサマに絡んだバカって奴の話を聞いたとき、そこにいた手下どもに言ったもんだ。 「病犬と同じ目に遭いたくなきゃあ、絶対ェあの"客"には手ェ出すな」  ってな。  奴は見境のねえ殺人鬼なんかじゃねえが、てめえが気に食わねえってだけで、たとえ国だろうと食らう男だ。国さえ出し抜く血まみれの鰐になんぞ、絶対ェ楯突くもんじゃあねえんだよ。