Prologue
来艦の報が入ったのは、午前の整備点検が終わる直前だった。 予定どおりで、僅かな遅れもない。 対面のためブリーフィングルームに向かうシェパードの背にジョーカーの舌打ちが届く。 「どうせまた、こっちの飛び方に文句つけるタイプだろ。やってらんねえ」
「評議会から提案された戦術顧問を迎えろ」。上層部からそう言われ、断る権限はノルマンディの誰にも、どこにもない。アンダーソンからの補足はあったが、それも簡潔だ。「信頼に足る人物だ」。それだけで、名前すら最初は伏せられていた。 格納庫に近いエアロックが開く合図が鳴ると、誰もが警戒的な緊張を覚えた。 気圧調整の僅かな音がし、ハッチが開く。かつん、と足音がする。 やがて、クインツ伍長の案内でメインデッキに現れたのは、大柄なトゥーリアンの男だった。
大きい。それが第一印象だ。そして、装甲のように厚い外皮は濃い灰色で、彼等のそれはいわゆる外骨格であるにも関わらず金属のようにも見える。 トゥーリアンはヒューマンよりも大柄な種族だが、それにしても彼は長身で、ノルマンディ全体が一回り小さくなったようだ。 顔にはギャレスと同じような視覚補助デバイスが装着されている。片目を覆う黒いそれは、明滅する稼働中サインの青がやけに目立つ。 「当艦艦長は、ブリーフィングルームに待機しております。そのまま、こちらへどうぞ」 クインツ伍長がそのまま案内しようとすると、 「ああ」 低いがよく通る、驚くほど耳障りのいい声が聞こえた。
「ああ」とそれだけだが、「分かってるからとっとと案内しろ」ではなく「よろしく頼む」だと感じた。 幅のある背中が通路の奥に見えなくなると、ほっと緩んだ空気の中、最初に言葉を発したのはタリだった。 「……ちょっと、思ってた感じと違うわ」 クォリアンとして、行く先々で無礼な態度を取られる彼女にとって、C-Secのトゥーリアンはほとんど"敵"だ。その印象が強いだけに、偉そうでないトゥーリアンというのはよほど意外だったらしい。 「確かに。ですが、ま、私が言うのもなんですが、“トゥーリアンの軍人"ですから」 ギャレスが言って肩を竦める。
その横でレックスは大きな口を歪め、ニヤリと笑う。クローガンとトゥーリアンの間には、絶望的な断崖と言っていいほど巨大な種族的な確執、隔絶がある。「種族として絶滅させられそうになっている側と、それを決行した側」としてだ。“レックスにとって快いトゥーリアン"とはすなわち、叩き潰して楽しめる相手に他ならない。強い、とは感じたのだろう。 ケイダンは、気付かれないように視界の端でアシュリーを見る。彼女はしかめっ面だ。たぶん本人は毅然とし、平然としているつもりなのだろうと思う。祖父がトゥーリアンに殺された娘としては、無理もないことなのかもしれない。だがケイダンには今ひとつ理解できない。戦争だったのだ。 (まあ、俺には関係ないか) 仕事のときにそれを出して、面倒なことにならないならいい。ケイダンはそう思った。
「SSVノルマンディ SR-1艦長、ジョン・シェパード中尉です」 ブリーフィングルームで顔を合わせ、シェパードがそう言うと、相手はそれに呼応するように淡々と、 「リデアン・トライオス少佐だ。評議会の命により、これよりこの艦の運用監査、および戦略補佐を担当する」 声は低く、耳に心地よく、しかし淡々として抑制された響きだった。押しつけがましさは一切ないが、拒絶も許さない、まるで機械のような印象だ。
シェパードは圧される。 ノルマンディに乗るとき、階級を上げられた。27歳で中尉というのは、世間にないわけではない。だがそれは、優秀な官僚であれば、だ。階級は、前線における強さではなく総合的な能力に対する評価で、シェパードは自分を、勇敢で良い兵士としては自負できても、監督官向きではないと思っていた。 馴染まない肩書と、立場。それに相応しい自分ではないなら、せめてこれからそうなれるように努力しようと思って受け入れた。 だが目の前に、少し前までは"大佐"ですらあったという相手を見ると、自然に、従う者になりそうになる。
自分が彼を"使う"側だと、どうしても思えない。 それでも緊張や萎縮は見せないよう、平常心を心がけたが、握った手は汗ばんでいる。 リデアン・トライオスは、そんなシェパードをどう見たのか、少しの沈黙の後、滑らかに言葉を紡ぎ出した。 「私の立場は、評議会の、そしてトゥーリアン軍本営の"目"として、この艦を監視するものであることは否めない。だが、彼等の思惑がどうであれ、貴官のもとへ派遣された以上、艦長の指揮に従い任務にあたる。また、政治的、外交的な立場を考慮すれば、私から積極的に介入することは、この艦にとって、現状ではマイナスになると判断している」 だから、致命的な欠陥については指摘しても、基本的には「問われれば答える」ことにしたいがそれで構わないだろうか、と尋ねられた。
シェパードは彼の言う意味を必死に考えて理解し、 「自分も、それが良いと思います。ご配慮に感謝します」 と答えるのが精一杯だった。 「では」 とリデアン・トライオスは艦の案内を乞う。“ヒューマンの最新鋭艦"をつぶさに観察する意図もあるだろう。だが単純に、これからは彼もこの艦内で起居するのだ。当然知っておかなければならない。 シェパードはつい自分が案内しそうになったが、今はそんなことをする立場ではないのだと思いとどまる。 そして、誰が適任かを考え、クインツ伍長ではなくケイリー補佐官に、無線で依頼……命令した。
その日、ノルマンディにひとつ、星が加わった。 静かな重みだった。 巨大だが目を閉じたように静かで―――だがこの艦にとって、何かを変える存在であることは、間違いなかった。