第二話:英雄

 艦内の昼サイクル。ノルマンディの食堂は、ほのかにスパイスの香りが漂っていた。手軽な軽食が並ぶセルフスタイルのカウンターから、四人がそれぞれ好みのトレイを手にしていた。  テーブルについたのは、シェパード、アシュリー、タリ、ギャレスの四人。 「フェロスでの任務……いろいろ考えさせられたな」  そう切り出したのはシェパードだった。手元のスプーンでスープを混ぜながら、静かに言葉を続けた。 「なあ。正直な話、トライオス少佐のこと、どう思う? ノルマンディにとって政治的にかなり厄介な存在だってのは置いておいて、なんというか、率直に」  アシュリーが少し考えるように眉をひそめた。軍人として軽率な発言はできないが、思うこと、感じることは当然いろいろある。 「私は一緒に行ったわけじゃないけど、報告書や身上書だけ見れば、完璧な軍人よね。ただ、それだけに"少佐"ってのが納得いかない」 「ああ、それは降格されたからでしょう。彼は私が知るかぎり、“大佐"でしたよ」  ギャレスが言う。だとすれば、彼は本来アンダーソンと同じ階級、それだけの実績があったということになる。 「降格って、なにか大きなミスをしたってこと?」  タリが尋ねるとギャレスは頷き、だがすぐに首を横に振った。 「何かあったから降格されたのは間違いありません。でも、彼が変なミスをして降格される、なんていうイメージは、少なくとも私には皆無ですね。聞くかぎり知るかぎり、極めて完璧な、模範的な、伝説の軍人ですから」  そしてギャレスは、彼がトゥーリアンの近代軍史に名を残した、最初の出来事を語り始めた。 「“アーヴィス・リッジの撤退戦"と呼ばれています。具体的に説明してもタリには分かりづらいでしょうから簡単に言うと、逃げ道は一つしかないような状況で、四方をクローガンの殺気立った部隊に囲まれて、絶体絶命。しかもその逃げ道も、伏兵が置かれたり、迂回してきた敵が出現する可能性があるなど、安全とは到底言えなかった。なんとなくでも、どれだけ危険な状態だったか想像できますか、タリ」 「え、ええ。後ろに下がるしかないけど、その後ろも危ないかもしれなくて、しかも敵はクローガンなのよね。しかも一人や二人じゃない」 「そう。そもそもそんな状況になったのは、指揮官の采配ミスでした。当人は死亡し、部隊は……大きな作戦だと、20人程度の部隊をいくつも作って、それぞれに役割を与えられます。その部隊も、壊滅したり、半壊したりで滅茶苦茶。今何がどうなっていて、どの部隊がどこで何をしているのかも分からない。逃げていいのかも、反転して攻撃するべきなのかも、誰も何も言ってくれない。……軍人なら、リアルに想像できる状況だと思いますよ」  アシュリーが神妙な顔で頷く。シェパードは、かつての自分と重なって僅かな寒気を覚えた。

 必死に戦う自分たち。無線から聞こえる指揮官の指示。ところがそれが途絶え、誰も何も言ってくれなくなる。自分たちだけの判断でどうにかするしかないが、どうすればいいのか、若く経験の浅い自分には分からないし、少し年嵩の者も判断しきれないでいる。  そんな中、足元でまた不気味に地面が揺れ始める。シェパードは、もう無我夢中で、とにかくあの大岩まで走れと声を張り上げた。あの岩ならこの怪物ーーースレッシャー・モウの突き上げを邪魔できるかもしれない。ただそう思っただけだ。  そういう、その場しのぎの選択を繰り返し、死んだ仲間もいたが、どうにか生き延びた仲間もいた……。 「そんな中で、とっさに指揮をとったのが彼だったそうです。ええと、今の彼が40歳ですか。だとしたら、24か25くらいですね。それくらいの若さです。もともと優秀な人なので、部隊を一つ任されてはいたかもしれなくても、中隊規模の指揮なんてしたことはなかったはずです。それが、残った部隊をまとめ、使って、大多数を生還させた。具体的な"動き"も史官の精査によって記録に残っていますが、ーーーまあ、見事ですね。トゥーリアン憎しで突進してくるクローガンを、うまく誘導して罠にかけ、足止めし、その隙に距離を稼ぐ。かなりシビアですが、だからこそ一手が決定的になる。崩壊するにしても、功を奏するにしても。それで、それまでは一部の者が知るだけだった名が、一気に軍に広まったわけです」

 資料には、部隊の動きなどがかなり詳細に記されている。圏外に待機していた艦が、兵士たちのタグを利用して読み取ったものに加え、史官と呼ばれるトゥーリアン独自の記録官が、聞き取りや調査をして判明した”事実”がそこにある。  それによると、最後の最後に10人程度の部隊、というより、そのときそうすることを選んだ志願者たちが、直接クローガン部隊と交戦して足止めをしたと分かっている。  20人はいるクローガンを相手に、その半数での激突だ。  半分は、帰らなかった。だが半分は、クローガンたちを追撃不能にして帰還した。  その中に、リデアン・トライオスもいたことが確認されている。資料からも、その作戦に参加していた者からの口書としても。

「……その資料、見られる?」  どこか怒ったような顔でアシュリーが言う。シェパードには彼女の心理が分からない。真面目なことは知っているので、教材とするために学びたいのだろうかとは思うが、そういう様子とは違う気がする。  ギャレスは、 「さすがにヒューマンに貸し出すのは無理ですね。パラヴェンの軍本部に行けば、開架資料の一つとして閲覧できますが、そもそも他種族では本部に近付けもしないので」 「やっぱり。まあいいわ。でも……つまり彼は、肩書だけじゃなく中身まで大物ってことね」  アシュリーが低く呟いた。関心と、警戒、がうかがえた。  仲間たちからの信頼と忠誠を得ろ、彼等の個性を把握しろと言われたシェパードは、あれから、不躾にならない程度にクルーたちを観察し、彼等を知ろうと努力していた。  身上書のデータは読み込んで記憶し、機会があればこうして彼等がなにを考えなにを思うのかを理解しようとする。  だがうまくいかない。  たとえ身上書にあるとしても、他人にそうやすやすと触れられたくないようなことに触れて、ケイダンを不機嫌にさせてしまったし、今こうして見ていても、何故彼女は怒ったように見えるのか、ギャレスはどんな気分でこの話をしているのか、さっぱり分からない。  食事を終えて解散し、立派すぎる艦長室に戻ったシェパードは、 (あの人なら)  と考える。スプリングのきいたベッドに、清潔な天井。そこに、どこか金属的な印象の、黒いトゥーリアンの姿を描く。  リデアンならきっと、若いクルーたちの心情など簡単に読み取るのだろう。  そしてーーーあのとき、そこに彼がいれば。  どうなっていただろうと思わずにいられなかった。  あのときそこに彼がいれば、自分たちを迷わず指揮してくれただろう。そして自分たちはもっと多くの数、生き延びることができたはずだ。相手がスレッシャー・モウだろうと関係ない。その生態を知り、的確に導いてくれただろうと思える。  だが実際には、生き残ったのは自分を含めてほんの6人だった。  それでも生存者たちは、シェパードがいたからだと言ってくれた。彼が助けてくれた、先頭に立ってくれた、諦めるなと鼓舞してくれた、だから俺たちは必死についていって、生きて帰れたと。  だが、全部ただの偶然と運だ。  必死過ぎて具体的なことはほとんど覚えていない。だが、その時々で選んだ道は、「そのとき助かるように見える道」で、それ以外の理由はなかった。それがたまたま、助かる道と合致していただけに過ぎない。  そしてもちろん、こっちだと走った先、揺れる足元、飛び出してくるスレッシャー・モウの牙がブーツにかする。だがかすっただけのシェパードとは違い、飲み込まれた者もいた。……間違った道だったこともある。思い出すと吐き気と震えが来る、嫌な光景だ。  もし、逆に行けばもっと多くの犠牲者が出たのだとしても、たった一度として、正しいから選んだわけではない。  それでもシェパードは、仲間を鼓舞し生還した、生還させたとして、勲章とともに階級を一つ上げられた。  高い評価も得た。心苦しくはあったが、それでも、兵士としての精神力、体力、戦闘力への評価なら、謹んで受け止めた。もっと強くなりたいと思った。そうすることで、期待に応えたいと。  だが今自分がいるのは、兵士ではなく指揮官のポジションである。  指揮を間違って、一気に部隊を半壊させる、そんなことをやりかねない地位なのだ。  重い。自信もない。だがそれでも、やるしかない。  足で反動をつけて起き上がったシェパードは、枕元のデータパッドを取ると、昼食時の出来事を思い返しつつ、仲間の身上書に所感メモを書き加えた。観察し分析するのは、彼等を一段低く見ているようで気分が悪い。だが次の戦いが起こる前に、少しでも彼等の"個性"を知っておかなければならない。さもないと、彼等自身に取り返しのつかないことをもたらしかねない。

(アシュリーは、真面目で軍人らしくて、指示には従ってくれる。だが、内心はけっこう別かもしれない。“仕事だから、言われたとおりにする。でも、本音は違う”。ギャレスは……いい加減に見えるし、発想が乱暴なのはやっぱり否定できない。でも、俺よりずっと、みんなとの距離を掴むのが上手い。その証拠に、あのアシュリーがもうあんまり警戒してない。……ように見える。タリは、素直で優しいけど、時々頑固になる。彼女が尊敬するのは、というか"分かる"のは、俺たちみたいな兵士じゃなくエンジニアだ。だから、彼等とはもうすっかり親しくなってる)  レックスは、ケイダンは、と、今の自分に分かることを書き込み、消して直し、読み返す。  そしてふと、 (大佐も、こんな苦労したんだろうか)  とアンダーソンを思い出す。“受けた勲章を溶かせば像が立つ"と囃されるほどの人だ。彼ならもっとあっさりと自然に、仲間たちを把握するのかもしれない。自分と同じような年の頃であっても、自分よりずっと優れていたのだろうと思う。  そして、リデアン・トライオスも。  ギャレスの語った伝説の撤退戦。その当時25かそこらだったなら、あの死線をかいくぐった自分と同じ頃合いだ。それでも彼は的確な指揮で部隊を動かし、守った。 「……クローガンに突撃することなら、俺にもできるだろうけど」  それでも生きて帰れた自信はない。  シェパードは、苦い自嘲を浮かべ再びベッドに転がった。