第一話

 気がつけば、古びた石室の中にいた。  まるで見覚えのない場所だった。  ここはどこなんだとあたりを見回して、傍らで俯せに倒れている銀髪のヒューマンに気がついた。彼が身につけているシャツは原始的と言いたくなるほどシンプルで、似たようなものは歴史の教科書でしか見たことがない。どういう文化圏のヒューマンなのかと思ったが、とりあえず大丈夫か起こそうとしてその背に手をかけると――― 「え……?」  その手が、ヒューマンの手だった。  彼は自分の両手を見た。間違いない。そして、その手で触れた頬は柔らかく、頭部には細い糸束……髪があった。  間違いは、ないようだった。

(ヒューマンに、なっている、のか……?)  体を見下ろす。目に入った服は、やはり粗い材質でどことなく民族的な印象だが、質は良さそうだ。  奇妙な夢なのだろうか。だが、夢の中で夢かもしれないと疑うときのような、あるいは夢だと自覚したときのような感覚はなく、 (そうだ) 「君、大丈夫か」  自分の手を見たせいで後回しになっていた、銀髪の人物の安否を気にした。  なお、内耳を通して聞こえる声は、自分のものだ。 (つまりは私は、ヴェクタス・アヴローン。それに間違いはない。……たぶん)  そうして軽く揺さぶってやると目を覚ました青年は、 「ここは……」  と、リデアン・トライオスの声を出した。

 理解は不能だったが、いくらかの事実は確認できた。  ここにいるのは黒髪と銀髪、二人のヒューマン青年だが、その意識はそれぞれ、ヴェクタス・アヴローンとリデアン・トライオスのものであり、外見は大きく異なっているものの、声は本人のままであるということ。  それから、互いに50代、40代だったが、おそらくこの姿は20歳そこそこのものと思われること。  ここがどこかは分からないが、ここに来る直前のことは覚えているし、共通しているということ。  覚えている、最後のこと。それは、華やかなパーティー会場に突然響いた甲高い共鳴音。次の瞬間、激しく揺れる床、亀裂が入り崩れる壁、落ちてくる天井、すべてが一斉に起こり……。 「状況から推察して、衛星搭載の対地兵器が使われたのではないかと」 「やれやれ。それでは、どんなSPや英雄がいようとどうにもならないか。で―――ということは、私たちは死んだ、ということかな? それでここは? 天国?」 「それは、どの種族の概念においてですか?」 「うん、また一つ分かった。どこに行こうと君は君だな」  ヴェクタスがそう言う前で、リデアンはどうしても自分の右手に目がいくようだ。無理もない。ここ数年、彼には右腕も右脚も、そして視力もなかったのだ。だが今は、ヒューマンのものではあるが五体すべてが揃っている。

 何故こうなっているのか、理屈も理由も分からないことを除けば、 (恩恵、だな)  ヴェクタスは考える。リデアンは失った身体機能を取り戻し、しかも二人とも若返っているのだから、喜ぶべきだ。  であれば、 「考えても仕方ないことは、考えるのをやめよう。とにかく外に出て、もう少し状況を知るとするか」  そして、緊急に対処しなければならない危険や不都合がないのであれば、 (楽しそうだ)  と、ヴェクタスは皺一つない自分の手、ヒューマンの、五本の指がある手を握って開き、口の端を上げた。


 知らない、かつかなり未発達、発展途上の場所だった。  文明はあるが古く、遅れている。素朴で、ありのままの"自然な自然"が多い。  そして、 「旅の途中で災難に遭って、無一文なんです。このあたりで、夕飯代を稼げる方法を教えてもらえませんか?」  言葉は不思議と通じるし分かる。相手が聞き取りづらそうだったので、ひどい訛りがあるように聞こえているのかもしれないが、意志疎通できるなら問題ない。  それから、どうやらここは700年ほど昔のヒューマンの世界によく似ているようだ。もっとはっきり言えば、 「ファンタジーなゲームの世界、というところかな」  紹介された冒険者ギルドに登録し、新米冒険者として薬草採取に向かいながら、ヴェクタスはヒューマンの友人が気に入っていたゲームを思い出す。  現実の過去ではないと判断するのは、ヴェクタスが今手の中で生み出している炎のせいだ。これは物理や科学ではなく"魔法"である。空気中、というよりも世界に満ち、流れ込んでくるように感じる力、それを手の中に流して集めるように意識し、燃え上がるイメージをしたら出せたものだ。これを凍るイメージにすれば凍結し、散るイメージであれば拡散する風になる。

 リデアンにはそういう力の存在も感じられないし、同じことはできない。その代わり、手に取った石塊を簡単に握りつぶすことができる。脆かったのだろうかと他のものでも試したが、どうやら彼の場合、筋力、身体能力が数倍に膨れ上がっているようだった。 「つまり、私は魔法使いで、君は戦士というわけか」  ヴェクタスはうきうきしている。これがなんであれ、ゲームのような世界で、若い体で自由に……なんのしがらみもなく生きられる。しかも魔法なんていう素敵なものまで使えて、なにより、 (君と一緒にいられるんだ)  楽しくないわけがなかった。

 今向かっている、初心者冒険者向けの"薬草採取"という依頼も、既に楽しい。  広大な空にただなにもなく広がる原野。そこに群れ咲く花、生い茂る草。  それに、 「さすがに、ゲームじゃないんだから、これを食べるだけでHPが回復する、怪我が治るなんてことはないよな。煎じるのかな。いや、そもそもゲーム上でも食べているのか? それとも貼っている?」  薬草というだけでヴェクタスはわくわくしてしまう。冷静に考えれば、かつて自分たちがいた世界にも薬の材料となる植物は様々存在していたのだから、珍しくもなんともない。分かってはいるのだが、RPGっぽい世界というだけでフィルターがかかっている。  リデアンが淡々と、 「揉んで汁を出すという可能性もありますね」  と答えるのは少しも変わらず彼らしくて、本当にどこに行こうとリデアンはリデアンだなと少し可笑しいし、 「試しておきますか?」  と左腕を少し掲げて右手を腰に、借り物のナイフに伸ばすのも、 「なんでそこで自分の手を切る発想になるんだ!?」  ぎょっとして止めたが、 「使用する可能性があるなら、事前に効果や用法を確かめておくべきですが」 「その、限界ぎりぎりで生き延びている兵士みたいな常識は、頼むから捨てような?」  やはり彼らしいのではあった。

 そんな道中でちらほら見かけるのは、 「おっ、スライム発見!」  ぷるぷるぶよぶよしたゼリー状の生き物、受付の女性が言っていた"スライム"だった。  街の近くに出てくるものは幼体だから小さいが、人を含む動物の顔に取り付いて窒息死させてから溶かして食うらしい。 「草深いところには行かないようにしてください。たとえサジュナを見つけたとしても、近付かないように」  彼女は真剣な様子でそう警告してくれた。  ゲームでは"序盤の雑魚"として扱われていた記憶がある。だがこの世界においては、見かけたら決して半径2メタル(≒2m)以内に入ってはいけない危険なモンスターのようである。物理的な攻撃は無効化され、掴むことも難しいという。そのため、顔を覆われてしまったら剥がせなくなるのだ。  とはいえ、試してみたところ火と雷の魔法が効く。おかげでヴェクタスにとっては、使いはじめたばかりの魔法の、いい練習台になっていた。

 それに、倒すと溶けたように形を失った中に銀色の玉が残る。“パチンコ"玉よりは一回りほど小さく、真球ではなく少しいびつで、日差しがあたると虹色に輝いて綺麗だった。  今ヴェクタスのポケットの中でチャラチャラ鳴っているのは、拾い集めてきたスライム玉である。行く先々でちらほら現れるため、10個ほど貯まっている。  加工できるのかどうか分からないが、もし穴を開けられるなら、縒り糸でも通してブレスレットにしたら面白いだろう。 「私の分はもう少しでできそうだが……」 「その言い方では、私の分も作る気ですか」 「当たり前だ。おっと、たぶん、あの木じゃないかな」  立ち止まり、ヴェクタスは離れた場所に一本だけ立つ、神木と言えそうなほど悠然とした広葉樹を見やった。

 薬草のある場所については漠然と、街から西の草原一帯としか聞いていない。  その広い範囲をあてもなく探し回るようなヴェクタスではなく、彼は薬草、サジュナという名の草を見つけるたびに、周辺の環境や条件から植生に見当をつけようとした。専門家ではないため本格的な論考はできないが、共通項を探ったところ、“樹木の根"に根付いて育つもののようだった。  だがあたりに目立つ樹木はなかった。そこで、いったいどこから根を伸ばしているのかと、リデアンにやや広く地面を掘り返させて調べ、方角を絞って見つけたのがあの巨木である。

 立派な木だ。ヴェクタスたちの、元の世界の常識でいくと、千年以上の樹齢がありそうである。  それ以上に驚くのは、思ったよりは大きくないことだ。  太さは大人十人で囲めるかどうかで、高さも40メタルはありそうな素晴らしい巨木ではあるのだが、 「いったい、何テール先まで根を広げてるんだ? ともすると、深さも相当なんじゃないか?」  その根は、本体の数十倍も遠くまで広がっているのだ。  そして、目当てのサジュナはその木の周囲に、今ヴェクタスたちがいるあたりまで、丈高い草に混じって列となり、大量に生えていた。 「もしサジュナがここでしか採れないものなら、あの木の養分を吸って育つからこそ、薬草になるのかもしれないな」  そこまではしみじみと言って、しかしその後でヴェクタスは 「ふふっ」  と嬉しそうに笑った。

 手を温めるように揉み合わせ、目を輝かせる。ちらりとリデアンに視線を向けると、彼はどことなく諦めた様子で尋ねた。 「……分かりました。聞いてほしいんですね? “どうしましたか?"」 「ギルドのあのお嬢さん、いや、あの耳、エルフというやつなら私たちよりも年上かな。まあともかく、彼女は何故、西の草原で見つかることや、スライムに気をつけることは親切に教えてくれたのに、この木のところへ行けとは言わなかったんだろうな?」  ここにあると知らなかった? それはない。街からまっすぐ来れば徒歩で一時間程度の距離だ。  親切なように見せかけての、新人冒険者への嫌がらせ? 楽に集められるのに、苦労して探し回れと? 可能性はあるが薄い。  おそらく答えは、あると分かっていても近づけないから、だろう。  そして、ここまでの道中、サジュナを見つけると必ずその近くにはスライムがいたし、次第に双方の発見間隔が短くなっていった。  ということは?  かさっと小さく茂みが揺れ、その隙間に陽光をはじく"動く水"のようなものが垣間見えた。


「大量に見つけたので多めに採ってきたのですが、この場合、同じレートでその分だけ報酬がもらえるのでしょうか。それとも、レートは下がりますか? だとしても引き取ってもらえるのならお願いします。不要なら、薬屋に持っていけば買い取ってもらえるでしょうか? あ。あと、採りすぎはまずかったら、すみません、謝ります」 「い、いえ、すべてギルドで引き取らせていただきます。報酬も、定量ごとの額でお渡しできますから」  借りたナップザック二つをいっぱいにしても余る薬草をカウンターに出されて、受付エルフはやや挙動不審になっていた。  ヴェクタスは覚えたばかりのこの世界の通貨と、街中で見かけた物価から今回の報酬で何ができそうかを既に計算している。大量に採取したとはいえ初心者向けの薬草集めなので、高が知れてはいる。だが夕飯はもちろん大丈夫だし、おそらくこういう冒険者が滞在するための安い宿のようなものがあるなら、そこに数日くらいは泊まれるだろう。 「そうだ、この近くの……」  安いけれどそこそこ美味い、おすすめの店がないかと尋ねようとした。だが、 「すまんが、他の話の前に、まずギルドマスターに会ってもらえねえか?」  と、奥からやってきた短躯の髭男に阻まれてしまった。  いったいなんなのだろうか。なにかまずいことでもしたのかと、ヴェクタスとリデアンは顔を見合わせる。採りすぎというわけではないことは受付嬢の様子から確かだし、だとすると、 「もしかして、薬草の群生地について、ですか?」  ヴェクタスが言うと、ずんぐりとした髭男、おそらくドワーフという種族に違いない彼は、 「来りゃあ分かる」  と案内に立った。

 連れて行かれた先は冒険者ギルドの奥、重厚な執務室だった。  そこにいたギルドマスターというのは、長寿であるだろうエルフだとしても老人に見える男で、皺によって塞がれたような細い目は、開いているのかどうかも分からない。だが白い眉が寄っているあたりに、厳しさ、というよりは困惑がうかがえた。  ヴェクタスとリデアンは、示された固いソファに腰掛ける。  そして髭男が立ち去ると、 「わざわざすまないな。私は、このマルダナのギルドマスターを務めるカラガンという。おまえさんがたの名前は……ヴェクタスと、リデアンで良かったかな」  紙がこすれ合うような、小さなかすれた声で老人が問う。ギルドの登録用紙に"姓"を書く場所がなかったため、記してもらったのは、それぞれ名だけだ。 「ええ。それで、なにか問題でもあったでしょうか」 「問題、か。ないと言えばないが、問題と言えば問題だ。悪いことではない。そこは安心してくれ」  そうして彼は、 「おまえさんがた、“バジュラの木"に行ったのではないかね」  と尋ねてきた。

 ヴェクタスは、最近このあたりに来たばかりなのでそういった名称は何も知らない、と前置きし、街から西にある原野の先、巨木のことなら行ってきたと答える。カラガンは頷き、それがバジュラの木だと肯定した。 「あのあたりは、スライムの群生地になっておる。サジュナが生えておることは分かっていても、誰も近づけなかった。だがおまえさんがたは、そこからあれだけのサジュナを採ってきたというわけだな」 「まあ……スライムの、“玉"も欲しかったので」 「では、その玉は、持っておるのだな」 「もしかして、持っているのはまずいのですか?」 「いいや。―――よく分からんな」 「なにがでしょうか」 「スライムの群れを討伐しておきながら、何故"核"を出さんのかとな」 「核……」  ヴェクタスはポケットに手を入れて、集めてきた銀色の玉を一掴み取り出した。

 カラガンはしばらくの間、じっとヴェクタスを見ていた。  やがて、ふむ、と呟いて少しだけ姿勢を正し座り直す。そして、 「ギルドのルールとして、おまえさんがたの過去について問うことはせん。だが、二人ともだいぶ遠いところから来たようだ。ギルドの仕組みも何もかも、この大陸とはまるで違うどこかだろう。そこでは、討伐したモンスターの素材や証は、どうすることになっておったかね」  問われてヴェクタスはとっさに考える。この老人の言葉からすると、“この大陸”、“このあたりの冒険者ギルド"では、討伐したモンスターの素材や証、つまり倒したことが分かるパーツのようなものは、ギルドに提出するのがルールのようだ。  だが彼の様子を見るかぎり、ヴェクタスがスライムの核を黙って所持していたことについて、責める様子はない。それに、彼は「スライムを討伐しておきながら」と言った。そこには、「それほど大層なことをしたのに何故」というニュアンスを感じる。  それらからヴェクタスは、即興の”故郷”とルールを思い描いた。

「もし、このあたりのルールに反していたならお詫びします。私たちの地元では、最初に提出を約束しなかったものについては、各自に任されていました」  提出することで討伐報酬がもらえるならば、ギルドに渡すこともある。自分で素材屋や職人に売ることもある。もちろん、自分たち自身が加工したり、記念品にしたりすることもできる。  ヴェクタスは話しながらそんな経済構造をシミュレーションする。各人がやりたいようにやっていては崩壊するが、介入する組織が調停し、ある程度のバランスを取ればうまく回るはずだ。つまり、現実にそんなどこかがあっても、おかしくはないことになる。  ヴェクタスの説明にどれくらい納得したのか、カラガンがゆっくりと頷いた。 「それで、これは……ギルドにお渡しすべきですか?」  せっかく集めたのものだが、バレてしまった後で社会のルールに反してまで私物化する価値はない。だがヴェクタスの問いに、カラガンはますます眉を寄せた。その様子はやはり、不機嫌ではなく困惑で、 「他に持っていくあてがあるのかね? そのようなもの、誰もほしがりはせんと思うが」  と僅かに首を傾げた。  微妙に、話が食い違っている気がする。今の言葉はどういう意味なのか。ヴェクタスは疑問をそのまま顔に出す。するとカラガンは、 「もしやおまえさんがたの故郷では、スライムの討伐などありふれたことだったのか? そのため、こちらとは価値が違っておるということか」  言われてヴェクタスはすべて理解した。

 このスライムの"核"は、討伐の証としてのみ、かなり高い価値がある、ということだ。  核そのものに宝石のような価値はないし、なんらかの有効な素材というわけでもない。だからほしがる者はいない。  しかし、危険な魔物を討伐した証拠としては大きな意味がある。  カラガンは、「他のどこに持って行っても金にはならず、ギルドに提出した場合にのみ、スライム討伐の証として高額報酬と引き替えにできるのに、何故おまえたちはそれを出さないのか?」と不思議に思ったのだ。  察して、考える。そしてヴェクタスは演じた。 「それは……まあ、魔法であれば容易く倒せますし、私にとっては造作もないことなので」  戸惑った様子。そして少しばかり申し訳のなさそうな態度。それから、この"玉"は手頃なアクセサリーにするのに丁度いいから、加工してくれるところを探そうと思っていたと答える。”故郷”では気軽に当たり前に、多くの人がそうしているように、そして、異国の地にいるのにその当たり前は通じないと、今更気付いたことを恥ずかしがるように。  そのうえで、 「登録したときに少し話しましたが、旅の途中で災難に遭い、ほぼ無一文でここに辿り着きました。もしこれを相応の価値で引き取ってもらえるのであれば、ぜひお願いしたいのですが、後出しでも構わないでしょうか……?」  おずおずと尋ねると、カラガンはあっさりと頷き、そして、 「その核……“玉"がほしいなら、検品が終わり次第返そう。好きにするといい」  と言った。


 ヴェクタスはその後も少しだけ、カラガンからの質問を受けた。  ”バジュラの丘”のスライムについて、カラガンが知りたかったのはどの程度討伐したのか、そしてどうなったかだ。  基本的な知識と常識が欠如しているため、真意を汲むのにやや慎重になったが、木の傍まで辿り着いた頃には、もうスライムは出てこなくなっていたことを告げると、カラガンは低く唸るような、それともほっとついた息のような声を漏らした。  そうして卓上のベルであのドワーフを呼び告げたのは、 「バジュラの丘の、安全が確認された。すぐに薬師ギルドに連絡して、役員を一人寄越すよう頼んでくれ」  ということと、 「この二人に、安全確保の報酬も用意するように。たしか帳簿に、四年前か、もう少し前か。額は、それを見てな」  だった。

 期待した十倍以上に膨らんだ財布を懐に、豪勢な食事を摂りながらヴェクタスは上機嫌である。  この酒場に来るまでに立ち寄ったあちこちの店で、日用品やそれらを持ち運ぶための大小のバッグ、何着かの衣服、最低限の武具を整えることもできた。  なお、予定していたスライム玉のブレスレットは、少し考えてまだ作らないことにした。スライムが到底 雑魚とは言えない存在なら、その核を30個も持ってきてアクセサリーにしてくれと言うのは、明らかに異様だからだ。  ともあれ、商店をいくつか巡りながらヴェクタスはこまめに人に話しかけ、情報も集めた。 「単純に、魔法を使える者が珍しいんだな」  だから武具店には物理的な戦闘用の防具や武器ばかりあって、魔法使い用の装備、杖やローブといったものがほとんどない。  まったく存在しなければ、別に專門の店があると考えられるが、ついでに売られているというのが現実だ。  入手しづらいという可能性もある。しかし一番の理由は、需要がない、つまり買ってくれる魔法使いがいないからだろう。  そのため、物理攻撃の効かないスライムは、この街にとって本当に厄介なモンスターだったのだ。

「しかし、街に魔法使いが存在しないわけではないのでしょう?」 「直接その話はしていないが、住んでいるだけなら多少はいるような気がしたな。ただ、リタイアしているか、薬草集めなんていう仕事を引き受けてはくれないか……。あと、スライム退治は魔法使いにとってもかなり危険なんだ。魔法使いなら余裕だとは言えない仕事なんだよ」 「では、貴方だからできたということですか」 「いや。むしろ逆だ。君がいたからできた」 「私は何もしていませんが」  リデアンはそのつもりでいる。今日はただただヴェクタスについて歩いていただけだ、と。  だがヴェクタスは、ギルドや街の人たちの話を聞き、反応を見て考えた。あんなに弱いモンスターを何故そこまで恐れるのか。そうして今日一日を振り返り、気が付いた。  あのスライム退治が練習や遊びのように簡単だったのは、リデアンといたからなのだ。

 彼はこうなっても軍人として極限まで研ぎ澄まされた感覚を持っている。そのため、僅かな草の動きや地面の色の違い、風に混じる音、それらから容易にスライムを見つけ出した。その中には、あそこにいると言われてもヴェクタスにはなかなか視認できなかったのもいた。 「つまり、もし私一人だったら、警戒しているつもりでも気付かずに危険範囲に踏み込み、殺されていたはずだ。それに、あの木の周辺になんて絶対に近付けない」  草原の中でも人が行き来して道ができている範囲はいい。草も背が低く、スライムがいても見つけやすかった。  だがバジュラの丘に近付くほど、人が近寄らないため草花は好き放題に繁茂し、膝くらいまで覆われる場所が増えた。

「正面にいます。それから、9時方向にも」 「ん? 左のは見つけたが、正面?」 「ここです」  リデアンが小石を投げ、ボツッと当たった音がして草が揺れる。

 していたときは、いつもの他愛ない会話のつもりだった。だがこのやり取りが自分の命を守っていたと気付いたとき、ヴェクタスはぞっとした。  そして受付嬢の忠告の意味も理解した。スライムは草深い場所に生息しているから、そういうところには近付くなと言ったのだと思っていた。だが実際には、草深い場所はスライムがそこにいても見えないから近付くな、だったのだ。  ヴェクタスは自分の軽率さを少し反省し、そしてリデアンの存在につくづく感謝した。

「だからそれは、どちらかと言えば私よりも君の成果だよ」  リデアンがベストのボタンホールに通して結んだ黄色い布を示す。ヴェクタスのベルトにも巻いてあるこれは、二対の翼のある鳥が描かれた、冒険者ギルドの”黄ランク”を意味する目印だ。  登録したとき、木製の鑑札と生成りの布をもらったのだが、その布のほうを二人ともさっそく取り替えられたのである。  登録して間がなく、前身を示す証書もないとはいえ、スライムの大群をものともしない冒険者に、初心者、いわば仮免を意味する"白"はないというカラガンの独断だった。  そのときもリデアンは「私は何もしていない」と言いたげだったが、ヴェクタスが押さえた。「この魔法使いの連れならば優れた戦士なのだろう」とでも解釈したなら、もらっておけばいいと思ったのだ。  だが今は、カラガンが二人とも昇格させたのは当たり前だと分かる。草深い場所で20匹ものスライムを狩る。それには、ただ同行するだけだとしても、十分以上に注意深く、足手まといにならないだけの技量が必要なのである。

 ヴェクタスに説明されても、リデアンは微妙に納得していない様子だ。  今リデアンが考えていそうなのは、「あんなことが”した”内に入るのだろうか」だ。常人には不可能なレベルの索敵も、彼にとっては容易、当たり前すぎてただの日常なのである。  その認識を改めさせることは難しいし、やる必要もないことも明白だ。  だからヴェクタスは、もう少し分かりやすい異常性に注意させることにした。

「それより君は、その"力"が災害レベルだと自覚したほうがいい」  RPGと言えば武器と防具! と訪ねた武具店で、リデアンは鉄のナイフを指で折り、鉄の剣を手で折り、鋼の剣を軽くて頼りないと言い、背丈ほどもある鋼の大剣を片手で取り上げてナイフのように軽々と扱った。挙げ句に、 「折れそうですね。これなら、素手でいいかと」  と言ったものだから、店主は完全にフリーズしていた。弁償すると言ったのに断られた青は、おそらく、”こんなの”に万が一でも睨まれたくないからだろう。 「反省しています。ただ、あれが本当に鉄だったとは思えないのですが」 「鉄じゃなかったとしても、私やあの店主には折れないし、ちゃんと重いんだ。今だって、そのフォークを折らないか私はひやひやしてる」 「……潰せますね」  木製とあってはそうだろう。手どころか指でいける。当然だ。 「やるなよ?」 「やりません。……少なくとも、意図を持っては」  つまりうっかりやりかねないんじゃないかと、ヴェクタスは大袈裟に溜め息をついて見せた。

「まあ、何がなにやら分からないが、どうやら私たちの能力は、この世界で生きるのに十分以上のものらしい。ということはつまり、やりたいことをやりたいようにやれるということだ」 「限度と節度は、守ってください」 「当たり前だ。生きるというのはあくまでも、その世界の中で、その一員としてだ。そうでなければ面白くない。それよりほら、リディ、しっかり食べろ。これだけのものをちゃんと口から食べるのなんて、何年ぶりだ?」 「それは……確かに」  かつてのリデアンは、腕や脚、視力とともに主要な臓器も失っていた。そのため、行っていたのは食事ではなく栄養剤の滴下。時折は、精密に調理……というより処理されたものをごく少量を食べることもあったが、人工臓器に負担をかけないよう、内容は極めて限られていた。  消化が容易ではないものを食べる、味わうというのは、四年、いや、五年ぶりのはずだった。

「さすがにこの文明レベルだと、衛生面は少し心配だし、調理技法はずいぶん雑なようだが、不味くはない。こういうローカルフードだと思うと、なかなか面白い。それにこれは美味い。直火の良さだな」  ローストされた鳥の塊肉にかぶりつき、焼きすぎて固い皮をヴェクタスは無理に噛みちぎる。肉汁が飛んできたのをリデアンがすかさず避けると、 「おっと、すまない。あっ、たぶんこれ。君はこれ、好きだと思うぞ」  と皿を押しやった。  ヴェクタスにも、自分が少し浮かれすぎな自覚はある。だがリデアンがほんの少しだけ唇の端を上げ、黄金色に煮込まれた芋類の皿にフォークを近づける。 (うん……)  それを見て感じる。彼が生きてここにいて、ほんの少しでも楽しそうなら、それでいい。  ヴェクタスの口にも笑みが浮かび、それを大きく開けると、照りのある肉にかじりついた。