その影に 2

 何度目かの夜が明ける。  リデアンも、もう回数は覚えていない。数える気もない。  自分が依頼した支援に莫大な金と手間がかかることは承知していたので、その対価が"一晩"には到底おさまらないこともまた、分かっていた。  だから、必要なことをするために外に出ていくこともあるが、その都度、ヴェクタス・アヴローンの星へと"帰って"いる。  ヴェクタスは"取引"の主内容どおりにリデアンを愛玩する。  立ち姿を鑑賞して満足するだけのこともあるが、あられもない姿を”見せる”ように要求することもあるし、彼自身の気分と体力、欲求が整っていれば、連日であってもリデアンを抱いた。  昨夜は、特に執拗だった。

 正しかったのかどうか、今でも迷うことがある最初の記憶を語られた。  間違ってはいなかったと思う。求めた結果は出した。その対価として自分の体を差し出したが、その価値はーーー意味はない、と思っている。  銃やドローンと同じく、これもまた一つの道具だ。性行為も使い道の一つにすぎないし、それが価値あるものとして支払いに使えるなら、それでいい。無垢だとかいうのも純潔崇拝のようなものにすぎないし、ヴェクタスにとっては"未使用"であることも価値だった、というだけのこと。  たとえ、……本音を言えば怖かった。つらかったのだとしても、もう過ぎたことだ。  それからも何度か彼に"取引"を求めた。何を要求されるかは察していて、分かっていて、自分で選んだのだ。  短い間に何度も抱かれ、体がこの行為に馴染んでいくということも、同じだ。自分が選んだのだ。

 それでも平常心でいられないのは、ヴェクタスが謎の男だからだ。  大抵の相手のことはすぐに読み取れるリデアンにも、ヴェクタスは未だ理解できない部分が多い。  理解できずとも、“取引"を信用できればそれだけでいいと割り切ってはいる。なにより、軍の情報を寄越せとか、私のために邪魔者を始末しろなどとは言わない。自分の体だけで済む。  今も既に、“手付"の分だけは動いている。可動型ユニットとしての設備の設計。必要な器具や装置。“仕事"の話をするときもヴェクタスはあの調子だが、理解は早く疑問は鋭く指摘は妥当。リデアンの望むものが作られていく。  リーパーとの戦いが始まるだろうこのときに、彼の力を得ることには大きな価値があった。

 重い体を起こすと、隣に寝ていたヴェクタスの腕がずり落ち、彼も目を覚ました。 「ああ、もういい時間か」  カーテンを閉めた室内は暗いが、ヴェクタスが軽く指を鳴らすだけでゆっくりと帳が開く。起きたばかりの目にも優しい、淡い薄紅色の陽光が差し込んでくる。 「君を目覚ましにするのは、少し贅沢が過ぎるかな」  時計がなかろうが、直前に何をしていようが、完全に意識をなくすのでないかぎりリデアンは時間に正確だ。  ヴェクタスは軽くリデアンの体を撫でて抱き寄せ、肩口に口付けると、 「今日明日は少し、特別な用事を頼むつもりでいる。1つ目の月がのぼる頃合いには、部屋にいてくれ」  寝台を降り、ガウンに袖を通し出ていった。

 一日以上離れていいのであれば、しておきたいことはあった。だがそれができないとなると、いわゆる"夕刻"までの時間をどう使うかになる。  リデアンはしばらくの間寝台に横たわったまま目を閉じ休むことにした。  ヴェクタスが出ただろうタイミングを見計らい、簡単に身仕舞いをすると寝室を出、バスルームを使う。  高めの温度に設定したシャワーを浴びる。その下で膝立ちになって下腹に押さえ力を込めると、昨夜ヴェクタスが中へと出したものが腿を伝い落ちていくのが分かった。  前の支度も後の始末も、必要なことならばするだけだ。ざわめく心のほうは、必要ない。  外へ出たものは湯で流し、中に残ったものも洗い出す。今夜も用があると言うなら、またするのだろうか。であれば、ケアしておいたほうがいいのかもそれない。  始末を終えて浴室を出ると、この館にいる間は好きにどれでも、と用意された衣類の中から、高機能なスポーツウェアを身に着けた。

 ヴェクタスは商人である。が、健康の維持はあらゆる職種において必要なことであるし、彼は自分の外見にも気を使う。この館に専門的なトレーニングルーム、いわゆるジムがあっても驚くにはあたらない。  必要な負荷をすべて得られるようになっている。ランニング、ウェイトトレーニング、なんでもできる。器具はすべて"最も有用"だ。最新であることにはこだわらず、民間人である彼が、危険なく確実に使え、かつメンテナンスもしやすいように選ばれている。  それでいて、どう見ても軍用備品の、一般人には明らかに過負荷のものがあるのは、リデアンが滞在するために今このとき、わざわざ買ったのだろう。

(相変わらず、分からない人だ)  信用できるならいいと割り切ったつもりでも、つい考えてしまう。  トゥーリアンである以上、誰もが必ず兵役につく。ましてやアヴローン家は貴族である。一軍を提供できる家柄の子弟であれば、必ず記録にあるだろう。そう考えて調べてみたこともある。見つかったのは、全兵士の名前が羅列されるリストの一部としてのみだ。多くの名もなき兵士と同じくヴェクタス・アヴローンには、大きな失策もなかった代わりに功績もなかったことを示している。  そしてヴェクタスは20歳までの準備兵役を終えると、最低限の義務は済ませたと商売の道に進み、今に至る。

 彼の力は絶大で、金で動かせるものならばなんでも動かせる。この銀河に"金では動かないもの"などないとしたら、すべてを動かせることになる。  リデアンは、人の心なら、などと陳腐なことは考えない。心は動かなくとも、行動は操作できるからだ。そしてヴェクタスは、その方法も心得ている。  そんな男が、自分にはありとあらゆるものを用意してくれる。このウェア一つにしても最高級だ。軍用のものに劣らない実用性・機能性に、着心地の良さやデザインといったものまで加味されている。

(私は……何なのだろうな)  “美の箱庭"に入ることを許され、ヴェクタスを楽しませる役割を持った愛玩品の一つ。だがそれにしても過分だ。気に入らなくなれば取り替えられていくこの箱庭の中には、昔はあったのに今はもうないものも多い。  昨夜ヴェクタスが口にしたように、リデアンは今現在42歳、間もなく壮年に入る。若く見えるというだけでなく、”あれ”以来 老化が止まっている実感はあるが、それでもヴェクタスとの関わりが始まってからは20年近くになる。  若い時分の、小柄で華奢だったあの頃であれば、ヴェクタスの歓心を買えた理由として、分からなくはない。だが二度目の成長期に入り、普通なら多少の変化しかしないはずのそこで、リデアンは人並みをはるかに越えて育った。成長痛に悩まされたほどだ。  だから、背が伸びた姿でヴェクタスのもとを訪れたときには、門前払いの可能性も考えたのだ。  だが彼は「久しぶりだね。ずいぶん大きくなった」と言っただけで、変わらず"取引"した。

 ヴェクタス自身、リデアンへの興味を失わない理由が分からないと言う。  であればリデアンが考えて分かることではない。 (それより、何をさせるつもりだ)  無体なことは言わないと、それは知っている。だが警戒……不安はあった。  しかし推測するには情報が少なすぎる。諦めてリデアンは、平時の自分に課しているトレーニングを続けることにした。


 淡い色の空が、薄紅から紫へと変わっていく。その間にほんの僅かにグリーンが混じる。  霧のない、湿度が低めのクリアな日、静謐な湖はその空を完璧に写し取り、バルコニーからの眺めは幻想的なものとなる。  空気は少し冷たい。ヴェクタスは星の環境に手は入れたものの、過度な調整はしていない。彼は、手に負えないほどの部分は制御しても、そういう"ままならないもの"をそのまま楽しんでいる。  時折そよぐ風には、緑の匂いが濃い。トゥーリアンにとっては快適だが、他種族にとっては微かな刺激臭として取られるかもしれない。  リデアンはバルコニーに立ち、1つ目の小さな月がその頭を現したのを見ながら、ヴェクタスを待っていた。

 ドアが開く、空気の抜ける軽い音。  少しだけ振り返ると、仕事用の装いでヴェクタスが近づいてくる。彼はゆるく首を振り、 「私が作りうる限りで、最高の奇跡だね。”パーフェクト”だ」  と、指でフレームを作り、その中にリデアンとその向こうの景色をおさめた。 「絵になる、というが、絵にできるわけがない。あの絵だって、しょせんは絵だ」  視線の先には、長らくこの部屋にかけられている絵画がある。今時、ホロでなく本物の油絵だ。それだけでも価値が高いのに加え、二世紀ほど前の天才画家のものらしい。滴るような空と森が鮮やかで、静かな力強さもある。  だが、それを見るヴェクタスの目が、途端に色をなくした。

 いらなくなった、とリデアンは察する。世界最高峰レベルの絵画ですら、無価値になったのだ。だとすればあの絵は遠からずはずされて、この館を出され、投資に使われるだろう。  いらなくなればあっさりと見限られる。この館にあるものは、すべてそうだ。自分もだとリデアンは思う。だが今のところヴェクタスにはまったくその気配がなく、 「さて、共に来てもらおう。ちょっとしたパーティがあるんだよ」  と言った。

 リデアンは、隣の星系オルス=ヴァの観光惑星ラズールへと連れて行かれた。  ラズール最大の都市であるル・ア=ラズールは、歓楽の街である。あらゆる娯楽が揃っていると言ってもいい。他の大部分が保養地や穏やかな田園地帯である中で、ここだけが過度に人工的な電飾に彩られている。だが過密を避け広々と作られたランドライン、エアライン、そして建造物は、繁雑な印象からは程遠かった。  ヴェクタスの別荘に着いたとき、ル・ア=ラズールは昼前だった。この星での日暮れまでは休むようにと客室をあてがわれる。  そうして言われたとおり、日暮れ前に起きて階下に行くと、ヴェクタスだけでなく4人の使用人……にしては凝った身なりの者たちが待っていた。

「時間どおりだな」  そう迎えたヴェクタスは彼等に、 「彼を頼む。だが、私と違って他人に手入れされることに慣れていない。大概のことは自分でやらせ、君たちはサポートするだけでいい。……いや、もう少しはっきりと言っておこう。彼は、役者や詩人ではなく軍人だ。不用意に触れるな。それは極めて不敬なことだと心得てほしい。いいね?」  ”王”の言葉に、下僕たちは一斉にひれ伏した。

 主の言葉は絶対だった。  ついてきた4人の者たちは、全員がリデアンに最大限の愛想と敬意、そして恐れを持って接した。  身につける衣類、装飾品の用意、そしてもし望むのであれば肌のケア。断ればすみやかに受け入れ、文字通り、指一本であれ余計に触れないよう細心の注意を払う。  用意された服は、おそらくヴェクタスの目視からだろうが、オーダーメイドでほぼぴったりとはしていたが、やはり合わない部分はあってその修正をし、そして出来上がった完成品を、彼等は一歩下がると、職業柄慣れているだろうに時を止めて見つめた。

 鏡に映る姿をリデアンも自分で見る。  人は褒めそやすが、自分ではよく分からない。  ただ、トゥーリアンの一般的な衣類にはめったにない、マント、あるいはコートのような衣装は嫌いではなかった。  普段着も、周りから極端に浮かない程度にだが、そうしている。じろじろと見られるのはどうしても苦痛だからだ。不躾な視線には、大した意味などなかったとしても、リデアン自身が嫌悪を感じてしまうのだから仕方ない。

 今身につけているスーツは、低めのスタンドカラーに、やや広く取られた肩幅。ウエストにかけて少ししぼられた後、断たれたようにまっすぐ地面に向かう裾。アクセントとして左右から交差する胸部と腰部の飾り布は、そこだけタイトに締められているが苦しくはない。コートの右側だけが何故か断ち切られてスリットになっているのは、ただのデザインだろう。だが機能性がないかと言えば、この格好でもし戦うのであれば、長い裾が足にまとわりつくのを軽減してくれるだろう。  軽く体を動かしてみても、阻害される感じはない。 「よろしいでしょうか」  恭しく尋ねられるのに、リデアンは短く「ああ」とだけ答えた。

 リデアンの準備が整っても、ヴェクタスはまだ終わっていなかった。  ただ待っていてもいいのだがすることもない。それに、見てみたい、という気になった。  もう間もなく始まるリーパーとの戦争は、これまでになく過酷なものになる。リデアンはその中で最大限に戦うつもりでいる。だからやすやすと死ぬつもりはない。その反面、必要ならばいつでも命を使う。であれば、ヴェクタスのもとに"取引"に来るのも、これが最後かもしれない。  そう思うと、謎の男の、今まで見ようとしなかったから知らないものを、見てみるのもいい気がした。

 彼の準備室の前には、ボディガードや護衛というには頼りない取次役がいた。  リデアンが彼の支度はまだ終わらないのか、であれば、入ってもいいかと尋ねると、彼女はインターコムでそれを中に伝える。  と、間もなくドアのロックが外れた。  ヴェクタスはガウン姿でゆったりとしたシートに腰掛け、指の先から頭の先までを手入れさせていた。  リデアンを見て、少し大げさに目を瞠る。 「想像以上だ」  そう言って、少し浮かせた頭を元に戻した。  そして、これから向かうパーティについて説明を始める。シャトルの中でしてもいいが、今ここにいるならということだろう。

 エル=カンシャ同盟主催による、惑星AG130の移民開発……。 「いや、いい。君が詳細を知る必要はない。よくある腹の探り合い大会だよ」  惑星開発に金を出したスポンサーと、投資家や様々な事業主、そして政治家が主となって開かれるパーティで、何に金を出すか、誰とつるむか、そういったことを探り合う。  表向きは懇親会や交流会、祝賀会といった名前でも、やることはいつも同じだとヴェクタスは言う。 「正直、今回のそれは、あまり気が乗らなかった」  ヴェクタスは小口の出資しかしていない。何がどう転がろうと、見込める利益に大差はない。

 それに、招待客のリストを見るかぎり、会うに足る相手はごく僅かで、大半は楽しめそうもない顔触れでもあった。  楽しむ、と言ってもヴェクタスである。パーティをではない。権謀術数の渦巻く駆け引きを、だ。  言葉の裏に真意が潜むのはいい。上っ面の世辞も毒舌も皮肉も、相手を揺さぶる手段なら当たり前の応酬だ。  しかし、嫌味を言い合うことそのものが目的なのかと言いたくなるような、中身のない話に延々と時間を使う趣味はない。そういう者たちとは、大物であれ小物であれ、面白い提携や競争ができた試しがない。  だから気が乗らなかったのだが、そこにリデアンが来た。

「どうせつまらないなら、せめて驚かせてやろうかとね」 「私がいても、驚くことはないかと。軍人であればともかく、招待客は政財界の人物でしょう」 「そうじゃない。たしかに君が誰か、見て分かる者は極少数だろう。名前を言えば知っている者は増えるだろうが、自分とは別世界の住民だ。君の功績を正しく理解して恐れ入ることもない。そういうことじゃないんだよ」  丁度肌の入れが終わったようで、ヴェクタスはシートから立ち上がる。そして背後からシャツをかけられ、それに袖を通しながら、 「君には世界を問答無用でひれ伏させる武器がある。君自身はそう思っていないし、望みもしないだろうがね」  そして、スタッフに出ていくよう手振りで伝えた。

 上着を整える途中の有り様で、ヴェクタスはリデアンとの距離をなくす。そして慎重に左右からそれぞれの腕に触れ、壊れ物でも扱うようにまた慎重に手を離す。 「君がもう少し したたかだったなら、この"美"を武器にしただろうに」  と囁いた。  鏡がある。映っている。よく分からない。自分のことはまったく分からない。  ヴェクタスの外見が一般的に魅力的なのは分かるが、自分は、自分、ただそれだけだ。 「まったく可愛いな。理解ができないから、そんな馬鹿なとも言わないのだろう? だが私には、主観ではなく客観で、君の容姿が強力な武器になるという判断がある。だから今夜の君は、ちょっとした武器なのだよ。攻撃はしない。悪意も敵意もない。ただ少しだけ、思い知らせる。君を所持する私の力をではない。君自身の、“威力"を」

「……分かりません。それが、貴方にとって何になるのか」  ただ見せびらかすだけ。周りは驚く。だがヴェクタスはそのことで、強力な武器を持っているのだと誇示したいわけでもないと言う。だいたい、見せつけられたほうもいったい何に脅威を感じるのだろうか。リデアン・トライオスの軍人としての力ならともかく、“ただ見目が良いだけのもの"に。  リデアンの言葉にヴェクタスは 「ああ。私もよく分からない」  笑って言ってのけた。その後で、 「まあ、君がリデアン・トライオスであると分かれば、連れてきた私が一目置かれることは間違いない。それだけでも十分な成果だろう」 「ですがその分、危険視もされるでしょう」 「いいんだよ。込みだ、そんなものは。さ、それよりそろそろ行こう。今夜の主役は君だ。私が着飾る必要はないことに、今更気付いた」

 そう言いながらもヴェクタスは手早く身支度を整え、化粧室のドアを開ける。  本来ならば彼こそが堂々と退出し、従者は後に続くべきだ。だがヴェクタスはドアを押さえ、リデアンを促す。  リデアンが通路に出ると、待っていたスタッフから、息を吐いたとも飲んだともつかない微かな声が重なり上がった。  こういうことなのかとリデアンは理解する。  人が動く。そこには力がある。動きを思いのままにコントロールできれば、優位に立てる。  ヴェクタスは主である自分があえて後から出ることで、インパクトを狙った。ヴェクタスに先んじる者としての印象も与えた。スタッフたちはそれにより、通常以上にリデアンの外見を高く評価する。飲まれる。 「楽しみだ」  そう呟くヴェクタスは今度こそ先に立ち、リデアンはそれを追って外に出た。