その影に 3

 カッサ・ティルネリアは、雇われたコンパニオンとしてそこにいた。 「ごきげんよう」  その言葉だけで彼女はあらゆる客に対応する。明るく。優しく。慎ましく。軽く。誠実に。少し恐れたように。同じ言葉でも、相手によって言い方によって込めた心によって、響きは千差万別だ。  アサリである彼女は、その種族としてはまだまだ若輩だが、優秀なコンパニオンとして高く評価されていた。

 魑魅魍魎が集うこういったパーティにおいて、その魔物たちの間をひらひらと舞い飛び彼等を癒やし宥める役として、彼女のような人材はうってつけなのだ。  薄っぺらい愛嬌や世辞を携えた接待係ではない。アサリのコンパニオンというのは、真に相手に寄り添い思いを受け取ることができる。深くつながらなくともそれは相手への共感と理解となり、ささくれだった心を解きほぐす。  心優しい彼女が、本能的に相手の気持ちを察知して告げる、 「ごきげんよう」  たった一言にさえその効果がある。

 やわらかな青い蝶として会場を舞っていたカッサは、やがてこの《ラ・ガレリア・ステラリス》へ、遅刻した客が到着したことに気付いた。  ガラスと白金属でできたゲートの向こうに、白と黒の混じる奇態なエアカーが降りてくる。実用性よりも見た目、いや、見た目をもまた実用の一つにした者たちの、独特の送迎車だ。  カッサは出迎えることにした。遅刻した客というのは、「いやあすまんすまん」と軽く笑っていることもあるが、そのことを無闇に気にする者もいる。些細なことなのに、彼等にとっては重大事だったりするのだ。  その心情をなんとなく察し、適切に出迎えて和らげる。カッサにはそれができた。

 減速し、停車したエアカーのフロントドアが上がる。サラリアンのパイロットがまず降りてきて、ロックをはずし、後部座席のドアを開く。  車内の影の中から足を降ろしたのは、ヴェクタス・アヴローンだった。 「アヴローン様。ごきげんよう」  明るく、歓迎を込めて。彼は些事にはまったく動じない。つまらない駆け引きもしない。会ったのは、こういう場で二度だけだが、よく分かっている。接しやすい人物だ。裏表はあるとしても、カッサが困るようなものではない、とも言える。  彼は案の定、いつもの魅惑的な笑みを浮かべ、 「久しぶりだね、ティルネリア」  と他愛なく言った。

 今日は誰を連れてきたのだろうか。  こういう場には伴侶を伴うか、さもなければ"ステータス"を連れてくるものだ。  銀河の大女優。不世出と言われた科学者。それとも新鋭のアーティスト。  そして、ヴェクタスに続いて姿を見せたトゥーリアンの男に、カッサは意識を止められた。

 一瞬で複数のことが重なった。  ヴェクタスも美男だが、それを見た直後でさえ目を奪われる美貌の男。  それを際立たせる装い。  どこか無機的な様子もまた、彼を完璧に整えている。  そしてーーーなにかに、ぞっとした。  恐怖、悪寒、警戒、忌避……。

「見惚れるのもいいが、案内を頼むよ」  ヴェクタスに言われて我に返ったとき、カッサの鼓動は倍ほどに早くなっていた。  自分を落ち着かせてみると、後ろにいるのは端正で美しい男だ。愛想がないというより感情がないかのように淡々としているせいで、彫像が動いているようにすら見える。  年は30前後だろうか。しかし落ち着き払った、無関心な様子のせいで、もう少し上にも見える。  歩き方もまっすぐで美しい。確固としている。だが強くはなく、足音も控えめだ。  新しく見出された俳優、いやモデルかもしれない。だとしても、そのへんにいる多数のそういう者とは比べものにならない。 「ティルネリア」  と苦笑するヴェクタスには、満足感がある。自分の連れてきた美しいパートナーを、カッサが気にしてしまうのが楽しいのだ。

 そうしてカッサに続き二人がホールに入ると、あたりは一瞬盛り上がりかけ、すぐに止まった。  分かる、とカッサは思う。「やあアヴローンさん」とでも言おうとして、彼の背後にいる者が目に入ったのだ。  長身のヴェクタスよりも更に長身。否応なく目立つ。  美男とされ多くの女性を魅了するヴェクタスと並んで、負けないどころか彼を霞ませる均整のとれた、そして硬質の美しさ。  だが、彼は誰だと、問う者はない。  そういった話は会話の中で自然とするものであり、慌てて詮索するのは無粋だからだ。  そんなつまらない形式に縛られて、とりあえず今は"よくあること"として意識を逸らす者たちのことも、カッサにはよく分かった。

 カッサはそれからも、なんとなく二人を見ていた。  コンパニオンとして飲み物や軽食などの気配りをする必要もあったが、なによりただ気になったし、ただ見ていたかった。  彼等が並んでいると、古い映画のワンシーンを見ているような、現実でないような錯覚さえする。  演技力だの斬新さだのより、見栄えがいいことを最優先にしていた時代の映画だ。内容は陳腐でも、ただ見ているだけでうっとりするような美男美女がスクリーンを占めていた。  ただ、どういう関係なのか、映画だとしたらどういうシーンなのかは分からない。  壮年の、男性的だが甘さもあり、そして銀河の大商人としてのしたたかさ、不穏さも持つヴェクタス・アヴローン。その彼にグラスを取って渡される、仕えているはずの立場なのに世話をされている長身の連れ。少し伏せがちの視線も、ほとんど開かない口も、端正な人形のようだが、むしろ逆だ。決して操れない、近づくこともできないなにかを感じる。  ヴェクタスの言うことに、彼が僅かに答える。近くにいる者が、それだけで引き寄せられる。

「ねえ、カッサ」  コンパニオン仲間のオルラが傍に来た。 「あの二人、どういう関係だと思う?」  オルラは軽率だ。ここでそんなくだらないことを、内心で気にするのはいいとしても、言葉にしてはならない。にも関わらず彼女は、 「アヴローン閣下には"広範囲"の趣味があるっていうし」  と言い出したので、カッサはつい睨みつけた。 「そんなこと、言うべきじゃないわ」  品性の問題もあるが、それを万一にでも当人に聞かれたら、不愉快だというだけで人生を握りつぶされかねない。そういった危険性に対してヒューマンは鈍感すぎるし、無頓着すぎる。あるいは、好奇心が過ぎるから困る。

 それになによりカッサは、最初にあの謎の男に感じた恐怖を、気のせいだとは思えないでいた。  あれきりもう何も感じない。ただ静謐で、抑制され、きれいに整えられた印象しかない。  だが近づくのが怖い。無意識の感応範囲に入ると、また何かに触れてしまいそうで恐ろしい。カッサは感応力は高いものの、それを制御するすべについては、あまり学んでいないのだ。  そして、不服そうなオルラがぷいと背を向けて去っていったときだった。

 大きくあたりがざわめいた。  見ればヴェクタスの前に、顔面から胸元を濡らしたヒューマンの男が立っていた。  ヴェクタスは空のグラスを指先に摘まんだまま笑っている。だが目がぬめるような怒気を孕んでいた。 「彼への無礼は許さないよ。私への無礼は許せてもだ」  笑顔と甘い声に本心を隠して立ち回るヴェクタスの、それは静かだが容赦ない怒りだった。 「失礼。気分を害したのでね。帰らせてもらう」  甘さの失せた冷たい声でヴェクタスがそう言って背を向けるのを、誰も止めなかった。

 後に誰かが、 「そりゃそうだろう。まさかと思ったが、やっぱりあれはリデアン・トライオスだ」  と言った。  トゥーリアンの母星・パラヴェンにある軍本部に勤めるエリート将校。ただし、毀誉褒貶……というより、伝説に壮絶な悪意の絡まる逸話を持っている。  40を待たず大佐にまで昇進し、間もなく表舞台から姿を消した。噂では辺境に左遷されたということだが、それは彼自身の失策ではなく、政治的な罠にかけられてのことだと言われている。  そういった諸々のうち、影の部分を取り除いたなら、彼は紛うことなくトゥーリアン軍の英雄、象徴的存在だ。  それを侮辱するということは、トゥーリアンの軍そのものを侮辱するに等しい。

 ヴェクタスに愛国心や、あるいは軍への忠誠があるとは到底思えなくても、やはり同胞の英雄を崇める気持ちはあるのだろう。  リデアン・トライオスは生粋の軍人で、インタビューに出て愛想を振りまいたりは決してしない。職務に忠実であり、それによってのみ世界と関わる。こんなパーティーに顔を出すなどということは考えられなかったし、事実これまでに一度としてないはずだ。  それを、しかもあの美貌の男を、いったいどうやったのか、口説き落として連れてきたのだ。  であれば、”セリオの王”ヴェクタス・アヴローン自ら給仕もしようし、無礼者に腹を立て、この場にある一切の利害を捨てて立ち去るというのも、分からないでもない。  あのヒューマンの男、自称"テルミナスの商王"は、そんな相手によりにもよって、ヴェクタスの夜の相手かとほのめかすようなことを言ったらしい。  すごいような美男が二人揃えば、そういう空想を描きたくなるのは無理もない。いや、ヒューマンにトゥーリアンの美醜が分かるとは思えないから、単に、同性をパートナーとして連れてきたことだけでそう言ったのだろう。  なんにせよ、相手や場合によっては、下衆だと思いながらも、まさかそんなと話すこと自体がその場の話題になったのかもしれない。  だがヴェクタスは、裏表の顔を取り払って怒りを見せた。

 カッサは、怒ったのがヴェクタスで良かったのかも、と思う。  軍人であるリデアン・トライオス自身が無礼と断じたら、その場で殺されても不思議ではない。  だが彼は、そんなことを言われた後でさえ、カッサの目には少しも変わらず淡々としていた。  金や利権を求めて上っ面だけで笑い合う商人たちなど、彼は石ころほどにも思わないのかもしれない。  美しいが、やはりひどく無機的で、怖い人なのだと思う。

(オルラもこれを知って、少しは反省してくれればいいけど)  そう思いながらカッサは、少し荒れた会場を宥めるため、ひらりと枝を離れ舞いはじめる。 「驚きましたわよね。ええ」  興奮するヴォルスの外交官を宥め、 「わたくしもそう思いますわ、マダム」  他愛なく二人の美男を讃え、もっといてくれれば良かったのにという言葉に頷く。  夜はまだまだ終わらなかった。