かそけき祈り 1
それをヴェクタス・アヴローンは、“ティラシヤ"のモニターで見ていた。 (まるで、羽虫と羽虫の戦いだな) 目には見えるが形を捉えることはできない、そんな極小の生き物の、数え切れないほどの群れ同士が重なり暴れまわる。 銀河の命運をかけた一大決戦も、遠く離れた場所から見るかぎりには、そんな他愛もない出来事のようだった。
遠く、と言っても充分に近い。 大抵の者たちははるかに遠くまで距離を取った。 だがヴェクタスは、中継が届く位置にとどまった。 あの中にリデアン・トライオスがいる。 そのためだった。
リーパーが姿を現してからこの半年の間、銀河はありとあわゆる無様の坩堝だった。 数年前、リーパーという存在がいるのだと一人の青年ーーージョン・シェパードが訴えたとき、誰も信じなかった。たしかに彼は遅れた種族の、しかも若輩の、なんの実績もない木っ端のような兵士だったかもしれない。多少優れていたとしても、ほんの僅かだ。だが真実を語っていた。それが"最初の実績"だったのだ。 誰も信じてくれない真実を証すため、彼は宇宙を飛び回り、戦い、命をかけ、そして名を上げた。シタデルを、評議会を最初のリーパー、ソヴリンから守ったのだ。 にも関わらずまだ人々は、それを偶発的なもの、単発的なものだとし、そして既存の概念であるゲスになすりつけ、直視しなかった。 半年前に、無数のリーパーが銀河中に姿を見せるまでは。
そこまでを"銀河中の愚行の連発"とすれば、そこから先が"無様の坩堝"だ。 愚行は笑って見ていられた。だがこの無様は、笑ってはいられなかった。 愚行と無様の代償に、余計に駆けずり回らねばならない者たちの中に、リデアン・トライオスがいるからだ。 美しい獣、いや、軍神。それを高く評価し受け入れているというだけでも、ヴェクタスはノルマンディのクルーたちに好意を覚える。 だから支援した。リデアンとの取引、彼のための支援ではなく、彼等の戦いを。 金で済むことならなんでもできる。誰が支払ったと知らしめる理由もないし、そんな手間も無駄なので、ノルマンディーにリデアンの”部屋”をねじ込む対価、匿名の支援者として出せる金を次々と出した。 それでも辿り着いたのは、勝ち目のまったく分からない、この羽虫同士の戦いだ。
その中で目視しやすいのは、リーパー、そして、アサリのドレッドノート。それから、元が生活船のため前に出ることはないが、クォリアンの移民船もその巨体を横たえている。補給艦としての役割があるのか、小さな虫たちが近づいては離れていく。 それから…… (きっとこれだな) 気付いてからヴェクタスは、小さな群れを追っている。動かすことのできないカメラなので、画角に入ってきたときにしか分からないが、整然と飛び回る、群体のような存在。 ヴェクタスが買ったものだ。そして与えた。いつもの”取引”として。 中核にいるやや小型のフリゲートにリデアンは乗っている。このサイズの艦を、一人、せいぜいで二人乗りの戦闘機のように操るのが異様であることは、素人のヴェクタスでさえ分かる。動きが尋常でない。 周囲を固めるのは、もし有人であるなら、これもやはりヴェクタスが買ったクルー、リデアンに命懸けででも付き従う者たちが乗る艦だ。 しかし無人の可能性もある。生きて帰ることよりもこの戦いに勝利することを選んだリデアンは、壊れるぎりぎりまで自分を使うはずだ。であれば、複数の戦闘機をすべて自分が操るということさえ、やりかねない。 とはいえ、右翼最先端の一騎の、隊列を乱さないまでも苛烈と言っていい攻勢は、ヴェクタスにすら見て取れるほどのものだ。あれには間違いなく人がいる。
彼等は"クルーシブル"と名付けられた構造体の付近を切り裂くように飛んでいた。 であればこそ映像の中にいることが多いのだが、それを見つめてヴェクタスはただ待つしかない。 祈りは、彼に存在しない。祈れば奇跡が起きるか? そんなわけはない。信じる? 信じて強くなるなら苦労はない。願う? その資格なら少しはあるかもしれない。スポンサーとして。 ヴェクタスはただ見つめ、ただ待つ。 組み合わせた手に口元を押し当てて、じっとモニターを見つめている。
そのときだった。 巨大な虫、あるいは手のように見えるリーパーが一体、開いた。 その"掌"の中央に集まる光は、ヴェクタスにも見えた。それくらいなんの障害も遮蔽もなく、それはクルーシブルを狙っていた。
クルーシブルが具体的にどういうものなのか、ヴェクタスは知らない。この決戦の鍵になる、ただそれだけなのだ。だから、破壊されるとどうなるのかも判然とせず、必死に運び守る価値があるのかも分からない。 だがそれに賭けるしかないのが、愚行の代償だ。 あれが壊されたらどうなるのか。ヴェクタスは息を詰め目を細めーーー 「ッ!!」 次の瞬間 椅子を蹴倒して立ち上がり、 「やめろ!!」 叫んでいた。
美しい群れの中央から飛び出した艦がまっすぐにその射線へと飛び込み、そして……。 艦内の酸素は一瞬で燃え上がり焼き尽くされて消える。 そして溶ける鋼の色を黒煙の中に輝かせながら、傾き、少し流れて、その無残な姿は動かなくなった。
クルーシブルの起動から、約1時間後。 リーパーは戦闘行為をやめ、飛び去った。 何がどうなったのかは誰も分からない。ただ、クルーシブルに乗り込んでいったジョン・シェパードがやり遂げたことだけはたしかだ。
ヴェクタスは、事後処理のため厳重に鎖されたソル星系内へ、金の力で乗り込んだ。 駆け引きも取り引きもない。今後の復興にかかる天文学的な金、それを一銭も出さない、どころか、奪い取る、全力で復興を阻止してやる、それが嫌なら通せと脅したのだ。 あとは物理的に排除した。人なら押しのけ、物なら壊す。そのために雇った。リデアンの安否を白くなるほど気に掛けながら、やはり入れずにいた者たちを。 なりふりなどなかった。 そして、回収された残骸の中から救助されたというリデアンを、ソル系外縁の小規模コロニーで見つけた。
言葉が出なかった。 誰もだ。 あの気高く勇壮な、そして美しい軍神は、酷い有様だった。 何故これで生きているのか、死亡とされていないのかが分からない。 右半身がない。千切れた腕と足はもちろん、肩、胸、腹、腰、全体が押しつぶされ損壊している。眼窩は空洞で、ただ真っ暗な穴になっていた。 理解できないのは、そんな有り様になった後で彼は、決着がつくまで3時間、そこから発見・回収されるまで更に4時間もの間、死ななかったことだ。 体内には血液すらほとんど残っていなかったというのに、何故か死んではいなかった。 それについては、体内にある"上位機能”、すなわちリーパーがかつて彼に施したなにかが、機械的に生命を保持しようとしていたためだと推察されている。
だが彼は今もまだその状態だ。 生命機能は維持されている。だがリーパーによる補助機構も無限に働くわけではないらしく、現に活動は緩慢になり、リデアン・トライオスは確実に停止へと向かっている。 心電や脳波を示すモニターは既に無反応で、実質的にはもう死んでいるくらいなのだ。ただ、それでも命を本人や親族の了承なく断ち切ることもできず、さりとて死に物狂いに手当てする必要があるのかも分からず、医師たちはただただ彼を見守っていたのだった。
「“上位機構"が活動を停止する理由はなんだ。エネルギー不足か。それとも、それもまた破損したことで死にかけているのか。どうすれば維持できる」 分かりません、と医師は答えた。 ヴェクタスは考え、 「父君は。ヴァレス・トライオス准将はなんと言った」 「問い合わせは来ていません。こちらから連絡はしましたが、伝えると言われたまま、それきり返事は……」 「ではまず彼に連絡を取ろう」 ヴェクタスにはそれができた。トゥーリアン軍部の高官につなぎを取り、リデアンの父・ヴァレスを通信に出させる。状況を伝え、 「御子息のこと、どうなされますか」 尋ねると、ほとんど考えもせず、 『聞くかぎり、“それ"はもう死んでいるのだろう。ならば生命維持など不要だ。死体はパラヴェン軍本営へ送還すればいい』 それ以外に何がある? と言いたげな、吐き捨てるような口調だった。
苦渋の決断には聞こえなかった。 だからヴェクタスは言った。 「では、生命活動が停止する前に、私に売っていただきたい。英雄と呼ばれた男なら、いい検体になります」 息子の命を容易く切り捨てる男のくせに、“死体"を売り買いすることには嫌悪を覚えるらしい。 ヴァレス・トライオスは、 『売るなどと下賤なことは言わん。差し上げよう』 と答えて通信を切った。
商人として数多の苦境を乗り越え、吐き気を催すような下衆を相手に笑ってきたヴェクタスだったが、思わず壁を殴りそうになった。腕の震え、拳が固く握られるのを止められなかった。 だがやるべきことへとすべてを切り替えた。 医師のもとに戻り確認させると、既に必要な書類と宣誓は届いていた。 リデアン・トライオスの身体は、現時点での状態を問わず検体として提供すること。そして、それに関する一切の権限と責任をヴェクタス・アヴローンに委譲すること。 末尾に、ヴァレス・トライオスの正式なサインもされていた。 「これで彼は私のものだ。だから私がすべて決める」 ヴェクタスは、ありとあらゆる手段、方法を用いての、リデアンの生命維持と回復を命じた。
最も役に立ったのは、一人の女が提供してきたデータだった。 ミランダ・ローソン。元サーベラスの科学者にして幹部であり、ジョン・シェパードを蘇生させた、ラザラス計画の責任者でもある。 防護スーツだけで大気圏外から地表に落下し、ほぼ肉片となったシェパードさえ蘇生させたその技術は、当時サーベラスが入手していたリーパーの技術を多分に含んでいた。 ただ、リデアンは半身が残っているだけにシェパードと同じような方法は使えず、肉体の復元はしないことを選んだ。復元部分と残存部分が互いに免疫反応を起こす可能性が高かったのだ。
最先端の技術と知識、医療スタッフによって、リデアンの生命は安定した。様々なものが人工物に置き換えられた体だが、鼓動も戻り、脳波も測定されるようになった。 失われた右腕、右脚の代わりには高性能な義肢も用意した。本体もまた、それが接続できるように人工骨や補助フレームを用いて整えた。 そして、なくした眼球の代わりになる、元の彼の瞳をできるだけ再現した美しい義眼も用意した。脳へのダメージがどの程度回復するか、残るかが不明だったため、神経リンクはせずただはめ込むだけになるし、どう見ても元の眼ほど魅力的でもないが、仕方ない。 ヴェクタスは金で買えるものすべてを手に入れ揃えた。星を買うよりは安かった。それが何故か腹立たしく思えることは、追及しないことにした。
いつしか祈っていた。何にかは知らない。気がつけばつい祈っているだけだ。どうか目を覚ましてくれと。 考え事をするときの癖、もちろん自覚的な癖であり、ポーズでありスイッチでもあるその姿で、ヴェクタスは考え事をしているはずがいつしか祈っている。 (リデアン……) テーブルに肘をつき、手を組み、その手に口元を押し当て、目を閉じて。 ヴェクタス・アヴローンは、祈っているーーー。