日々彩々 5・前

 ヴェクタスいわくの"星外散歩"は、リデアンにとっても悪くないイベントだった。  セリオ圏内にある静かな場所へ出かけ、数時間を過ごす。特別に何かをするわけでもない。だが、ずっと邸内にいて本を読む(聞く)かニュースや音楽でも流しているかしかないことに比べれば、刺激的だ。  それに、行き帰りの船内ではたいていヴェクタスが、その星にまつわる話を披露する。歴史や文化であることもあるし、彼が手掛けた事業や開発についてであることもある。それを聞くのもまた、リデアンにとっては小さな娯楽になっていた。

 最初に訪れたアレタヤは、惑星全域をカバーする"AUT"、Aletayah Under Trailの計画と開発のほとんどを、ヴェクタスが主導し出資していた。  S7のような小さな町にはそれまで、地域からダイレクトに外へ出るための公共の交通手段はなかった。そのため、都会に出ようとすると泊りがけになったのが、AUTが通ったことで1日の内に行き来できるようになったし、たびたびの乗り継ぎも不要になった。  そういった支線は利用者が少なすぎて採算は取れないのだが、ヴェクタスは、帳尻は産業による収益で合わせればいいと考えていたし、現にそうしている。  なんにせよ、AUTによってアレタヤ全体が活性化し、より多くの金を稼ぎそして使うようになった。それによってヴェクタスの手元に集まる金も増えたのである。

 そんな話を聞いているうちに、彼が"自分自身の儲け"を目的にしないことにも気付かされた。  市場が活性化してみんなが金を使えば、それが自分に入ってくる。そういう考え方だ。だから、地域全体、そこに住む住民を豊かにすることを目的とする。  それが成り立つような仕組みを構築できるかどうかが、小さな会社と大きな会社の違いのようにも思う。  たとえば町のパン屋では、隣の本屋の商品が売れても何も影響しない。だからパン屋にとって、隣の本屋の収益はどうでもいい。  だがヴェクタスの場合、本屋やパン屋が儲かった分の金で遊びに出掛けると、使う交通機関や訪れるアミューズメント施設、宿泊するホテル、利用するレストラン、それらが直接アヴローン傘下であることもあるし、その設備やシステムに絡んでいることもある。  そんな具合に、セリオ圏内ではどこで誰が儲けても、そのうちのいくらかがヴェクタスのもとに集まるようになっているのである。  そして彼は、市場は賑やかなほど面白い、という嗜好をしている。自分の視界の中に、みすぼらしくうらぶれた貧相なものなど見たくない、ということかもしれない。  だから市場を、世間を、人の暮らしを、快適にし、面白くし、活発にし、その結果として儲けを得るのだ。

 そう考えるとなかなかの聖人のようだが、商売人としては決して、優しいわけでも甘いわけでもない。辛辣で冷淡なこともある。  熱心な努力家だろうと結果が出せなければ意味はないと切り捨てるし、ことに商売敵にとっては、自分の利益を奪っていく憎い敵だ。むやみに他人を傷つけ潰すような真似はしないとしても、必然的に、味方よりも敵が多い。  だがそれをヴェクタスは気にとめない。敵がいて自分を攻撃してくることには充分な警戒をし対策をとっていても、相手の思惑や心情には拘泥しないのだ。  近くにいて知るほどに、ヴェクタスが良くも悪くも人を惹きつける理由が、少し分かった気がした。

 リデアン自身も、ヴェクタスのことを面白い人だと思っている。  傍にいて、“王"ではない彼の姿を見ていると、彼は素でも魅力的な男だと分かる。  尊敬する先達だというルドルフ・カステルとの通信を横で聞いていたが、 『サッカーのルール? そりゃあいくらでも説明できるが、まったく、二年ぶりに連絡してきたかと思えば、用件はそれかね』 「では、改めてご機嫌うかがいの口上を一つ」  笑いながら話す様子は、仕事用の愛想とは違い、闊達で楽しそうだったし、相手も朗らかに笑っていた。  そして、未だに理由はよく分からないが、リデアンに対してはこれ以上ないほど誠実で、そして慎重だった。

 たしかに、一番最初のとき―――ヴェクタスに、取り引きの対価としてセックスを要求されたときは、たまらなく怖かった。つらかった。あのときもし、心の中に生まれたものをそのまま出していたら、やめて、来ないでと訴え、逃げようとする自分だったのだろう。  だが今は、思い出しても「そんなこともあった」というだけになっている。不思議とと言うべきか、それともなんら不思議ではないのか、リデアンには分からないが、今はもうヴェクタスに対する恐れはないのだ。  それに、責める気は最初からない。カエラやヴェクタスがどう言おうと、決めたのは自分だ。  一度、言ってみた。 「殴っていいと言って殴らせておいて、痛かったと相手を責める。そんな馬鹿な話はないでしょう」  と。だがヴェクタスは、少し考えて「だとしても」と否定した。 「大したことではないと勘違いして、繰り返していたことは事実だ。それに、人としての尊厳を傷つける行為と、ただの暴力……、いや、魂や心を傷つけるような真似は、体を傷つけること以上に、許されていいことじゃない」

 今、ヴェクタスに思うのは、罪の意識はもう持たなくてもいい、ということだ。  それが通じないことが悩ましいが、それ以外には感謝と、いくらかの不可解しかない。  「何故自分にここまでしてくれるのか」。その問いに、罪の意識だけで答えるのは無理がある。  それに、死体を蘇らせようとした時点では、罪悪感などなかったのだ。お気に入りの玩具だから、惜しかったのだろうか。だが、他の様々なコレクションと同じく、壊れたなら仕方ないと、そこまでにして捨てればよかったのではないだろうか。  しかしそれも、口にしても平行線にしかならない話題だ。  だからリデアンも、何か変化がないかぎり、言うのはやめようと決めていた。

 ヴェクタスが自分について語るならと、リデアンも、父のことも含め自分自身について話してみることにした。  心理療法としては"開示"とされるものだ。  やはり父のことや家のことは、話していると急に強い恐れに支配されることがある。だが、話してしまえば、後で思い出しても少しだけ軽い気がする。  たとえば、一番酷い、殺されると感じた出来事。  父親と比べては無力な子供でも、一度くらいはやはり、やめてと訴えたのだ。だがそのとき、父の拳を払おうとして、リデアンの手が彼の体に当たった。  滅多打ちにされた。拳ではなくステッキで、そのステッキが折れるまで。 「10歳か、それくらいだったと思います。その頃には学校に通っていましたから、見て分からないように、加減はされるようになっていたのですが……。だから、勘違いしたんです。言えばやめてくれるかもしれないと」  腕の骨は折れていたし、肩甲骨などあちこちに罅も入っていた。当然病院に行くしかなく入院もしたが、この暴行は地元の不良グループの仕業ということになっていた。父は「負けるほうが悪い」と言って見向きもせず、聞いた者は、そんな父を冷淡すぎると思ったとしても、この怪我を彼の仕業だと思う者はなかったし、リデアンに真実を口にすることはできなかった。

 話せば確かに、少しだけ楽になった。  そして、ヴェクタスが知っているということが、記憶に飲まれそうなときには救いになった。  聞いて面白いどころか、どう受け答えればいいかと困るだけのような話でも、しておくことでその後が少し緩和されるのであれば、困らせてしまうことも無意味ではない。  少しでも早く、混乱や恐慌に陥らないところにまで回復するためには、話すことは必要なのだろうとも思った。

 そういう嫌な記憶に触れない過去もある。逸話や伝説として知られているような特殊な内容だ。  ヴェクタスにはヴェクタスで、伝記が書かれるなら必ず含まれるだろうという逸話がある。セリオ圏の奪取はもちろんとして、2170年の"スキリアン・ショック"を損害を出さずに切り抜けたこともそうだろう。  彼がそういった逸話を披露してくれるならと、 「私の話で何か聞いてみたいことはありますか?」  ヴェクタスに尋ねると、 「それなら、テルミナス宙域での海賊掃討戦がいい」  言われて、なるほどと思った。  あの艦隊戦は、記録が意図的に隠蔽されている。敵側の協力者に幾人か、公になると面倒な人物が混じっているためだ。それでいて惑星の一地区ではなく、宇宙を舞台にした艦隊戦のため世間にも知れ渡り、出来事の真偽は今や、曖昧というよりも不明となっている。  噂が一人歩きするには充分な条件だ。  隠された部分に触れるのはよすとして、リデアンが出した結果について語るだけならば、問題はない。

 歴史として記された事実はこうだ。  2175年頃から、テルミナス宙域に存在していた海賊・犯罪組織が手を組み、活動が活発化しはじめた。無法地帯では珍しくもないことだが、2177年、彼等がバタリアン軍から回された戦艦を有したという情報が入ったことで、評議会はシタデル域への侵攻を懸念。示威行動として、トゥーリアン軍をメインとした小規模艦隊を差し向けた。  だが、迎撃のため相手が繰り出してきた戦力は、評議会側のおよそ倍だった。  ここまでは、公的に残された記録である。

 この掃討戦はシタデル域の安全に関わるものであり、世間も無関心ではなかった。そのため、「トゥーリアンの将校が単身で突撃し、多数の敵機敵艦を撃破した」という話が漏れ広まった。 「敵戦闘機が30機。他にフリゲートをいくつかと、旗艦となるクルーザーまで落としたというのが、私の聞いた話だな。しかも、無傷で」  それがどのくらいすごいのかはよく分からなくても、とにかくすごいと語られている。  あとは、いや20機だ、40機だ、他にも出撃していた戦闘機があってそれの撃破数まで含まれたデマでしかない、使った戦闘機はその時点で損傷していた、等々……。  何がどこまで本当かは不明である。ただ、リデアン・トライオスという男を知る者は、それが彼だったと知っている、という程度だ。

 それにリデアンは、正確な撃墜数を答えることができた。  まず、出撃に使った戦闘機が損傷していたというのは誤りである。また、出撃中の戦闘機は他にもあったが、随伴した僚機はなかったため、単騎突撃であったのは事実だ。  そしてリデアン自身の手で、迎撃機含む戦闘機28機、フリゲート4隻は撃墜した。同士討ちや激突に誘導したものを含めてもいいのであれば、戦闘機は更に4機追加される。しかしクルーザー1隻と、旗艦となっていた大型クルーザーは、撃破までは至っていない。  戦闘機の本来の役割は、敵戦闘機、迎撃機と、せいぜいでフリゲートの撃墜までである。クルーザーは高強度のキネティックバリアで守られており、また装甲も厚く、戦闘機の火器で破ることはできない。そのため、接近しディスラプター魚雷を当てバリアを解除するところまでが仕事になる。  が、そのときはバリアが解除されたにも関わらず味方からの砲撃がなかった。  そこで、前線に出ていたクルーザーは艦橋部を狙って行動不能にした。これはその後やっと、味方クルーザーの主砲によって撃ち落とされている。  後方の旗艦は、右方の壁にしていたアステロイドベルトに突入し、その中を飛びながら艦体側面を連続で攻撃、スラスターと補助エンジンを複数破壊することで撤退させたのだ。

「無傷で、というのは?」 「どの程度をさすのかが不明ですが、被弾はしていませんし、機体の損傷は軽微でした」 「それは……腕の良いパイロットならできる、とかいうことでは、ないんだよな?」 「軍本営の記録にある一度の出撃による最大撃破数は、私の記録を除けば12機です。他には、シミュレーションの結果であれば、18機という記録がありました。今はもう少し増えているかもしれません」 「つまり、伝説となるに相応しい戦果ということか」 「……そうですね」  遠く離れた場所にいて、おとぎ話かムービーのように見ている者たちにとっては、そうなのだろう。  不意に沈みそうになった気分を、リデアンはすぐに止めて切り離し、意識の焦点を変えることにした。

 それにしても。  ヴェクタスの話は仕事のことから芸術芸能、交友関係のある変人奇人、傑物、様々あるのに比べて、自分の話は軍事ばかりだとリデアンは気付いた。  それも当たり前で、趣味や交友というものはなかったのだ。ーーーただ一人の例外を除いて。

 それは館の外、湖のほとりに作られた遊歩道を散歩していたときだ。霧のない日で、いつになくあたたかくもあった。  館の外観を楽しめる場所に東屋があり、そこで一服しながら、ヴェクタスがアジタル・ウォンというサラリアンについて話してくれた。  午前中にまた新しい義肢の試作品が届き、面白がっているんだと、そんな話から流れたのだ。  アジタル・ウォンは科学者であり、“技研"のメンバーでもあった。 「君のDSRユニットを開発したチームにいたんだよ」  彼には生まれつき頭部の"角"がなく、その奇形に相応しい数奇な人生を歩んできた。その詳細は省くとして、天才となんとかは紙一重という言葉そのもののような男で、極めて優れてはいるが、一般人の目には変人というより狂人のように映っていた。

 サラリアンはそもそも、あらゆるものが早い種族である。代謝も早く寿命が短い。頭の回転も早ければ口も早いし動きも落ち着きがない。  その中でも彼はどうやら思考が"ジャンプ"するらしく、 「ABCと進んでいて、突然HIJに行く。そしてその間のことは、彼自身にも覚えがなければ説明もできないから、周りはついていけない」  話も支離滅裂になることがあり、当人は密接に関係していると主張するが、他人にはさっぱり意味が分からなかった。  当然 彼は社会にまったく馴染めなかったし、誰も彼に馴染めなかった。

 そんな奇怪な天才を、ヴェクタスは"技研"に放り込んだ。常人には到底 理解できないとしても、同じ天才なら理解しがたいくらいになり、ともするとなんとなく分かるかもしれないと思ったからだ。  実際そこで彼はようやく話のできる仲間を見つけた。通じることはなくとも、分からないからと言って拒絶しない者たちだ。そして意気揚々と研究と開発に勤しんだ。 「DSRユニットには、彼が"ジャンプ"の先で見つけた理論も使われている。つまり、ウォンの飛躍はでたらめではなかったということだ。ただ、私が呼んだときにはもう40を過ぎていたから、彼がいたのはほんの数年のことでね。だが死の直前まで新しい思いつきについて喋っていて、楽しそうだったと聞いている」

 彼の特異な思考には何か理由があるのか。それは他人だけでなくアジタル・ウォン自身も思っていたことで、本人の希望で遺体は研究に提供された。  だが特別なものは一つも見つからなかったし、なにか分かったわけでもない。 「リーパーの存在が明らかになった後で、彼もなんらかの接触をしていたんじゃないかという説も出た。しかし、君のように組織を組み込まれたのであれば解剖で分かったはずだ。だとしたら、精神的にだけ影響を受けたのか。しかしそれも証明のしようはない。結局、今もって謎の天才なんだ」 「彼に比べれば私は、謎の技術が使われているということが判明している分、謎ではなかったのですね」  リデアンは角のないサラリアンの姿を思い描き、彼もヴェクタスによって孤独から救われたのかと、そう思った。

 リーパーという名前が出てきたからだ。  リデアンは、軍事ばかりになる自分の話の中で唯一、友人のこととして話せるものを思いついた。  リーパーに触れてしまったその作戦で、共に任務に当たっていたヒューマンの軍人、デイヴィッド・アンダーソンだ。  たった一人しか友人のいない人生というのは、寂しいことなのかもしれない。  だが、心から信頼のできる友人ならば、一人いるだけでも贅沢なことなのかもしれないと思う。 「話してもいいですか?」  尋ねると、 「ああ。聞かせてくれ」  いつもより少し深い声でヴェクタスが応じた。自分の口から友人という"良いもの"の話が出ることを、喜んでくれているように聞こえた。