ルルナの物語

 ほんの出来心でしかなかったはずだ。  それでも物を盗んだのは悪いことだから、罰せられるのは仕方がない。  けれど、「貧乏人の汚い手が触れたものなんてもういらない」と簡単に捨てるような物のせいで、どうして世の中全体からゴミのように扱われなければならないのだろうか。  同調圧力。それはどこにでもあるだろうが、グリダニアのそれは他国よりも強かった。秩序を重んじるということは、“多数"に逆らって揉め事を起こさないということだからだ。影響力、権力、財力、支配力のある者が言い出したそれに、より弱い立場のものは簡単に前へ倣えする。

 ルルナの母親はブローチ一つのために、犯した罪以上に傷めつけられ罰せられ、自ら命を断った。  ルルナ自身と弟は「盗人の子供」と罵られ、つまはじきにされた。弟が少し……変わった子供だったのも、それに拍車をかけたのだろう。そしてある日弟は、くだんの家の子供を殴って怪我をさせ、駆けつけた使用人たちに寄ってたかって殴り殺された。  それを堂々と、暴行を働いたのはそっちだ、これは坊ちゃまをお守りした正当防衛だと言いはる連中。そんな馬鹿なことがあるか、やりすぎだとは言ってくれなかった法。  腫れ上がった顔の小さな弟の遺骸を、ルルナは満足に弔ってやることもできなかった。名もなき行き倒れを葬るような共同墓地にしか入れてもらえなかった。後になって思うと、墓守のあの顔は、可哀想にという心からの同情だったのかもしれない。けれどそのときのルルナの壊れそうな心には、面倒なことをという嫌悪にしか見えなかった。

 どす黒い暗部を綺麗な森のヴェールに隠して取り澄ますあの国が嫌で人が嫌ですべてが嫌で、ルルナは生涯で一度だけの悪事を働いた。大きな宝石を店先から盗んで逃げたのだ。  そのせっかくの宝石は、いったいなにがあったのか、街道を閉ざし行われていた検問を前に、隠して持ち込む勇気も知恵もなく、道端へと捨ててしまった。たとえ持っていたところで、売ろうとすればすぐさま怪しまれ、捕まるだけだったろうが。  無一文に等しいような有り様でウルダハに流れ着き、冒険者になった。  家もなく家族もおらず金もなく、どこでなにをしてきて今ここにいるか、語らなくても就ける数少ない仕事がそれだった。ギルドはできたばかりで、今に比べれば不備だらけだったが、バラックのような寝床にはありつけたし、小銭程度ではあるものの支度金も支給された。  けれどそれからの暮らしもろくなものではなかった。  使い走りくらいの雑用ならできても、戦うことはどうがんばってもうまくできなかった。それでは冒険者としてランクを上げられない。満足にファイアも扱えない役立たず。そんな評判が広まれば、足手まといなど連れて行きたくないから、誰もルルナを誘わなくなる。同行を頼んでも断られる。早くこんな暮らしとはおさらばしたいと、必死で上を目指すから尚更だ。  ルルナも努力はした。ウルダハにギルドのある呪術、剣術、格闘術、すべてやってみた。冒険者として登録していれば、入門と初期にかかる費用はギルドが負担してくれたからだ。だがどれをやっても同じだった。そもそも小柄で軽いララフェルに、前衛で体を張る剣術など不向き極まりない。格闘術であれば、その小ささ、素早さを味方にすることもできるが、動きまわる敵に素早く接近して殴る、蹴るということが、ルルナには無理だった。中ではマシな呪術でも、威力のほとんどないファイア、すぐに尽きる魔力、“返し"がどうのとか言われても、いったいいつ、どうすればいいのかも分からず……。  仕方なく、子供のお使いのような仕事に朝から晩まで走り回った。

 仕事がつらいだけなら良かった。  けれど、苦しい暮らしをしている者たちは、その鬱憤のはけ口を時に弱者に求める。ルルナは彼等にとって、「いじめてもいい相手」になっていた。  強者であることは快感だ。だがもし自分に本物の強者としての力がなかったら? より弱い者を踏みつければいい。満足に言い返しても来ず、言い返されるという不愉快すらなくいたぶれるルルナは最高の標的だったのだ。  いつもいつも、意識のほんの少し脇、薄い"壁"の向こうに、死んでしまったほうがいいんじゃないかという思いがあった。もしそれに正面から向き合ってしまったら、抗えずにふらふらと誘い込まれていただろう。けれど、自分はなにも(一つを除いて)悪いことなんかしていないのに、どうしてという思いが、顔をそちらに向けるのをどうにか止めていた。

 とっととやめればいいのに。まだいたのか。仕事を探しにギルドに行くとそんな目を向けられる。まともにファイアも撃てないのに、なんで冒険者なんかしてるんだ、という目だ。  やめて、他に生きていくすべがあるならそうしたい。だが、試してみたところでどこもルルナなど門前払いだし、行く先々でますます傷つけられるだけだった。  あからさまな言葉で、体一つあればできる"商売"をしたらどうだと、下衆な笑い声を浴びせられたこともあった。  “壁"は意識しないようにしていたけれど、間違いなく日に日に薄くなっていた。いつかいつの間にかなくなって、向こう側のものがひょっこりこっちにやってくる。そんな日も遠くないに違いなかったし、もし「こっちに来ればもっとマシな生活ができるぞ」と囁かれたら、相手が悪党だと分かっていても乗っただろう。  悪いことってなんなの? 世間ってなに? 他人って? あたしになに一ついいことしてくれない世の中なんて他人なんて、可哀想なんて思ってあげる価値なんかない。そんな世界のルールを、どうしてあたしが守らないといけないの? そんな気持ちもまた、透けるほどに薄くなった"壁"のすぐ傍に黒々と渦を巻いていた。

 だがある日突然、大きな二つの太陽が、嫌なもの暗いもの怖いもの、すべて追い払ってしまった。

 理不尽も困難もムカつく奴も、全部蹴り倒して踏みつぶし、乗り越えてよじ登り、ゴミ山の上に這い上がったら「おいすげぇ夕日だぞ早く来いよ」と、笑いながら大声で呼ぶようなハイランダーと。  ぬくぬく干したての布団のようにいつもあたたかく心地好く、つらいことも悲しいことも苦しいことも寂しさも、優しく受け止めて包んでくれるようなルガディンと。 「戦うの苦手で、苦労してるんだろ」  大きな体の2人がのっそりのこのこやってきて、じゃあ俺たちと一緒にやろうと言い出した。  嫌がるルルナを無理にケイブバット狩りに連れ出して、かすりもしないファイア、届く前に掻き消える小さな火種に泣きたい気分でいると、最高の名案でも思いついたような顔で「ほんとに苦手なんだな。よし、だったら、ヒーラーになったらどうだ!?」ととんでもないことを言い出した。仲間の命を預かるヒーラーなど、たとえウルダハに学ぶ場所があったとしても、ルルナには呪術師以上に無理なことだ。  そんな強引な相棒の脇から、俺で良かったら基本的なことくらいは教えられるし、無理なところへ行かなければいいんだから、俺たちなら分かってるんだから、うまくできなくたっていいし、 「なあルルナ。君はそもそも、生き物を殺すってのがどうしても怖いんだろ? だったら、無理しなくていい」  と―――。

 冷たく暗く孤独な夜を終わらせる、2人とも太陽のようだった。  人の悪意、ねじれた黒さにすべて奪われて、傲慢や残酷さに追いつめられて、人なんて嫌なもの、怖いもの、そう思っていた心をあっさり壊して「そんなことない」と思い知らせるほどの、掛け値なし、とびっきりの明るさとあたたかさだった。  泣く気持ちもないほど希望の絶えていた胸が一気にあたたまって、洞窟の中で大きな胸にしがみついて大声で泣いた。  そして、その声に驚いたケイブバットたちの乱舞に大慌てして、なんとかやりすごしてから三人で大笑いした。笑ったのは、……最後に笑ったのは、母親の事件を聞くより前のはずだから、一年ぶり以上だった。

 その気になれば大きく羽撃いて、ルルナなどあっという間に置き去りにできるのに、一緒にいることが楽しいからと言わんばかりの屈託なさで、冒険者としては三流以下だったルルナに付き合ってくれた。  当のルルナよりも、なにが分からなくてどこでつまずいているのかを察し、ゆっくり丁寧に教えてくれるルガディンのおかげで、ルルナにもヒーラーの真似事くらいはできるようになった。  そんな彼等も、いつまでもEランクにいたりはしない。ルルナとしても、自分のためにいつまでも、彼等をこんな場所に引き止めておきたくはなかった。だからといって、2人がいなくてももう大丈夫だよとはとても言えなかった。  言わなければならない。けれど2人がいなくなったらまた。そんな思いに日々悩み、決めなきゃ、勇気を出さなきゃと思っていた。  そんなある日、少し前に護衛した商人のおじいさんからギルドで声をかけられた。うちで働いてみないか、と。

 名乗った名前が本当かどうかも分からない。後見人も保証人もいない。冒険者にしかなれないような者は、今までなにをしてきたのかも定かではない。それなのにケイマンというその人は、ルルナを自分のもとへと誘ったのだ。  これにはルルナも驚いたし、近くにいた冒険者も仰天していた。  それも実のところ、一緒には行けないルルナのために、冒険者でない仕事に就けるようにと2人が心を砕いてくれていた結果だった。  ケイマンがルルナを雇い、そして後に養女にまでしてくれたのには、護衛として雇ったときに接したルルナ自身を「いい子だ」と思ったのももちろんだが、 「冒険者なんてものは、自分のことしか考えておらんと思っていたが」  護衛の仕事の合間、2人は他愛もない世間話をしていた。馬鹿話、笑い話だ。だがそれは、「ルルナは気の利くいい子だ」「真面目でちゃんとしている」「信用できる」という……可笑しくなるほど不器用な"売り込み"だった。  ケイマンは、冒険者には向かないルルナを、なんとかもっと適した道に進ませてやりたいと願う、その優しい気持ちを無下にしたくないとも思った。そしてその日、ギルドにルルナを迎えに来たのだった。

 商人の補佐……お手伝いという仕事に就いたルルナは水を得た魚だった。  お手伝いが事務員になり、秘書になった。  ルルナの身の上を知ったケイマンは、私の家族になりなさいと娘にしてくれた。そして腕の良い職人と恋をして結婚し、武具店を一つ出させてもらった。  過去に傷があろうと今真面目ならいいわと、昔の自分と同じような者にこそなお親身に接し、行き場のなかった職人たちを抱え、大切にし、誠実で真っ当な商売を続けた。  そしてある日、真面目なのにちゃんとした仕事につけない人をもっと雇ってあげたい、そのためにはもっと大きく稼がないと給料を出せない、今のままじゃ、働きたいと真剣に思う人にこれ以上応えてあげられない、断ったらこの人はこれからどうするんだろう……そう悩んだとき、閃いた。  それが、冒険者ギルドとの提携だった。

 ギルドにいる冒険者には、ランクに応じて納める登録維持金がある。ギルドの運営や管理に使われているこれを一部もらって、その代わり、登録している正規の冒険者には購入にも修理にもサービス価格を適用する。そうすれば、食べていくのがやっとの低ランクの冒険者は、本来よりも安く装備を整えることができる。  ギルドとしても、登録冒険者同士の"互助"システムの一環として、悪くない話のはずだ。  なにより、小口だろうと大量の顧客ができることになる。それはつまり、その数に対応できる働き手が必要になるということだし、彼等に払う給金が稼げるということだ。  養父ケイマンも賛成し、商会長である彼から冒険者ギルドへ、提携が打診された。  この仕組みは理にかなっている、皆が必要としていると、すぐにグリダニア、リムサ・ロミンサのギルドにも組み込まれた。

 ルルナのもとには、怪我をして引退し、職人として第二の人生を送っている元冒険者が、頼むから使ってくれと言ってくることもあった。かつての自分の苦労を思うと、なにか力になりたいと願う心ある者も少なくなかったのだ。  そんな元冒険者たちは、自分の経験をもとに本気で親身に客の相談に乗った。それもまた、他の武具店ではなくケイマン商会の店に行く大きな理由になっていった。  気がつけばルルナの見る店は1店舗から2店舗に増え、3店舗に増え、その気になればあの日に盗んだ宝石を、買うこともできるほどになっていた。

 冒険者の装備をなんとかしてあげられたら、彼等も、働き口を探している人たちも、もちろん商会も得をする。  そう思いついたのは、間違いなく、かつて自分がそれを間近で見ていたからだ。  背伸びした敵と戦って、肩当てがもぎとられてしまった鎧を見、新品を買うか修理してもらうか、買うといくらかかってああでこうで、修理だとどうで……。 「明日からしばらく……晩飯、抜くか」  そんなことを言い出したのに驚いて、次の日一日、商店街を駆け回ったのも今となってはいい思い出だ。  少しでも安い店、セールをしている店、頭を下げれば一部でも後払いにしてくれそうな店。あれこれ尋ねると、手ひどい言葉を投げつけられることもあったが、そのときのルルナにはもうどうでも良かった。そんなものでへこたれていては2人の装備をなんとかしてあげられない。棘だらけの言葉に「お時間とらせてすみません、ありがとうございました!」ととびきりの笑顔で返せたほどだ。  うまく戦えないけれど、こんな形でなら2人の役に立てる。あちこち走り回るのも、お得な話はないかと聞き耳を立てているのも、誰かに疎ましがられるのも、2人のためなら少しも苦にならなかった。  そんな経験と思いがあればこそ、彼等のようにボロけた装備を前に悩む冒険者を助けてあげられたらと、思いつくことができたのだった。

 その太陽は、今日もウルダハの冒険者たちを照らしている。  あの頃よりずっとおじさんになって、貫禄も出て、名前も売れたし評判もとって、けれど相変わらず、助けを求める誰かを見過ごさない。  そしてルルナも今では、ささやかながら誰かを助ける力を持っている。  その助けを必要としているのが、ルルナの大切な大切な太陽なら、どうしてじっとしていられるだろう。 「相談? いいわ。今どこにいるの? ギルド? すぐ行けるけど……、いいのよ。今のあたしの仕事なんて、すぐじゃなきゃなんてものめったにないんだから。うん。じゃあ、そのまま待ってて」  リンクパールから指をはずすと、ルルナは椅子から飛び降りる。 「オーナー、お出かけですか?」  話が終わるのを待っていた秘書が尋ねてくる。 「うん、ちょっとね。大事な相談だって。たぶんすぐ戻るとは思うけど……」  言うと、まだまだ可愛らしいところのあるミコッテの娘は、堪え切れないように小さく笑った。 「ごゆっくりでも大丈夫ですよ。だって通信、あの……お名前、なんて言いましたっけ。大きなルガディンさんからでしょう?」  久しぶりに会うのなら、ゆっくりしてきてくれてもいい。その間の仕事は、いくらでも自分たちでやっておく。そう言いたげな頼もしい笑顔に、ルルナは、じゃあお願いするわと答えて急ぎ足で執務室を出た。

 あたしにできることならなんだってする。ええ、もちろん、喜んで。  その思いは今も昔も少しも変わらない。  明るくて優しくて頼もしい、私の太陽さん。  話したいこともいっぱいある。 (そうそう。ナガレがまだドマにいるのかも聞かなきゃだわ)  弾むような足取りで、クリーム色の髪のララフェル婦人がエメラルドロードを渡っていく。  ウルダハの、ある日の昼下がりだった。