06 ラス・オクトン
【オクトランにて:ヴァレス】
ヴェクタス・アヴローンはかつて、王であった。 セリオの王、あるいは銀蛇の王と人が呼んだのは、ある程度は誇大な修辞だろう。だが真実でもあった。 王と呼ばれれば驕り高ぶる者もいる。だがヴェクタスは、尊大ではあったとしても礼節をないがしろにはしなかった。 それはヴァレス・トライオスとなった今でも生きている。 内心では連発している溜め息と、帰りたくて仕方ないという思いを表に出さずにいるのは、その嗜みゆえだった。
本心は、来たくなかった。 本心は、今すぐに帰りたい。 本心は、こんな辺境の惑星のあれやこれやなどどうでもいい。 だがその本心を出すのは、真摯に職務に取り組む者に対する侮辱でしかない。
ヴァレスは今、アティカン・トラヴァースのエレウシス星系、惑星タリシアに来ている。 無論、仕事、任務である。 もちろん、嫌だった。 パラヴェン、すなわち妻子からはるか彼方に離れた出張任務など、冗談ではなかった。せめて同じ星系内、最大限に譲歩してシタデル宙域内なら我慢もできる。だがマスリレイによる星雲間ジャンプが三回も必要で、片道を行くだけでも5日かかるような場所になど絶対に行きたくはなかった。 しかし、 「がまんして、いってくあさい」 と最愛の息子に突き放されてしまったのでは、行くしかない。
ヴァレスも理解はしている。 現状のタリシアに、自分の才能は有用だ。 渋々だろうと嫌々だろうと、行くとなれば下調べせずにはいられないヴァレス=ヴェクタス。このタリシアの歴史的な背景や開発経緯、地政学や地質学的な価値等、諸々は把握している。 アティカン・トラヴァースの中でもややテルミナス寄りにあるこの惑星は、トゥーリアンの植民星としてはパラヴェンからかなり離れた位置にある中の一つだ。植民開始は約100年前。比較的フォーミングがしやすいにも関わらず、長い年月見過ごされていたのは、右旋性アミノの土壌のためだ。トゥーリアンとクォリアン以外の種族にとっては入植に適さなかったのである。それもあって、評議会に調査報告を提出し、承認されるまでの流れに滞りはなかった。 トゥーリアン総統府が入植を決めたのは産出されるレアメタルが目的だが、どうやらテルミナス宙域に睨みをきかせるためもあったらしい。タリシアに大規模な駐屯基地、このオクトランを建設したのもそのためだ。
だが、今に至るまでには厄介な問題も数多持ち上がり、しかも大きなものが複数、未解決に終わっている。 バタリアンたちの進入もその一つである。 開発から20年ほどが経過した頃、タリシア南部の山岳地帯でバタリアンの古い墜落船が見つかった。途端にバタリアンたちがやってきて拠点を築いた。自種族の船の調査となると強硬に断ることもできず受け入れたが最後、彼等はなんのかんのと言い逃れを続けて出ていくことはなく、居着いてしまった。 それだけならば、不本意とはいえ許容できなくもなかった。だがバタリアンはやがてタリシアの領有権を主張しはじめた。墜落船について、調査時に発見されていたのを隠蔽したのだろう、と言うのはまだ可愛げがあるほうで、よく分からない石柱群をバタリアン古来の儀式に用いられたものだと言い出したり、捏造やでっち上げは数知れない。
思うに、共存したくないならその時点で軍を送り、強制退去させてしまえば良かったのだ。トゥーリアンお得意のやり方でもあるし、真正面からの衝突となれば今の銀河でトゥーリアンの軍事力に対抗できる種族はない。 しかし当時のプライマークが、良く言えば穏健で平和主義、悪く言えば弱腰で無能だった。 バタリアンがごねるのは、正当性があるからではないし、その主張が通ると考えているからでもない。ごねている間は、状況が膠着するからだ。それに気付かず日和っている間に、バタリアンは着々と居住者数を増やし、根回しをし、テルミナス宙域との境で大きなトラブルを起こしたくない評議会を味方に付け、タリシアへの正式な居住権を獲得してしまった。
そのような経緯で成り立っている、上っ面の共存である。 トゥーリアン側は住民の数、軍事力でバタリアンたちを支配している。居住権は認めるが同等の市民権は認めないとして、バタリアン労働者の待遇は悪い。バタリアンたちは、それがどれほど不満でも、抗議以上のことができない。なにせタリシアには右旋性の食物しかないのだ。水でさえ彼等はそのまま飲むことができない。外部からの輸入を止められれば、バタリアンは餓死するしかないのである。 そんな場所に無理強いに居座っても、住民にはなんの得もない。だが、ここにバタリアンの船が出入りできるという状況が重要なのだ。現地の労働者は、言うなれば港を確保するための生贄だった。
そのためタリシアでは、バタリアン労働者によるデモやストライキがたびたび起こり、軍がたびたびそれを鎮圧してきた。開拓も開発も進んでは止まり、いくらか引き返してまた進むという亀の歩みで、入植から100年も経っているというのに、アティカン・トラヴァースにおける軍事拠点としては規模も設備も信頼性も半端なままだ。 そこで、ヴァレス=ヴェクタスである。 膠着した現状を分析し、打破する案を出せと期待されたのだ。
なるほど、決まりきった発想しかできない他の軍人とは違うと、それに気付いたのは慧眼である。 だが甚だ巨大な迷惑だった。 問題の根底にあるものはA7と同じだ。バタリアンを雑に扱い続けて数十年、それで社会がうまく回るわけがない。そんなことすら認めず、まずそこを変えようともしない連中は、彼等を懐柔しろと言う。ヴァレス=ヴェクタスに言わせれば (何様のつもりだ) である。 面倒なのは、そういう軍の立ち位置、目線、許容範囲の中で実行しろと言われることである。 (私の星なら) かつてのヴェクタスであれば、トップダウンと巨額のポケットマネーでなんでもできる。 だが今は、そんな考えは夢物語に過ぎない。ヴァレス=ヴェクタスに与えられた仕事は、「面倒くさくて厄介な枠組みの中でなんとかすること」である。そして仕事というのは大抵、そういうものだった。
だから泣く泣くでもやるしかない。 これだけ離れた星では通信制限も厳しくて、週に合計一時間もパラヴェンの自宅とは通信できない、リデアンともエドナとも話せないとしても。 出発前に渡してくれたビデオメッセージと、持ってきたフォトを心の拠り所にして、短くても数年という出張任務を、やるしかないのである。その数年でリデアンがどれほど大きくなるかと考えたら地獄の苦行にしか思えなかったが、そのリデアンには行ってこいと言われてしまうし、一応、分かってもいる。ここで大きな功績を上げておけば、おそらく階級が上がる。そうなれば責任が重くなる分 発言力も強くなる。本営での仕事も増えるし、その仕事をどう進めるかを自分で決められるようになる。つまり、家に帰りやすくなる。 だから、この数年とその後のもっと長い年月とのトレードオフだと自分に言い聞かせ、仕方なく、本当に致し方なく……。 そして今のところ、そんな内心に渦巻く不服や泣き言を表に出さずにいるわけである。
せめてもの救いは、責任者となるレクトルスに、ちゃんとヴァレスを使う意思があることだ。形ばかりやったつもりになって自己満足するのではない。困難だろうと本気で解決に取り組む気がある。 その証が、ヴァレスの今いる場所にも表れている。レクトルスのすぐ後ろである。本来ならば中尉ごときの立ち位置ではない。少佐ですらもう少し離れた場所にいるというのに、3人の中佐に混じって、引き継ぎ後もオクトランに残る面々と引き合わせられている。 当然、「何故貴様がそこに」という視線はちくちくしているが、それはヴァレス以上にレクトルスにも突き刺さっている。出世の足がかりとしたいだけであれば、敵対的な相手との摩擦などなければないほどいい。だがレクトルスはそのマイナスを、結果を出すことで埋める気なのだろう。 それが、“せめてもの救い"なのである。リデアンと離れてこんな辺境にまで来たのだ。それっぽいことだけやって時間を無駄にされるくらいなら、徹底的に使い倒されて結果を生んだほうが、はるかにマシだった。
おかげで物々しい近衛兵も隣にいる。彼等はレクトルスの身辺を守る警護であり、エリート中のエリート戦闘員である。装備は最新。微動だにせず全員が同じような姿勢を保ちつつも、全員の視線がくまなく周囲を警戒している。 その佇まいは、かつての軍神リデアン・トライオスを思わせる冷厳なものだ。有能な兵士が任務をこなしているというより、より断固としたものを感じる。 (バタリアンといざこざが絶えない星ともなると、無理もないか) ただ、そうしてちらりと見やったやや小柄な兵士と目が合うと、彼は僅かに頬殻を開いて見せた。それは一瞬のことで、すぐに元の警戒態勢に戻ったものの、案外付き合いやすい人物なのかもしれない。
ーーーと、そんなことを思ったときだった。
音か。 動きか。 どちらを先に感じたのかは分からない。 床が跳ね上がる激しい震動と、ドォンという空間そのものが出したような音が重なった。
【トライオス家:エドナ】
少しだけ寂しい、だが普通の夕暮れのはずだった。 可愛い息子をお昼寝から起こし、夕飯の買い物に出る。帰ってきたらいつもより1人分少ない食事を作り、エドナはついつい、今頃ヴァレスはどうしているのかと考えてしまう。慣れてしまえばそんなことを考えなくなるのかもしれないが、それはそれで味気ない気もする。 夕飯の席にヴァレスがいないことなら、これまでにもたびたびあった。仕事が忙しければ帰宅は遅れるし、出向すれば数日帰らない。だが今回は、これが当分続くのだ。エドナはどうしても寂しかった。そして同時に、少しだけ嬉しくもあった。そんなふうに、ここにいてほしいと思える大切な誰かがいることが、寂しさの奥であたたかさになっている。 リデアンも、時々意味もなくきょろきょろしている。父が出張だということ、しばらくいないということは理解したようだが、やはり探してしまうのだろう。 それにエドナは、「パパは立派なお仕事をしているのよ。我慢しましょうね」と、言えなかった。まがりなりにも貴族に生まれたトゥーリアンの女としてあるべきことではないと思う。だが、立派な仕事などより、ただただ無事で元気で、そして傍にいてくれたらと思ってしまうのだ。 だから言ってしまう。 「パパに会いたいね」 と。
出掛けていったときには平気で見送りをしたリデアンだが、やはり何日も父がいないというのは寂しいらしい。 まだ6日しか経っていない。もっと小さい頃には半月会えないこともあった。だが当時は小さすぎて、パパがいないということさえよく分からなかっただろう。だが今は、大好きなパパがいないということが、ちゃんと分かるようになっている。 そんなリデアンを見ていると、通信ができるようになったらまず、リデアンを幼稚園に入れてもいいか相談しようと思えた。せめて昼の間、友達がいれば寂しさはまぎれるはずだから、と。 同時に、これからの数年をそんなふうに、相談はできても自分で背負わなければならないのだと思うと、不安になる。聞けばなんでも教えてくれる夫は、傍にいないのだ。 (しっかりしなきゃ。あの人がいなくても平気……になんかなりたくないけど、そうよ、ヴァレスに頼ってもらえるくらい、私にもなにか得意なことを作って……) ただ守られ、導かれる存在ではなく、ほんの少しでもいいから支えられる存在になりたい。 それになにより、リデアンを不安にさせたくない。 だからこの数年は、自分にとっても大切な試練なのだと、エドナは前向きに考えることにした。
リデアンをお風呂に入れた後、寝かしつけてからエドナも入浴する。 音波洗浄は味気ない、とヴァレスが特注で改築した温水浴室は、エドナにとっても日々のささやかな楽しみになった。それでついつい長湯になるのだが、どうしても今は意味もなく気が急いてしまう。 短めに切り上げて浴室を出、清潔なタオルで水分を拭き取る。そうして、ヴァレスと色違いのお揃いで作ったタオル地の"ローブ"を羽織る。乳幼児期以外には水浴をしないトゥーリアンにはない文化なのだが、温水浴を楽しむならばあると便利だとヴァレスが考え出したのだ。実際これは、湯上がりに水分の残りを気にせずさっと身にまとえて便利だし、ゆったりと着心地も良かった。 寝間着に着替えてベッドに入るまでの間に、少しだけテレビを見る。 (今の時間だと、……あっ、あのドラマ、どうなったんだろ) カリエーンに勧められて見はじめたサスペンスドラマがある。ついつい間が抜けてしまい話の筋は今ひとつ分からないのだが、登場人物たちが魅力的で、彼女がハマるのも頷けた。それに、「前回と前々回を見ていない」と言ってもカリエーンは怒らず、どんなことがあったのかを教えてくれる。飛び飛びだろうと見ておけば、見ていない部分もまたおしゃべりの話題になるのだ。
たしか、2週分飛んだはずだ。エドナが見た最後の時点と、それからカリエーンに聞いた話では、主人公の記憶に齟齬があり、なにやら不穏な気配がしてきたところだった。 ホットティーを入れ、戸棚から一掴み分のスナックを出す。 今点ければ丁度始まるところだと、エドナはスイッチを入れ、チャンネルを合わせた。 だがそこに映し出されたのは、ドラマでもそのオープニングでもCMでもなかった。 画面上部のテロップには、 『エレウシス系タリシアで大規模な暴動か』 と書かれていた。
反射的に動いた手が、テーブル上のマグカップを跳ねた。 お茶が飛び散りカップが落ちて派手な音を立てる。だがエドナは少しだけ前のめりになったまま、凍りついていた。 状況は不明だと、キャスターが手元のデータパッドを見ながら伝える。彼女の背後にあるモニターには宇宙から見たタリシアが映っている。 暴動の発生から4時間が経過するが、現地の映像や音声は届かない。完全に通信が遮断されている。 軍はどこまで把握しているのか、正式な発表はない。
続いて、タリシアに関する一般的な情報が読み上げられる。 更に数人のコメンテーターが映し出され、あれこれと議論しはじめた。 長年続いていたバタリアンとの確執、軋轢の決定的な解決を試みたという噂。それはどうやら事実のようだが、軍事制圧ではテルミナス宙域の無法者どもを刺激しかねないことから、タリシアからの撤収の見極めがされているという説もある。 そんな中でのこの通信途絶。 不確かではあるが、大規模な攻撃を受け、基地が破壊されたという話も出ている。
そうやって話される内容のほとんどを、エドナは知らない。たとえ妻でも、軍の情報は機密扱いだ。エドナは知るべきでないと謹んでいたし、ヴァレスはそもそも家で仕事の話はしたがらなかった。 だから彼等の話の、どれが事実でどれがただの噂なのかは分からない。 だからそんなことよりも、今タリシアはどうなっているのか、そこに派遣された夫たちは無事なのか、それを教えてほしいと思わずモニターの縁を掴む。
(嫌よ……嘘……お願い、ヴァレス……無事よね……? なんともないわよね……? お願い……っ) 祈るように手を重ね、エドナはテレビの前に座り込んだ。
【軍神、降臨:リデアン】
大きな音がして、目が覚めた。 音は階下からのようで、母がなにか落としたのだろうかと思った。 だがそれにしては、次の反応がなかった。 エドナは基本的にしっかり者だが、うっかりすることがないとは言えない。今までに何度か、深夜に不注意で大きな音を立てたりしたことはある。そういう時エドナは必ず、リデアンが起きてしまわなかったかと、様子を見に来るのだ。 だが、来なかった。 まさか、エドナ自身が倒れでもしたのだろうかと考えて、リデアンは幼児らしくもなく素早く起き上がる。 (しかし、音は……) 固くて、それなりの重さはあるがまだまだ軽いもの。それが落ちたような音だったはずだ。眠ってはいたが、鼓膜に残る残響のようなものが感じられる。
気になったのでリビングへとそっと見に行くと、エドナがニュース速報の流れるテレビの前で座り込んでいた。 映し出されているのは、遠い惑星で起きた大規模な暴動。 エレウシス星系タリシアは、ヴァレスが出向した先だった。 リデアンは母に気づかれないよう踵を返す。そして自分の部屋に戻ると、母が来ないかを確認するための廊下のモニターと合わせて、PCを立ち上げた。
(タリシア……暴動……2146年……) この時代のどこにも未来の情報はない。だが、リデアンの記憶の中で微かに蠢いている。そしてそれは、モニター上に表示された地名を見たときに結晶した。 (“ラス・オクトン”……!) タリシアの首都オクトランがある湿地帯の名だ。 そしてリデアンが記憶しているのは、そこで起こった大規模な暴動と、その結末だ。暴動は数時間の内に内乱へと発展し、首都は陥落、駐留軍はほぼ壊滅。市民も合わせれば一昼夜で数百人という被害を出した。 トゥーリアンの軍史に残る大敗である。 そしてその報復戦として、退去命令に従わなかったタリシア中のバタリアンを、官民問わず駆逐……虐殺したことで、“血泥のラス・オクトン"として知られる場所だった。
リデアンは、ヴァレス=ヴェクタスのこっそり発揮していた財力で購入した、最新を少し越える性能のPCスペックを解放する。それでもかつての自分には遠く届かないが、この世界の常識を越えるには十分である。 暗号化しつつ通信ブイの優先度を書き換え、場合によってはバイパス、中継点は最小に抑え、やがてエレウシス星系のブイに辿り着く。そこは今、軍からの嵐のような打電に埋められていたが、だからこそよく知ったパターンで割り込みやすい。そして、バタリアンの通信妨害パターンも、はるか未来で掌握済みだ。 40年分洗練されていないそれらを抜けるのは至極簡単で、リデアンは、バタリアン軍に乗っ取られた通信網の中に入り込んだ。
(都市部の制圧は完了……本隊はオクトルス・レナ、シバ・ラメサ方面へ撤退……追撃部隊は、殿軍を包囲……) 飛び交うのは、軍人同士の端的なやりとりではなく、言い方も表現も雑多な言葉だ。監視カメラに映るバタリアンたちの装備も揃ってはいない。つまり彼等は、正規の軍隊ではない。 かつての歴史、その表層においては、いつもどおり無法なバタリアンの無謀なテロ行為だ。見聞きするかぎりそれは事実で、彼等は革命家気取りのテロリストだろう。 しかし、後の調査によって背後にバタリアン統一軍がいた可能性が高いとされていた。 そういった軍事記録を、リデアンは読んだことがある。今ではない。“昔"の話だ。読めるだけの権限を持っていた時期が、束の間だがあったのだ。 (しかし……) 幼児の体に持ち込んだ記憶は乏しく、詳細は思い出せない。だが、指揮官の名は決してティラン・レクトルスではなかった。ヴァレスの話では、A7の開発責任者として3年の実績を持つレクトルスが、現地プライマークの補佐、かつ駐屯軍の最高司令官として着任するということだった。 (歴史が、変わっている……) 本来のヴァレス・トライオスもまた、タリシアに行ってはいない。数年もの留守など、なかったのだから。
変わった歴史の先は、どこへ向かうのか。 よぎった懸念は、そのまま追いやった。 今すべきは、思索ではない。 PCの出力を外照モードに切り替える。部屋の壁が全面、モニターの代わりとなり無数のデータが映し出される。 スクロール、拡縮、ピン止め、重ね合わせ。周辺地域と市街のマップ、公的軍事記録、足りないものは、ハッキング。トゥーリアン軍の司令部、兵站線、陣容と、兵士たちのタグから分かる部隊配置。そしてバタリアン軍のそれらを取得、および推測。 確認。分析。判断。決断。今は、それに続く行動を、自分でとることはどうしてもできない。だがその代わり今できる行動として、軍事回線にそっと潜り込んで探り、幸いにも無事だった一つの端末をコールした。
【ラス・オクトン:ヴァレス】
日が落ちる。強力な軍用ライトがあたりを照らす。居場所を知られないため消したほうがいいのではないか、という意見をレクトルスは跳ね除けた。 ラス・オクトンの広大な湿地帯で、軍が撤退にせよ行軍にせよ、通れるルートは多くない。居場所など明かりがなかろうと特定される。ましてや敵は、こちらの軍事拠点をまるごと奪ったのだ。できるかぎりのデータは破壊してきたが、それでも残ったもの、復旧されたものから、ある程度の情報は抜かれたと考えていい。敵がその気なら、目印などなくとも進行可能ルートを片っ端から爆撃すればいいし、それができる。であれば、居場所を隠そうとするだけ無駄。それよりも、車載の対空砲を用意したうえで明かりを灯し、負傷者の手当てをすべきである。 レクトルスの断固とした決定に、誰も逆らわなかった。
ヴァレスに怪我はなかった。 レクトルスの近くにいたのが幸いし、彼を守る精鋭たちに、ついでに巻き込まれて守ってもらえたと言っていい。 だが、まだ手が震える。 無我夢中でついてきた。ヴァレス・トライオスが身体的には恵まれていることも良かった。そして、中尉が今更ですかと言われても、体がなまるからと兵士たちの訓練に参加し、銃の扱いなどを改めて学んでおいて良かった。 幸い、眼の前で血みどろの戦いは起こっていないが、それでも、「先に行ってください」と自分たちを逃がして走っていった兵士がどうなったのかと考えると、吐きそうになる。銃撃の音、爆発音、怒号、悲鳴。生々しいそれらの光景や音が頭から離れない。
少尉だったときに、工兵隊の部隊長として建設を共にしたりはしたことから、テントの設営であれば役に立つことはできた。本来中尉がやることではないとしても、より軍人らしいことができないのだから、できることをしようとすると兵卒と似たようなことになる。 今は第二小隊の壮年の軍曹とともに備品の整理中だ。情報にせよ物品にせよ、使いやすいように整理整頓するのは得意だ。乱雑に放り出されたに等しいものをテントの中に積み直しながら、物資を取りに来た者に渡してやっている。
湿地で足元が悪い。その泥を跳ね上げながら走るように行き交う者たちの中に、レクトルスの姿が見える。彼はメディックだったらしいという話を思い出した。だがこの軍の最高司令官なのだ。テントの中で休んでいてもいいものを、 「次はどこだ」 おともの精兵を連れたまま手当に向かうレクトルスには、普段の物静かで落ち着いた、切れ者の老紳士という印象は薄い。なるほど叩き上げだと思う。お偉い大佐様というよりは、精鋭たちのリーダーに見える。 彼に比べれば、外見そのものは立派でも中身の伴わない自分は、有象無象に見えるだろうなとヴァレス=ヴェクタスは思う。 (さすがに、こういう場面では"ヴァレス"のほうがまだしも相応しく振る舞えたんだろうな) そんなことを考えるのも、半ば現実逃避だった。
頭の中がまとまらなかった。 考えなければならないこと、考えるべきこと、考えたいこと、考えてしまうこと、あらゆるものが湿地の泥のように混じり合っている。 これからどうなるんだろうという不安。バタリアンたちの目的。だがしかし、逃げ惑っていた市民の中にはそのバタリアンもいた。確執。軋轢。種族間嫌悪。この先この星はどこへ向かうのか。そして、追撃を食い止めるための迎撃に向かった第八小隊の部下たち……。 現在を把握できない。未来が描けない。 ただ、 (皆……リデアンも、こういう中で戦ってきたんだな) それを思うと、これだから軍隊なんて嫌なんだと思うと同時に、現場で血を流す者たちには憐れみと敬意、そして虚しさを覚えた。
「大佐!」 甲高い声にはっとすると、テントの前をバスカー少佐が大股に歩いていくところだった。 軍議の準備が整った、という声がかすかに聞こえる。そして二人の姿が引き返していくのを見送る。 軍事については初歩的なことすらピンとこないため、今この状況でどうすべきかなど、ヴァレスにはさっぱり思いつかない。それを彼等はこれから話すのだろう。その結論がどこに向かいそうなのかも、さっぱりだ。 だから、できることをするしかないと目の前にあるものに集中する。 ある程度の整頓を終えた後は、 (必需品をいくつかまとめて持って、少し回ってみるか) 取りに来る手間がたまたまでも省ければ、そのおかげで防げるものもあるかもしれない。取りに来た者たちには、自分よりはよほど現場慣れしている軍曹がうまくやるだろう。
(それにしてもまさか、こんなところで役に立つとは) 銀河の商王だったヴェクタス・アヴローンには、敵も多かった。命を狙われたこともあり、常に最低でも二人、多ければ十人のSPを連れていた。そんな身に万一のことが起こるのを気にしたリデアンから、応急セットを持ち歩いてくれと言われたことがある。そのとき学んだ知識が、地味に今、役に立っている。薬品の名前や基本的な医療について、リデアンの介護に必要になるかもしれないと覚えたこともだ。 一通りの必需品を持ち出そうというときに、迷わなくていい。 それは、どうやらベテラン軍曹の目にも慣れたもの、かつ合理的に見えたらしい。 「巡回に出ますか」 ヴァレスより10歳は上だろうと思われる軍曹の声音に、少しばかりの驚きと感心が混じっていた。
彼がボックスに手を伸ばすのを、ヴァレスは制する」 「いや。私に行かせてくれ。ここでじっとしているほうが、どうも落ち着かなくてね。正直なところ私は、最初から士官コースだったせいで実戦経験は乏しいんだ。どうにも平常心でいられない」 上官を動かすわけにはいかない、というのが正しい上下関係なのだろう。それをやんわりと断ったヴァレスに、軍曹は奇妙なものでも見たような顔をした。 「……なにか、変なことを言ったかな」 「いえ。その……、なんでもありません。そうおっしゃるのであれば、自分がここにおりますので」 「ああ。よろしく頼むよ。それから、君も少し休んだほうがいい。もし、私が言わないと座ることもできないなら、腰掛けて、体を休めて、それから水分と、糖分の補給も怠らないように。それで次の……移動なり、……行動に備えてほしい」 戦闘は、起こらないでほしい。そう思うと言葉にできなかった。 軍曹は少し戸惑った様子のままではあったが鋭く敬礼し、一つ頷いた。
臨時の救急セットを抱えてヴァレスはテントを出る。 途端に足をとられそうになって慌てた。 湿地は、トゥーリアンの足とは相性が悪い。鳥から進化してきたトゥーリアンの足は接地面積が小さく、安定性が低いのだ。そのうえ、広大なラス・オクトンはあちこちに底なし沼のような場所を持ち、移動を大きく制限してくる。 そのためトゥーリアンは近寄らなかったこのあたりに、しかし、バタリアンはかなり詳しいようだ。追撃だけではなく、伏兵もあちこちに仕込まれており、最初はある程度まとまっていた連隊は幾度も分断された。その結果、どうにかこの地点まで退けたのはレクトルスがいる本隊と、ごく僅かな部隊だけである。
軍事に慣れていないため、状況がリアルに思い描けないというのは、今はありがたいのかもしれないと思う。今ここにいない兵士たちがどうしているかもまた、明瞭に想像できないからだ。だからあえて、深く考えないようにしている。考えてしまったら、そして最悪のことを想像してしまったら、歯止めがきかなくなるだろう。 「足りないものはないか?」 だからできるだけ淡々と、今やると決めたことだけに集中する。訪れた小さなテントではことごとく、将校が雑用をすることに驚かれた。 「そのようなことは、誰かを使ってなさればよろしいでしょう」 と言われて、それがトゥーリアン軍の当たり前なのかといささか呆れる。 「人手が足りないときに、立場や身分にこだわってロスを生んでどうする。レクトルス大佐も、ご自身で手当てに回っておられただろう。私に彼のような貢献はできないが、だったら尚更、小間使いでもなんでも、できることをすべきだ。それに、私はこんな肩書のおかげで人に守られてここまで来た。だが共にいた軍曹は交戦し、軽いとは言え負傷もしていた。彼を働かせて私が休む理由があるか?」 そう言えば明瞭な反論のできる者はなく、そしてよく訓練されたトゥーリアン軍人らしく、てきぱきと必要な物資名を挙げた。
そうして4つの救急テントを回ったところで、ピリッと腕に小さな刺激が走った。痛みに至らない、痒みが一瞬だけ鋭くなったようなこの感覚は、特殊回線による着信の合図だった。 部下たちからかと思って慌てて端末を見る。だが違った。表示されているのは、“家"のアクセスナンバー。すなわちこれは、自宅からの通信だった。
ヴァレスは素早く受信し、しかしまだ出ない。すぐそこに、今出てきたばかりのテントもあるし、行き交う兵士たちもいる。 人のいない場所を探し、遺体を安置した一画が目についた。 恐れとおぞましさしか感じないが、今不自然でなく一人になれるとしたら、ここしかないと思う。不用意に離れるよりは、マシなはずだ。 木陰に立ち、黙祷でも捧げるように左手を胸元、口へと近づける。そして、 「リディ?」 囁くと、 『いまかあいうことを、おぼえてくあさい。そえから、どうにかして さくせんにねじこんでくあさい。あなたになら できますよね?』 可愛らしい声の可愛らしい舌足らずな発音。しかし、余計なことを言わないこれは愛しい息子からの通信ではなく、軍神リデアン・トライオスの神託だった。
【異端の奇才:レクトルス】
状況確認はもういい、うんざりだと、ティラン・レクトルスは怒鳴りそうになるのを堪えていた。 自分が40代のときであれば、いい加減にしろと言っていただろうと思う。だがそれで人は、本当には動かないことを知ったのがこの10年でもある。命じれば動く。だが上辺だけだ。それに甘んじると足下をすくわれる。 だから短気を起こさないよう己を抑えているが、今ここで語られることは、今話さなくてもいいようなことばかりだった。
何故こうなったのか、何が起こったのか。 その把握もたしかに重要だ。 だが今は、この状況からどこへ進むか、どう打開するか、その案が必要なのだ。
建設時のバックドア。長い年月をこの地に住み暮らしてきた老人たちの知識。秘匿された設計図。バタリアンたちがそれを元に本部に侵入したというのは、おそらく正しい。 それと同時に都市部でも破壊工作が行なわれ、暴動が起こった。しかも、交代のため一時的に人員が倍増し、混乱が起きやすいタイミングでだ。 そしてテロリストは、都市民を無差別に攻撃した。トゥーリアンだけでなくバタリアンもだ。そしてそれを、トゥーリアン軍の報復攻撃に巻き込まれたものと言い放った。そうでないことをその目で見ていて知るものでさえ、流れた血に報いるにはその嘘に乗るべきだと考えたのだろう。そうしてこの土地を自分たちのものにし、トゥーリアンを追い出すことが正義なのだと。 そんなバタリアンたちは、たしかに後から押しかけてきて不当に居座った連中でもある。図々しいというのも厚かましいというのも不愉快だというのも、感情的には無理もない意見だと言える。
で? だから? それが何になる? 責任の所在やこうなった原因、遠因、バタリアンへの嫌悪など、後からいくらでも考えればいいし言えばいい。 今は、自分たちを安全圏に逃がすため後方に取り残され、そしてバタリアンたちに包囲された兵士たちをどうするかと、そして、どうすると決めたうえで、自分たちはどうするかだ。 それなのに何故こいつらは、この件の本星での扱われ方や政治的な駆け引きなどという、今はどうでもいいもっと先のことについて語るのか。 すべて、いずれ話すべきことだとしても、今話さねばならないことではない。 ましてや、この件が自分たちの経歴に及ぼす影響など、 (クソほどどうでもいいだろうがこのクソどもが) そんな暴言を飲んで、レクトルスはいつ、どうやってこの下らない駄弁を終わらせるべきかを考えていた。
「やはり、撤退せず徹底抗戦すべきだったのですよ」 ウェロンが自分を煩わしく思う派閥に属していることは知っている。だから何をするにしても反対するのもいつものことだ。だが今はそれが殊の外鬱陶しく感じる。 「ではなにか、ウェロン中佐。あの場で反撃してバタリアンを多数殺害し、我々の攻撃によって出た被害だという捏造の補強に使える材料を用意するべきだったと?」 レクトルスが交戦せず撤退、オクトランの放棄を選んだのは、取り返しがつくからだ。その損害がどれほどだろうと、街や場所ならば奪い返すことができる。 都市内に取り残されたトゥーリアン市民の安否は気になるが、バタリアンは無法ではあっても決して愚かではない。銀河が認める大儀もなしに過剰な虐殺などすればどうなるか、そこを見誤りはしない。戦況が落ち着けば都市から追放するか、あるいは人質に取ったとしても解放交渉する余地はある。……軍が短気な真似さえしなければ。 だからそれらは、一時的に失ったとしても、消え去りはしない。 だが失われた命は決して取り返せず、銀河に広まる情報も簡単には塗り替えられない。一度言われてしまったら、どれほどそうではないと訴えても「言われた」という事実が残り、疑心を生み続ける。 だからこそレクトルスは、都市内では最低限の応戦しか許さず、即時撤退を選択したのである。
「その撤退すら、満足にいったと言えるものではない。まさに交代途中の真っ只中だ。人員の数に対して移動手段が決定的に不足していた。挙げ句にシャトルも爆破、空港も封鎖。連中も、よほどに執念深くチャンスを待ったようだ」 そして彼等は、自分が生き延びることよりも目的を達成することを優先する。バタリアンとはそういう種族だ。大義や信念に殉じることにおいては、他のどの種族も敵わない。自らの死によって同胞が利するならば喜んで死ぬという者が多数存在する。そしてそこに積まれた死体の数でもって、これがトゥーリアンのしたことだと語るのである。 「そんな連中とあの状況で交戦するのが、本当に得策だったと思うのかね、ウェロン中佐」 レクトルスはその後に続く言葉をどうにか飲み込んだ。「彼等と実際に戦ったこともなく、共に働いたこともない貴官には分からないのだろうが」。言ってやりたいが、言っても害にしかならない言葉だ。
ウェロンが「しかし」と言わずに黙り込んだところを見ると、どうやら少しばかり、そういう苛立ちと嫌悪が漏れていたらしい。 会議の場もしんと静まり返っている。 「まずはニ択だ」 今言わなければまたくだらない駄弁に流れると見て、レクトルスは覚悟を決めた。 「包囲されている友軍を救援するか。あるいは、我々だけでシバ・ラメサまで撤退を完了させるか」 問いながら、答えはもう出ていると思っていた。 救える見込みの薄い兵士たちは切り捨てて、本隊はすみやかに撤収、オクトランと唯一陸続きになっているシバ・ラメサへ向かう。おそらくは今頃あちらからも救援部隊が出ているだろう。いったんはラス・オクトンをバタリアンに明け渡すことになる。しかし本星からの応援を待って、報復、掃討。 それがいつものやり方だ。 トゥーリアンは勝つために戦う。そのための犠牲は受け入れる。バタリアンのような喜んで死ぬ精神は持たないが、必要な犠牲は厭わず、勝つまで戦いをやめない。そして―――敵にも味方にも、甚大な被害を出す。 だとしてもそこに勝利があり、我々に逆らえばどうなるかという、見せしめが用意できれば良いのである。
だがレクトルスはそれを仕方ないとは言いたくなかった。 失われる命を仕方ないと割り切れるのは、彼等と共に過ごしたことがないからだ。そして、敵の顔を見、銃弾に身を晒したこともないからだ。そういう官僚ほど、呆気なく部下を切り捨てる。痛みも感じず、その結果 得られるものだけを考える。そして、言うのだ。彼等は果敢に戦ったと。その姿を見てもいないのに。 若い頃レクトルスは、そうやって切り捨てられる側にいた。
今、湿地の中に取り残されている若者たちは、かつての自分たちだ。 見捨てられるしかなかった。 だから、自分たちで生き延びるしかなかった。 なんとか生き延びれば讃えられた。 だがレクトルスは喜べなかった。得たものよりも失ったもののほうがはるかに大きかった。 だから決意した。 自分がその判断と決定のできる地位に立ってやる、と。 そうして辿り着いたこの場所で、―――しかし、明確な打開策もないまま救援に向かっても、犠牲が増えるだけだ。であれば本隊だけでも無事に撤収することが、最善手に思えた。たとえ、百を越える兵士がバタリアンに嬲り殺しにされるのだとしても。
そのときだった。 「あまりはかどってはおられないご様子ですね」 突然入口から、低く錆びてはいるがやけに朗々とした声が響いた。 視線が一斉に突き刺さったそこで、大袈裟に驚いた様子を見せるのは (トライオス……!) 「貴様……、何様のつもりだ!」 日頃取り繕っている冷静さも公平さも剥がれ落ち、バスカーが怒鳴る。ヴァレス・トライオスの"悪名"だけを知るウェロンは、頬殻が顎に触れて軋むほどの剣呑な顔つきになる。 それで、10000人いれば9999人のトゥーリアン兵士が萎縮し黙るだろう。だがヴァレス・トライオスは平然と、 「場違いなのは百も承知です。しかしこのままではどうせ、兵を見捨てて自分たちは撤退。そうなるのではないかと思いまして、しゃしゃり出ることにしました。なにせその取り残される中には、私の部下たちもおりますので」 恐れ入るどころか、そこに居並ぶ将校を笑って見下さんばかりの態度だった。
そんな反応をされたことなどないのだろう。誰もが言葉を返せずフリーズする。 「トライオス。そう言うからには、何か手立てがあるのか」 レクトルスは問う。 ヴァレス・トライオスは頷いた。 「案外簡単なことです。少々失礼」 そう言ってトライオスは自身の端末を操作すると、テーブル上のマップにリンクさせた。 途端に、そこに描かれていたラス・オクトンの地形の解像度が上がる。 「なにっ!?」 驚きの声が漏れる。 「このマップは……」 一部ではあるが、水深や植生までが記録されている。軍用のものではない。 「開発研究用のものです。仕事については、できるかぎりの下調べをするのが私の流儀です。これは本星のデータバンクからダウンロードしてきたもので、最新版ではありません。が、オクトラン周辺ではなくラス・オクトンの地形であれば、数年前のものでもほぼこのまま適用できるはずです」 より具体的に映像化されたそこに、今まで見えていなかった一縷の道筋もまた見えるのだろうか。レクトルスは、トライオスに先を話すよう促した。
「私はオクトランの都市改革、その助言役を見込まれて編入されました。であれば当然、規模を拡大する可能性も考慮に入れてあります。そうなれば湿地の開発も視野に入るでしょう」 トライオスは、それを前提にしてラス・オクトンを調べてきたと言った。 建造物を建てるには向かない地面だが、当然、古今様々な工法がある。その中でラス・オクトンの湿地、泥地の成分や地盤、その他諸々の条件からして、最も有効なものはどれになるか。 「それが今回は役に立ちそうです」 それに続けてトライオスが述べた作戦は、無茶だった。 だがそれは、 「この状況で、そんな芸当のできる部隊があるものか!」 小さな常識に縛られたウェロンのような者にとっては、そうなのだろう。だがトライオスは平然と言い返す。 「私の部下たちならば可能です。彼等は工兵隊ですし、なによりこの数年、私に付き合ってさんざんの無茶をこなしてきた。おかげで今は、大抵の困難は無茶ではなく、やればできることだと知っている。難点は、通信を傍受され、暗号も解読されている可能性が高い中でこの指示を伝える方法ですが、それも可能だと考えています」
何故できないと思うのか。当然できる。簡単なことだ。トライオスの醸し出す空気に場が飲まれつつある。 「しかし……いいだろう。そこまでは、実行できたとしよう。だが……」 バージ少佐はトライオスをよく知っている。そして彼は、小心ゆえではあるが、他者を冷酷に切り捨てることができない性分でもある。この男が言うならばと、既に話に乗りつつある。だが小心だからこそ、本隊が、自分が援護に引き返すというのが受け入れがたいようだ。 「貴官の言うとおり、いくらかの部隊が無事に包囲を抜け出せたとしよう。それを本隊が援護するというのも悪くはない。だがこの作戦では、包囲のために分散しているバタリアン軍もまた集合することになる。こちらが十分な戦力になっていなければ、我々も諸共に殲滅されるだけだ」 前任者であるバルガス大佐は冷静だが、安全策を譲りたくはないらしい。 「バカ正直に全員集合すればそうなるでしょう。ですからこちらも奇襲を仕掛けます」 それにトライオスは、またしても無茶なことを言い出した。
議場が割れる。割れるといっても真っ二つにではない。トライオスとそれ以外にだ。 追い詰められ疲弊した小部隊を集めたところで大した戦力にはならず、本隊が加わってもただ的を増やすだけ。しかもその本隊から奇襲部隊を編成して側面を突くという。バタリアンがどこにひそむかも分からない中を、トライオスが「ここにバタリアン兵はいないはずだ、いても少数の偵察隊だけのはずだ」と言った、その言葉を信じて。しかも迅速な行軍が要求される。交戦したとしても時間をかけるわけにはいかない。 「馬鹿も休み休み言え。そして寝言ならば寝床で言いたまえ」 バルガスな辛辣な言葉を吐き捨てる。 その中でトライオスはレクトルスを見た。そして言ってのけた。 その言葉に一瞬静まり帰った場は、反動のように鋭く殺気立ち罵詈雑言と暴言が、言葉にはならないものの気配として噴出する。 それをトライオスはそよ風ほどにも感じていないように淡々と、レクトルスを見て言った。 「いかがでしょうか?」 と。 やがてレクトルスは答えた。 「いいだろう。やろう」 それは認可の言葉であり、そして、 「レクトルス大佐、貴官は」 と噛みついてきたウェロンは、 「てめえにやれとは言ってねえんだ。黙って引っ込んでろ」 本性を覗かせたレクトルスに恫喝され、言葉をなくした。
【我等、第八小隊:レンティス】
無音でちくりと、腕に刺激が入る。一斉に着信したのは、意味不明な文字の羅列だ。だがコードを打ち込むと一文字ずつ変化していく。そこに書かれていたのは、激励文だった。 読んだ者たちがそれぞれに、近くの者と顔を見合わせる。 「これ……、中尉からですよね」 リヴィアの声にいつもの張りはない。疲れと、戸惑いが如実に表れている。 ティアも、ザスも、マリウスもヴァランも、他の隊員たちも同じような様子だ。 だがマーダロン・レンティスは、これに意味がないとは思えなかった。
一見は、こんな死地にあって言われても仕方のないような檄文だ。 しかもバタリアンに傍受され解読されてもいるはずである。そんな中で何故、ただがんばれと言うだけのようなことを長々と書いて送ってきたのか。 『A7の開発初期における架橋工事は大変だった』。 たしかに大変だった。 工期に遅れが生じ、作業が遷磁季にずれ込んだせいだ。乾ききった大地に突然降り出した豪雨。それにより大規模な山崩れが発生し、その土砂が川に流れ込んだのだ。そのときに一晩中かけて、死にものぐるいで基礎工事を進めたのはたしかに地獄だったが、今となってはやり遂げたという思い出になっている。 隣の『ベルン市からの難癖に対処するのも、君たちには難題だっただろう』。 ヴァレスが行けば簡単に片付いたに違いない。しかし彼はあえて、マーダロンにそれを任せた。補佐、助言と相談役、そして研修としてヴァランとリヴィアもついていかされた。ヴァレスの指示があったとはいえ、あちこちで頭を下げ嫌味を言われ、時には邪険に扱われても、諦めずに一人ずつ頼み込んで回り、少しずつ味方を増やして、ついには市長も納得させたのは、大きな経験になった。 そういう『自分たちに誇りを持て』と言われれば、持っていますと答えられる。 『君たちならば困難を打ち砕ける』と信じてくれるのも嬉しい。 『道なき道を見出し進め』というのも……激励なのだろう。
だが今ここは、敵に囲まれた死地だ。 大袈裟な激励は、上滑りな戯言に見えてしまう。 だからこそマーダロンはおかしいと思った。 ヴァレス・トライオス中尉は、饒舌なときにはこちらが固まるほどに饒舌だ。喋り続けるだけでない。それが分かりやすいから怖い。すらすらと頭の中に入ってくる。 だが、任務の指示は常に明瞭で無駄がなかった。 夜明けと同時に突撃しろと伝え、それが無謀なことは百も承知であるがゆえに激励しようとしたとしても、こうも長々と書くタイプではない。 しかもバタリアンに読まれている可能性があるのだ。「きっと読まれていないだろう」と高を括るのは、彼らしくない。 (あいつらにも読まれてるとしたら……こんな分かりやすい指示が本当かどうかは疑うよな。それで裏をかいて……? いや。夜明けまでは何もしないだろうなんて、思わないだろ。だから警戒は解かない。ただ念のため、明け方頃の突撃にも備える。普通そうだよな)
「そ、そうだよな。俺たちならできる。な?」 ザスの声が聞こえて、マーダロンははっとする。 「う、うん。まあうちら、こういう無茶、いろいろやってきたわけっスし」 ティアが言うが、本心からそう思えているわけではない。 (こんなの、意味がない。けど、あの人が意味のないことなんてするか……?) どんなに危機的な状況だろうと、そしてもし、「死ね」と言うしかないのだとしても、ヴァレス・トライオスであればその意味を、価値を、そして覚悟を作るだろう。 そのヴァレスが、こんなにも薄っぺらい激励を送ってきた意味は、なんだろうか。
マーダロンは、考えるのをやめた。 一人で考えるのはやめた。 「おまえら、ちょっと聞いてくれ」 疲れきった部下たちに、小声で、しかし強く呼びかける。ここまで来る間に2人殺され、5人がはぐれた。だから今ここにいるのは10人足らずで、集まれば小さな輪になる。 そこで、自分の感じた違和感をそのまま伝えた。 あのトライオス中尉が、こんな中身のない言葉を言うとは思えない、と。 だが、ではどういう意味があるのかと言われると、 「俺には思いつかない。なあ、おまえら。これにもし意味があるとしたら、なんだと思う? 中尉が本当に言いたいことは、なんなんだ?」 分からないなら、聞けばいいのだ。
これは自分の長所だとヴァレスに言われた。自分を万能だと思わない。英雄だと思わない。なんでもできると思わない。だから素直に、できないことをできる誰かに委ねることができる。ただ大切なのは、そうやって頼ることのできる仲間を持つことだ。 そしてここには、自分よりも戦闘経験はないかもしれないが、頭はいい若い兵士たちがいる。 それに、ヴァレスの指示には言葉とは別の、れっきとした意味があるはずだというのは、彼等の希望にもなったようだ。 上滑りした激励ではなく、本物の指示書ならば。 「つまり、暗喩、とかですよね」 ヴァランが言う。 「バタリアンが読んでも言葉以上の意味はなくて、でも僕らには分かるっていう」 「まあ、そりゃそうだよな。このへん俺らは自分らでやってるしいろいろ覚えてっけど、あそこにいなかった奴等には、そんなことあったのかってだけだろ」 マリウスも考えるのは苦手なタイプだが、 「だとしたら、たぶんそこだよ。ここに書かれていることで、僕らだけしか知らないこと。僕らだけは知ってること」 ヴァランが考えはじめた。
そしてふと、 「そう言えばうちら、めっちゃ泥ン中で橋桁固めるのに、必死になったっスよね? ここみたいな、泥の中で」 土砂崩れで大量の泥石が川へと流入し、仮設の橋が流されそうだったのだ。これが崩壊すれば莫大な建設費用と、そしてここまで進めてきた工程が無駄になる。なにより、これでやっと遠回りをしなくて済むとほっとしていた住民たちに、またしばらくの不便を強いることにもなった。 それを、天候には逆らえないと諦めることもできた。だがヴァレスは、十分な安全対策をしたうえで、力技で橋桁を固めるという強硬策をとった。 「幸先は大事なんだ。初手に躓けば、今後すべてがうまくいかないのではないかと感じさせる」 そう言って彼自身も命綱をつけ、腰まで泥水に浸かり、皆とともに濁流に耐えながら一晩かけて橋桁の固定作業に取り組んだ。 そのときやったのは、 「後で取り除けばいい。下流の汚染も後からどうとでもなる。ただ警告と、その理由だけは今すぐに発しろ」 と言って凝固剤をぶちまけた。流されてしまうそれは完全には固まらないが、それによってぬかるみ重い泥のようになった場所を足場にし、実際の固定作業を進め―――。
「あッ!!」 と声を上げたのは、その直前に入ってきてわけも分からず巻き込まれ、それを「トライオス隊の洗礼だ」と言われ目を白黒させていたナルス・ラントンだった。 「あ、あのっ、あのっ、違ってるかもですけどっ」 とまだ少年っぽさの残る若い兵士は、端末に表示された部分を示す。 「もしかしてこれ、道なき道、つまり、あっちの底なし沼、そこを固めて進めってことじゃ!?」 そして全員の口が、「あっ」という形になった。
読み解き方が分かれば、早かった。 すべて同じように書かれているなら、ベルン市でのことも似たようななにかを示しているはずだ。 「つまり……ちょっと待って、つまりだ」 湿地帯のところどころにある深い泥溜まりは、本当に底がないのかどうかはさておき、踏み込めば無事ではすまないことから、底なし沼だと言われている。それはラス・オクトンが任地になるときに注意事項として聞かされた。金属質の外骨格のために重くて水に浮くことのできないトゥーリアンにとっては、他の種族以上に危険な場所なのだ。 「でもそれ、バタリアンも同じだ。ちょっとしたぬかるみならともかく、泥に囚われたら溺れかねない。ってことは、あいつらはまさか僕らがそんな場所を渡るなんて思ってもないし、そんなとこに部隊を置いてもいない。ってことはだ」 「ああ。包囲されちゃいるが、完全に囲まれてるわけじゃねえってことだな」 「そう。そういう場所を通れば、バタリアンに遭遇せず近くにいる友軍を探せる」 しかも自分たちは地図を持っている。開発ということになれば使うかもしれない、見ておいて損はないと、ヴァレスから送信されたものだ。それを使えば、付近の地形や沼の深さもある程度まで分かる。 そうして道なき道を抜けたなら、 「ベルンの確固撃破作戦ですよ! とにかく手近の、攻略できそうな誰かから総当りで味方にしていく」 「近くにいる友軍と合流していけってことか!」
そこまで読み解いたとき、 『諸君らにはできる。その力がある。今までに幾度も、私のもとで困難を乗り越えてきたはずだ。そこで培ったものが、必ず道を切り開いてくれる』 という言葉が、ずしんと胸の底に落ちた。
「はは……、そうだよ。そうだろ。だって変だろ俺ら。たしかにけっこう凹んでたけど、なあ? 立てって言われたら立てるよな。走れって言われたら走れるだろ。今からひと仕事しろって言われたら、まだできるよな?」 マリウスが言うと、 「第四区の突貫工事、あれやったときには、マジで立てなかったしな」 ザスが言って、マリウスの太い腕を叩く。 「今やる無茶は、いつか必ず、無茶をやるしかないときに役に立つ。中尉が言ってらしたのは、こういうことですね」 「うん。うちらまだいけるし」 リヴィアとティアが顔を見合わせ、しかし、2人の手は小さく震えていた。 見れば、よりにもよってこれが初めての本格的な戦闘だという若い兵士は、精一杯の平静を保とうとはしているが、皮膚は血の気が引いて白い。
「―――おまえら、無理はしなくていいからな」 マーダロンはそう言った。 「怖いなら怖いでいいんだ。泣いてもいいし、嫌だと思ってもいい。俺はそれを、だらしないとか、軍規違反だとか言うつもりはない。虚勢張ることに神経使って疲れるほうが、よっぽど馬鹿だ」 「レンティス少尉」 「おまえらはできる。絶対にできる。俺も全力で戦う。だから、今から30分だ。30分は、みっともなくても情けなくてもいい。本音ぶちまけて楽になれ。その代わりその後は、作業開始だ。いいな?」 言うと、ぽつぽつと泣き声や嗚咽が漏れてそれが次第に重なり合い、大きくなった。 だが約束の30分が過ぎたとき、震えている者はなかった。
手早く装備を確認し、手回りの薬剤や補給品を確かめる。 「マジで中尉、神か」 都市を拡大するなら、この湿地に足場を作ることも視野に入れる。そう言って、凝固剤の試薬をいくつか携行品に入れさせたのだ。装備を解く間もなく襲われたのが、今は幸いしていた。とにかく手回りの備品を引っ掴み背負ってきた中に、それらの試薬が入っていた。 無論、広い沼地を固めるには足りないが、そこは工兵隊である。草を刈り集めて組み、倒木を探して運び、静かに粛々と沼地を渡る準備を整える。 ある程度の足場さえできれば、ロープを渡してそれを伝えばいい。身軽な者が先行して対岸にしっかりと固定すれば、後続の者が渡りやすくなる。 そうして、通行不可能だと思いこんでいた沼を一つ渡りきると、一気に神経が研ぎ澄まされた気がした。 マーダロンには覚えがある。どんな危地だろうと、一つでも難所を越えれば可能性は確信に変わる。可能性に過ぎないとしても、それが実現する可能性があるという確信だ。
そこから先は、運だった。 だが、渡った先で間もなく、消沈しきった第四小隊を発見した。 どうにか驚かせることなく存在を知らせ、沼地を越えてきたと伝えたときの彼等の顔は、信じがたいものでも見たかのようだった。 彼等はとても戦えるような状態ではなかった。大きな怪我はなくとも、オクトランを出る時点で爆破に巻き込まれて半数が失われたのだ。生き残ってはいるかもしれないが、バタリアンの暴徒に見つかれば無事ではすまないだろう。そのうえ、見捨てられるしかないと思い、士気以前に気力も削がれていた。 マーダロンは、自分たちもヴァレス中尉に出会わなければこうだったのかもしれないと思う。 だが実際には違う。無茶に無茶を重ね、それが最早楽しみになるような数年間を過ごした。おかげで気力も体力もまだ十分に残っている。限界ではないことを知っている。 そしてそれは、疲弊していた第四小隊の者たちに、いくらかの希望を与えることになったようだ。とにかくついていく。一緒に行くと、彼等も立ち上がるだけの気力は取り戻した。 そしてなにより、彼等は一つの朗報を持っていた。 それは、第十二小隊がすぐ近くにいるはずだということだった。
第十二小隊は、生粋の戦闘部隊である。そしてマーダロン・レンティスの古巣でもあった。配属され、そこで伍長にまで地位を高めた。そこから士官コースに編入した後、軍曹として部隊長を任された。少尉になったのも、彼等とともに戦い抜いた経験と実績があればこそだった。 今でもメールをやりとりする兄貴姉貴たちがおり、弟妹たちがいる。 そして第四小隊は、斥候部隊である。彼等は隠密行動に長けている。疲れた体に一雫の希望を注入し、第十二小隊が南東方角でバタリアンに囲まれていることを突き止めた。 「交戦は得策じゃない。少なくともあいつらと合流するまではやめたほうがいい」 「交戦したら、そこからはもう隠密行動なんてできませんからね。それなら、少し遠回りでも迂回するのはどうでしょうか」 「ですが、迂回路になりそうなルートは、どうしても開けた場所を通るしかなさそうで……」 「だったら、合流してから戦うんじゃなく、戦いつつ合流するのはどうですか? 第十二小隊が少尉の古馴染みなら、途中でこっちに気付かせる方法があればなんとかなりそうですが」 「ま、待っ……待ってください。私……迷彩装備、持ってて……」 「マジか!?」 「で、で、で、でも……私……わた……っ」 「行けなんて言わないから安心しろ。俺が行く。俺ならあいつらに通じる合図もある。装備だけ貸してくれ」 「す、すみ、すみません……私……私……」 「大丈夫っスよ。うちらの少尉は、そういうの軟弱とか言わないっスから。うちもついさっき、目一杯泣いてきたっス。怖いの、当たり前っス」
どいつもこいつも頼りになる奴等だと、マーダロンは思う。 それに運もいい。抜けた先に斥候部隊がいて、その後に戦闘部隊と合流できれば、そこからは多少力押しでも他の部隊を探しに行ける。 こちらは固まって行動すれば、包囲のため散っているバタリアンのほうが同士討ちを懸念して戦いにくくもなるだろう。 (その先どうなるかは、書いてないんだけどな) それを部下たちに言うのはやめておく。 マーダロンも知らない。 だが信じている。ヴァレスも必ず呼応してなにか策を打っていると。 だから迷いはない。今 自分たちにできることを全力でやるだけだ。 震える若い女性兵士から迷彩装備を受け取ると、マーダロン・レンティスは手早くそれを身に着け、迷いなく迂回路へと進んでいった。
【ラス・オクトンの撤退戦】
全滅もありうると懸念された逆境から、鮮やかな逆転劇が起こった。 敵の警戒包囲網を突破した小隊が、付近の部隊と合流しつつ、極めて高い士気をもって撤退戦を開始した。 正規軍ではなく活動家の集まりであるバタリアン側は、その対処に手間取ったものの、一時の混乱を越えて数を頼りに追撃してきた。疲弊しきったトゥーリアン軍は次第に押されはじめ、勝ち目はないように見えた。 だが、引き換えしてきた本隊が砲撃による支援を開始すると膠着状態に陥り、そこから泥沼の衝突が始まるかと思いきや―――。
軍史に残るだろうと言われている。 いつなにがあって崩れるか分からない激突地点に、横合いから飛び込んできた一人のヴァンガード。 彼はスラムで周囲の敵を叩きつけ跳ね上げて浮かせると、広範囲のショックウェーブで一息に弾き飛ばした。 それは、ティラン・レクトルス総司令官だった。
日頃の洗練された紳士の装いを捨て、勇猛な兵士として立った彼に付き従うのは、トゥーリアン軍で屈指の戦闘力を誇るという、歴戦の精鋭チーム。レクトルスに続いて突撃、あるいは狙撃による援護をはじめた彼等は、バタリアン軍の側面を完全に突き崩した。 なにより、 『さあ!! 我等がキングのおでましだ!!』 と、まるでこちらが圧倒的優勢であるかのように耳に届いた通信の声。そして、 『一気に押し込め!!』 苛烈に変わった声に沸騰した士気は、激烈だった。 不意を打たれ半壊し、都市を捨てて敗走していた軍とは思えない威勢に、バタリアン軍は撤退を余儀なくされた。 追い散らしたそれを尻目に、トゥーリアン軍は無事にシバ・ラメサからの援軍と合流し、惑星タリシアを脱した。
一つの都市を失った。 まぎれもない敗戦である。 しかし、全滅も免れ得ない、助かったとしても将校と一部の兵だけだと思われた戦況から一転、大胆だが着実な撤退戦だった。
【戦場の演出家:レクトルス】
「あら、ティラン。どう? 久しぶりに英雄扱いされる気分は?」 廊下で行き合ったとき、ティラン・レクトルスはアリール・ミケリス准将にそう呼び止められた。 かつては"怪”(もののけ)と呼ばれ、今では息子と合わせて"厄怪者"と呼ばれる、かつてのレクトルスの上官だ。 細身だが長身のレクトルスを、小柄なアリール・ミケリスが見上げて笑う。昔と変わらない2人の高低差だ。 だがあの当時とはお互いに階級も立場も違う。 アリール・ミケリスはおそらく、タリシアの今後についての会議に出席するのだろう。 そしてレクトルスは、部下の昇進についての会議へ向かう途中だった。 「悪くはありません。ただ……」 答えながら、その部下の姿を思い浮かべる。 「どうかした?」 「私は、英雄の役を振られた道化です。私を、見事に使った演出家がいます」 それがレクトルスの実感だった。
アリール・ミケリスは若い―――と言っても彼女たちの時代の若い―――女学生のように手を合わせ、 「あっ! ひょっとしてあの子かしら? なんていったっけ。そう、トライオス!」 と嬉しそうに言う。レクトルスは「ええ」と答えて、あの瞬間の現場を思い出した。 あれは、演出だったのだ。 史官の一人がかなり強力なバイオティックの使い手であることを利用し、レクトルスのチャージ、スラムにそれぞれグラビティシフト、プルを重ねさせた。それによって、チャージとスラムの威力、範囲を拡大し、追撃のショックウェーブの効果を劇的に拡大したのである。 それらは一見レクトルス一人のしたことに見えたし、ほとんどの者がそう思っている。真実を知っているのは、レクトルスと2人の史官、そして同行した近衛兵たちだけである。
効果は絶大だった。 本来ならば真っ先に安全な場所へと退くべき者が、最前線に、自分たちを助けに来たということ。しかも強力なバイオティックを見せつけて、敵の脇腹を完全に突き崩した。 その驚きを、感動を、負けるはずがないという巨大な錯覚に包んで、一言で闘志に変えた。 爆発した感情は最早、猛威、暴威と言っていい激烈さになった。
あのときレクトルスは気付いた。自分の中にあるなにかを、やっと掴むことができた。 『我等がキングのおでましだ』などと叫んだあの場違いに意気揚々とした明るい声に、まるで派手な演劇、舞台のようだと感じたのだ。 あの男は、演出家だ。 ただ必須なのだというつまらない橋の工事を、魅力的な都市計画にした。夢のある、古く美しいと同時に便利で豊かな都市のビジョンに書き換えた。それを聴衆に叩きつけ、たしかにそうだそのとおりだと魅了した。それは軍だけでなく市民もそうであり、投資家や事業家に対してもそうだった。 美しく壮大な夢物語―――いずれ現実になる物語に、人を、世界を巻き込んでいく。
「化け物だというなら、貴方よりも得体が知れないかもしれません」 「あら酷い。でも……そう。そのおばけ―――。ねえ、ところでティラン。気付いてる? あなたさっきから、笑ってるわよ」 言われてレクトルスは頬殻を押さえた。 「まだまだね。まあ、私が相手だし、それくらいわくわくしてるってことかしら」 「……なんのことですか」 「今更とぼけても無駄よ。まあいいわ。……そう。トライオス。私も覚えておく必要がありそうね」 それじゃあねと、アリール・ミケリスは気安くレクトルスの腕を叩いてすれ違った。
その瞬間、 「ミケリス准将」 レクトルスは彼女を呼び止めていた。 身軽にくるりと振り返ったアリール・ミケリスは、小首を傾げて見せる。 それにレクトルスは言わずにいられなかった。 「報復戦は、なんとか思いとどまらせてください」 「……何故?」 「やれば間違いなく、大勢のバタリアンが死に、都市に残された市民も巻き込まれる。それをやむをえない犠牲だと正直に言うならまだしも、どうせバタリアンのしたことにするんでしょう。“上"のいつものやり口だ」 「ティラン」 敵諸共に味方も爆撃しておいて、敵の爆撃で死んだと言う。なんのことはない、バタリアンのテロリストと同じことを、トゥーリアンも昔からさんざんやってきた。 「覚悟のうえで選びました。ですがもし助けられるなら、それをもう、仕方ないとか他にどうしようもないとか言うのは御免です。あの男なら、トライオスなら、抜け道を見つけ出すかもしれない。お願いします、准将。止めてください」
アリール・ミケリスはしばし沈黙した。 そして口を開くと、 「分かったわ。ただし、そのためには彼、たかが中尉では駄目よ。おそらく、今この機会では大尉への昇進は無理でしょう。でも彼を本気で使いたいなら、近い内に必ず、最低でも大尉、できれば少佐にまで引き上げなさい。その政治は、あなたの役目よ、ティラン」 笑いのない切りつけるような声は、年老いて枯れてはいても、かつての鋭さを微塵も失ってはいなかった。
【そしていつもの:ヴァレス=ヴェクタス】
久しぶりの"パパの時間"だった。 ヴァレスはリデアンを抱え、リビングのソファに寝転がっている。 エドナは買い物に出掛けた。 タリシアの暴動を契機にヴァレスが戻ってきてからの数日は、発作的に不安に襲われ震えだすことさえあった。ほんの少し離れていることに耐えられず、軽い精神安定剤を処方してもらったくらいだ。 ただ、自分がこんな有り様ではリデアンが心配する、と気付いたのだろう。気丈に振る舞うようになった。それに無理がなくなるまでは、ヴァレスもできるだけ彼女の傍にいた。そうしてようやく今日、心の整理がついたようだ。 そんなにも"ヴァレス"のことが心配なのかと思うと、少しだけ申し訳ないような気もするヴァレス=ヴェクタスである。だから今も、ようやく出掛けてくれたと思うよりは、外でまた急に不安に襲われたりはしていないかと心配になる。
ともあれエドナの外出は、彼女がいるかぎり絶対にできない、“リデアン・トライオス"と会話するチャンスだった。 「ぶい(無事)だとわかっていても、しんぱいえした。ママがしんぱいすうのは、とうぜんてす」 リデアンは兵士全員についているタグからヴァレスのバイタル確認もできていたため、生存は常に把握していた。それでもシバ・ラメサの友軍と合流するまでは安心できず。眠気と戦い、時に負けてははっとしながら、動向を追っていたという。 今も、小さい体、小さい手できゅっとしがみついてくるそこに、ヴァレス=ヴェクタスはかつてのリデアン・トライオスを感じる。そしてやけに困ったような顔をして自分を見るのは、たぶん、「行ってくださいなんて言わなければ良かった」とでも思っているのだろう。 リデアンがそう言わずとも、嫌だと拒まなかったのはヴァレス自身の選択だ。なにせヴェクタス・アヴローンである。本気で嫌だと思ったら、星一つ、星系一つ麻痺させてでも行かない男だ。今はそれが実行可能ではないものの、心意気(?)だけは変わらない。
「まあ、私は無事だったし、おかげでさっさと帰ってこれた。むしろ、大変なのはお偉方だな」 あの一件で、レクトルスは微妙な立場にいる。都市を放棄しての撤退を英断と見るか、それとも惰弱と見るかで二分しているのだ。 また、報復攻撃は珍しいことに見送られたが、それはどうやら、多数のトゥーリアン市民がオクトランに残っていると報道されてしまったためのようだ。さすがに市民を巻き込んでの攻撃を支持する者葉少ない。 ただ、彼等はバタリアンにとって人質として機能する。レクトルスを責めたい者は、それをどうする気だと詰め寄っているらしい。 馬鹿げた話だ。その人質を巻き込んで報復しようとする同じ口で、人質をどうするのかと責める。そのことについて追及すれば、なんのかんのと言い逃れるのだろう。 くだらない政治である。そんなものに付き合わなくていいこの人生は、気楽でいい。
第八小隊の果敢な行動は、現場にいたレクトルス・バルガスの両連隊の者たちからは極めて高く評価されている。 ヴァレスが気に食わない連中からは、独断専行だ、同胞を無用な危機に晒したと難癖をつけられているが、 「ではそれぞれに嬲り殺しにされておけば良かったということですか」 と、これはマーダロン・レンティスの堂々たる口上だ。かつての会議でしどろもどろになっていた男とは思えない。 それに多くの兵士たちは、彼等が来てくれたから助かったと口を揃えている。もし第八小隊が動かなかったら? 自分たちは無為に朝を迎え、勝ち目のない抗戦をし、バタリアンたちに殺されていただろうと。 彼等は、あの土壇場で第八小隊があそこまで精強に、冷静に動くことができたのは、ヴァレスの教導の結果だとも理解した。わけの分からない理由で無茶な進行をする第八小隊を、迷惑な奴等だと見る者は激減したし、バルガス配下の者たちも大いに触発されたという。一部の隊では、彼等のように自分たちも限界まで全力を尽くすべきだと、訓練にも作業にも熱が入っているらしい。 小隊間の交流も活発化し、横の結束が強くなったのも大きな収穫である。
そしてヴァレスは、作戦の考案者として評価される一方で、昇進は急すぎるとして見送られた。 「まあ、どう考えても性急すぎるからな」 言い分は様々で、大きな功績はあっても評価できるほどの時間が経っていないとか、革新的すぎるヴァレスに権限を与えることで、変化についていけない者たちとの間に大きな断裂が生じかねないとか……。 本人にとっては、どうでもいいにも程があることである。 周りが何をどう騒ごうと、優先事項は変わらない。 だから今は、命があったことと、数年にもなるはずだった出張任務がなくなったことを喜びつつ、事後処理が終わって与えられた特別休暇の3日間を、息子を抱え、妻の傍で、存分にだらだらと過ごすだけだ。
なにせ大変だったのだ。 我ながら、よくやってのけたものだと思っている。 本当はあの軍議の最中、ずっと手が震えていた。 大袈裟でひっきりなしの身振り手振りは、その震えを隠すものだった。 そんなことは、タフス・ラエモと競ったあのとき以来かもしれない。手が冷えて渇き、強張り、小刻みに震えてしまう。 それでも、リデアンが言ったとおりだ。やってのけた。はったりは銀蛇の王ヴェクタス・アヴローンのお家芸なのだ。恐れや自信のなさなど決して見せはしない。 ただ、 「もう絶っっっ対に嫌だ。戦争なんてしたって、得するのはろくでなしだけじゃないか。本当に怖かったんだよ。次に巻き込まれたら、そのときには本気で除隊を考えるからな?」 「はいはい。よしよし」 小さな息子、しかし軍神リデアン・トライオスの前でだけは本音ダダ漏れで、腹の上、腕の中の小さくてあたたかな体をぎゅっと抱きしめた。
【そして銀蛇は物思う:ヴェクタス・アヴローン】
自分に付き合ってあれこれ話したせいで、リデアンの"電池"が切れてしまった。おかげですやすやと、腹の上の小さな命は眠っている。 実のところリデアンも相当心配したのだろうなとヴァレス=ヴェクタスは思う。 なにせ彼は"かつて”、ヴェクタスが撃たれた瞬間にとんでもない大破壊をしでかしている。1マイル四方もの範囲の電子機器をすべてオーバーロード、破壊、あるいは一時停止させるという、機械の神、軍神の鉄槌としかいいようのない所業である。 それから後も、またあんなことが起こったらと心配するあまり、やや暴走気味だった。 (開き直った後は、まさに天上の軍神か) 失った様々なものがあってさえ、ヴェクタス・アヴローンを守ると決めて立った彼は"パーフェクト"だった。
その姿は今でも思い出せる。 銀河上でなによりも愛しく美しい、最愛の伴侶だったのだ。 こうして眠るリデアンは小さな小さな、3歳ではなく1歳半くらいの大きさしかない可愛い幼児だが、育っていけばやがてあの軍神の姿となるのだろう。 それを今一度見ることのできる日を楽しみに思う。だが同時に、そんな未来は来ないほうがいい。ヴェクタスはそう思う。 かの軍神は気高く強く尊いが、同時に、あまりにも残酷な孤独の中から生み出された英雄だったのだ。
ヴェクタスは、“かつて"リデアンが教えてくれたアーヴィス・リッジの撤退戦の話を思い出す。 リデアンが軍内で名を上げた最初の出来事だ。25歳だったリデアンは、老練なクローガンのウォーロード率いる軍団に包囲された絶望的な状況の中で、奇跡的な撤退を成し遂げた。指揮権など持たない一兵卒が、半数が殺され指揮系統も失われ、崩壊しつつあった中隊をまとめ上げて応戦、撤退させたのだ。 ラス・オクトンの撤退戦はそれとよく似た顛末になっている。 であれば、軍が帰還したときの光景も、きっと似ていただろう。
少しでも早く身内や友人の無事を確かめようと宙港へ押しかけてきた人々。この状況下にあって無事を喜び合うことを統制しようとする軍ではないし、レクトルスは 「ここで解散とする。早く無事な姿を見せてやれ」 と言った。 リデアンを抱えたエドナもその中にいて、ヴァレスの姿を見つけるとその場に座り込んでしまった。 駆け寄って抱き合う者、エドナのように立っていられなくなる者。そして、息子か娘の姿を求めてきたのか、必死に探そうとし、やがて、同じくらいの歳だと思われる老人に手を掴まれて泣き崩れた老婆。行方不明、あるいは戦死者の中に名前があっても、一縷の望みを抱いて来た彼等のような者の姿もいくつかあった。 多くの将兵がそうして無事を喜び、あるいは叶わずに嘆く中で、この場に来ることはできない誰かと通信する兵士たちもいた。 だがその中に、そういう光景から逃げるように足早に立ち去る姿も僅かに混じっていた。その背はヴェクタスに、否応なくリデアンの過去を思い起こさせた。
アーヴィス・リッジの後のリデアンは、若き英雄だったはずだ。 だが彼には、出迎えてくれる者などなかった。無事を喜んでくれる者も、涙を流してくれる誰かも、連絡するような相手も。 彼はそのことをつらいとも悲しいとも思わないように、何も感じなくなるまで心を殺して殺して殺し続けてきた。 つらい、悲しい、寂しい、悔しい、そういったものを感じないほうが幸せだったのか、それとも、感じる心があるほうがまだしもマシなのか。これもヴェクタスには分からない。ただ、ああやって孤独を思い知らされる誰かの心が歪み、罪を犯したとしても無理はないと思う。なにも感じなかったリデアンがただ淡々と軍人としての務めを果たしてきたこともまた、まだしもマシだったのかどうか、それもやはり分からない。
ヴェクタスは、このリデアンを絶対にそんな誰かにはさせないと、ヴァレスであることを受け入れたときに決意した。 そしてそれは、もう叶っている。 自分という存在があるだけではない。優しい母がおり、リーくんと呼んで可愛がってくれる者たちもいる。 それを思い出すとヴェクタスは少しだけ笑ってしまう。
あの宙港での感情解放は、普段は規律だ秩序だ優先事項だとうるさい軍が、あえて縛らない自由な空間だった。 だから、家族や友人たちとの時間を過ごした部隊員たちの何人かは、ヴァレスのもとへやってきた。中尉のおかげです、これからもがんばります、そんな言葉にまず囲まれたが、そんな感情はやがて、そこにいる写真ではない本物のリデアンへと移った。 本物のほうが百倍可愛い、などと言う連中に、仕方がないから"だっこ権"を与えてやった。 よくやったという報奨は、さすがに軍から与えられるだろう。だがレンティスのような立場ならばともかく一兵卒に過ぎない彼等は、お褒めの言葉だけになる可能性もある。その名誉こそが報奨である、と。ヴェクタスであっても、この件においてはそれを覆すつもりはない。人の生死の関わる出来事だ。無理を通せば、これまでの保障や報奨はどうなるんだと湧き上がる感情は切実で、ドス黒い。それを制御できると考えるのは思い上がりだ。 だから"だっこ権"が、せめてものご褒美だった。
もしリデアンが兵士となってしまうとしても、そのときには必ず身を案じる父母がいて、友人もいるはずだ。この人生では、そうなっていくはずなのだ。 だがヴェクタスとしては、そもそも軍人になってほしくない。30歳までの兵役は果たしてもいいが、そこからは予備兵役に移行し、もっと別の、穏やかで明るい人生を歩んでくれないものかと思っている。 なにせ優れた身体能力と頭脳だ。ついでに言えば50年分の"経験"付きである。スポーツ選手や研究者、学者、技師、医者、大抵のものになれるだろう。 (芸術家はさすがにセンスがあるかどうか分からんな。モデルはいいが歌手や俳優は才能次第か。まあ、とりあえずなんでもやってみて決めればいい。君は、前の人生が暗すぎたんだ。その埋め合わせに、この人生では恵まれていたっていい) とはいえそれは、少なくとも20年先の話だ。 今はまだこんなに小さくて、腹の上に乗せていても軽く、すやすやとお昼寝中。 室内に小さな電子音が響き、それを追うように 「ただいま」 と少しだけ落ち着きのないエドナの声がしても、寝息が途切れることはなかった。