03

「クソが!!」  珍しくブランスウェルドが荒ぶっていた。  彼は間違いなく無法者で暴力を武器に生きる乱暴者だが、無闇とそれを発揮することはない。こんなふうに荒れた感情を表に出すところを見たことさえ僕はなかった。 「どうしました」  尋ねると、いかにも我慢ならないといった険しい顔で、大きな口を束の間結び、それを開けて僕に言ったのは、 「トロイ。おまえ、ここを出ろ」  だった。

「わけも聞かないでは嫌ですよ。いきなり追い出されても、次の食い扶持探すのだって」  いつもはどんな話もたいていは最後まで聞いてくれる。だが今日ばかりはあとたった一言、「大変なんですから」を遮って、ブランスウェルドはわけを語りだした。  リムサ・ロミンサが荒れる、と。 「俺たちがでらめたな無法者だとしても、ここに街がある以上最低限ルールはある。よそに比べりゃ少ないが、だからこそそれだけは破るなってルールがな。だがそれを破りやがった奴がいる」  海域の一部に設けられた、不戦領海。その中では商船を襲ってはならないし、海賊同士が戦うことも許されない。それはそこが、多くの魚類、甲殻類といった海の幸が集まる場所だからだ。そこを荒らせば食っていけない。だから誰もそこでは戦ってはならないし、漁をしてもならない。  要するには荒くれ者たちでさえそこを聖域として、海の生き物、自分たちの食い物、いわば未来へと続いていく道を守る場所だった。  そこを荒らす奴が現れたとブランスウェルドは言う。

 そこで漁れば豊富な魚類が手に入る。そこを行く船は少なくともそこを出るまで戦う用意をしていない。多くの商船はできるだけそこを航海ルートに入れようともする。宝の海には違いないが、それはこの後何百年を支えるための、みんなで分け合い守っていかなければならない宝だ。  その聖域を荒らしたのは、最初はどこか(まだ特定されていない)一つの海賊団だったようだが、今では「守るのは馬鹿げている」と考える連中が集って一大勢力になっていた。彼等が連携して秘密を守ろうとしたため―――獲物にした船は徹底的に略奪し殺戮し破壊する―――発覚は遅れ、彼等の力は大きくなっていた。  “双つ剣"の調べによると、およそ3分の1程度の海賊があちら側についたらしい。数は3分の1だが、大勢力を持つ海賊団が含まれているため、戦力は互角か、むしろこちらの分が悪い。そして向こうはルール破りをする以上全員が最初から戦争になる覚悟だが、こちらにはそんな力のない弱小海賊も多かった。

 その争いは間違いなく陸にまで波及する。海賊とは関わりのない漁民たちですら巻き込まれるくらいだから、海賊・赤鰐の根城であるこの"沼"は当然 攻撃対象になる。だからブランスウェルドは僕に出て行けと言う。 「最初の"約定"を忘れちゃいねえだろうな?」  もちろん覚えている。僕はブランスウェルドのもとに厄介になっていても、海賊の仲間になったわけじゃない。僕も決して善人じゃないが、それでも人を殺して物や金を奪う海賊稼業についていくのはどうしても嫌だったし、それで殺される覚悟なんてものもしたくなかった。ブランスウェルドはそれを認めてくれた。僕はあくまで彼の"陸で飼ってるペット"で、海で手に入れたものの分け前にはあずかれない代わりに、海の上に連れて行くこともない、と。  海賊同士の大戦争は本来"海"のことだから、“陸"に属する僕はそれに巻き込まれるいわれもないし、参加する権利もない。ブランスウェルドは言う。 「当座の食い扶持くらいくれてやる。だから出てけ」  それは、巻き込まれてここで勝手に右往左往して死ね、自力でどうにか生き延びろではなく、死なないように出て行けと、いうことだった。

 僕は死にたくない。ましてや海賊同士の大喧嘩に巻き込まれてなんて御免だ。大砲を食らって木っ端微塵になった新鮮な死体の一部が浜辺に流れ着いたのを見たことがあるが、あんなふうになるのは絶対に嫌だ。  けれど今、まっすぐ僕に「出て行け」と言うブランスウェルドを見上げていると、もう少しこの男といたいと思ってしまった。  もう少し。だがそういうわけにはいかないことも、僕は理解している。  ブランスウェルドのルールは明確だ。例外は認めない。僕が選べるのは二つに一つ。陸の者としてこの馬鹿げた戦争に巻き込まれないため出て行くか(あるいはここで勝手に巻き込まれるか)、それとも―――彼等と同じ海の者、海賊の一員となってとどまり共に戦うか、だ。

 ブランスウェルドは僕に出て行けと言った。ここにいて海賊になれとは言わなかった。  彼にとって僕はそれくらいの、程々で手放せるペットだということか、それとも?  ―――藍色の海みたいなエーテルが答えを言っている。見られていると知っていて、別に隠す方法もないけれど、隠す気なんか微塵もない。むしろ見せたいんだろう。言ってもいいのに言わないで、見て分かれと、らしくもない。  そして僕は……。  大砲で木っ端微塵になりたくはないけれど、僕はどうやらまだ、もしかすると当分、この滅茶苦茶な大鰐のところを離れたくないらしい。

「守ってくれるんですよね?」 「何がだよ」 「もし僕が船に乗ったら」 「ンなもんは全員自己責任だ。なんで俺が」 「でも守ってくれますよね?」 「……俺の手の届く場所にいるならな」  溜め息と舌打ちの後で、馬鹿みたいに分厚くて大きな手を出される。その手を取ると、 「その代わり覚悟しろよ」  がっちりと藍色のエーテルに包まれた。