02 Top Priority
【ヴァレス・“ヴェクタス”・トライオス】
かつてのヴェクタス・アヴローンは、仕事が第一だった。しかしそれは単に、仕事すなわち商売が最も面白かったから、というだけだ。 彼は常に、自分の欲求に忠実である。 仕事よりも大事なものができれば、当然、それが最優先となる。 よって今は、ーーー言うまでもない。 小さな小さな、赤ん坊のリデアンを育てることこそが、彼のトップ・プライオリティだった。
なにせ、未熟児かと疑われるほどに小さい。なるほど、本物のヴァレス・トライオスが赤ん坊を一目見て、たったそれだけで失望したのも分からなくもない。代々が大柄で筋骨たくましいトライオス家にあって、こんなに小さな赤子が生まれてくるなどありえなかったのだろう。 だがヴェクタスにとっては、もし他の赤ん坊よりも小さい分か弱いのであるなら、いっそう大切に守り育てなければならないというだけだ。 将来的には220cmを越える巨漢に育つとしても、今既にそれだけの強さがあるかどうかは分からないのである。 それに、たった半月会わないだけでも、肩に小さな殻が生まれてきていたり、頭殻にほんの少し厚みが増していたり、手がほんのちょっとだけ大きくなったような気がしなくもなかったり……。
「いくらなんでも、半月でそんな変化は……」 変化と言えば、妻であり母であるエドナにも生じている。夫の変わりように混乱していた彼女だが、ともかく夫はかつてのような専制君主ではないのだと、今のありのままを受け入れることにしたようだ。まだおずおずとではあるが、こうして苦笑しつつ反論もしてくるようになった。 「そうかな。……ほら、少しだけ大きく見えないか?」 ヴァレス=ヴェクタスは半月前、出向前に撮影していた写真の倍率を調整し、今のリデアンの手と並べて見せる。 大きくなっているかどうかはさておき、子供はこうしてどんどん育っていくのだ。その日々の変化には、少しでも多く立ち会っていきたかった。
そこで敵になったのが、仕事である。 本部との行き来で済むなら、朝出かけて夕刻帰る、それだけだ。だが十日、半月、一ヶ月という出向もある。ヴァレスが監督しているのは工兵隊第八小隊で、大掛かりな建設事業となると十日やそこらでは終わらないのが当然だ。今は例のA7地区に駐屯している。そしてたかだか少尉では、日々現場に赴いて部下の働き、作業の進捗をその目で見、また調整し、時にはサポートし、上司との中継ぎをするのが役目となる。 こうして帰宅できるのは、週に一日あればいいほうだ。ヴァレスはどんなトラブルがあろうとも前日までにすべて片付けて休みを作り出しているが、普通のトゥーリアン軍人であれば、休みも現地にとどまって書類仕事をしたり、あるいは体を休めて……すなわち寝て過ごす。それで半年も一年も、家に帰らないというのも珍しくなかった。
一瞬、やはり除隊して商人としてやりなおそうかと思ったが、今の自分の人生は、己一人のものではない。それに巻き込まれる者たちのことを考えると、そこまで破天荒にはなれないヴェクタスである。 結果、六時間かかるとされる仕事を四時間で片付けるように、十日かかるものなら七日で、半月を十日に、一ヶ月を半月にするより他にない。あるいは、そうやって時短することで生まれた空き時間を使って、一時的にでも帰って来ることだ。
なお、その猛烈な仕事ぶりに巻き込まれる上司と部下には、一切容赦のないヴェクタスである。 上司の事情など知ったことではない。こっちは終わらせた。後はそっちの仕事。それだけだ。そして部下には、 「いいか? やればやっただけすべて、評価として上申する。君自身の実力を磨くことにもなる。それに私は、決して不可能なことをやれとは言っていない。大変かもしれないが、君たちであればできるはずだと思うことを求めているだけだ」 それを有言実行し、 「君に、可愛くて大切でたまらない恋人ができたとしようか。彼女が、いやまあ彼氏でもいいんだが、『また仕事なの? もっとゆっくり一緒に過ごしたい』と言ったら、君はどうする。仕事を放棄できない以上、高速でやり遂げるしかないだろう。私はな、息子と、一分一秒でも長く過ごしたいんだ。極めつけに可愛いんだぞ。見るか、写真?」 上司の親バカに付き合うのも部下の務めかとしぶしぶ同意した部下たちは、しかし、きょとんとした顔、大きな金青の目でカメラを見上げている小さな小さな、そしてとびっきり愛らしい赤ん坊に、完全降伏した。 「少尉殿をご自宅へ帰して差し上げるため、粉骨砕身、働かせていただきます!!」
【オーラン・カスクール】
「第八小隊の進捗が、少々、異常でして」 バージ少佐は困惑を隠せない。 彼のもとに届く報告の中で、一部だけが他を置き去りにする速度で進んでいく。その果てで、一ヶ月かかるはずの工務が20日で終わってしまったのである。 そしてそれについて、残りの日を有給休暇にさせろと、迫られている。 もともとはアドルス大尉が抱えた案件なのだが、彼にはどうしていいかの判断がなできず、そんな馬鹿な前例はないと突っぱねたものの、 「前例がないことをやらずにいたなら、我々は未だに石器を持って狩りをしているでしょう」 そう言われ、詭弁として退けようにも退けられず、バージの判断を仰ぎに来たのである。
「私からも、そんな優遇をする理由などないと却下したのですが」 それにヴァレス・トライオスは、 「ではこれからは、20日で済む仕事を、早く終わらせても何一ついいことはないのでのんびり30日かけてダラダラやるようにと指導します」 と言われてしまった。 結局バージも困り果て、カスクールに相談に来たのである。
彼はヴァレス・トライオスとのやりとり、音声ログを持ってきていた。 そこには滔々と、 『優遇ではありません、少佐。これは、正当な評価と報酬、そしてモチベーションの付与です』 淀みなくバージを論破するトライオスの声が記録されている。 最低でも一ヶ月、ともするとそれ以上かかるかもしれないと言われていたものを、彼等は終わらせた。しかも、手抜きや忖度は一切ない。 報酬は、成果に応じるものである。であれば、20日の実働であろうと、一ヶ月相当の報酬を渡すのが当然だ。
それに、より効率的に、あるいは熱心に働いて前倒しで任務を終わらせたせいで、「では次は」と新たな命令が下されるとしたら、早く終わらせた分だけ大変になる。しかも、早く終わらせたことに対する報酬は何もない。 使命感に燃えてそれを良しとする者もいるが、それなら適度に手を抜いて楽をして、かかるはずの日数をかけたほうがいいと考える者も、当然いる。 そして、理想や建前はどうあれ、人の本音は後者が多いのだ。 『多くの人はその事実に目を瞑り、理想をさも現実のように語る傾向があります。ですが、たとえ穴があろうと、現実という強固な基盤の上にしか、大きな成果は積まれません』
そこで、早く終わらせればあとは有給として、規定の給料が支払われるのに加えて自由に過ごせるとなったら? 『余暇を自主的な勉強にあてるにせよ、遊びに行くにせよ、どちらの者にも全力を尽くす甲斐があります。なにより、若者には、いや、私もまだ若輩者ですが、特に20代から今の私くらいの年齢の者には、100%を出しきる経験が重要なのです』 自身の全力を知らない者は、有事の際にも普段程度の力しか出せない。あるいは大きな力を発揮したとしてもコントロールできない。だが日頃から、たまにでも100%の力を絞り、自身の限界に挑むような真似をしていると、その力が必要になった際に迷わず発揮することができる。 しかし100%というのは非常に疲れる。いつもできることではないし、なんの旨味もなくやりたいことでもない。 『ですから、全力を尽くした結果、より良い成果が出たのであればより良い報酬を。時短が叶ったのであれば、その節約された時間を自由として与えることもまた、報酬の一つとなります。これは甘やかしではなく、正当な評価と報酬です』
そこでログは終わった。 バージは困惑しきった顔でカスクールの返事を待っている。 マケットは、笑うのを堪えているような気配がある。 しばし考えて、カスクールは、 「今回は、私の裁量で許可しよう。だがこれを慣例とするかは、未定とする」 そう答えた。 バージは、なんらかの形で却下されると思っていたのだろう。だが、カスクールの判断に異を唱えることはなく、 「中佐がそうおっしゃるのであれば、今回だけの特例として……」 と下がろうとしたので、 「特例とするか、妥当な考え方として検討するかは、まだ未定だよ」 そこだけしっかりと釘をさしておいた。
二人の部下が立ち去った後で、カスクールはこの件についての報告書を書くことにした。 一部の兵士への優遇にならないようにするためには、このルールを隊として採用するか、あるいは棄却するかを決めなければならない。 正直なところ、オーラン・カスクール個人としては、受け入れたかった。 前倒しで仕事を果たしさえすれば、残った時間は自由に使える。 (そうすれば私も……) 少しでも早く仕事を片付けようと思うだろう。そのためにできる努力を全力でするだろう。 何故なら、カスクールにもまだ幼い、去年生まれたばかりの娘がいるからだ。
結婚したのは33歳のときだったが、なかなか子宝に恵まれなかった。そのうちに出世してしまい、仕事を優先せざるをえなくなっていった。 そうして気が付けば40も後半に入り、年上の妻は50を越えそうになった。 そこでやっと授かった娘だ。妻の年齢的に次の妊娠、出産は難しいとなると、たった一人の愛娘である。 だが。 仕事で家に帰れない日も多い。帰ったとしても娘はとっくに眠っており、寝顔を見るのがせいぜいだし、育児に疲れている妻の機嫌も良くはない。 彼女は本当に忍耐強く大らかで聡明だが、そんな妻でも、一人で娘を育てているような日々に不満や心労はあるのだ。 専従軍人であり中佐である夫が忙しいこと、重い責任を負っていることは百も承知で、だから何も言わないが、娘が生まれてから後、妻の笑った顔を見たことがない気がする。
だがもし、仕事を片付けさえすれば、たとえ一時間だろうと早く帰っていい、あるいは、一日だろうと任地を離れていいとなったら。 モチベーションの付与、とトライオスは言った。まさにそのとおりだ。淡々とやって定時までに終わらせるのではなく、全力で取り組んで一時間早く、一日でいいから早く終わらせようと思う。そして家に帰り、まだ起きている娘と遊んでやることができる。妻を休ませてやることができる。 (やる気になる。手も抜けない。それでいて、やらされている感もない) 少なくとも、オーラン・カスクール個人としては、諸手を上げて歓迎したいシステムだった。
【ティラン・レクトルス】
珍しくカスクール中佐からの相談事が上がってきた。 ティラン・レクトルスはしかし、それをどこかで予期していた自分に気付く。 そして内容を見て、 (やはりトライオスか) と思った。
どうたとえていいかも分からない、突然出てきた異分子である。 特異な才能や性質を持つ者は、通常であれば早い段階から取り沙汰され、噂になる。なんらかの形でレクトルスの耳にも入ってくる。 だがヴァレス・トライオスはノーマークだった。 ”例の件”があった後で少し調べてみたが、狷介で付き合いづらく、扱いにくくもあるが実務面ではそれなりに有能、といった評価でしかなかった。 だがあれは、”それなりに”などではない。 並外れている。 レクトルスは一兵士としてスタートしたキャリアを、なんの支援も後ろ盾もなく、自身の能力と才覚でここまで押し上げてきた。その間に出会った数多の将兵の中で、上にも下にも、あれほど優れたビジョンを持ち、それを形にし、人に提示できる者を見たことがない。
(子供が生まれるというのは、人生の一大転機ではあるだろうが、それにしても) レクトルスは、トライオスから提出されたという、第八小隊員の勤務評定表を見る。 そしてデータパッドを操作すると、かつて提出されたものと見比べた。 (まるで別人だな、これは) ヴァレス・トライオスの直属上司であるアドルス大尉は、他人に書かせたのではないかと疑い詰め寄ったが、反省したのだと言われたらしい。 「息子が生まれ、子供の親となって気付きました。もし我が子が、精一杯の努力をしているのに、不出来なところしか見てもらえなかったら? そのために、本当ならありえた良い未来を、潰されてしまったら? そう思ったら、かつてのようなレポートは二度と出せません」 そのようなことを言われ、しかも、歪んだ評定から少しでも正確な判断を下さねばならなかった大尉にもご迷惑をおかけしましたと丁寧に詫びられ、それ以上なにも言えなくなったという。 そんな話を小耳に挟んで取り寄せた、二種類の評定書である。
かつてのレポートは、誰が何を受け持ったか、その結果がどうだったか、端的に事務的に記されている。そして評定コメントは辛辣だ。それぞれの部下の至らない点や欠点、不足についてばかり記されている。 だが今のレポートは、……長い。倍、いや、三倍ほどある。担当部門、作業といった事務的な部分は同じく端的ながら、個々の隊員の得意不得意、勤務態度の傾向、長所と短所、そして、そんな個性を持つ彼等をどう教導すべきかや、短期と長期それぞれの目標点までが記されている。 それが小隊員28名全員分である。文章が簡潔かつ明瞭なので読みやすいが、レクトルスの実感としては、個々の隊員について数倍の長文の報告を読んだような、なんともいえない質量を感じた。
これは、人が変わったというなら、慣用ではなく文字通りなのではないかと思う。 だが、だとしてもだ。何があったかや、実際どうなのかより、”変わった”後のヴァレス・トライオスが桁外れに有能な男だという事実が、なによりも重要だ。 (よく分からんが、嵐が来そうだな) ただしそれは悪しき風ではなく、意味のない古いものを軽やかに破壊し、跡地に新たな命を芽吹かせるものになるはずだと、レクトルスは小さく微笑んだ。
【ヴァレス・“ヴェクタス”・トライオス】
「え? 自分らも、休みを……しかも、有給で?」 「当然だろう。君たちの努力と熱意と苦労のおかげで、ここまでの時短が叶ったんだ。私だけでなく皆がその報酬を受け取るべきだ。無論、休みはいらないからその分働きたいというならそれでも構わん」 「本当ですか少尉!! ありがとうございます!! それ聞いたら、みんなどれだけ喜ぶか……!」 「当たり前のことだ。いいか。私には、それが当たり前だ。結果には、相応の報酬がある。結果のない努力は徒労だが、結果を出した努力に対価を惜しむつもりはない。そして君たちは結果につなげた。言っただろう。私は、たとえ困難だろうと、できることしかやらせていないと」
それはヴェクタスには至極当たり前のことだった。容赦なく働かせる。結果が出なければ努力そのものは無意味だと切り捨てる。だが結果を出したなら、十分に報いる。それを飴と鞭と呼ぶ者もいるが、ヴェクタスはそう思っていない。そんな上っ面のもので動かせるのは、上っ面の言動だけだ。自分が与えるのは、人を深く動かしうるもの、すなわち健全で正当なモチベーションと報酬だと考えている。 「ザス・バルド上等兵。君から皆に伝えてくれ。休暇になにをするかは各自の自由だ。勉強したければそれでもいい。受けたい研修プログラムがあるなら、申請するといいだろう。他兵科への部外参加も有意義なはずだ。もちろん、遊びに行くのもゆっくり休むのも、大事なリフレッシュになる。ただし、休暇明けに心身が緩んでいるようであれば、その後はまた地獄だと覚悟しておくように」 「は、はいっ」 びしっと敬礼し、しかし軽やかにザス・バルドは執務室を出ていった。
この後間もなく、「トライオス少尉の下につくと、地獄を見るが天国も待っている」という噂が流れるのだが、当人はそんなことにはさっぱり興味もない。 「ただいま、エドナ、リディ」 「おかえりなさい、ヴァレス。ほらリディ、パパに『おかえりなさい』できる?」 「ぱー」 「今日お帰りになるって聞いて、あなたの好きなシチューを作ってみたの。あんまり上手くはできなかったのだけど……」 「ありがとう、エドナ。楽しみだよ」 自分が作ったほうが完璧だ、などとは決して言わないヴェクタスである。夫に怯えなくて良くなった女性が、日に日に朗らかに、そして美しくなるのを見ているだけで、自分が今ここにいる理由があると思う。そのあたたかく優しい母親が、当たり前のように小さな我が子を抱いているだけで、“パーフェクト"なのだ。
ちなみに後日、レクトルス大佐のオフィスに呼び出されてみれば、中尉への昇進を告げられた。 そして、マーダロン・レンティスが少尉に降格され、部下となる。それをレンティスは、むしろそうあるべきだ、自分は今の職責には相応しくないし向いてもいないとして、粛々とというよりも喜んで受け入れたらしい。 ヴェクタスが気にしたのはただ一点。 「今まで以上に家に帰りづらくなるなら、断固としてお断りします」 「安心してくれ。本営での職務が増える分、自宅には帰りやすくなるはずだ」 「つまり、日帰りが可能な仕事の割合が増えるということですか。……であれば、謹んでお受けいたします」 「しかしなんだな。君は、家にいるためなら降格ですら喜んで引き受けそうだが」 「軍人としての名誉など、後からどうとでも取り返しがつくものでしょう。ですが、子供の成長には今一度きりしか立ち会えません。見逃したらそれきりです。当たり前のことではありませんか?」 「たしかにな。まあ、君は君のそのやり方で貢献してくれればそれでいい。期待している」
好き勝手に、息子可愛さだけで爆走するヴァレス・ヴェクタスの、明日はどっちだ!?
【オーラン・カスクール】
レクトルスに呼ばれ執務室を訪ねると、 「例の”特別休暇”の件だが」 と率直に切り出された。 「適性を見て、いくつかの部隊で実験的に導入しようと思う。正式には、議題に上げた後の決定となるが、私個人としては、少なくともテストは行うつもりでいる」 「かしこまりました」 今回の第八小隊についてはレクトルスも承認するものの、あれはあくまでも特例であり、「終わらせたから休ませろ」は乱暴すぎる。 正式に運用するのであれば、事前の申請は必要だ。それを審議にかけて妥当かどうかを判断し、認可を与える。実験段階では、そういった申請の期限やフォーマットなども詰めていくことになる。当然、審議の基準や審議メンバーの選定もしなければならない。申請は出されたが審議できる時間や人員がいないために却下される、といった状況が発生するのは避けねばならない。 一方で、なにもかもそうやって申請、審議、認可と縛っては、重くなりすぎる。日々の定常業務であれば、もっと柔軟に上長の許可さえあれば定時前退勤くらいは行えてもいいように思う。だがそれが無軌道にならないようにするため、権限を持つ職責者や報告ルールなどは決めるべきだろう。 「正直、考えねばならんことばかりで、頭が痛い」 「お察しします」 レクトルスは淡々と言うが、彼がそう口にするということは、相当な難題だということだった。
だがそれでもレクトルスは、却下ではなく実装を試みて実験することを選んだのだ。 ということは―――第八小隊の休暇を彼個人の責任で許可したカスクールには、前科者としてその片棒を担げと言いたいのである。 前例や慣例を持ち出したがる者たちは反対するのが目に見えている。変化を嫌うのはトゥーリアン種族全体の傾向でもある。だから、「やめておけ」と言いたくなる気持ちは分かる。カスクールも堅実で保守的なトゥーリアンの一人なのだ。 だが今は、そんなふうに拒絶するのは、未知の困難に挑む勇気が、気概がないからだろうなとも思った。 要は、面倒なのだ。新しいことを一から考え、様々な問題に頭を悩ませ、解決していくことは、今こうして直面しているように、非常に面倒くさい。そんな面倒をするより、前例だの慣例だの伝統だのを盾にして、今のままでいたほうが楽でいい。 (今のまま……)
「それにしてもトライオスは面白いな」 不意にレクトルスが呟く。仕事上ではほとんど感情を出さない彼にしては珍しく、声が笑っている。 「昇進を、家に帰れなくなるなら断固断ると言いやがった。すまん、失礼」 「いいえ、お気になさらず」 つい”やがった”などと言ったレクトルスに、カスクールもつい笑った。 レクトルスは日頃のぴんとした姿勢を少し崩し、椅子の背もたれに体を預ける。 「たとえ降格されようと、それで家にいる時間が延びるなら構わんのだと。『名誉は後からどうとでもなる、だが、子供の成長には今しか立ち会えない』ときた。むしろあの男は」 降格どころか軍を追放されようとも、子供といられるならそれでいいんだろうな、というレクトルスの声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
はっと我に返って、カスクールはレクトルスを見た。 一見は品のいい、しかし若い頃には相当荒っぽい性格だったという噂の大佐は、頬殻を後に開いて見せた。 彼は分かっているのだとカスクールは知る。 だから今、背を押してくれたのだ。 「大佐には、敵いません」 「君が分かりやすいだけだ。というわけで、引き受けてくれるな?」 何をかを、レクトルスは言っていない。 だがカスクールは構わなかった。 「はっ!」 それがなんであろうと、どれほど困難だろうと、全力でやるだけだった。