07 クッキータイム

     【クッキータイム】

 エドナは料理が好きだ。  好きでもあるし、そして、少しでも腕を上げて夫と息子に美味しいものを食べさせたいとも思っている。  リデアンがもう少し大きくなり幼年訓練校に通うようになったら、料理教室に行きたいとも語っていて、ヴァレスはそれを歓迎した。  今はもっぱらエクストラネットで手頃なチャンネルを見つけて学ぶしかない。残念なのは、トゥーリアンの料理人というのが少ないことだ。世の中の種族の多くは左旋性アミノの持ち主で、右旋性はトゥーリアンとクォリアンだけである。そしてどちらも、実用性を重視する種族だ。正しく栄養が取れればいいという発想になりがちなトゥーリアンと、美食に費やす資源のないクォリアンでは仕方ない。  だから、軍部の栄養士をしていたという老齢トゥーリアン婦人のチャンネルを登録して以来、エドナは配信を楽しみにしていた。

 それが今回はお菓子作りだった。  たまにはこういう息抜きも必要なものです、として彼女はクッキーの焼き方を披露した。  エドナはいつも以上に真剣にそれを見て、大事なシーンはすべてブックマークした。そして配信を見終えると、さっそく材料を買うことにした。  美味しいと喜んでもらいたいと考えるならば、日々の食事以上に、おやつは最適だったのだ。

 ネットショップで材料を注文すると、数時間の後にはまとめて梱包されたそれが届く。エドナがいそいそと開封に向かうと、ついてきたリデアンが興味深そうに箱の中を覗き込んだ。  エドナは、刃物や火は使わないし、と考える。 「リディ。ママと一緒に、クッキー作る?」  そうして尋ねると、 「ん!」  と元気よく頷かれた。

 エドナは念の為、ネットで子どもと一緒に作るクッキーについて調べる。あいにくトゥーリアン用はヒットしなかったが、アサリやサラリアンのものならしっかりと解説されていた。 (そうね。火は使わなくても、レンジアップした器は危ないわ。オーブンには熱いから近づいちゃ駄目って言えば、リディならちゃんと聞き分けてくれるし……)  生地をこねる用にポリ袋。のばすための綿棒は家にある筒状のものでいいと言っていたので、飲み物のボトル。型は材料と一緒に頼んだので大丈夫。  しっかりと準備をし、いざ、クッキー作りの開始である。

 こねこね……こねこね……こねこね……。  エドナがおおよそこねてあげたものを、リデアンが小さな手でせっせと練っている。 (これ、ヴァレスに見せてあげなきゃ)  最近ではすっかりエドナもフォトマニアだ。なにかあれば撮るようにしている。  生地がしっかりとこね上がったら、冷蔵庫でしばし休ませる時間。その間にもう使わないものを片付け、洗い物も済ませる。  そしていよいよ、整形に取り掛かった。

 子供も食べやすいようにと思うと、薄めがいい。硬すぎるのは避けたい。  ネットの先生もレシピ記事も、簡単に「3mm程度」と言うが、これがなかなか均一にはできない。綿棒でころころと伸ばすのも、きれいにするには意外とコツがいるらしい。  リデアンは、横からクッキー生地を見て首を右に傾げ、左に傾げ、どうやら一人前に厚みのチェックをしているらしい。  だから試しにやらせてみると、自信満々にとりかかったものの、ころ……ごろ……ころ……ごろろ……。端っこは薄く、真ん中は厚く、どうにもままならない様子。厚くなっているところを手で押さえるのだが、手が小さすぎるせいではっきり指の形がついてしまう。  エドナはふと思いついて、完璧なクッキーにすることはきっぱりとやめることにした。

 厚みは揃っていなくてもいい。少しくらい不格好でもいい。焦げたりしても構わない。  それよりも……。 「リディ。これはママと一緒に、まんまるにしましょ。どっちがまんまるにできるか、競争よ」  型で抜いたものは先にオーブンに入れて、残った生地を手でころころ丸めて押しつぶし、丸くなるようにまんまるになるように、あっちを押さえてこっちを整え、ぺたぺたぺた。  丸いクッキーが作りたいなら棒状にしてカットすればいいのだが、あえてそうはしない。  そのため、エドナのものはさすがにある程度丸くきれいにできたが、リデアンのは…… 「ぅ~……」  手の大きさに合わせて小さく作っても、形はいびつ、指の形でぼこぼこである。きれいな丸にしようとすればするほど、うまく力加減できずに崩れてしまうのだ。  だが、これでいいとエドナはリデアンを撫でてやった。


 夕飯の後、今日はちょっとしたおやつがあるのよと、エドナは昼に作ったクッキーを取り出した。  ひと目見たヴァレスは、案の定金色の目を輝かせて頬殻を大きく開く。 「このきれいなのは君が作ったんだな。で、これはリディだね?」  思ったとおり、指の形がついたぼこぼこの不格好なクッキーを見て、ヴァレスは本当に嬉しそうだった。 「二人で作ったのよ。見た目はちょっとあれだけど、美味しくできたわ」  ヴァレスは太い指で小さなクッキーをつまみあげ、裏から見て表から見て、そっと口に入れる。さくっといい音がして、かすかな粉がこぼれる。 「うん、いいね。美味しい。リディ。これも、リディが作ったのか?」  型をはずすときに押さえた小さな指の跡がついた、星型のものだ。 「ん。えも、まんまうきょうそう、ママにまけたの」 「次はもっとうまくまんまるにできるさ」  少し膨れた様子だったリデアンだが、ヴァレスが美味しいと言って食べてくれるのを見て、ようやくご機嫌が直ったようだった。

 あたたかい飲み物を入れ、親子三人でクッキーを楽しむ。  次はチョコレート味や、シュガーコーティングに挑戦してもいいかもしれない。リデアンは言いつけどおり、決して熱いものや危ないものには近寄らなかったので、一緒に作ることへの心配もなくなった。 「それなら、私が休みの日に三人で作ろう。多めに作って、うちの部下たちに差し入れしたら、喜ばないかな」 「一人暮らしの人も多いんでしょう? だったらきっと喜んでくれると思うけど……、第八小隊って今、30人くらいだったかしら?」 「ふむ。たしかに、ちょっとした大仕事だな」  型抜きくらいまでは大した労力ではないだろうが、焼くのがおそらく大変だ。大きなオーブンでもあればともかく、トライオス家にあるのはあくまでも家庭用である。何度出し入れすることになるのだろうか。

 だが、部下の皆さんにも食べてもらう、というアイディアはエドナにとっても捨てがたかった。彼等ががんばってくれるからこそ、夫が力を尽くして働くことができるのだ。自分より少し年下の、妹たち、弟たちだという感覚もある。 「それなら……」  とやがてヴァレスが言った。 「五、六人ずつうちに招待するのはどうかな。ちょっとしたホームパーティだよ」  改まったものではなく、普段の厳しい上下関係を少しだけ緩和して、おしゃべりや食事を楽しむ。そういうささやかな催しだ。アサリたちはよく開いている。 「トゥーリアンには珍しいかもしれないが、どうせヴァレス・トライオスは型破りだ。それで順番に全員に声をかけていって、断りたければ断ればいいことにする。NOと言えない"空気"は、作っていないはずだしな」  部下だけでなく上司にも声をかける。それを根回しだと思う者もいるだろう。だが、そんなふうに思う者も構わず誘う。そうやって全員に声をかけるなら、根回しに乗るのも断るのも本人次第。  面倒ではある。だが、やるのであれば不公平感は絶対に排除したい。それがヴァレスの主義だった。

 エドナは、実家で開催されたパーティを思い出す。  あれはただただ息が詰まり、身の置きどころがなく、苦痛だった。「リクウィス家の娘として、ホストとして、相応しいもてなしをしろ」とさんざん言われた。あれがまずいこれがまずいと、いつも怒られた。  だがヴァレスの言うホームパーティの会場は、この愛しい我が家だ。苦手なタイプの人もいるだろうが、かつては苦痛だったそれに、今は、ヴァレス・トライオスの妻としてならば笑う勇気が持てる。できるようになりたいと思える。  それになにより、部下たちを公平に扱いたいというヴァレスの誠実さを支えたかった。

 最初に招くのは特に目をかけている5人と、直接の上司でこそないがなにかと世話になっているカスクール中佐かレクトルス大佐にしたい、とヴァレスは言った。彼等であれば、日頃からリデアンを可愛がってくれているし、エドナもまったく知らない相手でもない。 「実家のパーティより、ずっと楽しそうね」 「大変かもしれないが、やってみよう。料理を作って、お菓子も作って、飾り付けして、みんなにも楽しんでもらうんだ。とはいえ、上の許可を貰わないとならないだろうが」 「ええ」  ホストとして人をもてなし、楽しませる。それは本当は、大変かもしれないが楽しいことだったのだと、エドナは今はっきりと気付いた。


     【よだん】

「ところでこのクッキー、保存できないかな」 「え?」 「こんな可愛いクッキー、一生のコレクションものじゃないか」 「リディの手形のついたクッキーが可愛いのは全力で分かるけど、それなら樹脂粘土でも買って手形をとったらいいんじゃないかしら」 「! そうか。そうだな。よしそうしよう。明日帰りに買ってくるよ!」

 なにもかもにおいて"パーフェクト"に思える夫だが、息子大好きなことに関してだけは、パーフェクトを通り越したせいでどうかしていると思うエドナだった。……もちろん、そこも含めて好きなのだけれども。