With You 3.0

     【君思故我在 R】

「なにかあったら、カエラを呼びなさい。いいね?」 「子供じゃないんですから……。それくらいの判断はできます」  と、言ったのは三日前だ。  ヴェクタスはその日、シタデルへ向かった。  アウスティア星系からだと、行くだけで二日近くかかる。現地で三日滞在するとしたら、行って帰るまでにかかる時間はおよそ七日だ。リデアンがこの星で暮らし始めてから、七日間も留守にするのは初めてで、心配だったのは分かる。だが、子供の留守番ではないのだ。  それでも言わずにいられないヴェクタスの気持ちを思うと、子供じゃないと言い返しながらも、リデアンは少し嬉しかった。

 ヴェクタスがシタデルへ向かったのは、銀河の復興に関する経済会議に出席するためだ。こういった大きな規模の話には、銀河有数の資力を持つ者として、招聘されるのは当然だった。  しかしこの二年間、ヴェクタスはセリオ圏からまったくと言っていいほど出なかった。リデアンのためだ。入院中はまだしも、この”星”に移ってからは介助のため、一日の留守さえ数えるほどだし、どうしても数日 出掛けるときにはカエラを呼んでいた。  だが、簡易ではあれ義眼もできあがり、義肢の負荷も容認できる範囲になった。それらを使えば自身の身の回りのことくらいはできる。  であればヴェクタスも、そろそろ圏外での仕事に着手すべきだろう。新規事業や投資はもちろん、回転率の落ちている“集金機構”の立て直しも必要なのだ。  しかしそのためには、リデアンがある程度の日数、一人で過ごせなければならなかった。    銀河は広い。FLT航行では到底足りないし、マスリレイによるジャンプにも、行き先や、船が抱える熱という制限がある。  この”星”からシタデルへ行く場合、必要なリレイ・ジャンプは三回。アウスティア系からはセリオ系にしか行けず、セリオからサーペントネビュラは遠すぎてダイレクトジャンプが危険なため、中継点が必要だからだ。そしてそのたびにティラシヤは、最低でも8時間、安全を優先するならば理想は14時間の排熱・冷却時間を要する。つまり、移動だけで片道に二日かかることになる。  これは行き先が違っても同じことだ。今後、ヴェクタスが本来の活動に戻るのであれば、五日から十日程度の留守が頻繁に発生するのは避けられない。

 少しでも時短するために、ヴェクタスの本籍があるセリオ系ヴァーシアへ転居するという手はあった。そうすればジャンプが一度減る分、移動時間が短くなる。  だがその代わり、リデアンの存在は遠からず必ず公衆に知れ渡る。商売敵やマスコミは、鵜の目鷹の目でヴェクタスの弱点を探しスキャンダルを求めているのだ。『死亡したと思われていた”軍神”、その生存と今』は格好のネタになる。今それらから自由でいられるのは、ヴェクタスの星系と言っていいほど彼の力が強いアウスティアにとどまっているからだ。  となると、やはりこの“星”を拠点にしたほうがよく、やや長めの留守を無事に過ごせるかどうかは、大事なポイントだった。

 透析など手間と時間のかかることはすべて、前日に済ませておけるよう、つまり留守中の回数を減らせるように調整した。必要なものは必要なだけ、収納場所ではなく手回りに集めて揃えた。  退屈にならないようにと音楽や書籍といった娯楽はいつもどおり整っているし、できる範囲でいいからまとめておいてくれると助かると預けられた資料もあった。  各種装置の点検やフィルター交換といった保守作業も、問題なく実行できる。  実際この三日間を、リデアンは何事もなくつつがなく、一人で過ごせていた。

 が、しかしーーー。  三日目が終わろうとしている今、リデアンはどうにも落ち着かなくなっていた。  何故か、いつもの部屋、生活空間が、やたらと広く静かに感じられる。  眠ればいいのについ耳を澄まして、静けさを聞いてしまう。  どうにも寝付けずに、一口水でも飲もうとして、起き上がるだけのことに少し苦労する。右腕がなく右脚がないというのは、たったそれだけにも不自由するのだ。しかも柔軟性のない人工臓器を抱え、腹筋も弱っているとなると尚更で、体の向きを変えて左手で上体を持ち上げ、といった手順が必要になる。  そして、この三日間やってきたその面倒を、いつもはほとんどの場合、ヴェクタスが助けてくれていたという事実にあらためて気付いた。

 もちろん彼が近くにいないとか、熟睡していて起きないことはある。だがそこにいて気付きさえすれば、必ず手を貸し起こしてくれた。  それ以外でも、この星、この館に来てからはずっと、身の周りの世話はすべてヴェクタスがやっていた。義肢をつければ自分自身でできるとしても、負荷がゼロにならないかぎりはしなくていいと言って、厭わないどころかやりたがるような節さえある。  それが日常だった。目が覚めれば軽く呼吸器のチェック。問題がなければ朝食としての栄養剤の準備と注入。それから神経調整。血圧が安定した頃合いにメディチェアに移るのも、ヴェクタスが傍にいるタイミングであれば必ず支えてくれる。昼の間は各々で過ごすが、夕方になれば、朝を巻き戻すような日課が始まる。そして、入浴し、就寝。  そのいずれのときもヴェクタスの手を借りることが当たり前になっていた。

 今は、それがない。  手間だとか、大変だとかいうことではない。  彼がいない、ということ。  朝に夕に、そして夜にと触れていた手が存在しないということ。  それがこの後まだ四日も続くということ。  今ここにいるのは自分一人だということ……。

 途端に、あたりすべてががらんと、何も存在しなくなったような錯覚に陥った。 「……っ」  ぞっとする。  優しく触れてくれる手などなかった時代の、あの空漠だ。誰かいたとしても何かあったとしても、決して届くことはない、孤独と空白。 (駄目だ)  今このとき、こんなことで発作を起こしてしまったら、ヴェクタスの自由はまた遠のいてしまう。  どうにかして、となすすべを探し、ふと、なんでもいいからヴェクタスの片鱗に触れたいと思った。  声、あるいは匂い。 (あ……香水)  ヴェクタスが休みの日だろうと僅かにつけている、人のためではなく自分が気に入ってまとう香り。だからこそあちこちに、小さなアトマイザーが置いてある。たしかここにもと、ベッドサイド、いつもヴェクタスが寝ている右側に置かれたナイトテーブルを探す。  一番上の引き出しを開けると、それだけであの香りがし、途端に何故か泣きたくなった。

(なんだこれは)  感覚が過去に引きずられている気はする。子供の自分が混じってしまう、混乱というより重複だ。  怖い、というのは子供のもの。情けない、というのは今の自分のもの。  怖いの中には、悲しいと寂しいがある。情けないの中にはーーー早く帰ってきてほしいと願う思い。  それを自覚した途端に、会いたい、声が聞きたい、触れたい、触れてほしいという感情が軽く暴走した。  そしてやっとそれらを一つにまとめて、「恋しい」という言葉を見つけた。

 声だけでも、と通信を思いついてしまう。だが今彼が何をしているかは分からないし、たとえ暇であるにしても、そんなことをすれば心配させてしまう。「何をしているか気になって」という嘘を、本当にそう思わせられるようにつく自信がまったくない。  たった三日も一人でいられないのか。情けない。これでは出がけに心配されたことが、意味は違ってもそのまま当てはまってしまう。どうしてこうなった。自分を責める。責めるが、 (私は、こんなに……)  傍にいてほしいと思っていた。彼が話すのを聞いているのは、ただそれだけで心地よい時間だった。甲斐甲斐しく世話をしてくれるのが、申し訳ないのではなく嬉しくなっていた。  いつの間にか、好きになっていた。  そう知ると、今覚えている苦しさは、不思議と甘く、尊いものに思えた。

(“好き"なんて)  なかった。  あったのはせいぜいで心地よいかどうかや、感心するかどうかで、好きだと思ったものは、なにか一つでもあっただろうか。  何に対しても、誰に対しても。  アンダーソンに感じる思いも感謝と敬意がほとんどで、親愛は混じっていても、“好き"ではない。決してない。そんなふうに思ってはならないと思ってしまう。求めてはならない。そうであるべき距離よりは、近づいてはならない。  だが今ヴェクタスだけは、早く帰ってきてほしいと願い、そこにいるなら触れたいと思い、触れてもいいのだと思える。  そして、そう願えば叶えてくれるとも。  ”好き”になってもいい。そんな思いを、持ってもいいのだと。

 だからこそ、彼をこれ以上困らせたくないと思った。  それは、困らせると悪いからではなく、仕事に集中する時間、それをしっかりと持ってほしいからだ。  だから今は、このほのかな香りだけで我慢しなければならないし、したいと思う。  その代わり、帰ってきたらちゃんと言おうと思う。平気だと言ったし、自分の世話というだけのことなら何一つ問題はなかったが、少し寂しかった、と。  そうすればヴェクタスは、七日間の埋め合わせをするように、傍にいてくれるだろう。

(ヴェクタス……早く帰ってきてください)  寂しい。  しかしそれが悲しいことではなく、ほのかにあたたかいこともあるのだと、リデアンは今、初めて知った。