Two of us 2.0
【Just a little judgment】
「ヴェクタス。一つ、お願いがあるのですが」 「ヴィと呼んでくれたら聞くよ?」 そんな他愛もない会話から、それは始まった。
二人だけの内密なものとはいえ、挙式したのだ。それは、愛しているということをもっと素直に表してもいいのだという、変化の日でもあった。だからヴェクタスは、リデアンを「リディ」と呼ぶことにした。そして自分のことは「ヴィ」と呼んでくれと。 案の定リデアンは、恥ずかしいのか照れがあるのか、リディと呼ぶと戸惑い、ヴィとは呼んでくれない。だから言われてなんとなくそう返したヴェクタスだった。 しかしその後に、深刻な顔をされるとは思っていなかった。
リデアンは、十日後に予定されている会合への出席を辞退してほしいと言い出した。 ヴェクタスはもう、昔のように銀河中を飛び回ってはいない。あまり意味のないパーティや催しであればほとんど断っている。だからこそ、出席すると決めたものにはれっきとした意味や価値がある。 リデアンの言う会合はその一つだった。 この数年間、大戦の事後処理や復興の優先により、なんとない協定めいたものだけで保留されていた”リーパーの残骸”の始末。これをどうするべきか、合意を作っておこうと招集されたのだ。銀河の各地、特に地球に多く残ったそれらは、危険性もあるが資産でもある。遠からずシタデル評議会も動くだろうが、その前に我々ーーー銀河有数の事業家や投資家ーーーの間である程度の方向性を定めておこう、というのだ。
リデアンに会合の主旨は話していない。ただ、重要なものだと伝えた。他の予定をキャンセルし調整してでも出る必要がある、と。 だがこういった情報はどこかから必ず漏れ出すもののようで、リデアンは知っていた。見ることも出歩くこともしない彼の時間は常に余り気味で、退屈しのぎのネットサーチには実利もある。しかも彼には、ダークウェブだろうとどこだろうと容易く入り込む能力がある。データパッドに表示させたのは、過激なリーパー信仰者のチャットだった。
“残響の使徒 - Heralds of the Echo -“を名乗る連中である。 彼等はリーパーを新たな秩序をもたらす神だと言い、リーパーの残骸や残した技術を"聖体"として扱う。そしてそれらに自分たち以外の者が触れることを悪とする。 その聖体を金儲けに使おうとする者は許しがたい邪悪であり、 「なるほど。“決行"か」 「率直に言って、会合参加者の中に彼等のスポンサーがいることも考えられます」 「狂信者を操って、独占し、利益を得る。古来からの伝統的図式だな」 「ですから、ヴェクタス」 さすがにそれに「ヴィだろう?」と返す気にはならず、ヴェクタスは考え込んだ。
リデアンの言うとおり、チャットの内容は実行犯としてリアルに思えた。迷いや躊躇いがあり、それは神の意思に沿うことなのかといった疑問も提示される。その中で強い発言力があり、影響力のある者が丁寧に意見をまとめ上げていく。 結論は、「しょせん我々はしがない有機生命体であり、リーパーのご意思を正しく知ることはできない。それゆえこの行動が聖意にそぐわぬものである可能性はある。だがだとしても、我らは神の代行者などでは決してなく、神を崇めるものである。我らの信仰の形として神に捧げるのだ。是非は神に委ねればよい」だ。 これが神の意思だなどと言わず、あくまでも自分たちは信者なのだというところが聡い。神はそのようなことを望んでいない、という反論を封じてしまう。過ちであるとして裁かれることよりも、加わらないことのほうが罪だと思わせる。熱烈な信徒であれば、たとえ裁きだろうと神に与えられる、触れられるのであれば幸福だと思うだろう。 そして、そんな行動を実行できるだけの物理的な準備ができていることも示されていた。
チャットの日時や言葉の断片から、間もなく行われるものをターゲットに準備していることにも間違いはない。 たしかに、襲撃される可能性はかなり高いと考えられた。 だがヴェクタスに、行かないという選択肢はなかった。 いずれ必ず評議会が動く。彼等は利益ではなく秩序のためにそうする。そうなったとき、莫大な金と影響力を持ち、”実行力”を支える自分たちの意見が割れていたのでは、初動までに時間がかかることになってしまう。 ヴェクタスたちが今回集まろうというのも、欲ゆえではない。銀河を動かしうる力を持つ者として、銀河への責任から話し合おうとしている。だからこそ、ヴェクタスもセリオ圏を離れて参加することにしたのだ。
それに、この会合には、既にリーパー技術の研究に着手し、成果を出しているヴェクタスを牽制するという目的もあるだろう。 参加しないということは「私は勝手にやる」という意思表明になってしまう。だからこそ、出ないわけにはいかない。銀河の大物たちを敵に回していいことはないし、なにより、回収や研究の制限、あるいは禁止という方向に話が流れては困るのだ。金や権利の話ではなく、リデアンのために。
「いつかはやらなければならないことだ。リディ。心配してくれるのは嬉しいが、君たちが銀河を守ったように、これは私たちが銀河を守っていくための会合なんだ。参加はやめないよ」 そして参加者たちへの警告も得策とは言えない。この一回の計画は阻止できたとしても、この手の狂信者が諦めることはない。そして次に実行を試みるときには、知られている可能性を前提にした作戦になる。それは、「知られていない」ことを前提にした計画よりも慎重で緻密になり、防ぎがたくなるだろう。 そう説いて聞かせると、リデアンはそれ以上の反論はしなかった。 だがその代わり、 「それなら、確かめさせてください」 と言って、見えない目を向ける代わりに、ヴェクタスの手を強く掴んだ。
『げ……。マジですかい。あの"軍神"と?』 クリストフ・ミュラーが派手に髭面を歪める横、頭一つ低い位置で、 『大戦前なら100%辞退するところですけど、今の彼なら、ワンチャンありますかね……?』 とツァレク・ハーリが呟く。 通信の相手は200cmある巨漢のヒューマンと、170cmそこそこの小柄なドレル。奇妙な組み合わせだが、二人は世間にもよく知られた、ヴェクタスのSPである。 共にかつては傭兵であったのを、それぞれにヴェクタスが気に入り、そして彼等もヴェクタスを気に入って、専属SPとして契約した。ツァレクを雇ったのは7年ほど前、リーパー大戦の少し前だが、クリストフ、クリフとはもう15年の付き合いになる。 彼等は常にいい仕事をしてきた。いざとなれば自分の体を盾にすることも厭わないクリフに、ツァレクの強力なバイオティックバリアがあれば、ヴェクタスの身に危害が届くことは一度としてなかった。
リデアンは、この二人と戦いたいと言いだしたのだ。 彼等がどんな状況にあってもヴェクタスを守り抜けるかどうか、かつて軍神と呼ばれた自分で確かめたい、と。 戦うことを生業にしているクリフとツァレクであるから、リデアン・トライオスの武名は知っていた。だから二人は、ヴェクタスが保護している重傷患者が彼であると知ったときには、心底驚いたし衝撃を受けていた。“戦う者"として雲の上と言っていい位置にいた軍神が、今や地上に引きずり降ろされ身動きもままならないのだ。 ヴェクタスは二人の心情を聞いたわけではないが、表情から見て、深い痛ましさや無常感を覚えているように思えた。
かつてがどうあれ今のリデアンは、クリフとツァレクにとって、ヴェクタスと合わせて守らなければならない警護対象だった。 出かけるときは常にメディチェアで、自分の足で立つこともない。義眼も合わないため、視力も持たない。“軍神の成れの果て"に見えたことだろう。 だがその"元軍神"から戦いを挑まれてみると、「ろくに動けもしない奴とか?」ではなく、それでも勝てるだろうかと思うあたりに、彼等の有能さがうかがえる。 だがどこかに、今のあの有り様で俺たちとやり合えると思っているのだろうかという、自負と矜持はあったのだろう。
『いいでしょう。やりやすよ』 とクリフが答え、ツァレクが頷く。 『でもほんとに、二対一でいいんですか?』 「彼はそのつもりのようだ。引き受けてくれるなら、急で悪いが明日、アレタヤの演習場に来てくれ」 『了解』 『分かりました』 拳で二回胸を叩く仕草を見せるクリフ。はっきりと一つ頷くツァレク。 (どうなることやら) どちらが勝つのかよりも、どちらも怪我をしなければいいがと思いながら、ヴェクタスは通信を切った。
アウスティア系アレタヤの演習場は、SSGFの実弾訓練にも使われる本格的なものだ。人口密度が低く広々とした土地がある、いわゆる田舎惑星のアレタヤは、そういった施設にも向いているのだ。 必要とあればこの敷地にビルや家屋を仮設し、市街戦を模倣した戦闘訓練をすることもある。ヴェクタスはそういった費用も惜しまず出すことで、地域に派遣された予備軍に過ぎないSSGFを、トゥーリアン本星の軍に劣らないものにしている。 その一隅に多目的ホールがある。演習のないタイミングであれば、市民に体育館やコンサート会場としても貸し出されるもので、模擬戦にも充分な広さと高さを備えていた。
リデアンはいつもどおりメディチェアにかけている。義眼は戦術用のもので、物体の形を取得し距離や奥行きは表示するものの、現実の視界には遠く及ばない機械的な図面しか見えない。 それを補うのは、ドローン3機のカメラだ。装着しているのはDSRユニットだが、フルスペックで活用するとその負荷には耐えられない。だが3機程度であれば、リデアンは、大丈夫なのかと心配するヴェクタスの前で軽々と操って見せた。 義肢は腕・足ともに装着し、接続もしている。だが生身の体同然に動かせないのであれば座っていたほうがいいと言って、装着はあくまでも体のバランス、重心をとるためだった。
クリフとツァレクにしてみれば、全力には程遠くても普通に戦うと思っていたのだろう。肩透かしにがっかりしたようでもあり、少し不機嫌そうでもある。 無理もない。彼等も武力を売りにして生きてきたのだ。それが、椅子に座ったままの相手と戦うとなると、さすがに「馬鹿にしているのか」とくらいは思って当然である。 (やりすぎなければいいが) とヴェクタスは思う。なにせリデアンは本来の半分も戦えない。ドローンの数も、残っている体も。そこに、プライドを傷つけられた二人がかりとなると、さすがに分が悪いのではないか。 だがどう言ったところで止められるとは思えなかった。
スタートの合図はヴェクタスに任された。双方の間から脇に下がり、渡されたスイッチを押せばいいらしい。 どうなることやらと思いつつ、時刻を確認する。アレタヤ時で22:00。 3……2……1……。 カチリと、ヴェクタスの指がスイッチを押した。
途端にフィールド中央で小さな爆発が起こり、濃密なスモークが吹き出した。 合図とは音や光ではないのかと驚いたヴェクタスは、ほとんど同時に、強く腹を突き飛ばされる……蹴り飛ばされるのに近い衝撃を受けて、後ろによろめいて転んだ。 「ぐ……っ」 背を起こし、反射的に腹に触れた手に、ぬるりと付着するのは派手なピンク色の塗料だ。 「え……?」 (何故 私が?) 誤射にしては、方向がでたらめすぎると思った途端に、 『ヴェクタス。死亡ではありませんが、D等級の負傷です。貴方は今後 動かないでください』 ぞっとするほど淡々としたリデアンの声が、端末から聞こえた。
クリフが煙の中から現れると、ヴェクタスから見て右斜め方向に背を向けるようにして屈む。 「ああしくったマジでしくったっ。そういうことかよ! ボス、あんたは今テロリストに撃たれたんだ。D等級ってのはたしか、トゥーリアン軍だと"自力での移動困難"ってくらいのはずだよな!?」 「つまりこれは……」 「説明は後! とにかくじっとしててくれ!」 クリフが言った途端に、彼の背に一条のレーザーが当たったが、間もなく遠くで射撃音、次いで高い位置でビープ音が鳴り、煙の薄くなった地面に、ピンク色に染まった1機のドローンが着地した。
「………………」 「………………」 「………………」 (あー……これは……?) 三人して黙り込んでいるので、ヴェクタスも口が挟めない。ただ、クリフとツァレクの様子は、先生に叱られる生徒、教官に叱られる新兵だった。 やがてリデアンが口を開く。 「ミスに気付いた後の判断や戦闘力そのものはさすがですが、二人とも、思考能力には問題がありますね」 以前から気になっていたのだとリデアンは言う。 クリフもツァレクも、いざ危険が発生すればそれに応じて即座に対応するし、仕事として自分の体を盾にしてでも雇い主を守るという強い意志がある。個々の戦闘能力も高い。 だが、起こりうること、ありうることを想定し、事前に備えるという要素が足りない。 だから今回、ヴェクタスがどういう伝え方をしたにせよ、「自分たちの力を試したいというのは、なんの力のことなのか」とは考えられなかった。リデアンと戦闘することだとしか思わなかった。もし軍神に勝つ力を持っていたとしても、ヴェクタスを守れなければ意味はないというのに。
そして、誰がボスかも見誤った。 ドローンを操っているリデアンが司令塔であると、普通考える。だが、司令塔になる者が軽々しく前に出て戦うだろうか? 他の仲間の位置や状況を把握せずに動くだろうか? たしかにリデアンがすべてのドローンを操ってはいたが、その動きは、中の1機を依頼主との連絡や状況判断を担う司令とし、自分自身は雇われた傭兵のように、具体的な目的遂行を目指すものにしたのだ。 であれば、情報源として生かして確保すべきはその司令ドローンであり、殺してしまってはならない。だがツァレクは司令ドローンをスロウで壁へと投げ飛ばし、リデアンを確保した。 そこでリデアンが「私は雇われただけだ。何も知らない」と言ってもきょとんとして、数秒たつまでその意味が分からなかった。
そんなことは知らされていなかった、言ってくれれば、という言い訳は通じないのだ。そこまで考えて備えろ、とリデアンは言っているのだから。 落第であることを告げられる生徒、新兵は、たしかにこんな姿だった。不満はあるが、言い返せない。 ヴェクタスはいつもそんな姿を眺めているほうだった。だが今は、 (私もまったく考えなかったな) とはいえヴェクタスは戦えと言われたわけではない。 しかし、もし自分もSPの一人であったら? と考えると、直接戦闘とシミュレーション戦闘を勘違いすることはあったとしても、正しく把握した時点で、これが”引っ掛け問題”であったことにも気付く。であれば、まだ他にも何かトリックが仕掛けられているのではないかと疑うだろう。 (なるほどな。であれば、ボスが誰かを疑う、か) クリフとツァレクは、せめてそこを間違ってはならなかったのである。
やがてリデアンは溜め息をつき、 「やはり、今後は彼に表に出てもらう必要がありそうです」 と言った。 「彼? 表?」 ヴェクタスがオウム返しに尋ねると、 「ドレンです。貴方は気付いていなかったでしょうが、彼はずっと、貴方を送り届けた後、影から警護していました」 「なに?」 「契約にないことですし、勝手にしていることだからと、貴方に気を遣わせないように黙っていたのでしょうが、彼が事前に排除した危険は、少なくないと思います」
ドレン・ヴァド。元STGエージェント。サラリアンとしては老境に差し掛かり、第二の人生としてヴェクタスの運転手と、そして"星"のエンジニアを担ってくれている。 彼の任務は戦闘や潜入する担当官のサポート、後方支援で、直接の行動は苦手だと言っていた。ヴェクタスはその言葉を額面どおりに受け取っていたのだが、 「私は以前に、近接戦闘でクローガンとの決闘に勝ったことがあります。それでも、『私は前衛での戦闘が苦手です』と言えば、これは嘘ではありません。狙撃や戦術ドローンを展開した後方からの戦い方のほうがより得意で、指揮官としての自身の強みも活かせますから」 なるほど言いたいことは分かった。ドレンが「戦闘は苦手だ、潜入もあまり担当したことがない、自分が得意とし受け持っていたのは彼等の支援だ」と言ったとしても、彼は実際にはどちらもプロなのだということなのだろう。 しかし、 (クローガンとのタイマンておま) (やばい本物のやばい人だこれ) (初耳なんだが……?) 三者三様に、それどころではないヴェクタスたちだった。
「というわけですので、お願いできませんか、ドレン」 ユーリシアへと戻るティラシヤのメインデッキで、リデアンがドレンに事情を話した。 彼は自分のサービス業務がリデアンに知られていたことには少しも驚かず、 「私でいいなら、お引き受けしましょう。お連れしたついでに、そのまま警護に移ればいいなら、ま、今までと代わりませんからな」 操縦席からいつもどおり、聞き取りやすいゆったりとした口調で穏やかに答える。 「ありがとうございます。報酬については後でヴェクタスから話があるでしょう。それから、今後 惑星警備の仕事は私が手伝いますので、少しは負担が減るかと思います」 「それはありがたい。とはいえ、貴方の脳に負担をかけるべきでないのは、分かっております。基本的には私にお任せください」
クリフとツァレクはこころなしか小さくなっている。 “パイロットとしての腕はいいが、サラリアンにしてはのんびりとしたじいさん"だと思っていた相手が、実は凄腕のエージェントだったと知って、今までのように大雑把には接っせなくなったのだろう。 なにより、リデアンがクローガンと決闘して勝利したことがあるというのは、格闘戦を得意とする者にとっては痛烈なフックだった。 話題を蒸し返し、まさか相手が弱かったなんてことは……と一縷の望み(?)を抱いて尋ねたクリフは、 「かつてジョン・シェパードに同行していた際に、アードノット・レックスと戦いました」 と言われて、ツァレクともども全面降伏した。
傭兵だからこそ知っている。最強最悪と言われたクローガン傭兵である。クローガンの持つ圧倒的なフィジカルの強さに加え、情勢や状況を判断する能力を備えている。彼等の儀式の一つにスレッシャー・モウと戦うというものがあるのだが、ここのところ何世代も出ていなかった撃破者の一人だというのも、頷ける話だ。味方なら頼もしく、敵ならば死を覚悟する。そしてどちらにせよ恐ろしい。 嘘ならばいいのだが、座席から少し身を乗り出すようにして振り返り、にっと笑ったドレンが、 「噂には聞いておりましたが、本当でしたか。いや、見たかったですな」 と言ったので、そんな逃げ道も潰された。 そして、自分たちの知らないことを当たり前のように知っている者、情報や思考を武器にする者がいるのは大きなアドバンテージだと納得した。
「……もしかして君は、ドレンに頼むことになるところまで、考えていたのか?」 ”星”の館に戻った後、悪趣味なピンクの塗料は落ちそうになく、ヴェクタスは気に入っていた服を一着捨てた。 先に言っておいてくれればというのは、やはり無駄な言葉だ。それでヴェクタスが撃たれることを覚悟してしまうと、その気配にはあの二人も勘付いただろう。 「いえ。二人が司令の選択を間違わなければ、この一戦だけでいいと思っていました」 無能ではないのだ。自分たちのミスや不出来に気付けば、それを修正してより強くなる。 だが人にはどうしたところで得意不得意があって、それは無理に補おうとするより、秀でた者に託したほうがいい。
クリフもツァレクも、戦闘員としてはこのうえもなく有能で勇敢だ。その範囲であれば明晰な頭脳と判断力も持っている。だが指揮や情報支援を担うには、思考の幅と柔軟性、懐疑的な視点というものに欠けている。良く言えば、彼等は素直すぎるのである。 「以前、アンダーソンとの模擬戦についてお話ししましたが、私が彼に勝てたのは、“起こりうることをできるかぎりすべて想定する、起こりえないことはない"という意識でいたからです。その中では、私以外のすべての隊員があちらに寝返る可能性も考えました」 「それはルール違反だろう」 「あくまでも可能性の話です。ただ、もしそれが起こった場合どう対処するかを考えておくことは、無駄ではありません。今も、彼等が裏切って貴方を殺す側に回る可能性というのを考慮しています」
「……怖いね、それは」 「何事もなければ、可能性は極めて低いでしょう。利害もあれば、心情的なものもあります。ですが、ドレンには妹や甥・姪が、クリフには妻子がいます。ツァレクにも長年会っていない母がいます。彼女たちの危機に関わっていたら? 可能性は、決してゼロではありません。……それから、すみません。こういったことは、勝手に調べています」 「いや。いいよ。君が節度を欠くとは思っていない。なるほどな。それがすべてに備えるということか」 人質にとられうる者がいるなら、とられないように。とられたときには、敵になる可能性も考慮する。そのうえで、目的を遂行する方法を考える。 こういう中で、ドレンは有用な発想と視点を持っている。STGのような組織、スパイというものは、判明している敵を倒すためにあるわけではない。起こりうる危機に備えるためのものだからだ。
元より名声や栄誉には興味のなかったリデアンが、”軍神”の名を持って、己の力を誇示するようなやり方で人を試したのも、危機に備えるためだ。それが自分の身を案じてくれればこそだと思うと、貴方のことが心配なのだと、言葉で言われたよりも数倍、彼の思いが身にしみる気がした。 「私自身、もう少し気をつけるようにするよ。60を前にして間に合うものかどうかは分からないが、護身術でも学んでみようかな」 「でしたら、クリフとツァレクからにしてください。彼等と連携がとれなければ、何もされないほうがマシだということになりかねません」 「たしかにね。彼等がより守りやすくなるように、か」 「それから、軽度の負傷であれば自分で応急処置ができるように、メディキットは常に持ち歩いてください。内容物は医療センターに問い合わせて、最新のものに更新を。それから、カエラに尋ねれば、そのメディキットを緊急時に別の用途で活用する方法も教えてくれると思います」 「別の用途?」 「武器にもなりますし、混合すれば簡易の爆発物に加工できる薬剤もあります」 さらりと言われて、ヴェクタスはさすがに少し怖いと思った。
愛しい恋人だが、中身は生粋のというより、もはや先鋭化した軍人なのだ。武力闘争のない世界で生きてきたヴェクタスにとっては、目に映るあらゆるものを武器とみなす発想には、さすがについていけない。 だがそれを口にはしない。彼はかつて力をもって他人を守り、だがその力を恐れられた。英雄であることは、自分たちと同じではないと遠ざけられることでもあった。それを無感覚に無視してきたが、今は傷つくのだ。そして恐れる。恐れられることを。ましてやそれがヴェクタスからだとなれば、冗談でも怖いとは言わないほうがいい。 だから、できるのは切り替えさせることだ。 優秀な軍人モードから、可愛い恋人モードへ。
「分かった。ちゃんと君の言うとおりにする。ただーーーそれにしても私を撃つなんて、酷いと思わないか? ペイント弾とは言え、威力はあるんだな。けっこう痛かったんだが?」 「それは、アーマー越しにも撃たれたことを感じ取れるようにするためです。貴方は平服なので、威力はかなり落としておいたのですが……すみません。でも」 「私のためだというのは分かっている。それでも、埋め合わせはしてほしいね」 「どうすれば?」 「そこは優秀な頭脳で推察し、叶えてくれるところじゃないか? リディ?」 そうしてヴェクタスは、リデアンの口から、 「……ヴィ」 という一言を引き出したのだった。