Two of us 4

     【Reboot to once】

 暮れから夜へと移りゆくこの時間が好きだった。  風の温度と湿度、含まれる匂い、乗って聞こえる葉ずれの音や、ヴェクタスが連れてきた鳥や獣の声。  空の色の代わりに、そういったものの些細な変化がよく分かるようになった。  バルコニーに出て、あたたかいお茶を飲みながら、それらを浴びて過ごす。  館の主は三日前から大きな仕事に出ており不在で、リデアン・トライオスは一人だった。  静かで穏やかな、そして少しだけ隣が寂しい、だから帰って来るのが待ち遠しい、なんということもない日常だった。

 そんな、何事もなく暮れゆくはずの夕べを壊したのは、彼の意識に突き刺さった鋭い緊急信号だった。

 “異常検知”。”ヴェクタス・アヴローン"。 (ヴェクタス……!?)  邸のメインCPUに遠隔接続する。発見した異常値は、ヴェクタス・アヴローンの血圧。それが急な低下を示していた。  リデアンは自分の脳デバイスを館のメインCPUに無線接続する。  同時に電子の網が動き出す。  脳内に情報が流れ込む。  その中から最新の銀河中継を発見、取り出した。  銀河の首脳会談とも言える議事を執り行っているその場所が、テロリストに占拠されたという緊急速報だった。

 参加者名簿を調べるまでもない。ヴェクタスはそこへ行った。そこにいる。  リデアンは一瞬だけ迷った。  今の自分はもう、かつて軍神とまで呼ばれた戦いの化身ではない。肉体を損ない、体力も筋力も失い、長い間 武器も手にしていない。  だがーーー。  それは今、行かない理由にはならない。

 “スイッチ"が入る。  分析、判断、決断、行動。  すべてが一瞬で決まる。

 リデアンは素早く椅子を回してロッカーに寄り、そこに仕舞われている戦闘用義肢を取り出し装着した。  右腕、右脚。  眼も取り替えて神経接続、視覚を得る。  モニターされた室内の、ドアというよりは棚を目指す。  開けると同時に現れるのは、かつての"軍神"のトロフィーだ。リデアンが使ってきた様々な武器が、戦いの記憶が、整然と並んでいる。

 会場のマップを銀河のデータベースから取得。  中継が行われているあらゆるカメラの情報を取得。  混雑する通信ブイの優先度を書き換え割り込むが、会場となっているホーキングエータは遠すぎる。複数のマスリレイを経由するほどの遠距離からでは、高度なセキュリティに干渉することはできない。  よって詳細な状況は不明。  武器を選ぶ。  サイレンサー付きパラディン、予備のサーマルクリップ、アダマント合金のナイフ、EMPマイン、そして、DSRユニット。  携行ドローンは索敵、潜入に特化。  格闘戦に備えオムニブレードを一本。 (ヴェクタス。すぐに行きます。どうか無事で)  もし無事でなかったらーーー自分が何をしでかすか分からない、と微かに背筋をよぎる戦慄を後に残して、リデアンは地下へ向かった。

 エレベーターなど待ってはいられないので、整備用の階段を、手すりを足場にして5歩で駆け下りた。  銀灰の無機的な空間に眠るのは、戦闘艦"ヴィシャカーナIII”。ヴェクタス・アヴローンが自身の移送船に格納していた3機の中の1翼だ。  接続する。  ハッチが開く。  炉に火が入り、明かりが灯る。  目覚める。  “鍛冶神ヴィシャクの火”、そう名付けられた鋼の翼が、“意識"を得て目覚める。  今やその目は彼の目であり、機体は彼そのものだった。


 銀河に名だたる名士たちだけでなく、シタデル評議員が四人すべて含まれるほどの要人揃いの会場に、何故テロリストの侵入など許したのか。その時点からシェパードはキレそうだった。だが言っても仕方ない。  こういう"どうにもならない"場に、なんとかしてくれと呼ばれるのが自分だと、シェパードはもう諦めている。頼られていると言えば聞こえはいいが、要は厄介ごとの担当、尻拭い役だ。  事件発生から3時間後、現地に到着したシェパードは、最初こそ憤っていたが、渡された資料を閲覧して無言になった。  スペクター権限を発動し、独断で協力者を選び、連絡する。 「どう思う、タリ、EDI」  通信で尋ねると、 『こんなの……ありえないわ。このセキュリティが破られるなんて、信じられない』  テック技術者、エンジニアとしては一流といえるタリが絶句し、 『現時点で考えうるかぎり、完璧な防備です』  と生きたAI、EDIが言った。  水も漏らさぬ、蟻一匹も通さないという形容がそのまま当てはまる、と思った自分の見立ては間違いではなかったと、シェパードは小さく唸った。

『シェパード。敵はリーパーの技術を取得しているようです』  EDIが言う。彼女がテロリストの情報を検索した結果、Heralds of the Echoというカルト教団がヒットした。リーパーを神と崇め、残骸や残存データを聖体として祀る集団だ。 『彼等はただのカルト信者ですが、そのスポンサーとなっていた資本家が、数ヶ月前に死亡しています。状況から推察するかぎり、カルトを隠れ蓑にリーパーの資産を集め、私物化していたことが露見しての粛清でしょう。その結果、彼の持っていた情報や技術、兵器がカルトの手に渡りました』 『最悪』  タリの言うとおりだ。そして、リーパーの技能を使われたのであっては、銀河最高のセキュリティが破られるのも無理はないと言えた。

 最高のセキュリティ。しかし敵の手に渡ったときそれは、最悪の壁になった。  監視や防衛用のドローンも、警備システムも、すべてが敵のものになったのだ。シェパードの到着前のことだが、裏口からの突破作戦は簡単に露見し、代償は、参加者の首2つだった。  ハッキングを仕掛けたが、発見され防がれて、警備員が2人と参加者が1人殺された。彼等の姓名の頭文字をあわせると、アサリ語で「無駄だ」という意味になることに誰かが気付いた。  以降、こちらはなんの手も打てていない。シェパードが来てもそれは変わりない。

「中にはアンダーソンもいるし、ケイダンもいる。外に投げ出されていない以上、二人とも無事だとは思うが」 『えっ、ケイダンが?』 「会場警備には各種族の軍から精鋭が招集されてるんだ。連合軍の責任者は我等がアレンコ中佐だ」  最大限に信頼のできる、元はベテラン中のベテラン軍人であるデイヴィッド・アンダーソン。そして親友でもあり万能のセンチネルであるケイダン・アレンコ。この二人がいれば、最善手は打っている。しかしそれはこの場合、迂闊にテロリストを刺激して死傷者を増やさないよう、落ち着いて、慎重にチャンスをうかがうことだろう。  どんなに優秀な軍人でも、自分たちが守るべき要人たちを人質に取られてしまっては何もできない。ましてや会議中であれば、SPも警備も全員、議場の外にいる。唯一アンダーソンは中にいるが、会議の参加者としては当然丸腰であり、たった一人でテロリストに立ち向かえるはずもない。

 時間だけが過ぎていく。シェパードは今、EDIの到着を待っている。タリはクォリアンの提督としてラノックにいるため、助言は得られてもさすがに出動は無理なのだ。  EDIは、電子戦の手札としてこちらが出せる中では最強のカードだ。彼女であれば、敵の防備の一部を崩せる可能性がある。それについてEDIは、 『楽観は禁物です。気付かれないことを最優先とするかぎり、破ることはできない可能性のほうが優位です。私はAIだからこそ、リーパーに立ち向かう無謀が分かります。ゲスが彼等を神とした理由も、私には実感として分かります。たとえその一部を利用しているだけに過ぎないとしても、“任せてください"とは言えません』  と言った。だがそれでも、今この銀河で頼れる力があるとすれば、彼女しかいなかった。

 EDIが来るまでは、時間を稼ぐしかない。  銀河にあるあらゆるリーパーの残骸、技術、情報を彼等に渡すなど、決して飲める要求ではないが、「条件次第では一部を譲ってもいい」として、そのラインを定めるやりとり、その交渉でどうにか間をもたせている。  幸い敵の手強さはあくまでもリーパーの持つ電子的な技術であって、頭脳や心理の点ではこちらの担当官とそれほどの違いはないようだ。

 時間が過ぎてゆく。シェパードの位置から会場となっているセレモニーホールは遠すぎて、何が起こっているかはスコープで見えるものしか分からない。  だが無線から、中でなにかあったらしいことと、緊迫したやりとりが聞こえてくる。 「どうした。なにがあった」 『中にいる一部の警護が、強硬手段に出たようです。ーーーまた、今度は5人分、……ドローンが、持ってきました。アサリの貿易商、テルサ・モーシマーと、そのSPたちのようです』 「くそっ」  失敗した挙げ句、おまえたちの主は誰だとなって、雇い主まで殺されたのだろう。状況からして、テルサ・モーシマーが通信して命令することは不可能なのだから、同じ場所に押し込められていたSPたちが、見張りだけは倒すなりして外に出たが、といったところか。 「EDI。あとどれくらい」  かかる、と言う直前だった。

 会場となった豪邸の明かりが破裂音とともに一斉に消えた。 「なっ、なんだ!?」  また誰かが何かしたのか。そのせいでテロリストどもが暴挙に出たのか。ホールの窓はすべて黒く暗転している。  それだけではない。敵の防衛ラインとなった元セキュリティードローンたちが、突然発火し燃え上がり、出来損ないの花火のように次々と落下しはじめた。  電磁フェンスが燃え上がる。そこかしこに立てられた照明が、ホールに近いものから次々と破裂し消えていく。警備用の詰め所からは爆発音がする。

 見えない津波だった。破壊の波が中心地から外縁へと走ってくる。 『シェパード!! ものすごい一斉オーバーロードが発生してる。ダ、ダメ、こっちに来るっ! シェパード! 端末とか外せるものは外して! いったん切るわ!!』  そして、シェパードたちの目の前でもモニター、コンソール、データパッド、無線機、各々が身につけているヘルメットや携帯端末、電子装備、ありとあらゆるものがショートしスパークした。

 炸裂音が止まったときには、くすぶる地上を月と星が照らしていた。  微かな星の光が分かるほど、あたりには何一つ明かりが存在しなかった。  一瞬の、疑問と驚愕に支配された沈黙。その後、どよめくような混乱の音が沸き起こる。しかし、今ここに招集されているのは誰も彼もがスペシャリストだ。焦燥と混乱、闇と静けさの中でも、即座に状況を確認し、周囲との連携を取り戻していく。無線がすべて破壊されているため声を張り上げるしかなく、あたりはにわかに騒々しくなった。 「シェパード! どうしますか。敵の防衛も完全に沈黙したようですが、あくまでも目視です。突入していいものかどうか」  やがてそう呼びかけられた。  極めて高度に防御されているシェパードの、スペクター専用端末だけはどうにか無事だった。それを通じてEDIに状況を確認させたところ、 『周辺1マイル以内の電子機器が、ほぼすべて停止しています。外部から干渉できるものの中に再起動可能なものはありません。おそらく、敵の装備も完全に無効化されていると思われます』  という答えが返って来た。 「突入しろ。武器が大半使えない以上、バイオテック部隊に前衛を任せるんだ」 「はっ!!」

 きびきびとした動作で駆け戻っていく士官が、大声で指示を出し部下を動かす。  その頭上でぱっと一つライトが灯った。照明の足元にいた技師が修理を終えたのだ。あちこちで同じように、一つ、一つと明かりが増えていく。 「何が起こったか分かるか? タリはオーバーロードと言っていたが」  ハッキングやクラッキング、あるいは直接的な電磁力で電子機器に干渉し、破壊する、自壊させるテック技術だ。熟練者であれば広範囲に放つこともできるが、だとしてもそれは目の前に固まっている敵数人である。  だが今の状況は、強力なEMP爆弾が炸裂したような有り様だ。しかも沈黙させるのではなく、破壊している。

 妙なのは、これだけことごとく、すべてのと言っていい電子機器が破壊されているのに、一部無事なものがあることだ。機器類は大半は中枢だけがピンポイントで破損したのみで、部品の取り替えで機能するようになったものもある。明かりが戻っているのもそのためだ。  更に、三台の救護車両は破壊ではなくあくまでも停止で、電源を再起動すればすぐに機能が戻った。  それに、兵士や警備員であれば、体の一部を損傷して電子制御の義肢を用いていたり、人工臓器になっている者もいる。そういった誰かが運搬されてくる様子もない。  状況が明らかになるにつれ、一見でたらめに見えた破壊の波は、 「取捨選択してる、ってわけか」 『はい。敵性度合いの高いもの、武器、兵器となりうるもの、通信機器は破壊を選択していますが、人工臓器や救命装置などは回避されています』

『ねえ、シェパード。だとしたら、ただ壊すだけよりずっと困難なことをしてるわよ』  通信に戻ってきたタリが言う。 「ああ。EDI、タリ。君たちならできるか?」 『私は無理。この速度と範囲じゃ、とても選んでいられない。だって、そうね、シェパード、100人の敵と味方が殺到してくるのをガトリングで迎撃しろっていうとき、敵だけ選んで撃てる?』 「いや、無理だ。なるほどな。そういうことか」  ピストルで一人ずつなら、こいつは敵こっちは味方だと選んで撃てるが、広範囲に撒き散らすような武器を使って一気に制圧しようというときに、取捨選択などできるわけがない。まとめて撃ち殺すことになる。広範囲の一斉オーバーロードも同じだ。そんな芸当はタリにもできないし、EDIですら、 『不可能ではありませんが、選別のミスや遅れは生じます。これほどの確度での実行ということであれば、私には不可能です』  と答えた。

 やがて、極めて原始的な打音サインによる伝達で、会場の状況が知らされた。  テロリストたちは全員行動不能。過半は死亡しているが、首謀者、あるいは幹部と思われるものは確保された。要人たちはそれぞれの警護やSP、会場警備の部隊によって既に安全に救出され、負傷者も搬送されている。  中で何があったのかは、不明。  そのあたりまで通信したところで、新着した装備の一部をドローンによって運ばせて、やっと無線通信が戻った。

『内部でも、起こったことは同じようです』  突然明かりや端末、時計や通信装置、プロジェクター、モニターといったあらゆるものが発火、あるいは暴走した。それは敵の装備も同様で、高度な電子装備を身に着けていた彼等は、火だるまになった者もいれば、悶絶して倒れそれきり動かなくなった者もいる。  SPや警備員にも意味は分からなかったが、チャンスであることだけは誰もがすぐに理解し、一斉に動いた。彼等はいざとなれば己を盾にしてでも主を守る戦士だ。銃撃はもちろん、格闘戦にも優れている。電子装備の優位性に頼っていた敵を蹴散らすのは容易……というより、全員その装備のせいで自滅してしまったのだから、阻むものはなにもない。各々の主の安否を確かめに走った。

 会場には、要人たちを安全圏に連れ出すためのシャトルが集まり始めている。周辺に停めてあったシャトルやスカイカーはことごとく電子機器が破損し動かなくなったため、別途要請されたものたちだ。  舞い降り、やがて飛び立っていく。  救護車両も用意はしたし稼働しているが、負傷者はおそらく全員、ここではなくそれぞれが最も安全で安心だと思われる場所へと移送されるだろう。  怪我をした者も災難だが、命を奪われた者も多い。シェパードが把握しているかぎり、抵抗や見せしめによって殺された数は16人。10人はSPや会場警護で、6人は会議の参加者だ。  だがそんな要人たちの中でたった一人、随伴者一人だけを連れてシェパードのもとへと軍用のバギーで現れた者がいた。ディヴィッド・アンダーソンである。

「ケイダン。アンダーソン。二人とも、無事で良かった」  運転してきたケイダン・アレンコは、ひらりと飛び降りると油断なく周囲に目を走らせる。素手だが、彼は優れたバイオテックであり、同時にテック技能にも習熟したセンチネルだ。こういう状況下にあっては、殊の外頼もしい。 「喜べませんよ。守れなかった」  生真面目なケイダンは苦渋の表情になる。だがその肩をアンダーソンは気軽に叩き、 「誰がいても同じだった。相手が悪すぎたんだ」  と言った。

 シェパードはアンダーソンに尋ねた。 「中でいったいなにがあったんですか」  内部にいた、しかも彼ほど熟練の元軍人であれば、なにか分かることがあるのではないかと思ったからだ。それに、アンダーソンがわざわざ自分のもとに現れたのか、なにか話したいことがあるからではないだろうか。 「それだがな、シェパード。……どう言っていいか……」  アンダーソンは少し考え、口ごもる。すると、 『アンダーソン評議員。お久しぶりです』  とEDIの声が外部音声として零れた。 「おい、EDI! 俺の端末を勝手に」 『仕方ないでしょ。今そこで動いてるの、シェパードの端末だけなんだから。EDI。私の声も出して』  タリの声はイヤホンから届いたが、EDIが「はい」と答えると、同じく、 『ご無事でなによりです』  と嬉しそうな弾んだ声がした。

 ささやかだが、かつてノルマンディに集まった仲間たちの一部が揃った。 「評議員になって嬉しいことの一つは、シタデルの部屋にいても、君たちの活躍が知れることだな」  決して世辞でも社交辞令でもなく、アンダーソンの顔はほころび、声はあたたかい。だが彼はその笑顔のまま、少しだけ眉を寄せ、再び沈黙する。そしてやはりまたEDIが、その沈黙の中へそっと言葉を乗せた。 『リーパー技術によって生まれた電子制御を、容易く上回って破壊し、しかも精密に破壊と残存を選別するほどのことができる存在を、私はたった一人しか思いつきません。アンダーソン評議員。もしかして、“彼"がいたのではありませんか』  生粋のAIであるEDIに、かつて、「私にもあれほどの制御は不可能です」と言わしめた存在。  シェパードたちは一斉にアンダーソンを見た。

 やがて彼は、シェパードとケイダンをそれぞれゆっくりと一瞥し、頷いた。 『ウソ……』  タリが息を飲み、その声が震える。 「し、しかし、彼は死んだと」 「いや、ケイダン。確認はされてないんだ。そうですよね、アンダーソン」 「ああ。私には、友人だったからな。地球から戻って顛末を聞いたとき、すぐに探させた。だがそのときには既に、生死も、消息も不明になっていた」  彼ーーーリデアン・トライオス。  リーパーの存在が明らかになるより10年前にその一部を埋め込まれ、その力を、技能を、己のものとした稀なる存在だ。  だが彼は、クルーシブルへと向けられたリーパーの主砲を遮るため、自身の乗る戦闘艦を盾として使った。そして、死亡した。少なくとも世間は皆そう思っていた。

 アンダーソンは、シェパードとケイダンを少し離れた林の中へと誘い、湿った草の上に腰を下ろした。 「実は私は、たまたまだが少し前にある場所で出くわしてな。生きていることは知っていた。だがまさか、あの場に現れるとは思っていなかった」  だがアンダーソンは気付いた。気付かされた。豆粒ほどの小石だが、どこからか飛んできたそれが腕に当たり、柱の影に潜む長身のトゥーリアンがいることを知った。  彼は内部に侵入を果たしていた。テロリストたちの幾重にも張り巡らされた電子の目をすべて掻い潜り、ひそかにこじ開けて、入り込んでいたのだ。  そして、孤立している者から一人ひとり確実に、気付かれずに敵を減らしていき、ある程度減らしたところで、 「敵の電子機器を一斉に無効化する。それに合わせて動けと。私はそう了解した」  頷き合うだけだが、間違いはなかったはずだ。

 だがそこで想定外のことが起こった。  それまで存在すら誰にも気付かれていなかった彼は、いきなりその秘匿のヴェールをかなぐり捨てた。  目つきが気に入らないと、ただそれだけでテロリストの一人が、ある男を撃ったせいで。

 その瞬間だった。  ありとあらゆる電子機器が絶叫した。  個人が持っていた携帯端末から時計、記者のレコーダー、監視カメラ、誰かが仕込んだ盗聴器、人工臓器、すべてだ。  幸いそれは一瞬のことで、端末や時計程度の破損ではすぐに捨てれば軽い火傷程度で済んだし、人命に関わる臓器は一瞬は狂ったものの即座に元に戻った。  だがテロリストたちの装備や人造パーツは主に牙を剥き、全員が完全に行動不能になるまでその顎を緩めなかった。  シェパードたちのもとまで届いたのは、その余波である。

 アンダーソンが動くまでもない。無効化どころではない。自身の持ち物が、装備が、牙を剥いて襲いかかったのだ。そして全滅。ほんの十秒足らずの間のできごとだった。 『つまり……誰かを撃たれて、キレちゃったってこと? あの人が??』  タリの不思議は、シェパードにとっても同じだ。いつも淡々としていた。優しい様子を見せることはなくとも、優しい人だとはやがて皆が知った。感情がないわけではない。だが、感情に任せて動くことがあるとは到底思えない相手である。  アンダーソンは少しだけ考え、やがて言葉を探しながら選ぶように、慎重に口にする。  テロリストが撃ったのは、銀河有数の大富豪であるヴェクタス・アヴローン。リデアン・トライオスにとっては長年の支援者であり、ノルマンディにリデアンの"部屋"をねじ込んだのも、かの富豪の力だ。そして彼は、“無名の篤志家"としてノルマンディへの資金援助もしていた。 「リデアンにとっては特別な……、特に大事な友人でもあるんだ」  そして彼こそが、半ば死亡していたリデアンを引き取り、莫大な金にものを言わせて蘇生にも等しい回復を叶えた男だった。

「恩人でもあるってわけですね」 「ああ。私もリデアンの友人の一人だが、私が撃たれたくらいでは、怒ってはくれてもああはならないな」  アンダーソンが苦笑する。 「怒らせただけで私なら肝が冷えますけどね」  ケイダンが言う。  そして皆が理解した。アンダーソンがわざわざやってきたのは、このことについて話すためだった、と。

 もちろんそれは、ただ懐かしい話をするためではない。なにより大事なのは、この大破壊の主が誰であるか、知られないことなのだ。  会場の中でリデアンの潜入に気付いた者はいない。これほどのことができる何者かについて、心当たりがある者もいないだろう。  しかし、何もかもが不明である以上、徹底して調査される。 「彼はもう、英雄扱いも、戦いばかりの人生も、嫌なんだよ。回復はしたが、酷い怪我もしている。いやまあ、それでも戦うとなればこれなんだが、だとしてもというか、だからこそな。世間が死んだと思っているならそのままにして、静かに生きたいと願っているし、私もそれを叶えてやりたい」  アンダーソンに言われ、シェパードとケイダンが頷く。きっとタリとEDIも同様だろう。

「分かりました。それなら……中でなにがあったかは不明でも、アンダーソン、敵の装備が暴走したように見えた、ということにしてください」 「それなら私もその路線でいきましょう。実際、最初はそう思ったくらいですから」 「ああ。手に負えない技術を我が物顔で使って、使いこなせず暴走した。そういう筋書きに、するんじゃなく、あくまでもその可能性を匂わせるんだ。EDI。リア……“例の人"につなぎをつけて、情報の監視と、必要であれば操作を依頼してくれ」 『かしこまりました』  “シャドウブローカー"であれば、ともするともっと多くの情報を握り、実は既に知っているのかもしれないが、だとしても念の為だ。  そしてシェパードは、スペクター権限でいくらかの無理を通せる。テロリストたちの取り調べ、供述を閲覧することができるなら、その中に不都合がないかを知ることもできるだろう。

『ねえ。それで……リデアンは? いないんですか?』  考えるシェパードの耳を、思い詰めたようなタリの声が打つ。  アンダーソンは頷いた。 「人が雪崩込んでくることが明らかである以上、また姿を消しただろう。少なくとも私は見ていない」 『そうですか……』 「タリ。残念だが、仕方ない。俺たちが知ることで、他言はしなくてもなにかしらが漏れることもある。会ったりしたら尚更だ。生きていてくれたってだけで、いいじゃないか」 「ええ。それならもしかするといつか、私たちもたまたまどこかで会えるかもしれませんしね」 『そう……、うん、そうね。それにもしかしたらいつか、生き返ってくれるかもしれないし』 「ああ」


 感情に任せて破壊を振りまいたため、頭が痛い、目の奥も痛い、体中痛い。それを自分の体内で、蠢く別の自分が少しずつ修復しているのが分かるが、気色のいいものではない。  それに、自分自身の抱えた欠損が生み出す不調が、じわじわと押し寄せてくる。 「もう少しです。しっかりしてください」  ドレンの声がするが、遮蔽でも挟んでいるかのように籠もって聞こえる。彼が運転するバイクの後ろに乗っているはずなのに、エンジン音も震動も微かだし、風もほとんど感じない。  だが幸い、ほとんど無意識にでもヴェクタスのもとへ行こうとしてしまう体もろくに動かない。

 大破壊の後、リデアンはヴェクタスのもとへ行こうとし、しかし眼下でおそるおそる動きはじめる者たちを見て思いとどまった。  考えたと言うより、あらゆる状況を総合し、行ってはいけないと判断したのだ。  そして誰かに見咎められる前に、その場から体を引き剥がすようにして窓から抜け出した。  館の裏手、侵入に使ったルートを引き返したところで、ドレンからの無線が届いた。彼も破壊範囲にいたはずだが、即座に装備を修理し再起動したのだろう。リデアンの位置を特定し、そこに向かうと言った。だから到着まで身を隠しているようにと言いつけられた。

 頭の中も体の中も滅茶苦茶で、普段ならアクセスできる情報に届かない。ドレンが教えてくれる言葉でしか、ヴェクタスの様子も無事も分からない。  彼はマーカーを利用して、クリフとツァレクがヴェクタスの傍についていることなど、逐一状況を知らせてきた。  無事だと。元衛生兵というSPの一人が適切な応急手当をしている。  今はシャトル待ちだ。解放されたときのために用意したシャトルは破壊圏内に停めてあったが、それをリデアンは破壊していない。だが代わりにドレンがオーバーロードし機能停止させた。他のシャトルすべてが破壊されている中で、ヴェクタスのものだけが無事であってはおかしいからだ。すべて壊すべきであったのに、リデアンは馴染んだものだけは除外してしまったのだ。だがその代わり、他の要人たち同様に、別のシャトルを手配し向かわせてある。  今着いた。運び込まれたようだ。移動が始まった。ドレンが言う。 『生体モニターを確認してください。バイタルは低下しているものの、既に安定しております。心配はない』  言われても、できないのだ。どこを見ればいいのか、混乱と消耗とで自分の頭の中さえ分からない。リデアンは自分の目でヴェクタスの無事を確かめたくてならず、しかしもう動けなかった。

 迎えに来たドレンに助け起こされ、救助用のベルトで彼の背に固定される。180cmあるかどうかというドレンにとって、220cmを越えるリデアンは、いくら痩せていたとしても持て余す荷物である。それでも意識のあるうちにホバーバイクのタンデムに跨った。  障害物が多く傾斜の重なる林の中を、ドレンはリデアンの体格まで考慮して、巧みにすり抜け飛んでゆく。発見されたくないからには、ライトはつけていないはずだ。その代わり、ゴーグルに情報表示しているのだろう。  そして充分に離れると、樹木より上に飛び上がった。リデアンは、朧になった感覚でも分かる浮遊感と、増した風圧でそれを知る。  たとえ出力は高いとしても、機体の小さいホバーバイクをこの高度で安定して飛ばせるのは達人の領域だ。しかもこんな大荷物を乗せてとなると、神業と言っていい。 「さすが、ですね、ドレン」 「ええ。見事なもんでしょう。その私が、アヴローンさんは大丈夫だと言っておるんです。だから安心してください」  そう言われ、リデアンは頷いた。

(大丈夫だ。きっと……いや、絶対……、っ……)  絶対などないと、リデアンの理性と論理が否定する。  精密な頭脳は楽観を許可しない。  万一、もしかしたらと、嫌な想像が湧いてくる。そして理性は、可能性はゼロではない、絶対などないと突きつけてくる。 「い、いけませんっ。いくら私でも、貴方に動かれたら落ちますよ」 「でも……」 「大丈夫。大丈夫です。今もう病院に着きました。事態に備えて医師は充分な数 待機しておるでしょう。それとも貴方、私ごと落ちたいんですか」  ふらついたバイクを立て直したものの、ドレンの声には焦りが混じっていた。  私ごと落ちたいのかと言われ、巻き込むわけにはいかないと、ようやく正しい形で理性が勝った。 「そう。それでいいんです。貴方だってぼろぼろだ。ヴィシャカーナが動いたと知ったときに、貴方が来ることは分かりましたが、まさか1日で到着するとは。その時点で相当な無茶をされたはずです。そのうえ、潜入まではともかく……。いやまあ、ともかく我々は、なんとかティラシヤに戻らなきゃなりません」  ドレンに言われ、細く小さいが頼もしい背にもたれ、リデアンは再び頷いた。

 胸の中に渦巻く恐れは去らない。  体中、断裂し続けているような酷い痛みに覆われているが、そんなものなどどうでもいい。  ヴェクタスは無事なのか。そう思うとき沸き起こる悪寒に比べれば、どうとでも堪えられるし無視できる。 (ヴェクタス……。愛するということは、失うということ。それを恐れるということなんですね。貴方が時に私を壊れ物のように扱う理由が、少しだけ分かりました。貴方がいなくなるのは……絶対に、嫌だ……)  それを伝えたい。今までいろんなことを聞いてくれたように、話してきたように、今の自分のこの思いも聞いてほしい。

 だから今は、そのためにも。  ―管制アクセス。  ―離陸スロット照会。  ―便名生成。認証ID偽装。  ―出港理由:「特別医療搬送・申請済み」。  ―承認ログ記録。交信エコー挿入。  ―周辺機へ通知。“認可済みフライト、緊急対応ルート使用”。 「ドレン。ここから一番近い、ティラシヤを降ろせる場所は、どこですか?」 「は? えっ!? いやまさか、あ、あれを遠隔……ッ!? え、ええと、この南東110km地点に窪地がありますな。着陸するにはぎりぎりでしょうが、……無茶はせんでくださいと言いたいが、今は貴方のその力に頼るほうが良さそうだ」  人前に出るわけにはいかない自分が、人知れずティラシヤへ、専用の処置ができる設備を備えた唯一の船に戻るには、これしかないのだ。

 頭が割れそうに痛いが、まだ大丈夫だとリデアンはセルフチェックする。 (あと少し……中に入るまでは、歩かないと……ドレンでは、私を運べないし……)  そんな出来事も、無事であれば話すことができる。 (だから、どうか、無事でいてください……。私もちゃんと、“いい子"に、してますから) 「目的地が見えましたぞ。大丈夫ですか?」  問題ない。ティラシヤはドックを離れ大気圏に出た。あと5分もあれば到着する。  そう伝えたはずだが、リデアンはそこで半ば意識を失った。ただ、最後にプログラムはした。ティラシヤは問題なく着陸する。ただ、自分の体はどうやらもう動かせそうにない。ドレンには苦労をさせることになるが、すみませんと言うことはできなかった。