銀蛇と軍神 3

     【NOVA LUX】

 惑星クルシオ・ノヴ。  その星の冬の夜は漆黒で、星あかりの一つとしてない。重く低く垂れ込めた雲は地を圧するほど厚く、降りやまない雪は磁気を帯び、時に紫電を走らせる。  そんな闇をあえて人工の明かりで破壊して、金色に輝いているのが《栄耀の門》だ。  名に相応しく、電飾に飾られた巨大な門がそそり立つ。門を通ることが許されるのは銀河で一握りの権力者たちであり、その先に広がる庭園は彼等だけの秘密の花園である。  硬質ガラスとセブメタル金で巧みに構築されたドームの中には、滴る緑が茂り清い水が流れている。土は他星から運ばれたもので、雪に混じる磁気は徹底して除去され、小川となって流れる。風雪吹き荒ぶ外界とは裏腹に、中はあたたかく快適だった。

 そこに今新しく、開会からはだいぶ遅れたエアカーが到着した。  黒の車体、銀のフレーム。ドアには赤地に銀蛇の紋章。  誰かが気付いて囁くと、それは瞬く間に広がった。 「アヴローンが来たぞ」 「本当に来たのか」 「たしかに、無視のできない"会合"ではあるかと思いますが」  4年間、その男は表舞台からすっかり遠ざかっていた。  集金機構として完成されている彼の事業は下々によってつつがなく運用されていたが、本人は彼の”領土”であるセリオ圏からまったくと言っていいほど出てこなかったのだ。  例外は、シタデル評議会からの招聘である。しかし半年ほど前の議事会はテロリストの襲撃に合い、彼自身が重傷を負っている。それ以降、また姿を見せなくなっていた。 「“王"の悪運も、ついに尽きたな」  気の毒に思うより薄く笑って、そんな言葉がかわされたものだ。

 その"セリオの王"がこのパーティに出席の返事を寄越したのだ。  それだけでも話題になる。  衰えたのか、日和ったのか、60にはまだ少し間があるはずだがそれでも心が老いたのか。それとも沈黙は雌伏であり、その舌鋒と慧眼、無謀とさえ言える大胆さは健在なのか。  誰もが知りたかった。

 それだけではない。  彼はつい2ヶ月ほど前に、正式な婚姻届を銀河連邦に提出し受理された。  結婚したのだ。  若い頃は"銀面の貴公子"と呼ばれ囃され、あるいはからかわれた美男だが、彼はこれまで一度として婚姻関係を結んだことはないし、付き合う誰かを特別扱いしたこともない。  そんな男がついに身を固めた。  その伴侶が誰であるのか、まったく知られていなければ、それはそれで好奇心の格好の的だったろう。だが公的に届け出のされた婚姻であれば、当然相手の名や素性は明かされている。  その名を知ったときは誰もが、 (嘘だろう) (ありえない) (まさか)  と絶句した。  “セリオの王”、ヴェクタス・アヴローンの隣に並んだ名は、リデアン・トライオス。  トゥーリアン軍では英雄として知られ、そして先の大戦では人とは思えないほどの強さに"軍神"という呼び名が広まった。そして、その戦いで死んだはずの男の名だった。

 今時、相手の種族や性別にとやかく言う者は稀だ。  だがこれは話が違う。  ヴェクタス・アヴローンは、稀代の戦略家にして最強を謳われる軍神を己の武器として確保したということか?  だがそれならば伴侶とする必要はない。護衛でも軍事顧問でも、相応しい肩書きはいくらでもある。  それに、婚姻を承諾した軍神はいったい何を考えたのか。  役者もモデルも形無しだという端正な美貌の持ち主だということは知られている。が、ゴシップ好きの野良犬がどれだけ嗅ぎ回ろうと、浮いた話は一つも出なかった。  そのせいで、戦うことにしか興味のない戦闘狂なのではないかと言われたことさえあるほどだ。  それが、結婚したというだけならばともかく、何故その相手がヴェクタス・アヴローンなのか。

 意味が分からない。  理解ができない。  だからこそ彼等は、遅れて現れる今夜の主役の到着を、今か今かと心待ちにしていたのである。  こういった、同伴者必須のパーティーには、伴侶がいればそれを伴うのが常識だ。しかしそれは絶対のルールではなく、諸事情あってコンパニオンを雇うこともある。  ヴェクタス・アヴローンは今夜、誰を連れて来たのか。手頃なコンパニオンか、それとも、件の軍神か。

 ふわりと静かに停車したエアカーから、まずパイロットが降りた。  サラリアンだが、以前に雇っていた若いパイロットとは違う。壮年の男だ。身のこなしは軽やかでも落ち着きがあり、丁重にドアを開けるが過度にへりくだった様子はない。  軽く頭を下げたパイロットの前へと、ヴェクタス・アヴローンが姿を現す。立ち上がると、脇にいるサラリアンよりも頭一つほど高い堂々たる体躯は健在で、老いや衰退とは、少なくとも外見上は無縁であることが知れた。  王にして道化、道化にして王と囃される男は、かつてと変わらず、質実を好むトゥーリアンらしくはない装飾されたスーツを身に着けていた。とはいえ昔よりは少し地味な趣味になったようだ。  そしていよいよ、その王が差し伸べる手を取って、もう一人の参加者が光の中へとーーー。

 ロング丈の黒いコートを身に着け、同色のフードをかぶっているため顔は見えないが、誰もが真っ先に知ったのは、その人物の長身だった。  平均的なトゥーリアンよりも頭半分は背が高いヴェクタス・アヴローンよりも、なお高いのだ。しかしコートの上からでも分かるほどほっそりとした体つきをしている。だとしても、これほどの長身となると男だ。間違いない。  そして、フードを後ろへとはずし、一歩前に立ったヴェクタス・アヴローンの肩に手を掛けるのは、こんな若造ではなかったはずだがと思ったところでやはり間違いなく、リデアン・トライオスその人だった。

 言葉もなかった。  彼の肩には鮮やかなマゼンタ色をした鳥が一羽とまっているが、近くに寄ればそれが人造の鳥だと知れた。  どうやらその鳥が、主の目を補っているらしい。光のない作り物の目はただ前を見て動かず、代わりに鮮やかなエメラルドをした鳥の目が動いている。  アシンメトリーなコートの裾や縁には銀の綾糸で幅のある縫い取りがされ、肩口には記章めいた模様。軍服様であるが、裾丈は脚をほぼ隠すほど長く、左側に大きくスリットの入ったそれは女性用の夜会服にも見える。それでいて女性的に見えないのは、微塵の柔らかさもないからか。  右肩から背中に流れるケープはやや光沢のあるオフホワイトで、繊細な金の模様が入っており、黒い衣装に明るい華を添えていた。  左の耳殻には、鳥の目と同じ緑色の石がはめ込まれた金属片が二つ。それと同じものをヴェクタスは右の頬殻に一つつけている。  ヴェクタスの肩に置かれた手は白銀。精巧だが人造の手だ。そのうえ、右脚も失っているというのは、本当らしい。コートの裾とブーツで隠されて見えないが、歩みはゆっくりと、ヴェクタスの肩を支えにし、右足を置くときに少しだけ慎重になる。

 一言もなく誰もがただ見ていた。  軍神? 英雄? かつては確かにそうだったのだろう。だが今は荒ぶるでも押し付けるでもない、静かで厳かな神秘をまとっており、それに圧される。  その隣にいてはあのヴェクタス・アヴローンが霞む。社交界では稀なる美男、伊達者として知られる男が、まるで添え物だ。  いや、華を抑えたその姿は、彼自らが選んだことを明らかにしている。今夜の主役は、ヴェクタス・アヴローンではないのだと。

 誰もが口火を切れず、近付けなかった。  なんと言って、どんな話題を持ち出せばいいかが分からなかった。  ヴェクタス・アヴローンはそんな一同を一瞥し、軽く肩を竦める。 「しばらく顔を出さないうちに忘れられたかな。それとも、私の妻に見惚れて言葉もないだけか?」  その声でやっと、止まっていた空気が動いた。

 それなりの品位と配慮は保ちながらも、人が群がる。 「彼はその、まさか、本当に……」  あのリデアン・トライオスなのか。同姓同名の別人ではないのか。  見たところ30前後。しかし、かの英雄は一時期は大佐と呼ばれたこともある、壮年の男のはずだ。  そんな疑問をヴェクタスは軽く笑って退ける。 「すっかり痩せてしまったが、若返ってはいない。4年前と変わってはいないよ。若く見えるのは当時からだ」 「まあたしかに、我々は間近で見たことがあったわけではないからな……」

 ヴェクタス・アヴローンいわく、リデアン・トライオスにはもう20年も昔から、なにくれとなく支援していたそうだ。 「きっかけは、ザルの軍港だ。当時はさんざん無駄だと笑われたが、私がそこを持っていたからこそ、知り合えた」  リデアンが求めるのは常に、公益と人命。  ヴェクタスが見返りに求めたのは、英雄譚そのものだった。 「”あの銀蛇がか?” と思っているだろうが、私には美しい物語だ。収集する価値があった。それに、その頃から私は、無意識に彼に夢中だったんだろうな」  だから、クルーシブルの一件の後、矢も盾もたまらず探し出し、救助した。

 後は察してくれ、とヴェクタスは少しおどける。  蘇生にも等しいところから、回復にかかったこの4年。いろいろあった、ということだ。  喋るのはもっぱらヴェクタスではあったが、リデアン・トライオスは否定しなかった。  世間へのお披露目も兼ねて連れてはきたものの、半身を失うほどの負傷は今も様々な負担をもたらしている。ただ立っているだけでも疲れるからと、彼はヴェクタスが用意させた椅子にかけている。  ヴェクタスはその傍に寄り添って、少しも離れない。  リデアン・トライオスもまた、 「感謝と恩義を親愛に変えるほど尽くしてくれたと、そう思っていただければ」  何も見ない目を床の上に留めたまま答え、肩に回されたヴェクタスの手に触れる。  少し離れた場所から見れば、そのまま絵にできそうな二人の姿だった。


「ヴェクタス。招かれざる客です。……来て良かった」 「最近本当に運がないな。君を手に入れたことで使い果たしたと言われたら、頷くしかないのだが」 「排除します」 「丁度いい実戦テストか。ただ、ここにいる全員を守る必要はない。私が渡すリストの、マーキングした人物だけでいい。他は、君の判断に任せるよ。正直に言えば、コンパニオンたちや有象無象はともかく、害悪を守るために君を疲れさせたくはない」 「……なるほど。理解しました」  中には、おぞましいような俗物や外道もいるのだ。ほんの幼い子供まで含めた人身売買、奴隷貿易、戦争に応じた軍需産業ではなく、自分の商売のために戦争を起こす者。ただ儲け、稼ぎ、享楽に費やすだけの欲の亡者たち。  中に一人、侵入者と同じ、特殊な通信回線を使った者がいる。高度なセキュリティに守られた場を崩すのは、いつも内からの支援だ。おおかた彼女にとって邪魔な存在は、この騒動のうちに不慮の死を遂げる予定なのだろう。 「あとは、見せつけてやれ。ここにいる誰もが、君を美しいだけの飾りになったと思っている。それだけでも膝を折るには充分だとしても、君には足りない。足元にまで、ひれ伏させろ」


 肩にとまっていた鳥が飛び立った。  それは、中継機、ハブなのだ。  リデアンの命令を理解しその意図から行動を策定した後、他のドローンたちに伝える司令塔。そして、周囲の電子機器への強制介入を実行する強力なインターセプター。  ヴェルナが、人には聞こえない電子の声で啼く。  その声が響き渡った途端、ドームの主電源が落ちた。  阻むものをなくし信号が飛ぶと、4機のドローンがシャトルの格納スペースから飛び立った。

 ヴェクタスは、見せ付けひれ伏させろと言った。であればドローンではなくあくまでも自分の手で行うべきだとリデアンは決めた。  だからヴェルナとドローンたちには、客や従業員の安全を守ることと、自分の目となり情報を集めることだけを命じた。  最初に一つ。ガードマンから奪……丁寧とはいえない方法で借りた武器で敵を撃つ。  最早己の目を必要としないリデアンは、ただ静かに床を見たままだ。だが一発一発が膝を砕き手を吹き飛ばして武器を奪い、放られた新しい武器を美しい鳥が素早く掴んで主の手元に届ける。  軽く引いて蓄熱排出すれば、今のリデアンにはその音だけでサーマルクリップの残熱吸収量が分かる。  撃つ、封じる、必要なら武器をこちらへ。離れた場所から来る弾は、来ると分かっていれば止められる。機械仕掛けの右手で、あるいは、肩にまとったケープを硬質化させ盾として。  射程よりはやや遠いが、正確に撃つならば問題ない。高所にいる狙撃手もすべて仕留めた。  最後、遮蔽に隠れ出てこない者たちには、実際のところこんなポーズに意味はないのだが、軽く手を掲げ、払う。同時にヴェルナへとオーバーロードを指令。過負荷により発生した発火と小爆発で、一斉に無力化した。

 ヴェルナはリデアンの代理として支配する。会場の警備ドローンだけでなく敵が持ち込んだドローンも、この場にあるすべての電子機器をも。  そしてすべてが終わったとき、静かに佇む軍神の肩には美しいマゼンタの鳥、その背後には、30機を越えるドローンが整然と浮かんでいた。

 完全に意気を砕かれ震える襲撃者を、彼は見もせずに告げる。 「疲れるんだ。つまらないことをさせないでくれ」  たかだか人の群れなど、面倒な屑払いでしかないと言い捨てる、威厳よりも倦怠を漂わせた声。  あれはまさにデウス・エクス・マキナだったと、後日、ルドルフ・カステルが言った。

 弱り果ててなおあれならば、しかも微塵も本気ではなかったのだとしたら、かつて軍神と呼ばれたときはどれほどだったのか。  畏怖というより恐怖が世間に流れた。  そしてどこからか、半年ほど前に行われた銀河評議会の合同議事において、テロリストごと1マイル四方を一分もかけず完全制圧したのも彼だったという話が漏れてきた。  ”ヴェクタス・アヴローンは神の兵器を手に入れた”。  それがもっぱらの噂になった。