05 後

     【アリばばさまと、ヴァレス=ヴェクタス】

 馬鹿げているし、非効率だと思う。  本当に馬鹿げていて、非効率的だ。  もう一度くらい付け加えてもいい。馬鹿げている。非効率である。

 なにがかと言えば、軍本営、第一棟の通行ルールだった。  “一"と付いていることから分かるとおり、ここはトゥーリアン軍の中心、中枢にあたる区画になる。立ち入ることができるのは原則的に佐官以上であり、中尉にすぎないヴァレス・トライオスには関係ない場所のはずだった。  だが言うまでもなく、「原則的に」ということは「多少どころかけっこうな頻度で例外がある」ということである。  ヴァレスもまたその例外に当てはまっていた。  しかも大した理由でもない。ただの配達係である。通りがかりにボックスを一つ押し付けられ、届けてこいと言われたのだ。この程度で出入りできるなら、原則に意味はあるのかと呆れたのが10分前。  そして今は、壁際に立ち壁に背を付け、敬礼の姿勢でかれこれ3分は固まっている。

 将官が通るときには、こうして待機しなければならないらしい。  ルールとして聞いたわけではない。常識として本営勤務の軍人であれば知っていることなのだろう。ヴァレス=ヴェクタスとしては、他の者がすることを真似しただけだ。  敬礼してお偉いさんを見送る。意味のない形式だが、軍隊にはありそうなことである。けじめや規律として一応意味もあるのかもしれない。  が、全員そのままずっと動かない。いつまでこんなことしてるんだと思ったが、誰も動かないのでヴァレスも動かずにいる。 (本気か。馬鹿だろ。それとも阿呆か。無駄だ。無駄すぎる。これだから仕事が進まんのだろうが。こんなことしてる暇があったら働け馬鹿)  頭の中に罵詈雑言を並べつつも顔には出さず、そろそろ腕が疲れてきたが我慢する。筋力だけは無駄にある体が幸いだ。 (いや、馬鹿と言ったら馬鹿に悪い。馬鹿にも馬鹿の道理がある。こいつらにはそれすらない。うまい表現はないかな。アサリあたりが得意そうなんだが。あとヒューマン。サラリアンとクォリアンは駄目だな。本人は面白いんだろうが、笑えない。この手のことでは感性が違いすぎる。まあトゥーリアンとというより、私とだが)  そのあたりでそろそろ、お偉いさんがたの移動ラッシュが終わるかと思ったら、最後の一人が見えなくなったところで、新しい一人が現れた。

(ほんっっっっっと馬鹿以下、いや、未満。以下じゃ馬鹿が含まれる)  下ろしかけた手を保持しなおし、ちらりと一瞬だけ視線を飛ばす。それで少しだけ、うんざりし尽くしていた気分に光がさした。 (アリばば様)  小柄な老准将、アリール・ミケリスだった。  通路の真ん中を、背をピンと伸ばしてきびきびと歩く。80を過ぎているはずで、見かけはむしろもう少し老けているくらいだが、細い体に弱々しさはない。  ただ―――40年の先を知っている"ヴェクタス・アヴローン"は、彼女が来年の放磁季の終わり、病没することを知っていた。

 視線を向けることは無礼であり許されていないが、それでも、“愉怪"なばあさまの姿を見られるのは、あと一年もない。そう思うと、つい目が動いてしまう。  途端に、アリール本人と目が合った。  ヴァレスは慌てて視線を正面、やや上に向ける。  すると、 「あら、こっちに来てたのね、トライオス」  ぴたりと視界の下端に彼女の頭のてっぺんが止まり、声をかけられた。

「はっ」  目は向けない。言葉を、命令を聞くだけだ。  アリール・ミケリスが 「丁度いいわ。直接聞きたいことがあったの。オフィスにいらっしゃい」  そう言うのであれば、再び 「はっ!」  と答えてやっと腕を下ろし、歩き出した彼女の背中を見た。  小さくて細くて頼りないようで、しかし、それに油断した相手を手の中でおもちゃにしている。そんな女怪だと知られる前は、かなりの者がそうして痛い目に遭ったという。だが今はもう彼女の厄怪さが知れ渡り、そんな馬鹿げた真似をする者はない。

 アリールは高齢だが、小貴族ミケリス家の当主でもある。その座を彼女は、死ぬまで息子に譲らなかった。だがそれは、面倒な貴族社会のあれこれをできるかぎり息子に持たせず、少しでも自由に生きさせるためだったのだろうと、ヴェクタスは思っている。  父ゼルバーは、アヴローン家がなければまともに飯も食えないくせにと馬鹿にしつつも、思うようにはならない彼女を嫌悪していた。  ヴェクタスは、8歳のときだったか、アリールに悪戯を仕掛けてゲンコツ……ではなく痛烈なボディブローを食らったことを今でも覚えている。挙げ句に、「かかってらっしゃい」と挑発されて、ぼこぼこに小突き回された。  老婆のすることではない。が、子供にとって彼女は強かったし、それに楽しかった。 「ほら、まだよ、まだ。こんなおばあちゃんにパンチ一つ当てられないの?」  そんなことを言うアリールを、 「いや、人んちの子を、婆さんぶん殴れるように育てるのやめなよ」  横からジェイナス・ミケリスが呆れて見ていた。  疲れてへたれると言われたのは、「悪戯は許しません」ではなく、 「つまんない悪戯、しないでちょうだい。笑えもしないし、驚けもしないじゃない。つまんないわ」  で、 「いい? ジェイをうまく引っ掛けるまで、私への悪戯は禁止。いいわね?」  巻き込まれたジェイナスが「はあ!?」と声を上げ、ヴェクタスは元気よく「はい!!」と答えていた。

 最初は、小柄でも大人である彼女を見上げていた。  だがもともと大柄なヴェクタスは、14歳の頃には彼女の背丈を抜いていた。 「ああ、やだやだ。ちっちゃくて可愛かったのに、こんなになっちゃって」 (……その後で、買い物に付き合わされたな)  アリールはあけすけに、顔のいいあなたを連れていると気持ちいいの、と言ってのけた。  小柄でやや癇症にも見える老婆が、すらりとした美少年を従えている。人はそれを見て、祖母と孫なのだろうか、それとも裕福な婆様の可愛いお気に入りなのだろうかとあれこれ妄想する。そんなふうに妄想させるのが面白い、と。  ジェイおじさんもハンサムでしょうと言うと、 「まあ息子でもねえ。とびっきりの美男なら見せびらかすのも楽しいんだろうけど、並だもの。その点あんたはとびっきり。なんだから自分の見せ方っていうの、もっと気にしなさい。ああそうだ。お洋服買ってあげるわ。ただし私の趣味でね」  思い出して思わずヴァレス=ヴェクタスは吹き出しそうになった。 (いつの時代の代物だっていうような、ヒラヒラつきのドレススーツで……)  第三者の客観的な観点はさておきアリール自身は似合うと思って着せたのか、それとも青くなって固まるヴェクタス少年そのものを楽しみたかったのかは不明である。(注:トゥーリアンの血は青色である。つまり、ヒューマンであれば「赤くなる」ところで、彼等は皮膚部分が「青くなる」)

 思い出とともに歩く廊下は長いようで短く、ヴェクタス……ヴァレスはアリールの執務室に招き入れられた。  思ったよりもこじんまりとした場所で、内装や調度は味気ない。レクトルスのオフィスのほうが重厚感も格式も感じさせる。だがこの、公私の完全な区分けもまたアリールだ。仕事の場に仕事以外のものなんてあっても邪魔。彼女はそういうタイプである。 「そこに掛けてちょうだい」  示されたソファに腰を下ろす。するといきなり、データパッドを投げて寄越された。「見ろ」という以外の意味もあるまいから、画面に触れてモードを変える。するとそこには、今まさに再建途中のA7の航空写真が映し出された。  縮小すると、フォルダには計画書を皮切りにした進捗の報告書、様々なデータ類。VIが勝手に要約しようとするのをオフにして、確認していなかった時期からのものにさっと目を通す。  それから、別のフォルダには定時前退勤のガイドラインと稟議書。そして直近の、ラス・オクトンでの戦略マップ……。  すべてヴァレスが関わったものだった。

 ヴァレスが確認を終えるまで、アリールはじっと待っていた。  これを見せて、彼女はなんと言いたいのか。なにを求めているのか。  意図が読めない。 「確認いたしました。それで、私は何についてお答えすればよろしいでしょうか」  であれば問うのが最短かつ最善手だ。  するとアリールは、 「あなたみたいなのがいると、仕事はもっと早いんでしょうね。こっちが聞きもしないこと喋りだしたり、みっともなく浮ついたりもしない。若いのに、いい度胸してるわ」 「恐れ入ります」 「そのうえそうやって、卒はないくせに変にへりくだる様子もない。で、用件ね? まずは質問に答えてちょうだい」  そしてアリールはてきぱきと、A7の開発における計画段階と現状の齟齬、その原因と問題の根幹はなにかを尋ね、定時前退勤を中隊単位でテスト採用するとして、 「運用に関する問題はいいの。そこを実地で考えるのも含めてのテストだわ。ただ、“外"の連中からの突っ込みもうるさくなってきてる。そいつらを黙らせる方策を考えて」  と言いつけ、 「それから、軍事は苦手だって公言してるくせに、よくこんな抜け道見つけたわね。本当に苦手なら、情報には出どころがあるんじゃないかって、ちょっとした疑いが持ち上がってる。それとも、本当は大得意なのに苦手なふりをしてるのか」  ラス・オクトンで起こった撤退戦を、マップ上で再現させた。

「苦手だからこそです」  ヴァレスは答える。  あの場において自分は、役に立つようなことは何もできなかった。そのうえ恐ろしくもあった。だからこそ、唯一の取り柄と言えそうなものに集中し、現実逃避でいいから落ち着こうとした。  そのために端末に入れてきたラス・オクトンの情報を見ていた。そこにあったのは、もし都市を拡大することになったら、どこにどう何を作っていくかといった、計画ではなく理想の未来図だ。  景色が綺麗で湿地そのものが美しければ、埋め立てるのではなく支柱を立てて施工したい。だがあいにくラス・オクトンは景色を楽しめる場所ではない。となると、埋め立てるというのが現実的になる。底なし沼だと言われているが、本当に底はないのか。どこかへと水が抜けつつ、どこからか常に流れ込んで水位が保たれているなら、抜ける先は地下水脈なのか、水源はどこなのか。 「そういったことを考えていて気付きました。都市を建設するような規模ならばともかく、合流を阻む沼地くらいならば、小部隊の携行備品でも渡れるようにできるのではないかと」  沼地が通行不可でないとしたら、バタリアンの包囲は不完全になる。

 あとは知ってのとおりだ。  第八小隊は見事にやってのけた。 「なるほど。でも、とんだ博打だったわよねこれ?」 「はい」 「運にも恵まれると思っていた?」 「ないときにはないものです。しかし、失意の内に朝を待ちなけなしの戦意で抗うか、それとも希望を持って前へ進むかは大きな違いでしょう」 「ふうん……」  アリールの言いたいことは分かる。既に各所で言われてもいる。  第八小隊が渡った沼地の先に、第四小隊、そして第十二小隊がいたのがラッキーだったのだ、と。  そこにいたのが索敵や直接戦闘に向かない部隊であったら、その後の合流に向けて戦い抜けたかは分からない。  それをヴァレスは、運頼みになるとしても、頼みになるものさえないよりはマシだと言うしかなかった。

 実際には、なんの博打でもない。  リデアンが完全に敵味方の配置を知っていただけだ。  軍神は、出目の知れない賽など投げない。知りうるかぎりを知り、出目を書き換えて動く。  唯一彼に知ることができなかったのは、現地にいた兵士たちそのものだ。彼等に戦う気力はあるのか。困難に怖気づかず走ることができるのか。  それは、ヴァレス=ヴェクタスが種をまき育ててきた。確定要素ではない。だが、信じるに値する芽は育ったはずだった。

 裏事情を語るわけにはいかないヴァレスには、もう説明できることがない。  アリールはしばらく黙っていたが、やがて、 「それからもう一つ。あなたの作った評定レポートも見せてもらったわ。ちょっと面倒だろうけど、あれ、あなたの所属する中隊全員分作って」  アリールが言い、ヴァレスは人数を計算する。  レクトルス隊は平時、主に工務を請け負うため比較的小規模である。建築に取り掛かるとなれば現地の建設作業員を大量に動員するためだ。よって、小隊が20人前後で第十二小隊まで。10人に満たない小部隊もあるため、中隊としても200人には届かない。 「まず、私の直接的な管理下にない部隊について、どの程度の権限をいただけますか?」 「今の状況なら、情報の閲覧に関しては全権でいいわ。もちろん視察も含むわよ。ただまあ、分かると思うけど、うまくやりなさい。任命書はあげるから」  各小隊の責任者からすると、自分の部下を他人から批評し直されるのだ。嫌な気分だろう。彼等を刺激しないように、評定については表沙汰にせず、視察にも別の体裁があったほうが良さそうである。

「期限はいつまででしょうか」 「早ければ早いほどいいわね。最速でいつまでに可能?」 「各隊のここ3年の評定書をいただけることと、他の大きな任務から外れること、それから、集合訓練の頻度を上げ、2~3隊での合同訓練を別途組み込んでいただければ、半年で提出できます」 「なるほどね。それなら堂々と見ていられるし、意見交換もできる。実現が容易なのもいいわ。でも、半年? 半年も要るの?」 「上辺の評定であれば、評定書と10日で十分です。しかし、本当に人を知るには最低でもそれくらいは必要です。また、それで提出できるのもあくまでも上澄みにはなります」 「一週間も見ていれば見抜ける、とは思わないのね」 「おおよその把握はできるでしょう。ですが、それが正しいかどうかを判定できません」  そして再びアリールは沈黙した。

 彼女がなんのために中隊の評定を求めてきたのか、それは聞かされていない。だが、定時退勤のテスト規模とも一致していることから、他にもいくつかテストケースとして利用することを考えているのではないかと思える。  彼女が考えている間、ヴァレスはじっと待った。  やがて、細く長い息を吐き、アリールが目を上げた。  真っ向からヴァレスを見、そして言った。 「私ね、あなたにすごく期待してるの」  それはお世辞でもなく駆け引きでもない。ただの事実。アリールはそれを述べただけに聞こえた。

 顔つきは珍しく真顔で、口元も引き締まっている。 「ティランの右腕になってほしくて」 「レクトルス大佐のですか」 「そ。彼ね、けっこう針の筵。少佐になったあたりからずっと。でも、納得いかないルールなら、上官に言っても無駄なら、自分がその地位について変えてやるって、その一心でずっと戦ってきたのよ」 「それは……大した信念ですね」 「信念なんて立派かどうか知らないわ。彼、ムカついたら殴るから。相手がなんだろうと」 「……それはちょっと、知らないほうが良かった情報のような」 「人もだけど、ルールも、仕組みも、殴れるものならなんでも。その中で一番殴らないのが人だから安心して? ここ何年かは懲戒ですら手なんて上げてないと思うわよ」 「それを聞いて安心しました」  だがたぶん、若い頃は上官だろうと殴って、大問題になったことがあるんだろうなと予想できてしまった。

「殴りあって上下勝ち負け決められるなら簡単だけど、政治はそうもいかない。ティランはそういうの、本当はすごく苦手だし嫌い。できるっていうだけ。やると決めたからやってるだけ。その点あなたは、そういう大得意だわよね?」 「そうですね。戦場に出て銃を持つよりは、間違いなく得意だと言えます」 「それよそれ。ドンパチするのが得意なのならいくらでもいる。でもあなたの才能や価値観は、トゥーリアンには珍しい。つまり、他の誰も持ってないレアな武器。しかも、私が見たところ、相当な高性能よね」 「あなたはそれを、レクトルス大佐に持たせたいのですね」 「そ」 「そこまでレクトルス大佐を買っておられる理由をお聞きしてもよろしいですか」  かつてはもう少し低い階級で、上司と部下であったとは聞いているが、それだけだ。 「別に大したことじゃないわよ。私は、面白くもない建前とか作法が嫌い。それで自分だけ、こうして軍にいても好きにやってきたわ。まあもちろん、追い出されない程度にね。でも、気に食わないなら変えてしまえとは思わなかった」 「なるほど。つまり、貴方が大佐を感化したのではなく」 「私が彼に、感化されたの」

 それからアリールは、レクトルスの後ろ盾になり、軍内の改革を進めようとしてきた。  だが、自分一人の勝手なら通せても、巨大な軍の土台を揺らすことはできなかった。  アリールには、どうせ無駄だという諦めも生まれていた。ただ、それで長いものに巻かれるのは癪だと反骨を示してきた。 「でもティランは諦めてなかった。だから今、あなたの後ろ盾になろうとしてる」  言われて腑に落ちた。  レクトルスが自分を取り立てようとするのは、明確な目的のためだ。手周りの不便や不都合、非合理を正すだけでなく、もっと大きなものを変えようとしている。そのために彼は、矢面も政治も引き受けて、ヴァレスには家族と過ごす時間を約束する代わりに、知恵を貸せと言ってきたのだ。

(……どうもこれは、思ったより大きなことに巻き込まれつつあるような……)  ヴァレス=ヴェクタスとしては、愛するリデアンと一秒でも多く過ごし、その成長を見逃さずに目に焼き付け、彼が屈託なく笑える少年になるのを見るあたりまでが、この人生のプロジェクトである。それより遠い先のことはあえて想像しないようにしている。  そんな人生設計において軍は、器であるヴァレス・トライオスの居場所というだけで、実のところいつ辞めても問題はないし悔いも未練もない。  ただ、除隊するという選択肢を取らなければ、このまま軍人として軍の中で生きていくことになる。  目立ちたくはない。厄介事にも関わりたくない。ただ、否応なく関わる範囲に、どうあっても馬鹿げているあれこれがあって、レクトルスもそれをくだらないと思っているのであれば……。

 とまで考えたところで、 「あとまあ、ティランってイケメンだから。そりゃ援助したくなるわよねえ」  そう言われてがくっと力が抜けた。  そしてとても納得がいった。  アリールは極めて単純で純粋に面食いで、しかもそれに正直なのだ。 「それだけで贔屓はしないけど、付加価値ではあるわよ。彼を視察なりなんなり、連れて行くでしょ? それだけでお嬢さんがたは浮つくし、変に意識して張り合おうとしたり、逆に卑屈になったり。まあ話しやすいし、ボロも出やすくなるわよね。それに、私がいい気分で仕事できる。これ大事」 (つまりこの人は仕事場ですらこうだったわけか……)  ヴァレスは溜め息と苦笑とを隠して、どうにかぎりぎり、少しだけ呆れたような態度を取り繕った。そして、 「では、私のようなのはあまりお呼びじゃないわけで……」 「まあそうね。連れ歩いてもちょっとねえ」  容赦がない。もっとも、“ヴァレス"の外見なのでどうでもいいのだが。 「でもあなた、これで顔まで良かったら私、全権発動して私の秘書にしてるわよ」  本当にやるんだろうなと思えて、今度の苦笑は隠せなかった。

 そして、閃いた。 「それなら……ミケリス准将。少し思ったことがあるのですが、申し上げてもよろしいでしょうか」 「あら、なに?」 「レクトルス大佐の外見が非常に魅力的であることは私も同意いたします。しかしその……服装が……野暮だと思いませんか?」 「服ぅ?」 「つまり、これです」  とヴァレスは自分の制服を示した。

「大佐は広報にも出ておられますよね?」 「まあ、時々は私が指示してるし」  見た目の良さに惹かれる者、反発する者、その心の揺らぎや隙を突くのは、ヴェクタス・アヴローンも利用した手だ。……アリールの場合、お気に入りの部下の"イケオジ"ぶりを見せびらかしたいというのもあるだろう。  であれば尚更だ。 「こんな野暮ったい制服では、せっかくの魅力が半減するとは思いませんか? いえ、なにも着飾らせろということではありません。ただ、もう少し洗練されたデザインの軍服に、全体を切り替えてみるのも良いのではないかと……」 「……トライオス」 「はい」 「あなた、オシャレ好きね?」 「好きです」 「つまりこれ、自分がもうちょっとマシな格好したいってことでしょ?」 「否定しません」 「つまりティランは出汁ね?」 「准将も、どうせ見るなら彼に限らず、皆がもっと麗しいほうがいいですよね?」 「あなたほんと……最悪だわ」  とアリールは片方の頬殻だけを開く、不穏な笑顔になった。       「じゃ、そういうことでね。必要なものは送るから。あと、私への直通アドレスも送っとくわ。なにかあったら連絡ちょうだい」 「はっ」  廊下に出た以上は、他人の目があるかもしれないと、ヴァレスは軍人らしく上官に敬礼した。 「あ」 「どうしたの?」  ヴァレスは敬礼を維持したまま答える。 「こういうシチュエーションとして適切な敬礼はいいのですが、あの馬鹿げた通行敬礼ルール、やめませんか? 馬鹿みたいに突っ立たせても入るのは悦だけで、時間の無駄、金にも実にもなりません。それより、その時間 働かせましょう」 「あっは!」  アリールは明るく声を上げ、 「准将になんてなるもんじゃないわね。私が大佐でティランが大尉くらいのときにあなたがいたら、三人で組んで何ができたかしら」  ヴァレスを見上げた。

 小柄なアリールを見下ろして、急に胸が詰まる。  ヴェクタスは、ヴェクタスとしてはこれほどはっきりとアリールを見下ろすことがなかった。  彼女は、来年の今頃はもうこの世にいない。ともするとラス・オクトンのように歴史が変わるのかもしれないが、変わるという確証はない。 (アリばば様) 「あなたが准将で彼が大佐でも」  そしてたとえ、あと一年足らずしか時がないかもしれなくても、 「どうせならジェイナス・ミケリス中佐も巻き込んで、軍史に残ることを始めてみたいですね。もちろん汚点としてではなく、40年先で、偉大な改革だったと言われるようなことを」  アリールは大きく頬殻を開いて笑い、 「どうしましょ。楽しみすぎて、眠れなくなりそうだわ。トライオス。またね」  弾むような足取りで中に戻ると、ドアが閉まった。