13 おさんぽびより

     【よちよちリディ】

「じぶんで あうけ(歩け)ます。おーして(下ろして)くあさい」  少しばかりむくれた様子で、リデアンは訴える。  しかしヴァレスは、抱え上げた息子を下ろすことはない。  公園へ向かう散歩道、リデアンをそれでもだっこしているのは、 「君、すぐ転ぶじゃないか」  という理由だった。

 リデアンは、よく転ぶのである。  原因は分かっている。  大人の意識と、肉体の差。これである。  しかも厄介なことに、リデアンは小さい。とにかく小さい。もう少しすれば4歳になるというのに、見た目にはまだ2歳くらいの大きさしかない。全身の三分の一が頭、という乳児特有のフォルムは脱してちゃんと幼児として成長しているのだが、純粋に、サイズが小さいのである。  そのため、歩こうとする意識と肉体の感覚がとにかく一致せず、ちょっと早足になるとすぐ転ぶのだ。

 それに、3歳、4歳の子供なら手を引いて一緒に歩いてもいいかもしれないが、2歳サイズでは大柄なヴァレスとは高低差がありすぎるし、もちろん歩幅も違いすぎた。  そんなわけで相変わらずリデアンは、ヴァレスにだっこされて移動している。  立ちはだかる現実問題には勝てず諦めたらしいリデアンは、小さな大きな溜め息をついた。 「はやく おおきく ないたい(なりたい)えす」  それがあまりにも切々としていたので、ヴァレスはつい吹き出してしまった。


     【軍神リデアン・トライオス】

 極めて不本意ながら"父"に抱えられて公園へと向かいつつ、リデアンは心底、大きくなりたい、と思う。  それは体格のことだけではない。力だ。早く力を持ちたかった。 (結局私は、根が野蛮なのかもしれない)  戦う力がほしいと思ってしまうのだから、きっとそうだ。  たとえそれが大切な相手を守るためだとしても、武力でもって行うという思考が、染み付いてしまっている。

 ヴァレス……ヴェクタスが自分に、“かつて"とは異なる平穏な人生を歩んでほしいと願っていることはよく分かっている。軍人にはできるだけなってほしくない、ということも。直接そう言われたわけではないが、分かる。選ぶというならば仕方ないが、できれば戦わない人生を選んでほしい。それがヴェクタスの願いだ。  だがリデアンは、この人生でも軍人になりたいと思っている。  切っ掛けは、惑星タリシア、ラス・オクトンだった。  あのとき、「私が行ければ」とは思わなかった。事態が目前に存在するときに、不可能を考えることなどない。今の自分にできることをする。それだけだった。  ただ、彼が帰ってきたその後で、話を聞いて思った。  私がそこにいられたなら、と。

 ヴァレスの身もついでに守ってくれたという、レクトルスの護衛部隊。戦闘については完全に素人のヴェクタスが見ても、他の兵士とはまったく違うと分かったと感心していた。 「さすがに皆、毎日訓練してる軍人だ。浮き足立つこともなく、パニックも起こさず行動するんだが、動揺や恐れを抑えているとか、逆に興奮しているとか、なにか不純物がある。だが彼等は、完全にフォーカスしていたね」  そこはさすがに"トゥーリアンの軍人"だ、と軍事嫌いのヴェクタスさえ認めた。かつて雇用していたヒューマンやドレルの専属SP、クリフとツァレクよりも高度だと。  そんな話の中で、 「君もあんな感じだったのかと思ったよ」  と言われて、おそらくそうだっただろうと思った。そして、私もそこにいたなら、と思ったのだ。

 これから先もヴェクタスが、ヴァレス・トライオスとして軍の中で生きていくのであれば、戦闘と無縁ではいられない。本営から一歩も出なくてよい、そんな地位につくのでないかぎりは、そこに至るまでの間には、前線には行かないとしても戦艦に乗る程度のことは絶対にある。  そんなとき、もし自分が傍にいられたなら。  かつてと同じ力というのは無理だとしても、得られるかぎりすべての力を得て、彼を守ることができる。  そのための力がほしい。得られるのであれば、リーパーの力だろうと。

 銀蛇の横に立つ軍神ではなく、父の傍にいる息子でいい。  自らの力が及ぶかぎり、あらゆるものから守ることができるなら。

 そう思うのであれば、道は一つ。 (すみません、ヴィ。ですが私は)  “先鋭化"した、とヴェクタスが表現するレベルの軍人になりたいし、なろうと思うのだ。  それは20年ほども先のことであり、今は早足になることさえままならないとしても―――。


     【ある晴れた昼下がり】

 きれいに洗浄された白い砂場で、リデアンがせっせと砂山を作っている。  その向かいに屈んでいるのは、丸顔の優しそうな女の子だ。  ベンチでそれを見守るヴァレスの隣には、壮年の婦人がいた。  エドナからよく聞く、“エアラちゃんのママ"だった。

 リデアンが通う幼稚園で、なにかとリデアンの世話を焼いたり面倒を見たり、時にはいじめっ子から庇ってくれたりもするおねえちゃん。それがエアラだ。今リデアンと一緒に砂遊びしているのが、その子である。  その母親にしては高齢である。ともするとギリギリで祖母に見えなくもない。大抵の女性は、兵役が終わる30歳から35歳くらいの間に結婚し、出産する。しかしエドナのようにもっと早く結婚するケースもあるし、当然、諸々の事情で晩婚になる人もいる。  ヴァレスは、50代に見える、という事実だけは認識したが、それ以上は些事、いろんな人生があると切り捨てる。  大事なのは、リデアンがなにかと世話になっている子と、その母親だということだ。

 エアラもだが、その母親もおっとりと温和そうで、少しだけスローテンポ、少しだけふくよかだ。それが人に安心感を与える。だがどこか、こうと決めたら梃子でも動かないという地力も感じさせる。 「いい歳ですけれどね、これでも初産で」  歳の分だけ落ち着いてはいるものの戸惑うことも多く、妹というよりは娘に近いようなエドナとでも、あれこれと話せることが彼女には心強いという。  エドナはエドナで、“エアラちゃんのママ"は困ったことがあればなんでも話せるし聞いてくれる、と頼りにしている。  つまり二人は、非常に良い関係だということだ。エドナの夫としては、 「よく出来た妻ですが、なにせまだ若いので、知らないことも多く、不安もあると思います。たとえ夫だろうと、男には相談しがたいこともあるでしょう。どうか、今後ともよろしくお願いします」  心からそう言うのみである。

 彼女は無闇におしゃべりをするタイプではなかった。それでいて、沈黙を持て余したり、気にかけさせたりすることもない。  のんびりと並んで座って、我が子たちを見守る穏やかな時間。ヴァレスはそれを享受する。  エアラという子は本当によく気がつく子供だ。リデアンの近くにスコップを置いてくれる。「使うかもしれないから」と考えるのだろう。  リデアンのほうは、幼児らしく遊んで見せることに苦労していることが、ヴァレス=ヴェクタスにはなんとなく分かる。どうせ、「このスコップを使うべきか? しかし今作っているトンネルは素手で掘ったほうがいいのだが」とかなんとか考えているに違いない。  そして、エアラが掘ろうとする場所は触れるべきでないと見抜いたものの、止めるべきかどうか迷ったと思われる。はっとした様子の後、一拍の間があって、せっかく整えてきた砂山は無惨に崩れてしまった。

「あらあら」  と隣の婦人が少し笑った声で言い、立ち上がる。泣き出しそうになったエアラの傍に行くと、屈んで一緒に山を作りはじめた。「お母さんと一緒にやりなおしましょう」と口が動く。  ヴァレスはそんな、平和このうえない光景を眺める。何もない。何一つない。特別なことも、刺激的なものも。  かつての人生には、ここまで無為な時間というものはなかった。  だが、無為もまた豊かな、贅沢な時間だ。たまたま以前の自分は選ばなかったというだけである。  そして、 「パーパー。パパもやうの!」  と呼ばれて腰を上げ、砂山作りに参加した。

 そうして小一時間ほど、平和極まりない時間をすごし、エアラ母子と別れた。  日暮れには早いが、なんのかんのとつい考えてしまうリデアンはおねむである。  そのせいか、抱え上げられることにもう不服そうな様子は見せず、うとうとしている。 「彼女がエアラか。君の一つ上だっけ?」 「あい。よんさいえす」  目をしぱしばさせながら言って、リデアンは小さな欠伸をした。

 そこでふとヴァレスは気付く。 「そういえば、名前を聞かなかったな。エアラ、なんというんだ?」  母親の名前も聞いていない。エドナもいつも、“エアラちゃんのママ"と口にする。 「えんのほーしんで、しつじによう さべつ……ぅにゅ……」  幼稚園の方針で、出自、すなわち姓による差別をしないようにしている、と言いたかったのだろう。しかし言い切る前に、すーすーと寝息に変わった。

 なるほど。かつての名門軍閥トライオス家だの、貴族リクウィス家だの、あるいは現パラヴェンのプライマークであるタデル家だのなんだのと、そういうものによる区別や格差をできるだけ生まないようにするため、あえて名乗らせないようだ。  ただ、婦人の言葉の端々からは、どうしても服務市民とそれ以外、といったグループ分けがあることは感じられた。  専従軍人かどうかで市民ティアが変わる。夫婦ともに予備兵役に移行している場合は、どうしても一~ニ段階低くなる。30歳以降、軍人として警察業務を担っているか、地方の警官として働いているかは大きな違いなのだ。前者は管理職になりうるが、後者はまずなりえない。  どのティアに属そうとも、どんな階級にあろうとも、ヴェクタスに言わせれば役割や生き方が違うというだけなのだが、トゥーリアン社会ではそうではない。明らかな上下、命令系統のどこに位置するかという差になる。  そしてそういったものは、表に出さずとも滲み出るものだ。

 おそらくトライオス家とエアラの家は似たような地位・立場にあり、エドナたちはそれを感じて親しくなったのだろう。 (ママ友というやつか)  聞くところによると、派閥争いが酷いこともあるという。しかし幸い彼女たちは、グループになんとなく分かれてしまうし親しくやりとりはしないものの、そういった面倒な確執の中にはいないようである。  なんにせよ、若いエドナにあのような落ち着いた婦人の"ママ友"がいるというのは心強い。  リデアンにとっても、エアラは良い幼馴染みになってくれそうである。 (もしかして初恋、そして将来は、なんてこともあるのかもなぁ)  そう思ってもおかしな嫉妬を覚えないあたり、自分はすっかり父親が板についたのだろう。  可愛い"息子"を抱いて歩きながら、案外悪くない気分のヴァレス=ヴェクタスだった。