16 父とカメラと発表会

     【父とカメラと発表会】

 カメラを買い替えようと決めた。  来週 幼稚園で行われる発表会のためだ。  3、4歳の子供たちは劇をするそうで、リデアンは大勢いる「いわあなのどうぶつ」の一匹、つまりはその他大勢なのだがそんなことはどうでもいい。可愛いリデアンの舞台デビュー(?)を記録せず、この世の何を記録しろと言うのか。わりと本気でそんなふうに考えて、ヴァレスは最新版のカタログを眺めていた。

 昼休みには人が多い中庭も、終業後は静かなものだ。それに、風が遮られるし、空には減光シールドも張られている。スカイレールを待つのに、駅で時間を潰すよりもずっといい。 (信頼性の高いブランドの、高額なものであれば間違いはないんだろうが)  買おうと思って知ったのは、価格帯がかなり広いことだ。オムニツールに標準搭載されているものよりも性能の低い安価なものもあるし、5000クレジット(50万円)以上するものもある。 (さすがにこの1万クレジットとかいうのは素人が使うものじゃないとして、なにがどう違うからこの値段なのかがさっぱりだ)  困るのは、自分が使うならどれがいいのか、それがまったく分からないことだった。

 今あるカメラはリデアンが生まれたときに買ったものだが、ぱっと目についたレビューだけでよく考えず「これでいいか」と決めてしまって、実のところ機能は半分どころか五分の一も使っていない。ちなみに金額は、当時のトライオス家で買える程度のものではあるが、それでもリデアンに知られたら呆れられることが確定しているので秘密である。  今回はもう少しちゃんと考えて決めることにした。それであれこれと検索し調べてみたものの、どのレビューを信頼していいのかが分からない。解説を読むとそこに出てくる専門用語のためにまた調べ物が必要で、仕方なくVIに説明させてみてもピンと来ない。 (……分からん。どれがいいんだ)  喉の奥で小さな唸り声が鳴る。

 それが溜め息に変わった、丁度そのときだ。 「トライオス」  不意に声をかけられてはっとすると、すぐそこにカスクールがいた。  彼は珍しく少し険しい顔で、しかし口を開きかけて、突然停止した。 「カスクール中佐。どうか?」  ヴァレスが問うと、彼は少しだけぽかんとしたような顔で、やがて、 「いや、すまない。ずいぶん難しい顔でタブレットを睨んでいたものだから、根を詰めすぎるなと言おうとしたんだが……」  カスクールの目がヴァレスの手元に落ちた。

 どうやらカスクールは、ヴァレスが退勤後にまで仕事をしていると思ったようだ。勝手に時間外労働をしておいて給料を出せとは言わないし、咎められるいわれはない。にも関わらず一声かけようと思うほど険しい顔をしていたらしい。 「お気を使わせてしまったようで、申し訳ありません。ご覧のとおり、カメラを新調しようとカタログを見ていただけです」 「ああ……そのようだな。私の早合点だ。しかし、トライオス。そのカメラ……」  カスクールは少し言い淀み、 「まさか、それを買うつもりなのか?」  おそるおそる、といった調子で言った。

 ヴァレスはタブレットに目を落とす。そして、そこに表示されているカメラ2つの価格を見ると、 「いや、まさか! どれがいいか分からないので、適当にスクロールしていただけです」  そう言いながら脳内ではいくつかの情報が組み合わさり、組み上がりはじめていた。  少し前のある日、アリール・ミケリスによって彼の執務室に呼び出されたときだ。なにも考えず適当な設定で撮っていたせいで、やたらとサイズが大きくなっていた写真。それを知ったカスクールは、設定にRAWという項目があるならオフにしたほうがいいとアドバイスをくれた。あのときはてっきり、みんな知っているような当たり前の設定なのかと思ったのだが……。 「もしかして、カメラ、お詳しいのですか?」  尋ねると、 「そうだな。まあ、趣味、と言えるかな」  と答えられた。

 渡りに船とはこのことである。 「中佐。もしお時間に余裕があれば、どれがいいか教えていただけませんか? 来週 息子の発表会があるので、そのときまでに丁度いいカメラがほしくて探してるんです」 「そういうことか。発表会。たしかに、うちもだな。この季節は多いんだ」  縮磁季の終わりは、一年で最も穏やかな時期になる。人心も緩んで、催しやレクリエーションが増える。実のところヴァレスは、“家庭"を持って初めて、そういう季節による変化というものを知った。“ヴェクタス・アヴローン"はいろいろと特殊すぎて、そういった世事にはほとんど関わらないまま生きていたのである。  しかし今は、ヴァレス・トライオス、しがない(?)公務員、一児の父である。  そしてカスクールは、人が好かった。

 かつ言えば、さすがに有能だった。素人のヴァレスに分かるように説明してくれる。  肉眼で見て楽しむ分にはほとんどの機能が不要で、正直なところオムニツール搭載のものでも十分ではある。ただ、 「私たちが使っているような軍用ツールだと、記念写真にするには不要な記録情報が多いんだ」  そして、プログラムによる自動補正も"正確に、細部まで"残すように働く。そのため、 「被写界深度、というのは、分かるか?」 「あー……、たしか」  とヴァレスは、ヴェクタス・アヴローンとして生きていたときの友人、ルドルフ・カステルの話を思い出す。彼はスポーツ観戦などとともにゲームが好きで、時折はその話題に付き合わされた。ゲームには、画面をスクリーンショットとして記録するためのフォトモードというのがあって、その中に、なにやらそんな言葉が出てきた覚えがある。 「ピントがどこにあっているか、みたいな……背景をぼんやりさせたり、あるいは、背景にピントを合わせて手前の人物をぼかしたり……」 「そう。ピントが合っている範囲、くらいの意味だ。軍用ツールはそれを無効にするから、手前の人物も遠くの景色も同じようにクリアに映る。細部の記録としてはいいかもしれないが、写真としては、少し味気ない」

 今のカメラは、ほとんどの機能が搭載されている。自動でピントを合わせてくれるオートフォーカス、暗い場所で明るさを調整してくれる暗所性能、手ブレ補正や動体検知、被写体追尾、自動の3D化などなど。  プロや趣味人が求めるような、自分の力でこまかく好みに設定する楽しみを追わないのであれば、正直なところどれを買っても問題はない。そうなると、選択基準はデザイン、重量や、 「VIの有無は大きいな。それぞれの機能をある程度は判断して使ってくれるし、こうしたいと伝えればそれに合わせて調整もしてくれる。ただし、300クレジット程度は上乗せされる」  たとえばこれだと示されるカメラの価格は、妻のパスケースをVI搭載型にしたヴァレスにはどうということもない金額だが、世間的にはたしかに高額だった。  親バカを理由にして買えば納得させられる範囲ではある。しかし、 「それより、基本的な設定の意味を覚えたうえで、そういった設定のしやすいものを選ぶのが、君には一番向いているんじゃないかな」  とカスクールは言った。

「私には、ですか?」 「ああ。VI搭載というのは、今の私の話を聞いても意味がよく分からない、新しいことを覚えるのは大変すぎる、という人向けだ。その場合は、やりたいことを伝えれば実現してくれるほうがいい。だが、なるほどそういうことかと理解できるなら、オート機能を使いつつ、物足りないところを自分で設定すればいい。なにより、VIが撮ったものは、“私"が撮ったものではない気がするのが、意外に嫌なものなんだ」 「あ……」  たしかに、と腹に落ちた。 「どれもいい写真になるんだが、なんというか……面白みがないというか」 「均一になるんでしょう。演出や調整を含めて、最適解という均一さに支配される。それよりは、失敗も含めてちゃんと自分の手で撮ったほうが、その瞬間の唯一無二の記録にできる。そういうことですね」 「ああ、そう、そういうことだ。それに、いい写真が撮れたときには、間違いなく自分の手柄だしな」

 なるほどと納得した。  つまり今の自分が選ぶべきカメラは、オートによる補助はありつつも、基本と呼べる機能設定がしやすいもの、ということだ。  デザインや重量はどうでもいい。どうせヴァレス・トライオスの外見である。無骨だろうとダサかろうとそもそもこの男がそういう存在だ。  そして価格は、カスクールが提案してくれたものであれば、500クレジット(5万円)程度から存在する。 「このあたりのものは一般的なオムニツールと大差ない。だが、ズーム倍率やセンサー……光を集める機能はやはり優れている。とはいえ君の場合は、リデアンくんを撮りたいだけなんだろう?」 「間違いなくそうですね」  即答すると、カスクールは苦笑した。

「ただ、少しはまともにカメラを使えるようになると、景色も撮ってみたいと思うようになる気はします」 「ありそうだな。使えるようになると、面白みが増すかもしれない。それならカメラとして将来性のあるもののほうがいい。ただ、価格はどうしても1500クレジットくらいはするし、そうなると、すぐに飽きたときに後悔しそうだ」  たった1500を勿体ないと思うような金銭感覚にはどうしてもなれないヴァレス=ヴェクタスだが、そこは神妙に頷いておいた。  おそらく、多少出世はしているものの地味な公務員としては、長く使うかどうか分からないものに1000クレジット出すのは、なかなかの決断のはずだ。独身ならばともかく家庭を持っているとなれば尚更だろう。とするとここは、できれば500クレジット前後くらいで、という希望を出すべきかもしれない。

 ―――と、ヴァレス=ヴェクタスが考えていたのは、“自分がどう振る舞うべきか"だったのだが。  どうやらそれは自然と、カメラに1000クレジット以上出すかどうかで悩んでいるように見えたらしい。 「良かったら、私のカメラを使ってみるか?」  カスクールの提案を聞いて、ヴァレスは反射的に彼を見る。 「もしかして、予備のカメラをお持ちですか。であれば貸していただけると助かります。実際に使いこなせるのかどうか試すことができますし、私にとっては願ったり叶ったりです」 「ああ。10年くらい前のものだが今でもちゃんと使えるし、なにより扱いやすい。最近のものは、多機能になった分、設定の階層が深くなっていてな。便利ではあるが、慣れていることが前提の仕様になってきているよ」 「素人用とプロ用の格差が開いている、といったところですか」 「私はあくまでも趣味だがね」  そうは言ってもまんざらでもない様子で、カスクールは少しだけ頬殻を開いた。

「ありがとうございます、中佐」  こればっかりは演技ではなく、ヴァレス=ヴェクタスとしての心からの謝辞である。 (持つべきものは良い上司だな) 「では、明日持ってこよう。使い方もそのときに少しは教えられる」 「お願いします。あ、ちなみにお礼は」 「趣味人としては、自分の好きなものに関心を持ってくれるなら、それが報酬も同然だ。だがもし、そうだな、なにもないほうが気兼ねするというなら、……私にも見せてもらえないか?」 「え?」 「君の撮った、リデアンくんの写真だよ」 「それでいいなら喜んで! せっかくですので、中佐のお子さんの写真がもしお手持ちにあるなら拝見したいのですが」 「あいにく私は、手元には置いていない。どうも、職場に持ってくるというのがね。君が持っていることについてどうこう言うつもりはない。むしろ羨ましいとは思うんだが、どうにもな」  なるほど、模範的なトゥーリアンらしい、染み付いた習性、公私の切り分けだろう。それでいて、持ち込むべきでないとは言わず、むしろ羨ましいと言うあたりにカスクールの人柄がうかがえる。  であれば、無理にと言う必要もない。職場に持ち込みたくないというカスクールを尊重するだけだ。

 さて、ヴァレスが撮影したリデアンの様々な写真を見ると、 「これはなかなか……“オートさん"の苦労がうかがえるな」  カスクールは面白そうに笑った。  ピントその他すべてカメラが自動的に補正してくれるものの、それでも誤魔化しきれなかった手ブレ。リデアンの顔が半分しか映っていないもの。どころか手しか映っていないようなものもある。それらは、普通なら失敗として削除するものを残しているだけだと言えるが、まだしもマシな一枚であっても、本当にただ撮っただけである。 「うちの子はかなりおとなしいほうなんですが、なんなんですかね。いざシャッターを押そうとするときにかぎって動くのは」  ずっと積み木で遊んでいたのに、撮ろうとした瞬間、撮った瞬間に何故か後ろを向くのである。リデアンが分かっていて、幼児らしからぬ超絶反射神経で避けているのかと思うくらいだ。

「それでも私は、VI補正は好きになれないな。目の前にあった現実ではない、理想の写真をVIが作り出したように感じられてね。それに比べれば君の写真のほうがずっとリアルだ。慌ててカメラを構えたんだろうなとか、突然寄ってきたからこのドアップなのかなとか、物語がある」 「それはたしかに」  撮ろうというときにエドナがコップを落としてしまい、リデアンは振り向くし自分の手は跳ねるしで、それでもオート機能ががんばってなんとか形にした一枚、というのもある。  これをVIに補正させると、直前の状態を推測し、フレームに入っていた情報から最適な一枚を作り出す。しかし、それでは"写真撮影"ではなく"画像生成"だ。  その点、どんなに下手だろうとヴァレスが撮ったものはまぎれもないその瞬間、そこにあった現実だった。

 そしてふと、思い出した。というより、気がついたことがある。 「中佐」 「うん?」 「先日、准将とともにお邪魔したときですが、……あのとき落ち着かないご様子に見えたのは、気が散ったのではなく、もしかして、見たかったからですか? どんなに酷い写真なのか」 「……ん、まあ……、うん、まあ、実は、すまない、正直、気になって仕方なくて……」  カスクールは申し訳なさそうに肯定し、ヴァレスは笑ってしまった。 「趣味人としては、すごいと言われるものも見たくなるでしょうが、酷いと言われるものも気になるわけですね。それなら、こうしてお見せできて良かった」 「思っていた以上になかなかだが、私は嫌いじゃない。たとえ設定がおかしくて、3テラあろうともな」 「あれはさすがに修正しました。そのへんはVIに頼めば簡単ですし」  二人で笑っていると、ヴァレスのオムニツールから小さな触覚アラームが走った。

 そろそろステーションに向かわなければならない。  カスクールも自宅から本営へはスカイレール通勤だが、家が逆方向なので連れ立って歩けるのは本営を出るまでだ。  ヴァレスは改めて礼を述べ、明日の終業後のレクチャーを頼む。カスクールは快く引き受けて、 「それにしても丁度良かった。そろそろカメラの調整をしておこうと思いつつ、なかなか手が伸びなかったんだ。君に貸すと決めたら、今夜やらざるをえないからな。ついでの自分のものもやればいい」 「そうお急ぎにならずとも、と言いたいところですが、教えていただいてから練習する時間がほしいので、どうか明日、お忘れなくお願いします」 「妻にも言っておくよ。明日の出がけに、忘れてないか言ってくれと。しかし、来週が楽しみだな。うちの娘は合唱をやるそうでね。毎日家でも練習している。早く寝なさいと言っても聞かなくてね」 「うちは劇ですね。残念ながら主役ではなく、その他大勢、ほぼ背景ですが」 「残念と言えば残念だが、動き回る役を撮るよりも、落ち着いて狙えるんじゃないか?」 「そう言えばそうですね。その点 合唱だと、ほぼ動かないのはいいですね。休みは取ったのですか?」 「もちろん。今のところ大きな案件もないし、通常業務はできる範囲で前倒しにしている。去年はどうしても行けなかったから、今年は絶対に行くと決めているんだ。君は、言うまでもないな」  もちろん申請済み、受諾済みだ。

 カスクールの娘が通う幼稚園あるいは保育園は、自宅から遠いらしい。そのための早寝早起きなのだが、ここのところはかなり遅くまで起きている。一軒家なので夜に歌の練習をしても迷惑にはならないものの、朝寝坊するのは困りものだ。  ちゃんと起きると約束しても、朝はぐずぐず。だから早く寝なさいと言ったでしょうと叱られて、不服そうな顔をしたりもするという。 「うちは近いのが幸いですね。さすがに徒歩圏内ではありませんが、スカイカーでなら10分程度ですよ」 「うちも妻が送り迎えしているんだが、片道で50分だからな」 「もっと近くの場所を選べば良かったのでは?」 「それが、うちの近くにある園は今ひとつ、評判が良くなかったんだ」

 話しながらヴァレスは、不思議な違和感、新鮮さを感じていた。  「うち」という言い方。  ヴェクタス・アヴローンに、こんな言葉を使って会話した記憶はほとんどない。あるとしたら子供の頃だけだ。大人になってからは、話す相手は仕事相手や関係者で、相応しい言葉遣いというものがあった。そして、「うち」と表現するようなものも持たなかった。  だが今は、「うち」がある。「うち」と言って会話できる相手がいる。 (この人生も、なかなか悪くない。……他人のものを乗っ取ったのはさすがに気が引けるが、まあ、こいつが改心してリディを大切にするというのでないかぎり、たとえ返せたとしても、返す気はないしな) 「ではな、トライオス。明日、中庭で」 「はい。よろしくお願いいたします」  簡潔な挨拶で、それぞれの家路へと向かう。  カメラを貸してもらえることになったと、帰ったらエドナとリディにも話してやろう。うきうきのヴァレス=ヴェクタスだった。


     【やぶへび】

「……カメア」 「うん。カメラ」 「いまもってうカメアはダメなんですか? このあいだ つかってましたよね。こわえて いませんよね?」 「ちょっと使いづらくてね。だからもっと使いやすいのがいいと……」 「あれ、いくあしたんですか? まえまえから おもっていましたが、かなりハイスペックですよね?」 「リディ。そういうこと気にするのは、子供の役目じゃない」 「いくあしたんですか?」 「……8000」 「つかえもしないのに、そんなかいもの……!」 「君の人生記録するのにたった8000なんて安すぎるだろ」 「つかいこなせればの はなしです。つかえないならオムニツールでじゅうぶんです。いっそカスクールちゅうさのものと、こうかんして もあったら どうですか」 「好みに合うか分からないし、価格差が大きければ気を使わせる。それより、私が使えるようになるか、あっ、君が大きくなったら使えばいいじゃないか。うん、そうしよう♪」 「5ケタでないだけマシですが、こんご、4ケタのかいものを するときには、かならず わたしに ほうこくしてください。いいですね?」 「リディ。そういうの、小姑みたいって言うんだよ?」