16 父とカメラと発表会・本番
【父とカメラと発表会・本番】
リデアンの通っている幼稚園に行くのは、それが初めてだった。 付き添いや送り迎えはエドナの役目、というより、ヴァレスがやりたくてもどうしてもそこは仕事を優先せざるをえない部分だった。「仕事が終わったから早く帰る」は結果だが、「遅れて行くが仕事は片づけるつもりだ」はただの意志である。どれだけ親バカを振りまこうとも、そのあたりはわきまえているヴァレスである。 エドナの運転するスカイカーの後部シートでリデアンを抱え、ヴァレスはわくわくが止まらない。背景も同然の役ではあるが、それはそれでみんなと一緒に踊ったり、ちょっとした歌もあるという。 正直なところ、主役に抜擢された、となったほうが心配しただろうと思う。それはもうリデアンは銀河一可愛いが、その可愛さを大勢にこれでもかとアピールする必要はないのだ。背景で、あの子ちょっと可愛いわね、程度に思われているのがいい。 (小さいからそれだけで目立つだろうしな) 一人だけ二歳児が混じっているのかと思われても無理はない。それが今現在のリデアンである。
もちろんエドナもこの日を楽しみにしていた。ただし彼女は、家で練習するリデアンを見ていたらしい。ヴァレスの前ではやらなかったのは、“中身"を知っている相手への羞恥だろうか。それもエドナには、パパに見られるのは何故か恥ずかしいらしい、と納得されている。 話を聞くかぎり、かなりたどたどしいようだ。本来の身体能力は、リーパーの補助なしでもずば抜けていたのだが、だからこそ小さな体では動かしにくく、また、幼児らしくないことをしてもまずいと思うと、どう動いていいのか分からないに違いない。 それに、劇という初めての経験に対する緊張もあるだろう。かつての人生からかけ離れていることが甚だしい。なにをどう思おうと一切顔にも態度にも声音にも出さない、というのは得意でも、なにかを演じたことなどないはずだ。 ともあれ、落ち着かずそわそわしているのも可愛いのでよし、である。
ヴァレスは、カスクールに借りたカメラを使ってこの一週間、いろんなものを撮りまくっていた。 基本的にはオートに頼りながら、明るさを調整したいならこれ、ピント位置を変えたいならここ、ズームはこれと教えてもらったものをいろいろといじってみた。 理屈や仕組みが分かれば、もう少しこうしたい、を自分で実現できる。 そしてもともと美的センスは持っていたヴェクタス・アヴローンである。教わったわけではなくとも、自分がいいと思うようにフレームにおさめれば、それなりに悪くないものが撮れた。特に、動かない風景などは簡単である。 ここのところは自分もカスクールも、休みの日に確実に休むため仕事優先で過ごしたが、お互いの発表会が終わったら成果を見てもらうのも面白そうだ。ずいぶんマシになったとは思ってもらえるだろう。
そんな楽しみを乗せて、とうとう辿り着いた幼稚園。 普段は子供を預けたらすぐに引き返すランドカーやスカイカーが、駐車の順番を待っている。 施設によっては、子どものクラスやイベント、こういった諸事にも親のティアを反映している。だがそういう場所はあえて避けた。ヴァレス=ヴェクタスに言わせれば、トゥーリアン社会でしか通じないティアに大した意味はない。しかも、本人のティアならば能力評価としてまだしも意味はあるが、親のティアである。そんなものでランク付けするような場所に、リデアンを通わせたくなかったのだ。 だがこの園におかしな階層意識はない。……ない、とは言えないが、できるだけ作らないように心がけているところが好ましい。
そして、そう心がけたところで実際にはうっすらとしたグループ分けがある。 リデアンを準備のために送り出し、会場となったホールに移るとそれが目に見えて分かる。 (類友か) よほど訓練されていないかぎり、立ち姿、仕草、表情、衣服や小物、様々なものに暮らしが現れる。それを観察するかぎり、やはりティア4から7あたりのいわゆる服務市民たちと、それ以上の者たちは交わらないようだ。 また、家門ティアが高そうなグループも一目で分かる。この園に子供を通わせているのは、公平性を良しとしたからだろう。であれば過剰な区別をしたくないとは思っているはずだ。だが、 (避けられるのか、それとも根っこにはやはり選民意識があるのか) “家柄"の低い者とは明らかに一線を画している。 大貴族の家に生まれ育ったヴェクタス・アヴローンとしては、正直なところ、分かる。公平なつもりでいても、そもそもの視点が一段高く作られているのだ。
そして、アヴローン家に比べれば小粒とはいえ名実のあるリクウィス家に生まれ、かつての名門軍閥トライオス家に嫁いだエドナはというと、どこにも入りづらいらしい。 本来ならば"家門エリート"組なのだが、その家ゆえにつらい思いをしてきたエドナとしては、自分の出自を誇るより忘れたいのかもしれない。だが育ちは仕草や佇まいにも表れて、一般市民の仲間入りもさせてもらえない。 ただ、さりげなくだが、動く視線は誰かを探しているようだ。 (“エアラちゃんのママ"か) 冷たくされるわけではないがなんとなく仲間ではない。そんな中にいて、安心して話せるのが彼女なのだろう。
「あっ」 エドナが小さくこぼした声が弾む。 「エアラちゃんのママだわ」 ヴァレスがエドナの視線の先を見ると、いましがた一人の婦人がホールに入ってきたところだった。 少し前に公園であったあの婦人だ。周りの若い夫婦に比べると一回りは年嵩で、しかし穏やかな落ち着きがある。 そして―――。 「えっ……」 ヴァレスは、その婦人のすぐ後ろによく知った相手を見つけて固まった。
そしてそれは、相手も同じだった。「えっ」と言った形で少し目を見開き、頬殻がゆっくりと開いて閉じる。 たぶん、同じことを思っただろう。 もしかして、と。 そしてたぶん同時に、気付いたと思われる。たぶん二人とも同じような状況で事実を知ることがなく、そしてたぶん同じような勘違いをしていた、と。 「どうしたの、ヴァレス?」 「いや……だってまさか……」 ヴァレスが見ているのは、“エアラちゃんのママ"の後ろにいるのは、オーラン・カスクール中佐だった―――。 笑い話だ。 エドナはカスクール夫人のことを「エアラちゃんのママ」と言って夫に話した。 カスクールの妻メリアは、「エドナちゃん」と言って話したのだが、カスクールはヴァレスの子供の名前なら軍内でちらほらと話題に出たため知っていたが、妻の名前を知らなかった。 母親二人は、一応互いの姓を知っている。だが園の方針に素直に従って、できるだけ出さないようにと心がけていたし、そのうちにうろ覚えにもなってしまった。 そして二人の夫はそれぞれ軍で管理責任のある立場にあるため、仕事の話を具体的にすることはない。そのため、「上司が」とか「部下の一人が」と言うことは稀にあっても、名前を出すことがなかった。 「同じような時期に発表会があると分かってまで、まさかとも思わなかったよ」 折りたたみ式の椅子の一つに腰掛けて、カスクールが笑う。 「演目も違いましたし、それに、自宅から園まで近いか遠いかという話をしたでしょう。何故かあれで別の園だと思いこんだんですよ。中佐のご自宅からは遠い、うちからは近い。ただそれだけだったのに」 「ああ、たしかに。私もなんとなく、別の場所を想像した」 だがようやく、そういうことだったのかと隣に座って笑い合っている。
開演まではまだ時間があるからと、ヴァレスはこの一週間の練習の結果をカスクールに見せた。そしてカスクールからは、プライベート用のオムニツールに入れてあるエアラの写真を見せてもらった。 「……私がこれくらい撮れるようになるには、どれくらいかかりますかね?」 趣味とは言うが、本当に好きで長年続けているのだろう。どこにでもいそうな普通の女の子の写真だが、笑顔が輝くように映っている。ちょっと澄ました横顔もすっきりとしていて可愛らしい。 「君の場合、数年もすれば撮っていそうで怖いんだが、これでも一応、若い頃からずっと続けているからな」 「そうなんですよ。この人、もうほんの子供の頃から写真が大好きで」 「メリア」 「いいでしょう? 恥ずかしがることじゃないわ」 「つまり、若い頃からというより、小さい頃から、ですか?」 「お父様にねだってカメラを買ってもらったの、あれ、たしか7歳のときだったわねえ?」 「8歳だよ。8歳の誕生日」 「エドナ。たぶん無理だ。私にこういうリディを撮るのは、無理だからな?」 「だがたった一週間とは思えないくらい、ちゃんと使えてるじゃないか。それに、撮影の技術はさておき、構図が綺麗だ」 「そう言ってもらえるとほっとします。で、これ、どうすれば良かったと思いますか?」 「そうだな、もう少し露光を増やして……」 和気藹々と話してるうちに、開演を知らせる軽やかな音楽が鳴った。
普段はなにかと堅苦しく取り澄ましているトゥーリアンだが、やはりほとんどの親は、素直に子供が可愛いのだろう。それを出しても許される場では、皆がそこそこ親バカに見える。 あちこちで父親あるいは母親がカメラやハンディカムを構えている。他人の邪魔にならないようにはしていても、内心では「もう少し横へ行ってくれ」「屈んでくれ頭が入る」等、思っていそうである。 幸いヴァレスたちは前列のいい場所に陣取れたため、そういうストレスはない。 ただ、 (私が二人いれば……っ!!) 写真を撮ろうとするとファインダー越しになるし、肉眼で見たいと思うと写真が撮れないし。 可愛いコスプレ、あるいは着ぐるみと言うにはシンプルな扮装すぎてヒューマンのシタデル来着はまだなのかともどかしくてたまらないのだが、それでも小さな体でちょこちょこと動くリデアンはとびっきり可愛い。なんとか周りに合わせてダンスしようとするのも果てしなく可愛い。 (かつてのリディなら、ドローンを使えば目が6つあるのと大差なかったというが、つまり肉眼で見つつドローンの視界で別の角度からも見ながら写真も撮れたということかっ? それすごくないかっ!?) 今言ってもどうしようもないことを考えつつも、カメラを覗いたり直接見たり、ひたすら忙しいヴァレスだった。 発表会は無事に閉幕した。 それぞれの子供たちが練習の成果を出したと思うが、我が子が出ている演目以外を真剣に見た親がどれくらいいたのかは謎である。 ともあれ、ヴェクタスとしての社交性を発揮すると、このまま皆で食事でもと言いたくなるが、なんだかんだでトゥーリアンの付き合いは面倒くさい。公私を分ければ何をしてもいいと言うのはもちろん建前で、上司と部下が仕事以外の付き合いをすれば、すぐに良からぬ想像をされる。 節度を保つというのは、私的な関係を理由に仕事で忖度をしないということだ。だがどうにもトゥーリアンの世間は、仕事で馴れ合わないために日頃から線引しておくことをそう呼ぶ。それとも、不都合な相手を結託させないための方便か。 (私はなんでもいいしどうでもいいが、カスクールを余計なトラブルに巻き込むのはさすがにな) ましてや、 「トライオス。良かったらこれ、いらないか?」 わざわざリデアンを何枚か撮影してくれるようなお人好しである。 もちろん答えは 「いただきます!!」 以外にないし、できるだけ迷惑を掛けたくないと思うのは、人情だった。
エドナにもコピーを渡し、二人してさっそくロック画面や待ち受けに登録する。 「なんだ、少し、照れるな」 「オーリ、あなたけっこういい腕してるんだから。もっと自信持っていいのよ?」 「そうは言うが……」 「お二人の馴れ初めもいろいろありそうですね。ぜひおうかがいしたいところですが、それはまた今度にしましょう。それか、メリアさん、エドナに聞かせてください。後で私も聞きますから」 「おい、トライオス」 「気になるじゃありませんか」 「じゃあ今度、エドナちゃんにお話しするわね」 「メリア」 「いいでしょう? 隠すことなんてなにもないんだから」 おっとりと、やんわりと。 しかしどうやらメリアは、夫をしっかりと尻に敷いているようである。
それじゃあまた、と別れてからも、エドナは思いもよらなかったと嬉しそうだ。 リデアンは、出し物が終わってやってきて、エアラの父親が自分の父の上司だと知って驚いた……ことを出さないために、よく分からないような顔をして誤魔化していた。 そして案の定、おねむである。ステージ上ではずいぶんと気を使ったらしい。ヴァレスに抱えられてすよすよしている。 「もう少し、仕事の外で付き合いやすくなるといいんだがな。カメラを教えてもらおうにも、ちょっと会うだけのことにあれこれ気を使わないといけない」 「軍に所属していると、そのあたりはどうしても大変ね。でも、たしか放磁季のはじめにサマーキャンプがあるわよ。引率の先生だけじゃ目も手も足りないから、親の同伴が参加条件なの」 「なに?」 「行くのは4歳から6歳の子で、もしエアラちゃんも家族で参加するなら、そこでゆっくりお話できると思うわ」 「いいね、それ。園の催しなら、中佐は知ってるよな?」 「たぶんご存知だと思う」 それなら話は早い。仕事の合間のちょっとしたやり取りでも確かめられる。 あとは、キャンプとなると泊りがけかもしれず、それに合わせて休みを取れるかどうかだ。自分だけでなく、カスクールも。
だがそれを、実現するかどうか分からない、で済ませないのがヴァレス=ヴェクタスである。 自分の休みだけでなくカスクールの休みもとなるとなかなかに難しそうだが、半年の猶予があるならば根回しはできる。あとは、たまたまそのタイミングで逃れがたい大きな仕事が来ないようにしたいが、こればっかりはたかだか中尉一人の力でどうにかできるものではない。 ともあれ、博打は勝率を最大まで上げてから打つものだ。 (仕事の進捗……他の連中の休み……放磁季の始めなら準備項目は多いが、それだけに定常業務が主になるだろうし……) リデアンとキャンプ! 自然の中で撮り放題! それを目指してヴァレスは、虎視眈々と戦略を練りはじめた。